2020年3月28日で、JR御茶ノ水駅の聖橋口が閉鎖となりました。
御茶ノ水駅工事のために、聖橋口駅舎や聖橋口連絡通路は解体へ。。。
目次
御茶ノ水駅
昭和7年(1932年)にモダニズム建築様式を取り入れた駅舎は、伊藤滋の設計。先に完成した聖橋(1927年)、御茶ノ水橋(1931年)との調和を重視したものとなった。
聖橋口駅舎は昭和7年の駅舎をベースに改修はされているものの開業当時の姿を伝えており、そして聖橋口ホームへのつながる連絡通路も、ほぼ開業当時のままであった。
御茶ノ水駅 聖橋口(解体済)
待合室などを設けずに、改札直結の駅舎は開業当時は斬新な設計であったという。
聖橋口連絡通路(解体済)
昭和7年の開業当初の姿をほぼ残していた。
JR御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口
昭和7年(1932年)竣工。
聖橋
昭和2年(1927)完成。
仮設 聖橋口
令和になり、戦前建造物の建て替えが加速化している気がします。
都心部で利用客が多い駅舎、という性質から鑑みるに、やむを得ないことではありますが。
解体
2021年1月、気がつけば解体完了しました。。。
(気がつけば、そば屋がうどん屋に変わってました)
御茶ノ水駅臨時改札口
臨時改札口は、どうなるのだろうか・・・
近くに鎮座する太田姫神社の元宮、御神木の椋の木が静まる。
太田姫神社
元宮
旧名 一口神社(いもあらいじんじゃ)
一口太田姫神社
一口である太田姫神社は江戸城外濠(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田山を開削した時、江戸城の結界また鬼門の護り神として旧江戸城(現皇居)よりこの地に移された。
昭和6年(1931)総武線開通に伴ない現在の駿河台下に移る。尚、鉄道は(「甲武線」中央線の前身)濠の中にあり開通時、天皇家との間に濠幅を減じない中で商業を営まない環境を守るとの約束がある。(明治期鉄道史より)
この木は椋の木 落葉高木 花は緑 実は濃紫
JR東日本は約束を継承していないんだろうなあ、と。
近代建築・駅関連
〆