仙台市の西側にある総合公園。開園は明治8年(1875)と仙台市内で最も古い都市公園となる。広瀬川の東側に位置しており、広瀬川を挟んで対岸は、青葉山公園となっている。
西公園には記念碑が多く集まっているので、ちょっと散策してみましょう。

目次
西公園
開園は1875年(明治8年)で、仙台市内で最も古い都市公園。
開園当時は「桜ケ岡公園」と呼ばれていたが、市の東側に「榴岡公園」が設けられた際(明治35年・1902)に、「榴岡公園」を東公園、「桜ケ岡公園」を西公園と呼称されるようになったが、「西公園」の呼称が定着した。
明治19年(1886)には陸軍第二師団の陸軍将校クラブの「仙台偕行社」が設置。
天皇や皇族が仙台を訪問した際の宿泊や休憩にも利用された。
第二次世界大戦中には、西公園内に防空壕が設けられ、仙台空襲に際しては西公園は焦土と化したが、多くの仙台市民が防空壕に避難をした。
場所
明治天皇御駐輦址碑
明治天皇御駐輦址碑
元帥伯爵東郷平八郎謹書
昭和2年建立。
1876年(明治9年)4月15日から宮城県博覧会が桜ケ岡公園で開催。
明治9年年6月には、 明治天皇が巡幸に訪れた。(明治九年六月東北巡幸)
博覧会では競馬が催された。


故内大臣海軍大将子爵齋藤公碑
昭和15年建立。
斎藤実は、岩手県水沢市出身。
海軍大将、海軍大臣、文部大臣、外務大臣、朝鮮総督、そして、第9代 内大臣、第30代 内閣総理大臣を歴任した。
内大臣時に、二・二六事件で暗殺された。





宮城縣殉職警察宦之碑(解体済)
昭和8年建立。
殉職した警察官の霊をまつり、永遠にその勲功を讃えるもの公益財団法人警察協会が管理、であった。
2024年に名取市の宮城県警察学校内に慰霊碑が新設され、それに伴い西公園の慰霊碑は撤去されたもよう。


うーん、なくなった

支倉六右衛門碑
明治41年建立。
支倉常長の記念碑。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、武将慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航した伊達家臣。
扁額は東郷平八郎。




殉職消防組員招魂碑
昭和6年6月6日建立。
公益財団法人宮城県消防協会が慰霊祭を行っている。



広瀬川橋梁・西公園高架橋(地下鉄東西線)
広瀬川をわたる地下鉄東西線。
全駅が地下駅であるが、広瀬川は橋梁となっている。これは広瀬川を地下とした場合、青葉山で極端に深い地下駅となってしまうのを防ぐため。




明治天皇御駐輦所址
明治天皇御駐輦所址
昭和5年建立。
明治9年に西公園内で旧仙台藩士12名により行われた天覧騎射が開催され、その観覧を記念したもの。


西公園の防空壕跡
「仙台市・西公園」周辺の地下を広瀬川の崖から掘った横穴式の防空壕。総延長は200メートル超という。






工事中、でした。






大橋
広瀬川に架かる橋梁。
現在の大橋は、1938年(昭和13年)にコンクリートの橋となる。
鉄筋コンクリートのアーチ橋で、親柱、灯篭、高欄に和風の装飾を凝らす。長さ約116メートル、幅約11メートル。



仙台城の石垣も見える。

大橋の東側ちかくには、「仙台キリシタン殉教碑」「仙台高等学校発祥の地」などがある。



※撮影:2025年9月
関連
仙台の戦跡散策・その1から


