飯能市大河原の監的壕

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埼玉県飯能市の山に「射撃場の跡」があるというので脚を運んでみた。


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監的壕(かんてきごう)
飯能町在郷軍人分会常設射撃場

射撃の着弾点や命中率を確認するために造られた施設。
飯能市に残る監的壕は、飯能の在郷軍人会によって、昭和16年に11月3日に竣工したもの。石垣積み・コンクリート築造。

射撃訓練として「的」に向かって射撃を行う。おそらくは、「三八式歩兵銃」での射撃。壕の下に控える監視者が、的の様子を確認出来る構造となっている。
すなわち「的を監視する壕」「監的壕」か?

射撃訓練ということもあり、安全を考慮して人里離れた山裾に設けられたものと思われる。

石垣が築かれたコンクリート製の「監的壕」がみえてきました。
周辺に、射撃場の面影はなく「監的壕」のみがきれいに残っていました。

昭和十六年十一月三日竣工

飯能町在郷軍人分會常設射撃場
監的壕

監的壕の入り口には、扉があったことがわかる。

左側(渓流の下流側)のコンクリート壁がせり出している。
射撃者は、下流側から、この監的壕を狙ったものと思われる。

奥が若干だが広くなっている。

鉄の棒が飛び出ている。ここに「的」を設置したのか。

「鉄の棒」の下には、腰掛けるのに丁度よいコンクリートがあった。
的の下に控えた観測員が、ここに腰掛けたのか。

鉄の棒と、コンクリートの椅子はふたつ。
つまり、射撃の「的」はふたつ。
飯能町在郷軍人会の施設のため、小規模な射撃場。

上に上がってみた。

右側が渓流下流。射撃者は、右側から「的」をめがけて撃ち込みをした。

使われなくなって75年も経てば、樹木も茂る。コンクリートのギリギリまで植林されたようだ。

思った以上に、きれいに残っている戦跡でした。
なかなかの見応え。これは大切に残してほしい戦跡です。


位置関係・アクセス方法

まず最初に。

現地は湿地帯となります。湿地帯のぬかるみを突破しないといけないために、長靴やハイキングブーツ、登山靴など厚底の靴がおすすめです。
どちらかというと、夏場よりも冬場。それも晴れの日が続いた冬場が、ぬかるみもおさまり、脚が運びやすいかと思われます。

場所→だいたいこのあたり

南の「美杉台」のほうが近そうに見えますが、沢を登っていきますので、北側の「大河原」からアクセスとなります。

飯能駅から西に歩いていきます。
割岩橋にて入間川を横断します。

飯能河原

そのまま道なりに西に。

交差点が見えてきました。

「大河原」交差点。飯能駅からここまでは、徒歩で約25分前後。

渓流の名前は「小山入川」。
渓流に沿って登っていきます。

このあたりは休耕田、ですね。

射撃場跡へと。

道が二手にわかれますが、渓流に沿って左側へ。

休耕田エリアが終わると、本格的に山となります。ところどころに湿地も混じっておりますので、足元に気を配りつつ。

倒木も多数。

大きな岩が見えてきたら、この左側に目的地があります。
先に進むことに夢中になっていると、通り過ぎてしまいますのでご注意を。
(うっかり通り過ぎるところでした。)

「大河原」交差点から、「監的壕」までは約10分。
飯能駅からはトータルで、約35分、でした。

ちなみに、飯能駅から割岩橋に向けて歩いてきた道が「幻の表参道」だったそうです。明治神宮建設に際しての誘致が飯能でも行われていた、と。
飯能の天覧山に 明治天皇が明治16年に近衛兵春季小演習の展覧のために登られた縁もあり。天覧山は、最近ではヤマノススメの聖地になってますね。


本記事を作成するにあたり、以下のブログを参照させていただきました。

ブログでは初めての探索記録です。今回探索したのは、飯能市大河原地内に残る監的壕と呼ばれる射撃練習に使われていた遺構です。探索の記録はありながらもこの場所の素性…

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