日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」部分移設で保存となった観客席(取り壊し後)

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2021年末、多摩川河川敷に開設された日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」観客席跡が取り壊しとなった。

当初は、全面的な解体が予定されていたが、観客席の保存活動を行っていた任意団体「多摩川スピードウェイの会」の尽力により、ほんの一部であるが、移築保存となった。

そうして、2022年7月に、3席分(幅約3.3m)の観客席(座面)と、2016年に設置した80周年記念プレートを移設し、2022年に新設された観客席について説明したプレートを追加し、往年の「多摩川スピードウェイ」を物語ることとなった。

「多摩川スピードウェイの会」

移設された観客席とプレートは堤防の上にある。


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取り壊し前の「多摩川スピードウェイ」

取り壊し前の風景などは、以下の記事にて。

かつて多摩川の河川敷に「サーキット場」があった。場所は、東急東横線多摩川橋梁の隣、多摩川駅と下丸子駅の間の川崎側。堤防に観客席跡などが今も...

「観客席について」プレート

2022年7月に治水対策に伴う堤防強化工事が完了し、そして観客席の一部が移築保存された。階段状での移築は認められず、観客席のコンクリートの1段だけの移築。それでもここに、日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」があったということをなんらかの形あるもので伝承する大変貴重な遺構。
「多摩川スピードウェイの会」の皆さまのご尽力に頭が下がる。

実は、私もほんのささやかではございますが、縁があり。
「多摩川スピードウェイの会」にて、新しいプレートを作成するに当たり、写真の提供を行っておりました。

東急線車内から撮影されたこのアングルは、取り壊し寸前まで原型を保っていた観客席の拡がりや堤防と一体化した物量感を存分に表現しており、他にはない素晴らしい1枚です。

多摩川スピードウェイの会様のメールより

ありがとうございます。

写真提供後、忙しくなりメールを見逃してしまい、お披露目式のご連絡などもいただいておりましたが、参加すること叶わずとなってしまい、プレートを確認させていただいたのが9月になってしました。失礼しました。
この場を借りて、改めてではございますが、多摩川スピードウェイの活動に、ご協力できましたこと感謝しております。
ここに日本初の常設サーキットがあった!ということを、移築保存なった観客席とともに、ささやかであれども、長く後世に伝承していくことを、当記事でも引き続き協力させていただきます。

ありがとうございました。

プレートには特殊な顔料をタイルに焼成したもの、という。
下記は、「多摩川スピードウェイの会」より、いただいた写真より。

観客席について
1936年の開場時には、楕円形コースとあわせて長さ300mの階段状のコンクリート製観客席が堤防上に建設されました。コンクリート部分の厚みは、最大で30cm近くありました。
2016年に当会は、多摩川スピードウェイ跡地保存のシンボルとして、竣工当時のまま現存していた観客席に「開場80周年記念プレート」を設置し、川崎市に寄贈しました。
しかし、2021年に治水対策に伴う堤防強化工事により観客席は取り壊され、3席分のみをここに移設しています。
この観客席を、日本の自動差産業発展の礎としてだけでなく、85年以上にわたりこの地に存在した産業遺産・史跡として後世に伝えるべく、この碑に記します。
 寄贈:多摩川スピードウェイの会 2022年3月

2021年取り壊し前

2022年、取り壊し後


取り壊し後の「多摩川スピードウェイ」

以下、現地写真など。

多摩川スピードウェイ
多摩川スピードウェイは、日本初の常設サーキットとしてこの地に建設されました。階段状のコンクリート製堤防は、当時の観客席そのものです。
1936年6月の第1回大会以降、ここで第2次世界大戦前の数年間を中心に自動車・オートバイのレースが開催され、3万人の観客を集めていました。
若き日の本田宗一郎氏をはじめ、出場者・関係者の多くは、レースで得た技術・経験を活かし、戦後の自動車産業の発展において中心的な役割を果たしました。
開場80周年を機に、多摩川スピードウェイが果たした役割と、先人たちの功績を後世に語り継ぐべく、この碑に記します。
 寄贈 多摩川スピードウェイの会 2016年5月

は観客席の椅子を固定するものであった。

いたって、普通の堤防になってしまいました。。。

東急線の車窓から。

※撮影:2022年9月

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