四月十八日に山本五十六を偲ぶ

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平成31年4月18日

山本五十六の墓を。 四月十八日は山本五十六の命日 。。。

【海軍甲事件】

1943年(昭和18年)4月18日。 前線視察中の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がブーゲンビル島上空にて米軍戦闘機に撃墜。 山本五十六が戦死した事件。


【山本五十六】

1943年(昭和18年)4月18日。 連合艦隊司令長官 山本五十六海軍大将戦死の日。 多磨霊園に埋葬。 墓字は山本五十六の国葬葬儀委員長を務めた米内光政による。

多磨霊園の山本五十六墓。写真は2015年2月撮影
多磨霊園の山本五十六墓。写真は2015年2月撮影
多磨霊園の山本五十六墓。写真は2015年2月撮影
多磨霊園の山本五十六墓。写真は2017年12月撮影
多磨霊園の山本五十六墓。写真は2017年12月撮影
多磨霊園の山本五十六墓。写真は2017年12月撮影

昭和18年6月5日に行われた山本五十六元帥の国葬の列は「水交社本部ビル」から出発し「日比谷公園」で国葬が行われた。葬儀委員長は米内光政。 皇族、華族ではない平民が国葬にされたのは、これが戦前唯一の例という。

山本五十六元師国葬 NHKアーカイブス https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009060058_00000 …

現在の水交社本部ビルの地は 「東京メソニックビル」

余談ですが、水交社とは明治9年に海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体。終戦とともに水交社は解散し水交社本部ビルはフリーメイソンによって占拠される。昭和56年に跡地に「東京メソニックビル」が建設され、一室には水交社時代の応接室が再現されているという…

山本五十六は郷里長岡にも分骨されています。

写真は長岡の生誕の地。復元された生家。


平成14年7月撮影。

平成11年8年に長岡市長興寺の墓前に詣でておりましたが、写真はどこかのHDDにいってしまいました。 添付写真は私の旧サイトから転載。(かなり荒い) 山本家の墓なので「山本帯刀」もこちらに眠る。

長岡の山本家の墓では長岡藩が朝敵であった事から養祖父「山本帯刀」の墓が非常に質素に作られている。山本五十六の墓は、その山本帯刀よりもさらに質素に造られた為、戦死した陸海軍将官中、最も粗末な墓とされている。(多磨霊園の墓はまた別として) ※訪問が昔過ぎて写真は無し…

霞ヶ浦空・予科練の地にも、山本五十六はゆかりがあります。

山本五十六は大佐時代に砲術から航空に転化し、霞ヶ浦海軍航空隊副長兼航空学校教頭に就任。この霞ヶ浦の地より海軍航空発展に深く関与するとなった


写真は土浦駐屯地内「雄翔館」前の山本五十六像。
平成28年4月撮影。

本棚から。

阿川弘之著「山本五十六」「山本元帥!阿川大尉が参りました」

戦後の日本人として、はじめて山本五十六搭乗機に接した阿川弘之氏。
(昭和41年にブーゲンビル訪島)

「山本五十六長官搭乗の一式陸上攻撃機にもし心あらば、今、二十三年七ヵ月ぶりに日本人に見(まみ)えたはずであった」
(山本元帥!阿川大尉が参りました-私のソロモン紀行-) 

元帥山本五十六海軍大将の伝記を残された阿川先生…阿川弘之海軍大尉による渾身の鎮魂紀行…
4月18日、節目の日に。

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