東京大空襲と下町(墨田区江東橋と江東区亀戸周辺)

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東京大空襲と下町。
錦糸町駅と亀戸駅周辺の社寺にある慰霊碑を巡ってみる。

慰霊巡拝を。


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慰霊碑・戦災殉職者慰霊碑
(江東寺・江東観世音)

錦糸町駅の南に。
当初、木塔碑があったが17回忌の昭和36年に町内会有志により「慰霊碑」石碑が建立された。

戦災殉難者慰霊碑建設趣旨
この碑は昭和20年3月9日夜半より10日の暁にかけて米機の大空襲に伴う戦禍により愛国純真の人々が劫火のうちに仆れた誠に哀悼に耐えぬものがあり、よっってここに慰霊碑を再建したものである。
この碑を建立した企図は当時の太平警防団々長長谷川秀吉氏外団員と町会有志各位により当所に木塔碑を建立して其の霊を慰めた。
その後塔の老朽甚だしく為に再建の議が起りたまたま元管内の有志諸氏相より其の実現に当り関係各町発起人及び委員各位に相計った結果17回忌を迎うる日を記念し建立の運びになった。
その後更に各町より150名よりなる建設委員によって建碑会を結成し530数氏の賛助協力によって建碑奉献の実現を見るに至ったものである。
 昭和36年3月建碑に当たりて

五徳山 江東寺 江東観世音
昭和15年建立

場所


戦災殉難者供養之碑
(普門院)

亀戸駅前に建立されていた慰霊碑が、昭和30年の都市開発計画によって、普門院(普門寺)に移転した。
あわせて仮葬されていた遺骨なども普門寺に納骨され、一部が分骨として東京都慰霊堂にも納骨されたという。

昭和20年3月10日歿
戦災殉難者供養之碑
縁山辯匡書

この碑は昭和貮拾年参月拾日の亀戸地区戦災殉難者供養のため建立せられたものであります
本年三十三回忌を迎えるに当り記念事業として永く後世に傅えるため碑及び周辺の整備改修を行い再び惨禍を繰り返さないことを念願し諸霊位の冥福を祈るものであります
 昭和五拾貮年参月拾日
  亀戸町会連合会

時も忘却も我が泪を乾すまじ
  この碑は昭和二十年三月十日我国で最初の大量の犠牲者を出した大空襲による多くの殉難者を悼むために亀戸駅前の焦土に建てた供養碑であります
  昭和二十九年晩秋都市區割整理に依て奉賛会は普門院の浄域を擇んで移転し平和の礎となつた貴い人々の冥福を永遠に祈るために奉安しました
 昭和三十年三月十日 誌

場所


戦災受難者慰霊地蔵尊・戦災受難者之碑
(光明寺)

普門院と光明寺は隣り合っているが、入り口は真逆となっているので、敷地を周回する道路をぐるりと回り込んで参拝。

戦災受難者慰霊地蔵尊

昭和43年3月建立

城東三業組合
戦災受難者之碑
昭和20年3月10日

昭和36年3月10日建立

場所


戦災殉難者慰霊之塔・戦災懐古の碑・戦災精霊五十回忌供養塔
(明源寺)

戦災殉難者慰霊塔は、地元の有志が1965年(昭和40年)3月に建立。

その右にある戦災精霊五十回忌供養塔は、1994年(平成6年)3月10日、五十回忌法要とともに戦災供養会一同によって立てられた。

戦災殉難者慰霊之塔
時に昭和二十年三月十日未明空襲における戦災殉難者及び地區内百二十余命の霊を慰めるものなり
昭和四十年三月建立
 発願人 中田武雄

戰災精霊五十回忌供養塔
爆音鳴響米機來 一意護都遇戰災
君死我存今日到 叩頭僅獻慰霊杯
追憶献杯 二十五世 巨宗萬年

暗雲低覆我家偕 満目荒涼累積骸
來襲米機焚萬物 敗兵涙見墨東街
戦災懐古
 昭和四十二年三月
 まん つくり かく


日露戦役祈念百度碑
(亀戸香取神社)

これは、東京大空襲とは関係なく。通りかかった亀戸香取神社にて。

※撮影:2023年6月


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近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝 ‐日本の近代と慰霊の地を巡りしサイト‐(戦跡紀行ネット)
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