軍艦「三笠」のスクリューの一片と補助舵輪(川口市)

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埼玉県川口市に、なぜか「戦艦三笠」に関係するものが残っているというので、足を運んでみた。

そこには、遠目でもわかる状態で、三笠のスクリューが住宅地に忽然と陳列してあった。


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三笠

日露戦争の日本海海戦での第日本帝国海軍の連合艦隊旗艦を務めた。
世界三大記念艦のひとつ。

三笠は、敷島型戦艦の4番艦。イギリスのヴィッカース社で建造され1902年(明治35年)竣工。

昭和20年の終戦後、三笠はソ連の圧力で解体処分されそうになるが、米軍の調整により解体は免れるも、戦後の荒廃で金属やチーク材などは盗まれ、そして米軍によってダンスホールや水族館などの娯楽施設が艦上に開設された。


軍艦「三笠」のスクリューの一片と補助舵輪

軍艦「三笠」のスクリューの一片と補助舵輪
 明治38年5月27日は日本連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に大勝した日である。其の時の旗艦「三笠」の栄誉をたたえ横須賀に記念艦とし此のスクリューの一片と補助舵輪は共に保存されてありました。
 昭和20年8月15日終戦後進駐軍より三笠艦を解体せよとの命令に従い惜しくも東郷元帥が指揮をした司令塔Z旗を掲揚したマスト等の解体作業が進められた其の折此の三笠艦のスクリューの一片と補助舵輪は私石井が幸いにして入手した次第であります。
 此のスクリューはイギリスのストーンブロンズ社が鋳造したもので奇しくも石井を英訳するとストーンであり而も同じ特殊ブロンズの鋳造会社であるが故に栄光に奇縁を添えた三笠艦のスクリューの一片と補助舵輪は石井家の宝として保存するものであり恂寿
 昭和59年10月吉日
  ストーンブロンズ株式会社
  石井次郎 記述 書

STONE’S BRONZE
LONDON 1899

なお、「三笠」は、保存のため陸地と固定されているため、スクリュー含め艦底部分は埋められている。

補助舵輪

ちなみに下記は、今の三笠についている艦橋の舵輪。(意識せずに撮影してました)
かなり大きさが違う。
補助舵輪は、どこに設置されていたのだろうか。
この大きさを設置しようとすれば、艦内では、それなりのスペースを必要とする。

まちかどスポット賞 川口市 1988

大砲のような鋳造品。

場所

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撮影:2024年2月


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