2024年11月の入間基地航空祭に際して、旧陸軍航空士官学校時代の倉庫が5棟残っているというので、航空機はそこそこに倉庫の見学をしてきました。
もっとも、2024年の航空祭は、C-1ばかり見ていましたけど。

目次
陸軍航空士官学校
陸軍航空士官学校
昭和12年(1937)に陸軍所沢飛行場内に陸軍士官学校の分校として「陸軍士官学校分校」が開校。(現在の入間基地・入間飛行場)
昭和13年5月に「陸軍士官学校分校」が豊岡町(現在の入間市)に移転。
昭和13年12月に、「陸軍航空士官学校」として独立し、昭和16年には行幸された 昭和天皇より「修武台」の名称を賜った。
陸軍航空士官学校の本校は豊岡(入間)、その他に飛行練習をするために狭山・高萩・坂戸・館林の陸軍飛行場が練習地として使用された。
狭山飛行場
高萩飛行場
坂戸飛行場
館林飛行場関連は未訪問。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:891-C2-92
1944年9月28日、米軍撮影の航空写真
かつての陸軍航空士官学校時代の様子がわかる。

残存の格納庫部分を拡大

現在の様子
当時の写真と照合し、赤枠部分が残存と推測できる。

陸軍航空士官学校時代の北側建屋3棟の現況
2024年11月3日現在の様子。
北側には、3棟が残存している。
北側から。



南側から。
当時は、こちら側が駐機エリア。




西側の側面。

陸軍航空士官学校時代の西側建屋2棟の現況
西側には2棟、残存している。





現在も航空自衛隊入間基地の倉庫として活用されている。
修武台記念館・陸軍航空士官学校航空神社跡・修武台命名記念碑
そこにあるのはわかっているけど、見学は、いつになったらできるのかな、と。
申し込めばよいのですけど。
敷地外の柵の外から。



※2024年11月撮影