南湖院第一病舎(茅ヶ崎)

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令和元年5月撮影

南湖院は神奈川県茅ヶ崎市にあったサナトリウム(結核療養所)
医師・高田畊安 (1861-1945) によって1899年9月に開院。

地名の「南湖」(なんご)によるが、濁音を嫌った高田畊安によって当施設は「なんこいん」と呼称。

全盛期の昭和10年代には敷地5万坪、建坪4500坪、病室は158室。
「東洋一のサナトリウム」と称された。

1945年5月に海軍に全面接収されて解散。
1946年8月、連合国接収。
1952年、在日米軍施設キャンプ茅ヶ崎の一部となる。
1956年、米軍の接収解除。
1979年、畊安の孫にあたる高田準三により有料老人ホームが開設。
2015年12月10日、第一病棟と付随する土地が茅ヶ崎市に寄付され、再整備。


旧南湖院第一病舎

第一病舎は、明治32年(1899年)の竣工以来幾度となく改修を経て現在に至っている。療養地として著名な湘南に残る希少な明治期の結核病棟。
木造・2階建て 延床面積:68.75坪 病室数:10
国登録有形文化財(建造物)に登録。

正面
門柱左右には「南湖院」「高田病院」

南湖院記念 太陽の郷庭園

受付で入場時間を記入して番号札をセルフで持ち出すシステム。

第一病舎

内部は整備が終わってからの公開

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高田畊安碑

昭和13年5月
キリスト教を信奉していた高田畊安の独特な宗教観(神武天皇とキリストを同一視)が刻まれている。
1940年及び1942年に独特の宗教観を織り込んだ入院者ガイドブック「南湖院一覧」は「皇室ニ対シ不敬」として発禁処分。
1945年2月1日‐2日には 高田畊安 院長は特高に呼び出され出頭。その1週間後の9日後に 高田畊安 院長は83歳で死去している。

(碑・表)

イエサヤ豫言
第九章五及六
神武天皇及皇國に關はる聖書の豫言一兒は吾等の為に生れたり 一男子は吾らに賜ひたり 其の肩上に統治の政權は降さる 其の名は神智神武恒久の父平安の主と稱へらるダビデの王位の上に統治の政權は増し加はり 又其の王國の上に平和幸福は窮りなし 彼は正義と公道を以て之を立て且つ強め今よりして永遠に至る全能の主の執心は斯の事を成就したまふへし  
南湖院長醫學博士 高田畊安 謹譯  
昭和十三年五月 岡田起作 謹書

(碑・裏)
高田畊安 曽孫 増田守正 同竹子 二男 高田畊安 
勝 海舟 孫  疋田正善 同孝子 長女 同 輝子

高田畊安の妻は勝海舟の孫娘であった。

旧院長室棟

いつの建設かは不明


太陽の郷 南湖院の歴史

茅ヶ崎市‐指定文化財

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