令和元年9月撮影
楠木正成像
「東京三大銅像」のひとつ。(残りは上野公園の西郷隆盛像、靖國神社の大村益次郎像)
本体の高さは約4メートル、花崗岩の台座を含めると8メートルに及ぶ。
別子銅山開坑200周年事業として住友財閥から宮内庁に献納されたもの。
高村光雲と後藤貞行らの制作による、我が国で初めての分解鋳造法による銅像。
明治29年(1896年)9月、銅像が完成。
明治33年(1900年)台座の完成を待ち、ついに楠木正成像は二重橋外に竣工。
像は台座正面から見ると背を向けているが、これは皇居に背を向けない配慮という。
住友グループ広報委員会>住友の歴史>楠木正成像
https://www.sumitomo.gr.jp/history/related/kusunoki/
この楠木正成像は、別子銅山開坑200周年事業として住友から宮内庁に献納されものだ。明治22年(1889年)末、当時の住友総理人の広瀬宰平(初代総理事)は、翌年に別子銅山開坑200周年を控え、住友家13代当主住友友忠と相談し、別子銅を用いて銅像を製作し献納することを決めた。
製作は、岡倉天心が校長を務めていた東京美術学校(現在の東京藝術大学の前身)に依頼。当時、東京美術学校には塑造科はなく、原型は木彫を使用する時代だったため、同校の木彫科教授であった高村光雲が主任となり、指揮をとった。翌年、東京美術学校は後に製作担当者となる3人を次々と教師として採用。高村光雲は頭部を担当し、山田鬼斎と石川光明が身体・甲冑部などを、後藤貞行が馬の製作を担当した。
環境省>皇居外苑>楠木正成像
https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/his_06.html
皇居外苑の南東の一角に、花崗岩の台座に据えられた騎馬姿の武者像が楠木正成の銅像です。この銅像は、別子銅山を開いた住友家が、開山200年の記念として企画し、東京美術学校に依頼し作成し、宮内庁へ献納したもので、高村光雲など東京美術学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成され、明治33年7月に完成し献納されたものです。
楠木正成(くすのきまさしげ)は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて後醍醐天皇(ごだいごてんのう:1288年‐1339年)に仕えた武将です。鎌倉幕府を倒し、約150年の武家政権から、朝廷による支配の復活を図りました。
この銅像は、隠岐(おき)から還幸した後醍醐天皇を兵庫で迎えた楠木正成の勇姿を象ったものです。
自臣祖先友信開伊
予別子山銅坑子
孫継業二百季亡
兄友忠深感国恩
欲用其銅鋳造楠公
正成像献之闕下
家允未果臣継其志
菫工事及功竣謹献
明治三十年一月
従五位臣住友吉左衛門謹識
台座の銘文には、住友家第15代・住友友純(住友家養嗣子、徳大寺実則・西園寺公望の実弟)の銘で、「亡兄友忠、深く国恩を感じ、別子銅を用いて楠木正成像を鋳造し、天皇陛下の御前に献納したい」と記されている。
〆