山形県米沢市に赴く機会があったので、米沢城周辺を散策してみました。
米沢城周辺の散策は、その1にて。
目次
九里学園高等学校 (九里裁縫女学校)
竣工は、昭和10年 (1935)。国登録有形文化財。
九里学園高等学校
大正建築の意匠を持つ九里学園高等学校の木造校舎は昭和10年に建築され、平成9年に登録有形文化財として指定を受けた。創立は明治34年、創立者の九里とみは近代和裁の父渡辺辰五郎(現、家政大学の校祖)に学び、北里柴三郎・福沢諭吉の影響を受けて、男尊女卑の時代に女子自立の教育を行った。
場所
米織会館 (米沢織物同業組合本館)
竣工は、大正11年 (1922)。
米織会館
この建物は米沢織物組合の事務所として大正11年(1922年)に建築されました。大正14年にはのちの昭和天皇が同組合に行啓遊ばされ、米沢織及び人造絹糸を御熟覧されました。現在も米沢織の施設として利用され、販売も行っています。
場所
ホテルおとわ本館 (音羽屋旅館)
創業は明治31年(1898年)。竣工は、昭和12年(1937)。国登録有形文化財。
場所
米沢駅
現在の駅舎は、平成5年(1993年)完成。
米沢駅の駅名由来
米沢という地名は、アイヌ語で「湯の川」という意味の「ユナイ」が転訛したものといわれています。他にも、米のとぎ汁のような白い水が出る「米井」、火山灰を意味する「よな」に由来するといった説のほか「米を産する沢地」と解釈する人もいます。
吾妻連邦、飯豊山に抱かれ、清流・最上川が流れる米沢市は米沢の味A(APPLE/りんご)B(BEEF/米沢牛)、C(CARP/鯉)を代表とする食の宝庫でもあり、また「米沢十湯」と総称される秘湯を含めた十ヶ所の温泉が点在し「いやし」や「やすらぎ」を求めて多くの観光客が訪れています。
江戸時代には、名称・上杉謙信とする米沢藩上杉家の城下町でした。上杉氏第十代・(ようざん)鷹山公は、困窮した藩財政を立て直した名君として知られ、内村鑑三の著書「代表的日本人」と新渡戸稲造の著書「武士道」で共に英文で紹介され、日本人としてアメリカで名を挙げました。彼の行った改革は封建時代において類を見ない、現代の民主主義思想にも通じ、その指導力と経営力は現在でも各界で注目されています。鷹山公の「為せば成る為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という三十一文字は有名です。
この地名の由来を受けて、明治三十二年(一八九九)五月十五日奥羽本線の福島~米沢間開通の時、米沢駅が開業しました。
米沢は乗り換えで利用しました。
あまり時間がなかったので、代表的な建造物の見学のみでしたが。。。
撮影:2022年5月