沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その2」となります。
その1は、下記にて。
2022年10月記録です

みたま安らかに
目次
ひめゆり学徒・散華の地
昭和20年6月18日、南風原の陸軍病院から南部に撤退し、伊原第三外科壕に避難していた「ひめゆり部隊(女師・一高女の看護女子学徒隊)」に解散命令が発布。
翌19日、第三外科壕に米軍によるガス攻撃があり壕内は地獄と化した。
第三外科壕を脱した、ひめゆり学徒隊は、小さなグループに分かれて、戦場を彷徨うこととなった。
南に追い込まれ、荒崎海岸一帯で隠れ場所を求めて右往左往していた人たちの中に「ひめゆり学徒」のグループもいた。
昭和20年6月21日、平良松四郎教諭(一高女教頭)が引率する学徒隊は、突如、米軍の自動小銃の凶弾に倒れ、そして混乱の最中で、手榴弾で自決をした。

ひめゆり学徒散華の跡
石版には、この地で亡くなった学徒隊や教員の名前が刻銘。
平良松四郎教頭(一高女)と、一高女生徒8名と卒業生1名、師女生徒3名と二高女1名、そして、一高女教諭2名の名が刻まれている。
生徒たちは、16歳や17歳などの若き女子学徒。

岩陰に
一筋の黒髪
乙女らの
自決の地なり
波もとどろに
ひめゆり同窓会

合掌


遠くからでも、ひめゆり学徒の最期の岩場がわかる。

荒崎海岸

場所:
関連資料
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ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館は、ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験を伝える平和ミュージアムです
※撮影:2022年10月
沖縄戦跡慰霊巡拝
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