川越を歩いていたら「御野立の森公園」という公園があって、「おっ」と思い、なんとなく写真を撮っていました。そこから少し調べてみたら、川越と狭山と所沢から色々話題が集まってきたのうえに、以前なんとなく記録していた記念碑なども「大正元年の陸軍特別大演習」の関係として芋蔓式に繋がってきたので、まとめてみましたという記録になります。

今回、記念碑を辿ることで、 大正天皇は下記の行程で、陸軍特別大演習に臨まれたことがわかりました。
大正元年
11月14日-15日 川越
11月16日 狭山
11月17日-19日 所沢
目次
大正元年の陸軍特別大演習(第11回陸軍特別大演習)
大元帥であらせられる 大正天皇が入間川で指揮を執った「陸軍特別大演習」
大正元年(1912年)11月15日〜19日の4日間、実施された。
明治45年/大正元年(1912年)7月30日に 明治天皇の崩御に伴い第123代天皇に即位した 大正天皇として、初めての陸軍特別第演習。
参加総数は4万8700人余り、軍馬は8200頭であったという。
- 統裁 大元帥 大正天皇
- 参謀総長 長谷川好道(軍事参議官・陸軍大将)
- 北軍司令官 大島久直(軍事参議官・陸軍大将)
- 北軍 第13師団(高田)師団長:長岡外史(陸軍中将)
- 北軍 第14師団(宇都宮)師団長:山田忠三郎(陸軍中将)
- 南軍司令官 大島義昌(陸軍大将)
- 南軍 近衛師団(東京)師団長:閑院宮載仁親王(陸軍中将)
- 南軍 第1師団(東京)師団長:木越安綱(陸軍中将)
演習は、首都占領を目指す北軍に対し南軍が防衛するという設定で行われた。
特別大演習御野立所記念碑
狭山の御野立所(狭山市立稲荷山公園)
特別大演習御野立所記念碑
宮内大臣伯爵渡邊千秋書
渡辺千秋は、1910年(明治43)から1914年(大正3)の宮内大臣。
この間に、明治天皇の大葬の儀、大正天皇の即位の礼などがあった。
大正元年十一月
今上登極之初行陸軍特別大演習於武蔵野其十六日
龍駕臨幸稲荷山躬親統督三軍此地實繫當時之
聖蹤也因鎸以諗後世
大正二年十一月上浣
埼玉縣入間郡長從六位勲五等 市川春太郎撰并書
大正二年十一月十五日建之
入間川町 川越 山崎松壽刻
狭山は、「稲荷山」に「16日」。後述する川越と少し異なりますが、基本の文意は同じですね。

3つに割れた痕跡がある。薄い石碑ゆえに、、、か。

思ったよりも薄い石碑。

御野立所から入間川の方向を望む。
記念碑は斜面の先の入間川に面した方向を向いている。
大正天皇が望んだ方向ときっと同じなのだろう。

石碑の周りの石柱柵も往時のものと思われる。


狭山市立中央児童館が目の前にある。

隣には、埼玉県最古のプラネタリウムもある。(昭和52年設置)

場所:
稲荷山公園(狭山市営稲荷山公園)
大演習からちょうど1年後の11月16日。
大正天皇の行幸を記念した碑の除幕式が行われた。
碑は現在、中央児童館脇の階段を上ってすぐのところにある。
除幕式後の町議会で、稲荷山付近を記念公園にすることが可決された。


「稲荷山公園」の見晴台からの展望


参照:狭山市
場所:
「埼玉県営狭山稲荷山公園」ではなく「狭山市営稲荷山公園」が今回、話題とした公園。
紛らわしいが、西武線の「稲荷山公園」の最寄りは「埼玉県営狭山稲荷山公園」
大正天皇御駐輦之跡碑
(所沢航空記念公園)
所沢航空記念公営にある記念碑。
大正元年の陸軍特別第演習では、所沢飛行場からの航空機も参加した。
陸軍特別大演習で航空機の参加も、初となる。
大正天皇御駐輦之跡
大正元年(1912)11月15日から19日にかけて関東地方で10万人の将兵が参加する陸軍特別大演習が行われました。所沢飛行場からはブレリオ機、会式3号機、会式4号機と飛行船パルセバルが初参加しました。この碑は、同年11月17日に大正天皇が所沢飛行場に行幸され、飛行機の飛行を統監されたのを記念して建立されたものです。
尚、この碑には当時の井上幾太郎大将の直筆による文字が刻まれれており価値ある記念碑と言われています。
2020年3月
所沢市
所沢資料調査収集する会
井上幾太郎大将は、初代陸軍航空部本部長でもあり、航空黎明期において陸軍航空の第一人者。




場所:
所澤駐蹕碑・大正天皇行幸記念碑
(所沢神明社)
大正元年(1912年)の陸軍特別大演習。
大正天皇が行幸され駐蹕された。
所澤駐蹕碑
麝香間祇候 正二位勲一等 公爵 徳川家達 篆額
近時飛行機盛行于各國我邦亦設習技場於武州所澤會
今上天皇ト大正元年十一月統監陸軍大演習于近郊置 行在所於川越各地巡監之次以十七日 臨幸所澤習技場此地當南北軍對抗之衝飛行機翔干両軍之上能偵察之頗稱 二日十九日再 臨幸場内大賜酺於文部官僚又州内士民盖
天皇践祚後盛典也郷民以為栄欲建碑 駐蹕之處以表之来嘱銘鳴呼
天皇以武備之不可一日忽之忍 諒闇之憂躬統監之労不負
先皇在天之霊欣慰可知也海内臣民聞之皆欽仰敬崇況新拝観者乎謹繋銘日治兵之野飛行場 大纛臨矣 皇武維揚萬姓欽仰執不期待紹述先緒雄飛四海
大正二年十一月
宮内儒員 従三位勲二等 文学博士 三島毅 拝撰
錦鶏間祗候 従二位勲一等 男爵 野邨素介 謹書
別記事にて。
場所:
秋田家住宅(所沢)
大正元年 11 月の陸軍特別大演習の際に、伏見宮貞愛親王が宿泊している。
伏見宮貞愛親王は、陸軍大将であったが、大正元年の陸軍特別大演習当時は、内大臣府出仕として即位されたばかりの 大正天皇を補佐していた。
場所:
特別大演習御野立所記念碑
川越の御野立所(御野立の森公園)
こちらは、川越にある記念碑。
特別大演習御野立所記念碑
宮内大臣伯爵渡邊千秋書
大正元年十一月
今上登極之初行陸軍特別大演習於武蔵野其十五日
龍駕臨幸仙波村躬親統督三軍此地實繫當時之
聖蹤也因鎸以諗後世
大正二年十一月上浣
埼玉縣入間郡長從六位勲五等 市川春太郎撰并書
川越は、「仙波村」に「15日」。他は、狭山にある記念碑と同文。
ただ、狭山の薄い記念碑と違って、川越の記念碑は、石碑に厚みがある。
大正天皇は、陸軍特別大演習に際して、記念碑を辿ることで、初日の15日に川越の「仙波村の御野立所」、翌16日に狭山の「稲荷山の御野立所」、そして16日に所沢飛行場に御臨席されたことがわかる。






場所:
大正元年特別大演習行在所
(川越高校)
大正天皇は、川越高校に宿泊(当時の川越中学校)された。
川越城跡地でもある場所であった。
大正元年11月14日、川越駅に(現・本川越駅)お着きになった天皇は、喪章をつけて白馬に乗られ、町をあげてお迎えする中を大本営(川越中学校の大本営)に入られた。
大正元年特別大演習行在所

学校敷地内にあるため、表からのみ、見学。

川越高校の正門

場所:
撮影:2025年9月