ようやく「キャンプ座間」に立ち入る機会がありました。
「日米親善盆踊りフェスティバル2023」
花火や盆踊りでフレンドシップなイベント。米軍基地が一般開放されますので、散策してきました。
「座間・陸軍士官学校の戦跡散策」シリーズとしては、「その4」となります。
米軍基地以外の関連する散策は以下より
相武台(相武臺)
座間には、陸軍士官学校があった。
陸軍士官学校の土地は、現在の「キャンプ座間」となっている。
小田急「相武台前駅」、JR相模線「相武台下駅」。
座間市と相模原市に地名として使用されている「相武台」は、もともと陸軍に関係のある名称であった。
昭和12年(1937年)、陸軍士官学校が、市ヶ谷台より座間に移転。
昭和12年12月20日に行われた陸軍士官学校卒業式に 昭和天皇が行幸した際に、同校に「相武台」の名称が賜名された。
- 市谷台 座間に移転する前の陸軍士官学校(本科・予科)
- 相武台 陸軍士官学校(陸士)
- 修武台 航空士官学校(航士)
- 振武台 陸軍予科士官学校(予士)
- 若松台 陸軍経理学校
- 健武台 東京陸軍幼年学校
陸軍士官学校が移転したあとの市谷台には、陸軍省や参謀本部なのでの省部が三宅坂から移転し、陸軍の中枢となった。
相武台(相武臺)
記念碑の揮毫は、陸軍大臣・杉山元大将。
昭和20年の終戦時には、相武台碑は地中に埋められたが、2年後の昭和22年に米軍第8軍司令官ロバート・L・アイケルバーガー中将の命令で掘り出され、現状に復された。

相武台碑
昭和12年12月20日天皇陛下御命名
昭和14年建立

昭和十二年陸軍士官學校󠄁此ノ地ニ移ル冬󠄀十二月二十日
天皇陛下卒業式ニ行幸アラセラレ親シク生徒ノ演習󠄁ヲ臠ハセ給ヒ陸軍大臣ヲ召シ本校󠄁所󠄁在地名ヲ特ニ相武臺ト賜フ大臣ハ恐懼感激シ益󠄁々練󠄀武養󠄁材ノ實ヲ擧ケ 聖󠄁旨ニ副ヒ奉ランコトヲ奉答セリ
謹󠄀ミテ按スルニ相模國ハ古ク佐賀牟ト訓シ古事記日本武尊󠄁東征ノ條ニ相模國ニ作ル臺ハ其ノ形󠄁勝󠄁ヲ占メ相模原ヲ控󠄁ヘ最モ武ヲ練󠄀リ銳ヲ養󠄁フニ適󠄁ス乃チ武ヲ相ル意󠄁ヲ寓シ給ヒタルモノト拜ス茲ニ御命名書ノ相武臺ノ三字ヲ廊󠄁大シテ碑ニ題シ緣由ヲ背ニ記スト云爾
昭和十五年八月二十日
陸軍大臣 三位勲一等功五級 杉山 元 書



陸軍士官学校(陸士)関連記念碑
相武台碑の周辺には、陸士関連の記念碑が多い。
卒業順に掲載。
なお、下記の資料を参照
https://www.usarj.army.mil/Portals/33/about/history/Monuments_and_Markers_v4_202101.pdf
旧陸軍士官学校第50期生卒業記念碑
昭和12年12月20日卒業
陸士50期は、陸軍士官学校が座間に移設してから初の卒業組となる。
昭和9年4月入学、昭和12年12月卒業。相武台は3ヶ月しか過ごしていないクラス。466名卒業のうち、175名が戦死している。


旧陸軍士官学校第51期生卒業記念碑
昭和13年12月22日卒業
昭和10年4月入学、昭和13年12月卒業。506名卒業のうち176名戦死。


旧陸軍士官学校第52期生卒業記念碑
昭和14年9月7日卒業
昭和11年4月入学、昭和14年9月卒業。635名卒業のうち245名戦死。
52期が在学中に、予科と本科の課程が戦時体制に改定され、訓練期間も48ヶ月から36ヶ月に短縮となっている。


こちらは大講堂脇に建立
旧陸軍士官学校第53期生卒業記念碑
昭和15年2月27日卒業
昭和12年4月入学、昭和15年2月卒業。日中戦争勃発により定員が増員。1710名の卒業のうち800名が戦士している。


※54期は撮影忘れました(駐車場?)
(前述の資料「キャンプ座間史跡めぐり」参照と抜粋)
奮忠
旧陸軍士官学校第54期生卒業記念碑
昭和15年9月卒業
第54期は、昭和12年12月入学、昭和15年9月卒業。2186名の卒業のうち、891名が戦死。

誠
旧陸軍士官学校第55期生卒業記念碑
昭和16年7月18日卒業
昭和49年に建立。
昭和13年12月入学、昭和16年7月卒業。2349名の卒業のうち、953名が戦死あるいは捕虜収容所で亡くなっている。


※第1期将校学生は撮影忘れました(境界西角?)
(前述の資料「キャンプ座間史跡めぐり」参照と抜粋)
旧陸軍士官学校第1期将校学生卒業記念碑
昭和16年7月卒業
第1期将校学生は、昭和15年10月入学、昭和16年7月卒業。51名の卒業。

旧陸軍士官学校第21期少尉候補者卒業記念碑
昭和16年9月30日卒業
昭和15年12月に入学し昭和16年9月に卒業。卒業生267名。卒業3か月後に下士官から少尉に任官した。


旧陸軍士官学校第2期将校学生卒業記念碑
昭和17年9月17日卒業
第2期将校学生は、昭和16年11月入学、昭和17年9月17日卒業。90名の卒業。


旧陸軍士官学校第22期少尉候補者卒業記念碑
昭和17年9月17日卒業
第22期少尉候補者は、昭和16年11月入学、昭和17年9月17日に卒業。481名卒業。


旧陸軍士官学校第56期生卒業記念碑
昭和17年12月17日卒業
第56期生は、昭和14年12月入学、昭和17年12月卒業。
地上兵科1672名、航空兵科627名の卒業。地上兵科257名が航空兵科操縦士に転出し、操縦士884名のうち545名が特攻で戦死。
56期生合計では2299名のうち1071名が戦死。戦死者を一番出した期となっている。


「三紀会」
旧陸軍士官学校第3期将校学生卒業記念碑
昭和18年11月15日卒業
第3期特別将校養成課程で、昭和18年1月入学、昭和18年11月修了した予備役将校学生。118名のうち69名が戦死。



旧陸軍士官学校第57期生記念記念碑
昭和19年4月卒業
第57期は、昭和16年4月入学、19年4月卒業。
航空兵科卒業生400名のうち74名が戦死、地上兵科卒業生1150名のうち299名が戦死。


「和」
旧陸軍士官学校第60期生記念碑
第60期生は、昭和19年3月から昭和20年8月まで在校。陸軍最後の士官候補生であった。第60期生は疎開先の長野で終戦を迎えている。
「和」記念碑は昭和57年に建立。


旧陸軍士官学校第4期将校学生卒業記念植樹碑
第4期将校学生は、昭和18年に卒業。50周年の平成5年に植樹を記念して建立。


陸軍士官学校(陸士)関連記念碑【未確認】
なお、未確認エリアに以下があるらしい。次回、チャレンジしたい、、、
※場所は「Community Recreation Center」の東側。。。
(立ち入ってよいか分からずに未踏でした)
- 雄健神社鳥居
- 雄健神社跡
- 陸士第57期生記念標識
- 陸士第58期生記念碑
- 陸士第59期生記念碑
- 北の方位石
- 陸士第24期生任官30周年記念碑
- 陸士第22期生任官30周年記念碑
次こそは、、、です。。。
陸軍士官学校大講堂(Kizuna Hall)
昭和12年(1937年)、陸軍士官学校が、市ヶ谷台より座間に移転。
おそらくは、その際に造営されたと推測。
米軍進駐後は映画館としても使われた。
現在は「Kizuna Hall」として活用されている。







天皇陛下用防空壕
陸軍士官学校大講堂の裏手に防空壕の入口がある。
昭和17年に造られた 天皇陛下用の防空壕。
昭和12年から昭和20年まで、士官学校では9回の卒業式があり、そのうちの7回に 天皇兵陛下がご臨席になられた。しかし、防空壕は一度もご利用にはならなかった。ちなみに、51期はご病気、58期は首都圏空襲での欠席であった。
なお、出入り口は2箇所あるが、そのうちの1箇所のみ確認。もう一箇所は未確認なので、これも宿題。。。


Authorized Persons Only
権限のある人のみ、だそうで。


陸軍マンホール
陸軍士官学校大講堂の周辺に、2つ残存。
中央に、陸軍のシンボルマーク「五芒星」がある。
1つ目は、大講堂の北側。



2つ目。大講堂の正面。



陸軍士官学校生徒集会所
Camp Zama Express Main Store の東側。米軍のSUDCC(Substance Use Disorder Clinical Care)として使用されていた建物。
かつての「陸軍士官学校生徒集会所」
取り壊されるという話もあったが、2023年8月の段階では現存している。








陸軍士官学校皇族舎(皇室宿泊施設)跡
かつてこの場所に、陸軍士官学校皇族舎があったが、現在は、振武臺記念館として、陸軍予科士官学校のあった朝霞に移築保存されている。


日米友好親善碑


この場所から、南に歩けば、雄健神社跡が、チェックできたのに、、、未踏が悔やまれる。
陸軍制水弁
陸軍士官学校時代の制水弁。
陸軍のシンボルマーク「五芒星」もある。




キャンプ座間/座間駐屯地
キャンプ座間は、在日米陸軍司令部、米陸軍第1軍団前方司令部などが置かれ、在日米陸軍の中枢部として機能している。

座間駐屯地には、陸上総隊司令部日米共同部が展開。

中央の第1ゲートからも、ちらりと見える鳥居。

平和
日米友好碑

グランドの北側に。
陸上自衛隊ー在日米陸軍
座間キャンプ共同使用開放記念碑


ここは陸自っぽい。

ノルマンディー上陸作戦40周年記念碑



給水がありがたい。。。

鳥居、、、

消防署

野外ステージ

芝生

野球場が盆踊り会場

出店のメインストリート

大人気なファーストフード行列。


ローストチキン


生ビール

暑すぎたので、かき氷

暑すぎて、かなりの疲労困憊だったということもあり、
いくつか確認漏れを自覚しているので、リベンジします。。。
※撮影:2023年8月