河口湖自動車博物館・飛行舘(2024年8月版)

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このところ、夏の恒例となりつつある「河口湖自動車博物館・飛行舘」詣で。
今年で、3年連続、です。


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前回の記録

2022年

2022年8月、「河口湖自動車博物館・飛行館」に赴きました。毎年8月の1ヶ月間のみ公開される博物館。前々から気にはなっていましたが、ようや...

2023年

昨年に続けて、2023年8月も「河口湖自動車博物館・飛行舘」でに行ってきました。昨年の記事は以下にて。 正式名称は「河口...

艦上偵察機 彩雲 11型1290号機

エンジン部が機首に!

中島飛行機が開発。大日本帝国海軍の艦上偵察機。
実用化した海軍機の中で、彩雲は海軍最速機として陸上偵察機としても活用され、米軍機の追跡を振り切った際に「我ニ追イツクグラマン無シ」の名言も残っている。

1944年に愛知の半田製作所にて量産が開始。半田1号機は1944年6月に完成。終戦までに463機生産(半田では427機)されたという。

平成29年1月撮影 中島飛行機半田製作所 知多半田地区には、戦前に中島飛行機の工場があった。 中島飛行機といえば陸軍の...

河口湖自動車博物館・飛行舘とアメリカ国立航空宇宙博物館(非公開)にのみ現存。
河口湖自動車博物館・飛行舘では、現在進行系にて、彩雲の復元作業に着手している。

艦上偵察機 彩雲 11型1290号機
C6N1 (英語名 MYRT)
本機は、昭和17年春から開発が始まり、昭和19年春には、わずか2年という短期間で試作1号機を完成させている。
日米戦争、最後の切り札として造られた、レシプロエンジン機で、1945年の敗戦までに463機が製造された傑作機である。
2,000馬力を誇る、星型18気筒の中島製”誉(ホマレ)”エンジンを搭載しており、戦後米国のテストでは、時速約700km/hを記録。現在でも量産レシプロエンジン機の最高速記録を保持している。
米軍機グラマンを振り切った時の「我ニ追イツク敵機無シ」というパイロットの無線連絡は有名な話だ。戦後、戦闘機はジェットエンジンに変わったが、彩雲のために考案された多くの新技術は、それらの戦闘機にも採用されている。
世界的に見ても、彩雲は日本が持つ技術力の結晶であったのだ。

本機は、2000年頃にトラック春島のジャングルで発見された。
55年もの間、熱帯湿原のなかで放置されていたため、朽ち果てていたが、ほぼ完全な状態を保っていた。
現在、世界中で米国スミソニアン博物館と河口湖飛行舘の2機が現存するのみで、非常に重要な技術遺産である。
飛行舘でじゃ2020年9月より、本機の復元作業を開始している。

艦上偵察機 彩雲 11型1290号機
Nakajima C6N1 MYRT
この彩雲は、最高速度654Km/h、最大航続距離5,000kmを誇る、日本海軍の高速偵察機である。
設計は、中島飛行機小泉製作所の山本良造、福田安雄、2名の技師にゆるものだ。太平洋戦争の開戦により、日本海軍は急遽、優れた偵察機が必要になり、昭和17年1月、中島飛行機に開発指示が下った。
要求された最高速度630km/hを実現させるためには、2,000馬力級のエンジンが必要であったが、当時そのような高出力エンジンは存在しなかった。山本、福田両技師は、1,000馬力級の星型エンジン2基を串刺にして、同軸でプロペラを駆動させることで要求を満足させようと考えていたが、幸いにも開発中であった、1,800馬力エンジンの実用化に目処がついたため、このエンジン”誉(ほまれ)”を搭載することで開発が進められた。エンジン出力の不足分は機体の設計技術により補うことで対応した。
彩雲には様々な新技術が採用された。それらの技術は現在の航空機にも使われている。今なお、傑作機として名を残している由縁であろう。

昭和18年4月26日に小泉製作所で量産試作機が完成。
翌年の昭和19年4月には愛知県の半田製作所にて、本格的な量産が開始され、終戦までに463機もの彩雲が生産されている。
現在は、河口湖飛行館とアメリカの博物館の”2機のみ”が現存するが、アメリカにある機体は未公開で、未だ復元が開始されていないため、ここに展示されている彩雲が、世界で初公開となる。

艦上偵察機 彩雲
太平洋戦争の終わり頃に、最新の技術を取り入れ、中島飛行機で開発され造られた、高速で飛べる偵察機である。
強力なエンジンにより、時速654kmのスピードで飛行できた。
現在でも量産プロペラ飛行機の最高速度の記録を持っている。
てんじされている機体は、ミクロネシアのジャングルに隠されていたもので、2000年頃に発見された。
その後、河口湖飛行館に運ばれ、現在修復が行われている。
政界で、この彩雲を見ることができるのは、ここ河口湖飛行館だけなのである。

写真多めに。

ホマレ

誉11型(彩雲用エンジン)
中島飛行機と日本海軍航空技術廠発動機部が開発した航空機用空冷式レシプロエンジン。
1942年(昭和17年)9月に生産が始まり、銀河、彩雲、疾風や紫電改など第二次世界大戦後期の航空機にメーカーや機種を問わず幅広く搭載された。

彩雲 操縦席
復元機に装着されていたオリジナル」操縦席で、裏側には当時の塗装も残ている。
体がすっぽり収まるバケット形状で、素材は超ジュラルミン製である。
左右にある金具には肘掛けが取り付けられ、長時間飛行でもパイロットが疲れないように配慮されていた。
背面にある2本のパイプは座席の昇降用。

今回は、彩雲の写真のみで!


無戸室浅間神社 ( 船津胎内神社 )

ちかくなので、ちょっと寄り道。これはただの観光ですね。
この日の富士山は雲隠れ。

船津胎内樹型

入口が社殿内に。

前の日は雨だったので、ちょっとぬかるみが。。。

これはなかなか過酷。。。

母の胎内

父の胎内

出口!

そういえば。まだ河口湖の温泉に足を運んでいなかったです。

なんかJRの駅っぽい、富士急河口湖駅。

※2024年8月


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