平成29年(2017年)5月撮影
目次
第三台場
ペリー来航に備え東京湾上に作られた品川台場のひとつであった第三台場を利用して昭和3年(1928年)に整備されたのが台場公園。
現在は「お台場海浜公園」と地続きとなっている。
都立台場公園のあらまし
台場公園(第三台場)
「お台場」の名で知られる品川台場は、江戸幕府が黒船襲来にそなえて品川沖に築いた砲台跡です。設計者は伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍で、ペリーが浦賀に来航した翌月の嘉永6年(1853年)8月に着工、1年3ヶ月の間に6基が完成しました。
現在は大正15年(1926)に国の史跡に指定された第三、第六台場だけが残されています。
このうち第三台場は、昭和3年東京市(都)によって整備され、台場公園として開放されています。周囲には、海面から5~7メートルの石垣積みの土手が築かれ、黒松が植えられています。また内側の平坦なくぼ地には、陣屋、弾薬庫などがあります。
陣屋跡
中央の窪地に「陣屋跡」
砲台跡
東京湾の外、南側を向いている。
かまど跡
建屋跡
史跡記念碑
史蹟 品川臺場 参番
天然紀念物保存法ニヨリ
大正5年10月 内務大臣指定
昭和2年8月建設 東京市
桟橋跡(船着場・波止場跡)
弾薬庫跡
第六台場
幕末期に品川沖に11基の台場建設が計画された。
1854年7月に、第一、第二、第三台場が竣工。
1854年12月に、第五、第六、御殿山下台場が竣工、第四、第七は計画縮小により工事中止、第八から第十一台場は未着工。
そのうち第三台場と第六台場が東京湾海上に現存している。
第六台場は、現在は無人島、立入禁止。
レインボーブリッジ
平成5年(1993)開通。
「レインボープロムナード」歩道にて徒歩での通行も可能。
第三台場と第六台場の横を渡る。
位置関係
今昔マップ on the web (http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より。
googleマップより
付記:御殿山下台場
品川区台場小学校がかつての「台場跡」が残っている。幕末当時、陸地に接していた台場は「御殿山下台場」。以下は2014年撮影
御殿山下台場(砲台)跡
嘉永6(1853)年アメリカ合衆国のペリーが4隻の軍艦(黒船)を率い、日本に開国を求めるため浦賀に来航しました。鎖国をしていた当時の日本は大騒動になり、徳川幕府は江戸の町を守る為急いで品川沖から深川洲崎にかけて11の台場を造ることにしたのです。
伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍がオランダの書物をもとに砲台造りの指導にあたり、第1から第三台場と第五・第六台場は完成させましたが、残りの第四・第七は中途で工事を中止し、第8以下は着工にも至らなかったのです。その代わりとして、陸続きで五角形の砲台を造ることになりました。これが御殿山下台場(砲台)です。明治になると埋立てられ姿を消しましたが、幸いな事に台場の輪郭は道として残り、今でもその位置と形を知ることが出来ます。跡地に建つ台場小学校の敷地はこの台場の半分程の面積を占めています。
台場跡からは石垣が発見され、小学校にはその石垣を使った記念碑が建てられました。石垣の上に立つ灯台は、明治3(1870)年日本で3番目の洋式灯台として第二台場に造られた品川灯台を模したものです。
品川灯台は、現在は国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に移設されています。
平成18年3月31日
品川区教育委員会
御殿山下台場跡は、敷地の半分を台場小学校に。
このあたりが海側の先端部分。
東京湾上に残る「砲台場」跡の散策でした。
〆