日本の鉄道は、明治5年(1872)に新橋駅ー横浜駅に開業したことに始まる。
その初代横浜駅は、現在の桜木町駅界隈であった。
鉄道発祥の地として、「新橋駅」とともに、もう一つの拠点であった「桜木町駅」を散策してみる。
JR桜木町新南口(市役所口)に隣接するJR桜木町駅ビル「CIAL桜木町ANNEX(シァル桜木町アネックス)」1階に開設されている「旧横ギャラリー」には、鉄道創業時に使用された蒸気機関車「110形」が展示されている。
桜木町は、日本初の鉄道のもう一つの起点駅。
そう、新橋横浜間の鉄道の横浜駅は、今の桜木町駅界隈であったのだ。
目次
旧横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)
若干、窮屈そうな場所に、鉄道創業時に使用された蒸気機関車と展示スペースがあった。
しかし青梅鉄道公園で展示されていた頃に比べて、屋内展示としての絶対の安心感が感じられるのが、とにかく好印象。鉄道発祥の横浜にこうして記念すべき施設ができたことが喜ばしい。
鉄道記念物
110形蒸気機関車
1961(昭和36)年10月14日指定
東日本旅客鉄道株式会社 2020(令和2)年6月建植
110形蒸気機関車(110号)
1871(明治4)年、英国のヨークシャー・エンジン社の製造で、1872(明治5)年の鉄道創業時に「10号機関車」として新橋~横浜間で使用され、後に「3号機関車」と呼ばれた日本で最も古い機関車の一つです。1909(明治42)年、「110号」に名を改められ、1918(大正7)年まで各所で活躍し、廃車後は車体の一部を切開ののち、大宮工場内にあった「鉄道参考品陳列所」で技術者育成の教材として展示されました。1961(昭和36)年には「鉄道記念物」に指定され、翌年から2019(令和元)年まで青梅鉄道公園で保存展示されました。その後、大宮工場にて溶接を使用しない工法で切開箇所を閉腹し、錆の除去や破損箇所の修復を行い、本機の晩年頃の姿を再現しました。(形状が不明な箇所は資料が残る明治初期の形状を参考にしました。) そして、2020(令和2)年、旧横浜停車場であるこの地へ戻りました。
機関車全長:7,214mm
動輪直径:1,245mm
輪軸配置:1‐B‐0
シリンダ直径×行程:299×432mm
機関車重量:運転整備 23.04t 空車 18.85t
購入時価格:2,600ポンド(船賃含む)
使用蒸気圧8.0kg/cm²
鉄道創業時の中等客車(再現)
日本に輸入された客車は、上等車10両、中等車40両、緩急車8両の計58両で、全て英国製でした。外観や車内の構造は上等車、中等車ともにほぼ同じで、両端に出入口を兼ねたオープンデッキがあり、車内は中央通路式となっています。展示の客車は、鉄道開業期にM.モーザーが撮影した、横浜停車場に留置中の車両写真、英国製古典客車図面、車両形式図等の記載寸法を参考に、中等客車として再現しました。木造の客室部、車輪脇の板バネは新造し、本来は金属製である緩衝器は、木地をろくろ挽きで製作。他の国内で入手困難な金属部品は英国から輸入した古物を使用しています。車輪の外観は、創業期に用いられ乗り心地に優れているとされる、木製の「マンセルホイール」をイメージし、その造形を施しました。車内照明(オイルランプ)は、古文献や英国製のものを参考に電気式で再現しています。色彩は、当時の浮世絵、M.モーザー撮影写真のコントラスト、そして昔の英国車両を参考に配色しました。
客車サイズ:全長 7,630mm(緩衝器含む) 全幅 約2,210mm(客室側壁部)
定員:24名
旧横ギャラリーとして、展示資料も豊富。
これは丹念に見ていたら、結構な時間を要しそうだ。
最初の機関車たち
帰ってきた110形機関車
展示の実物機関車は、1872年の鉄道創業時に英国から輸入された蒸気機関車です。この地に荷揚げされて以来、日本各地で活躍し、2020年に再びここけ戻りました。
鉄道創業時の機関車
1871(明治4)年、英国からスエズ運河(1869年開通)を経由し、横浜港に5種10両の機関車が到着しました。これらの車両は、この地に存在した横浜停車場内の作業場で組み立てられました。
1号機関車(150形)
2~5号機関車(160形)
6、7号機関車(A3形)
8、9号機関車(190形)
10号機関車(110形)
明治初期の横濱停車場と街の風景
旧横ギャラリー
受け継がれる鉄道への夢
鉄道開業式典と明治の人々
明治の元勲たちを乗せた式典列車
元は武士!? 官員さんと舎内の様子
謎のステンショ内部を探る
西洋から導入されたモノは?
西洋の慣習と鉄道システム
産業革命を見聞したサムライたち
幕末の日本と横濱
鉄道敷設までの道のり
明治の鉄道建設と発展に貢献した人々
最初の客車と明治のお客さま
そして建物の外にも、掲載がある。
モレルさん、ガラスの反射が厳しい。
初代鉄道建築師長
エドモンド モレル
十河信二書
EDMUND MOREL
1841-1871
1958.5.7 横浜市 鉄道友の会
旧横濱鉄道歴史展示
この地に存在した、日本初の鉄道駅「横濱停車場」の様子と横浜~新橋間を駆け抜けた機関車や客車、そして新たな時代を「鉄道」という文明の利器によって切り拓いた、明治の先人達の活躍を紹介します。
旧横ギャラリー
鉄道創業時に使用された蒸気機関車
展示の110形蒸気機関車について
1871(明治4)年 英国にて製造され、日本に輸入。
1872(明治5)年 鉄道創業時、10号として運用。
1876(明治9)年 機関車の番号を3に改番。
1909(明治42)年 形式称号改正で110形となる。
1923(大正12)年 廃車(諸説あり)後、大宮工場に展示
1961(昭和36)年 鉄道記念物に私邸。
1962(昭和37)年 青梅鉄道公園へ移転。
2020(令和2)年 この地へ移り、屋内展示となる。
英国から輸入された最初の客車
再現された創業時の客車
輸入された客車は、上等車10両(定員18人)、中等車40両(定員22か24人)、荷物緩急車8両の計58両でした。構造は前後にデッキを有する中央通路式で、室内左右にロングシートが配置されていました。開業時に中等客車を改造し、26両を下等客車としました。展示の客車は英国や明治期の資料を元に再現した中等客車です。
この地に存在した日本初の鉄道駅「横濱停車場」
旧横濱停車場と桜木町駅
1872(明治5)年 横濱停車場がこの地に開業。
1915(大正4)年 横浜駅は移転、桜木町駅に戒名。
1923(大正12)年 関東大震災にて初代駅舎消失。
1927(昭和2)年 2代目桜木町駅舎が完成。
1964(昭和39)年 根岸線開通にともない、駅舎を改築。
1989(平成元)年 3代目駅舎は高架下駅となる。
場所
鉄道創業の地 記念碑
旧横ギャラリーのある建物のすぐ南側に、記念碑がある。
鉄道創業の地 記念碑
日本で初の鉄道を作るために 明治3年(1870年)に鉄道資材を英国から購入し 横浜港で陸揚げされ建設が始まった。
その2年後の明治5年(1872年)5月7日、この地に初代横浜駅が建設され、 横浜、 品川間に最初の鉄道が開業した。
この鉄道創業の地を象徴して昭和42年(1967年)10月13日に記念碑が竣功した。
その後、昭和63年(1988年)12月に現在の位置に移設され、当初記念碑のあった位置に原標を置いた。
平成26年7月
公益財団法人 横浜観光コンベンション・ビューロー
鉄道創業の地
我が国の鉄道は、明治5年(1872年)旧暦5月7日、この場所にあった横浜ステイションと品川ステイションの間で開通し、その営業を開始しました。
わたくしどもは、当時の人の気概と努力をたたえ、このことを後世に伝えるとともに、この伝統が受け継がれて、さらにあすの飛躍をもたらすことを希望するものであります。
昭和42年10月14日
財団法人 横浜市観光協会
鉄道発祥記念碑建設特別委員会
創業当時の横浜駅
創業時の時刻・運賃表及び乗車に当たっての注意書きも記念碑に刻まれている。
鉄道列車出発時刻及び運賃表
定 明治5年5月7日
上り
横浜発車 品川到着
午前8時 午前8時35分
午後4時 午後5時35分
下り
品川発車 横浜到着
午前9時 午前9時35分
午後5時 午後5時35分
運賃表
車の等級
上等 片道 1円50銭
中等 同 1円
下等 同 50銭
来る五月七日より此表示の時刻に日々横浜並びに品川ステイションより列車出発す乗車せむと欲する者は遅くとも此表示の時刻より十五分前にステイションに来り切手買入其他の手都合を為すべし
但発車並に着車共必ず此表示の時刻を違はさるやうには請合かねたけれとも可成丈遅滞なきよう取行ふべし
手形は其日限り乗車一度の用たるべし
小児四歳までは無賃其餘十二歳まては半賃金の事
旅客は總て鐡道規則に隋ひ旅行すべし
手形檢査の節は手形を出し改を受又手形収集の節は之を渡すべし旅客自ら携ふ小包みドウランの類は無賃なれとも若し損失あらは自ら負うべし其餘の手廻り荷物は目方三十斤迄は二十五銭三十斤以上六十斤迄は五十銭を拂ひ荷物掛へ引渡請取證書を求め置くべし尤一人に付目方六十斤を限とす
手廻荷物は總て姓名か又は目印を記すべし
旅客中乗車を得ると得さるは車内場所の有無によるべし
犬一疋に付片道賃銭二十五銭を拂ふべし併し旅客車に載するを許さす犬箱或は車長の車にて運送すべし尤首輪首綱口綱を備へて相渡すべし
発車時刻を惰らさるため時限の五分前にステイションの戸を局さすべし
吸煙車の外は煙草を許るさす
旅客車上中下三等の内乗らむと欲する所の賃金を過金取引なきやうに用意致し来るべし
明治五年 鐡道寮
記念樹
横浜緋桜
モレルの桜
英国人技師エドモンド・モレル(1841-71)は、明治5年日本で最初の鉄道を桜木町-新橋間に建設するにあたって建築師長として貢献しました。生誕170年の今、その功績を称え縁の地に”モレルの桜”を植樹し記念とします
2011.3.30
桜木町に桜の木を植える会
神奈川県淡彩画会
協賛 横浜郷土研究会
横浜ペンクラブ
学校法人横浜学院
場所
JR桜木町駅
桜木町の駅にも見どころが豊富。
正直、丹念に見ていたら、駅だけでも結構な時間泥棒となる。
桜木町駅は、鉄道発祥の駅として、相当な力の入れ具合を感じられた。
JR桜木町駅
みなとみらい地区の記憶
明治から昭和まで臨海地域は造船と鉄道物流の拠点で、この街のシンボル的存在でした。現在は国際的なビジネスと観光の街として生まれ変わりました。
みなとみらい時層マップ
明治初期から平成までの海岸線の変化を俯瞰しながら、この地区の産業や町並みの発展を「時間を旅する」感覚で観察すると、新たな発見があるかもしれません。
日本の産業を支えた横濱停車場
鉄道開業の翌年、1873(明治6)年9月、横浜~新橋間の鉄道による貨物営業が始まりました。以来、横浜は日本の産業における重要な物流拠点となりました。
鉄道創業の地・桜木町(旧横濱停車場)
日本人と鉄道の出会いは江戸時代の末期でした。明治時代になるとその導入が決定し、1872(明治5)年、横浜と新橋の間で日本初の営業運転が始まりました。
初代横濱駅と発着場の情景
初代横浜駅は新橋駅と同じく、アメリカ人建築家、R・P・ブリジェンスの設計で、この場所から関内駅方面へ120m程の地に位置し、華麗な外観を誇りました。
明治の横濱・鉄道路線案内
明治初期、当時の人々にとって鉄道への関心は高く、多くの錦絵が残されました。開業時の路線は現在でもほぼ同じルートをとりながら、高度に複線化されています。
鉄道旅行のお楽しみ
江戸期の旅は徒歩による信仰と巡礼が目的でした。明治期、鉄道が利用されるようになると、やがて旅の目的は観光や仕事など、多様なものとなりました。
鉄道が発信する文化
鉄道創業時に、早くも横濱停車場の構内で商いをする人たちが現れました。以来、鉄道に関連した数多くの商売や文化が生まれてきました。
追憶の野毛・桜木町駅
庶民の街として親しまれてきた野毛、またその玄関口として街の変遷を見守って来た桜木町駅界隈は、いつの時代も人々の活気ある息吹を感じ取る事ができます。
桜木町にやってきた鉄道車両
鉄道の開業以来、この地には様々な種類の列車がやって来ました。ここでは蒸気から電気機関車までの変遷や鉄道車両の様々な形態を見る事ができます。
この光景は、明治20年(1887)頃の初代横浜停車場(現桜木町駅)前を撮影したものです。写真中央の噴水塔は、高さ約4.4m、重さ約1.3tの鋳鉄製で、日本初の近代水道創設を記念して設置され、往来する方々に親しまれていました。
この噴水塔は、現在、横浜市保土ケ谷区の横浜水道記念館に保存されています。
平成25年10月17日 横浜市水道局
桜木町&みなとみらい地区は、馬車道や赤レンガもあるので、近代史散歩がはかどる街。しかし、それはまだ未探訪なので、おって、で。
※撮影:2021年11月