「ユダヤ人救出」「キスカ撤退」「占守の戦い」3つの奇跡を成し遂げた樋口季一郎陸軍中将。
ユダヤ人難民救出と言えば、「命のビザ」を発行した外交官・杉原千畝が有名であり、ユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」には、杉原千畝と樋口季一郎の2名の日本人の名前が記されている。
しかし、樋口季一郎の知名度は杉原千畝と比べ、圧倒的に低いが、樋口季一郎は、杉原千畝の「命のビザ」の発行の2年前に「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出ルートを手配しユダヤ難民の救出を実施している。
神奈川県に、そんな樋口季一郎に関連するモニュメントがあるので、足を運んでみた。
目次
樋口季一郎之碑
鎌倉市山ノ内の円覚寺の塔頭・龍隠庵に、2023年5月21日に建立された顕彰碑。
建立されたばかり。
樋口季一郎碑
八風吹不動
日本国民に誇り伝えたい
陸軍中将樋口季一郎の功績
救国
昭和20年8月18日、終戦後にも拘わらず北海道占領を目論み占守島に進行したソ連軍を、第五方面軍司令官として撃破し、日本国の分断を未然に阻止した。
キスカ島救出作戦
昭和十八年、米軍に包囲されたキスカ島の日本軍将兵約五千人の救出を、北方軍司令官として大本営に意見具申し、同年七月、作戦は奇跡的に成功した。
ユダヤ難民の救済
昭和十三年三月、ナチスドイツの迫害を逃れオトポール駅(シベリア鉄道)に到達したユダヤ難民を、ハルピン特務機関長として救済した。この脱出路は「ヒグチ・ルート」と呼ばれ、その後も、多くの人命が救われた。
円覚寺龍隠庵の太田周文住職による、八風吹不動とは「八風(はっぷう) 吹けども 動ぜず」と読む禅語。
円覚寺龍隠庵への参道
円覚寺
樋口季一郎
樋口季一郎(ひぐちきいちろう)
1888年〈明治21年〉8月20日 – 1970年〈昭和45年〉10月11日)
最終階級は陸軍中将。兵庫県淡路島出身。
陸士21期、陸大30期。
歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団長等を経て、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官を務める。
「3つの功績」(3つの奇跡)。
1.ハルピン陸軍特務機関長であった樋口は、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れたユダヤ避難民に満洲国通過を認め、「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出路を用いて、亡命の手助けを実施(オトポール事件)
2.北部軍司令官として、北東太平洋の陸軍を指揮。大戦中は麾下の部隊がアッツ島の戦いで玉砕するも、キスカ島撤退作戦を成功させる。
3.ソ連対日参戦に対する徹底抗戦(樺太の戦い、占守島の戦いなど)を行い、8月15日以降も防衛戦を指揮しソ連軍の北海道上陸を阻止。北海道の赤化分断を挫くことに成功した。
戦後は隠棲し昭和45年(1970)老衰のために82歳で死去。
樋口季一郎の墓
神奈川県中郡大磯町東小磯の妙大寺。
ここに樋口季一郎の樋口家の墓がある。
樋口季一郎は居住地を転々としており、大磯にも住んでいた時期があった。
樋口季一郎の墓。
樋口家の墓としか、記載はない。
樋口季一郎の戒名は「真如院殿伯堂日季居士」
右から4番目。
墓碑は、1971(昭和46)年10月に樋口季一郎の長男の樋口季隆氏が樋口季一郎の死去に際して建立したもの。
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余談だが、妙大寺には、ほかにも著名人の墓がある。樋口季一郎の墓の隣は、福田恆存の墓。福田恆存(ふくだつねあり)の「私の國語教室」は昔、読んでいました。正字正仮名(歴史的仮名遣い)を学ぼうと思ったときもありましたので。
そして、ひときわに目立つのが、大磯の発展に寄与した松本順の墓。松本順に関しては、別記事を書く予定はある、、、
妙大寺
樋口季一郎の顕彰
神奈川以外にも、全国に樋口季一郎を顕彰するモニュメントがある。
機会があれば、足を運んでみたい。
- 大垣城丸の内公園
イスラエル大使館が樋口季一郎を顕彰し寄贈したオリーブの木がある。樋口季一郎は大垣に本籍を置いていた時期があった。(大垣の樋口家に養子となった) - 北海道石狩市「樋口季一郎記念館」
- 兵庫県淡路市・伊弉諾神宮「樋口季一郎中将銅像」
樋口季一郎は現在の南あわじ市出身。
大垣市「オリーブの苗木」
大垣出身の会社の後輩が帰省した際に、大垣市の丸の内公園にある「オリーブの苗木」の写真を撮ってきてくれました。
自分で行って撮影するまでのあいだは、後輩の写真を使用させていただきます。
ありがとうございます。
苗木No3,4
平成21年12月8日に杉原千畝と同様にユダヤ人を支援した樋口季一郎が、大垣市に30年間籍を置いていたことを知った当時の「イスラエル駐日大使」から大垣市に寄贈されました。
※2024年6月に大垣に訪問したので、写真を追加。
場所
https://goo.gl/maps/VvcQj6zv7BuGfx787
※この項目のみ2023年8月撮影および2024年6月
大恩人(令和5年の「みたままつり」)
日本画家 佐藤宏三 氏 が、令和五年(2023)の靖國神社みたままつりに奉納した雪洞、なんと樋口季一郎陸軍中将でした。
制作過程の詳細が、公式サイトに掲載されております。
ありがとうございます。
※撮影:2023年7月
関連
早稲田大学に、「命のビザ(杉原ビザ)」を発行した杉浦千畝のレリーフがある。