国立科学博物館附属自然教育園が、明治時代の「白金火薬庫の跡地」で、大正時代に宮内省の白金御料地になり、そして、朝香宮邸として、朝香宮鳩彦王が、昭和22年に皇籍離脱をするまで居住していた建物。
白金火薬庫からの流れで、足を運んでみました。
目次
旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)
需要文化財(建造物)
旧朝香宮邸
四棟 本館・茶室・倉庫・自動車庫
一基 正門
所在地 港区白金台五丁目二六番
指定 平成二七年七月八日
朝香宮鳩彦王の住宅として昭和8年(1933年)に竣工した建築群で、昭和22年まで朝香宮の本邸として使われていた。
本館は鉄筋コンクリート造2階建(一部3階建)で、外観は簡明な意匠である。中庭を囲むロの字形平面の南半分を客間や住居とし、他を事務や厨房にするのは、この時期の宮内省内匠寮設計の邸宅に共通の配置である。南側テラスは洋風庭園へ続き、和風庭園や正門からのアプローチも往時の雰囲気を良く留める。和風庭園には茶室が現存する。
本館主要室の内装設計はフランス人装飾美術家アンリ・ラパンが担当、実施設計は内匠寮工務課技師の権藤要吉らが分担して行った。鳩彦殿下と允子(のぶこ)妃殿下は大正14年(1925年)にパリで、のちにアール・デコ博といわれる美術博覧会を視察。新邸にもアール・デコ様式が随所に採用され、新鮮かつ洗練された華やかな意匠に満ちている。正面玄関のガラス扉は工芸家ルネ・ラリックの作品として有名である。
当時最新のフランスの芸術作品を取り入れたこの建物は、宮内省内匠寮による邸宅建築の頂点のひとつとして意匠的に優れ、価値が高い。
東京都教育委員会
重要文化財 旧朝香宮邸 東京都庭園美術館 本館
アール・デコの館と呼ばれる旧朝香宮邸。1925年のアール・デコ博覧会でその様式美に魅せられた朝香宮ご夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人装飾美術家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼。ルネ・ラリックのガラス扉など、アール・デコの精華を積極的に取り入れました。基本設計は宮内省内匠寮が担当し、建造には日本古来の高度な職人技が随所に発揮されています。旧朝香宮邸は、アール・デコ様式を正確に留め、昭和初期の東京における文化受容の様相をうかがうことができる貴重な歴史的建造物として、2015年に国の重要文化財に指定されました。
「建物公開2024」のイベントに便乗して、建物見学してきました。
正門
旧朝香宮邸本館
鉄筋コンクリート造2階建て(一部3階建て)、地下1階で1929年(昭和4年)頃から建築準備に取り掛かり1933年(昭和8年)5月に完成。
香淳皇后の叔父にあたる朝香宮鳩彦王がパリ遊学後2年をかけて建設し、1947年の皇籍離脱まで暮らした邸宅だった。この土地は白金御料地と呼ばれ、近世には高松藩松平家の下屋敷があった。明治期には陸軍の火薬庫が一時置かれ、後に皇室財産となっている。
宮邸は朝香宮一家が退去した後、吉田茂によって外務大臣公邸(ただし、外相は総理の吉田が兼務していたので実質的には総理大臣仮公邸)として、1947年から1950年にかけて使用された。
1950年には西武鉄道に700万円で払い下げられ、1955年4月に白金プリンス迎賓館として開業し、国賓・公賓来日の際の迎賓館として1974年まで使用された。
1971年にホテル建設計画が発表されたが反対運動が起こり、1974年5月からプリンスホテルの本社として使用された後、1981年12月に139億円で東京都に売却され、1983年(昭和58年)に都立美術館の一つとして一般公開される。
旧朝香宮邸外観散策
正面から。
やばいですね、ずっと見ていられる。全然飽きない。現在でも通用するデザインの美しさ。
庭園側から。
庭園側は、表とはまた雰囲気が変わる。これはこれで良き。四角と、ワンポイントな曲線のバランスが良き。
旧朝香宮邸内部散策
年に一度の「建物公開」の際は、館内撮影もOK。何も考えずに足を運んでいたが、これは私はだいぶ運が良いですね。
正面玄関
建物公開のコンセプトが「あかり、ともるとき」
朝香宮邸の特徴的な「あかり」が「ともされるとき」は、いちいち狙いすぎて、きれいすぎる。
第一応接室
大広間
次室
小客室
大客室
1階テラス
大食堂
大食堂の曲線美が、ね。
第一階段
2階広間
若宮寝室
若宮居間
テラス
書斎
殿下居間
殿下寝室
第一浴室
妃殿下寝室
朝香宮鳩彦王妃允子内親王
明治天皇第8皇女
ベランダ
妃殿下居間
2階廊下
姫宮寝室
姫宮居間
3階への階段
ウインターガーデン(温室)
小食堂
姫宮寝室前廊下
これはずるい。こんなライト、絶対的に勝利すぎる。
こんな感じで、朝香宮邸とライトを堪能した建物見学でした。
※2024年9月撮影