
タイ王国バンコクの戦跡散策その2・戦前の日本が建造した唯一の輸出潜水艦の艦橋が残る「タイ王国海軍博物館」
2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)今回は時間を確保できたので「タイ王国海軍博物館(タイ海軍博物館)」に...
慰霊巡拝-日本の近代と慰霊の地を巡る‐
2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)今回は時間を確保できたので「タイ王国海軍博物館(タイ海軍博物館)」に...
令和7年(2025)3月10日。あの日から80年目。 昭和20年(1945)3月10日、東京大空襲。 東京都慰霊堂にて、慰霊鎮...
新宿区の幸國寺の大イチョウは加藤清正手植えとも伝わる銘木。昭和の大空襲で被災しながら北側からの炎を食い止め、南への類焼を防いだと言い伝えが...
2024年11月の入間基地航空祭に際して、旧陸軍航空士官学校時代の倉庫が5棟残っているというので、航空機はそこそこに倉庫の見学をしてきまし...
2025年(令和7年)3月にて、C-1/EC-1は全機引退となる。その引退前に入間基地一般開放にて、最後の晴舞台、最後の雄姿を魅せてくれた...
2024年11月、入間基地航空祭。日本が誇る中型輸送機「C-1」の全機退役を控えて、最後のC-1揃い踏みな航空ショーが開催された。体調はい...
先日の博多散策で疎開道路のことを調べていたら、東京にも名残があったので、せっかくなので足を運んでみました。 ...
最近、若松河田駅の近くに行くことが多い。 この記事の追記(標石を追加で見に行ったり)で、再訪していたり。周辺を調べていた...
終戦時には小平にあった陸軍経理学校。かつては、牛込区河田町にあり、陸軍士官学校の「市ヶ谷台」に対して、陸軍経理学校は「若松台」と呼称されて...
令和7年1月12日。 陸自第1空挺団による新春恒例の「降下訓練始め」が実施されましたので、足を運んでみました。 ...
昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分。国民の祈りの中で、昭和の天皇陛下は御崩御あそばされた。あの日から、36年。今年も、 昭和天...
2024年11月、愛媛県松山市に訪れる機会があった。自由時間がほとんどない中で、一箇所だけ行くのであれば、で、時間捻出して「愛媛縣護國神社...
福岡博多の戦跡散策、その4になります。雨が降る中、飛行機の時間も迫っていたので、空港に戻る地下鉄沿線でさくっと散策できそうなところを何箇所...
福岡の戦跡散策その3です。「福岡縣護國神社」には、慰霊碑のたぐいはなかったけど、代わりにこの福岡陸軍墓地に集約されている感じです。 ...
福岡城阯の東端に、西部軍司令部があった。そこにコンクリート壁が残っているというので足を運んでみた。 その1はこちら。 ...
2024年10月末に、福岡県に出張がありまして。例のごとく、スキマ時間に福岡市内を散策してみました。実は、いまの仕事7年くらいしているけど...
全国の護國神社を巡拝するということを、わたしの生涯の目標に掲げております。以前より気になっていた「全國護國神社の御朱印帳(御朱印帖)」には...
国立科学博物館附属自然教育園が、明治時代の「白金火薬庫の跡地」で、大正時代に宮内省の白金御料地になり、そして、朝香宮邸として、朝香宮鳩彦王...