元祖国民的キャラクター「のらくろ」田河水泡・のらくろ館(江東区森下文化センター)

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のらくろ

戦前の少年たちに絶大な人気を誇った漫画があった。
日本漫画界における国民的キャラクターの元祖、でもあった。

田河水泡
 「のらくろ」

日本漫画界の開拓者である、あの手塚治虫も模範としたのが、田河水泡の「のらくろ」であった。

野良犬の黒(野良の黒犬)であった、「のらくろ」(本名・野良犬黒吉、アニメでは、のら山くろ吉、とも)が、猛犬連隊に入隊し、軍隊の中で成長し出世をしていく物語。

昭和6年(1931)に講談社「少年倶楽部」で連載開始。戦前では異例の10年に渡る連載が行われていたが、昭和16年(1941)に戦時下体制での印刷紙の節約として、打ち切りとなった。戦後は潮書房「丸」で連載が行われ、昭和56年(1981)まで田河水泡による連載が続いた。

戦前「少年倶楽部」連載時
野良の黒犬「のらくろ」(野良犬黒吉)が、大日本帝国陸軍をモチーフとした「猛犬聯隊」に入営。はじめは、二等卒(二等兵)であったが、活躍を重ねる。
伍長の際は、師団長より猛犬聯隊の聯隊旗の図案を任され、猛犬士官学校卒業ととに少尉に昇進。聯隊旗手や駐屯守備隊長などを務める。最終的に大尉に昇進し、第五中隊長となる。「大」「日」「本」の3つの勲章を授与されたが、しかし思うところあり、大尉で退役。(戦時下による連載打ち切り)

猛犬聯隊は、山猿・ゴリラ・象・チンパンジー・かっぱ・蛙・熊・豚などと戦いを繰り広げていた。
なかでも、山猿聯隊とは熾烈な戦いをした「犬猿の仲」。

戦後「丸」連載時
のらくろは、予備役として再招集。中隊長として新兵教育などにあたる。山猿軍との決戦の際に、双軍ともに物資不足のために休戦となり、軍隊は解散。のらくろは元の野良犬とsて戦後社会に復員。
のらいぬは最終的に喫茶店のマスターとして自活できるようになり恋人と結婚し子供も生まれ、「もう野良犬ではない」として、物語が完結。

余談だが、「島耕作」が部長から取締役になったとき、編集長が漫画の中で「タイトルが出世していくマンガなんて『のらくろ』以来ですよ」といった、とか。
のらくろは、のらくろ上等兵→のらくろ伍長→のらくろ軍曹 → のらくろ曹長 → のらくろ小隊長 → のらくろ少尉、と、単行本も出世とともにタイトルが出世していた。


田河水泡・のらくろ館

田河水泡・のらくろ館
漫画「のらくろ」の作者・田河水泡の作品や愛用の品々を展示しています
田河水泡(本名:高見澤仲太郎 1899-1989)は、幼少期から青年期までを江東区で過ごした、本区ゆかりの漫画家です。
昭和6年(1931年)、大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌「少年倶楽部」に『のらくろ二等卒』を発表、爆発的な人気を博し、昭和初期を代表する漫画家となりました。
漫画「のらくろ」は、身寄りのない野良犬・のらくろが猛犬連隊という犬の軍隊へ入隊し活躍する物語です。最初は二等卒(二等兵)でしたが、徐々に階級を上げ、最終的には大尉まで昇進します。
自分の境遇にもめげず、明るく楽しく元気よく出世していくその姿を、当時のこども達は愛情を込めて応援しました。
平成10年(1998年)、ご遺族から作品や書斎机などの遺品が本区に寄贈されたことから、田河水泡が生涯愛し、その作品にも大きな影響を及ぼした深川の地に、平成11年(1999年)、「田河水泡・のらくろ館」が開館しました。開館時間 9:00~21:00(まん延防止等重点措置中は20:00まで)
休館日 第1・3月曜日(祝日の場合は開館)及び年末年始
観覧料 無料

江東区森下文化センター https://www.kcf.or.jp/morishita/josetsu/norakuro/

高橋商店街「高橋のらくろード」

「のらくろード」として、のらくろとともにある商店街。


田河水泡・のらくろ館パンフレット

一部のパンフレットは以下からダウンロード可能。

https://www.kcf.or.jp/morishita/josetsu/norakuro/pamphlet_jp.pdf

田河水泡・のらくろ館
「のらくろというのは、実は、兄貴、ありゃ、みんな俺の事を書いたものだ」(義兄・小林秀雄との会話のなかで)「文藝春秋」1959(昭和34)年10月号より

 田河水泡(本名:高見澤仲太郎 1899-1989)は、幼少期から青年期までを江東区で過ごした、本区ゆかりの漫画家です。
 昭和6年(1931年)、大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌「少年倶楽部」に「のらくろ二等卒」を発表、爆発的な人気を博し、昭和初期を代表する漫画家となりました。
 漫画「のらくろ」は、身寄りのない野良犬・のらくろが猛犬連隊という犬の軍隊に入隊し活躍する物語です。最初は二等卒(二等兵)でしたが、徐々に階級を上げ、最終的には大尉まで昇進します。
 自分の境遇にもめげず、明るく楽しく元気よく出世していくその姿を、当時のこども達は愛情を込めて応援しました。
 平成10年(1998年)、ご遺族から作品や書斎机などの遺品が本区に寄贈されたことから、田河水泡が生涯愛し、その作品にも大きな影響を及ぼした深川の地に、平成11年(1999年)、「田河水泡・のらくろ館」が開館しました。

のらくろ
本名 野良犬黒吉

ぼくは
こうとう文化親善大使
でもあります、
どうぞよろしく。

Q1「のらくろ」は、どのように誕生したの?

こどもたちに夢をあたえ、励ましたい
この思いがのらくろ誕生の大きな力となりました。のらくろが連載され始めた頃は、まだ日本は貧しく、本が貴重な時代でした。こどもたちは、ひとつの雑誌をみんなで回し読みしていました。そんなこどもたちの前に現れたのが、みんなより少しオッチョコチョイで失敗ばかりするけれども、ひるんだり、落ち込むことなく、明るく前向きに生きる「のらくろ二等兵」でした。このアイデアを思いついたのは、当時の「少年倶楽部」変s入朝加藤謙一でしたが、早くから両親を失って、さみしい幼少期を過ごした水泡は、自分の人生経験を一匹の野良犬に託して、これを見事に表現し、日本における子ども漫画の先駆者的存在となりました。
のらくろがブームになると全国の企業が、CMに登場させたいと思うようになりました。現在のように著作権や商標権が確立されていなかったので、業者に勝手に使用されても、作者の水泡は、多目にみていたようです。

Q2「のらくろ」は、どのくらい人気があったの?

これまで出版された「のらくろ」本、制作された「のらくろ」アニメーション映画・テレビ番組を、ご紹介します。とても人気がありました。
・連載 戦前134本 戦後284本
・付録本(戦前のみ・ゲーム含む)11本
・単行本 戦前10巻/戦後19巻
・復刻版 27冊
・文庫本 19冊 ・ 劇場映画(戦前のみ)9本
・テレビ・アニメ放映(戦後のみ)
1970(昭和45)年10月~1975(昭和50)年3月
1987(昭和62)年10月~1988(昭和63)年10月

※ここまで2021年8月撮影


日本酒「のらくろの故郷」

のらくろの作者 田河水泡さんの育った街 深川

発売元
 のらくろに逢える街 高橋のらくろ~ド
 マスヤ酒店
醸造元
 橘倉酒造(長野県佐久市・きつくら・菊秀)

※2018年1月撮影
このときに友人に連れられて「田河水泡・のらくろ館」を訪れたのが、のらくろ館を知ったきっかけでもありました。


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