投稿一覧

全記事を表示します。

「雄大剛健」三神峯公園の仙台陸軍幼年学校跡(仙台の戦跡散策・その13)

仙台市南部の「三神峯公園」。いまは桜の名所で知られる公園。戦前は、仙台陸軍幼年学校。戦後は、旧制の第二高等学校、東北大学に利用され、1967年に三神峯公園が設置された。 仙台陸軍幼年学校 仙台陸軍幼年学校(仙台陸軍地方幼 … 続きを読む 「雄大剛健」三神峯公園の仙台陸軍幼年学校跡(仙台の戦跡散策・その13)

コメントなし

「仙台市・西公園(桜ケ岡公園)」散策(仙台の戦跡散策・その12)

仙台市の西側にある総合公園。開園は明治8年(1875)と仙台市内で最も古い都市公園となる。広瀬川の東側に位置しており、広瀬川を挟んで対岸は、青葉山公園となっている。 西公園には記念碑が多く集まっているので、ちょっと散策し … 続きを読む 「仙台市・西公園(桜ケ岡公園)」散策(仙台の戦跡散策・その12)

コメントなし

仙台空襲からの戦災復興「壱弐参横丁・仙台朝市」(仙台の戦跡散策・その11)

仙台空襲で焦土と化した焼け野原。戦後、露天商などが集まり誕生したのが「横丁」であった。 壱弐参横丁(いろは横丁) 昭和20年7月10日。「仙台空襲」で焦土と化した仙台の中心部。焼け野原となった街なかで、昭和21年(194 … 続きを読む 仙台空襲からの戦災復興「壱弐参横丁・仙台朝市」(仙台の戦跡散策・その11)

コメントなし

入間航空祭(2025年11月3日)

11月3日(文化の日)といえば、入間基地航空祭。 今年は、うっかり、ブルーインパレスの最前列を確保してしまっため、8時から12時まで、人垣の最前列で身動き取れず、トイレにも行けず(行ったら最後、戻ってこれないほどの人垣) … 続きを読む 入間航空祭(2025年11月3日)

コメントなし

「空襲警報を伝えたサイレン」と「仙台市戦災復興記念館」(仙台の戦跡散策・その10)

仙台の戦跡散策。仙台市の戦災復興記念館に足を運んでみました。 警報サイレン モーターサイレンは今も昔も形状は大きく変更がない確立された原理っぽい。 サイレン 旧仙台市役所庁舎の塔屋内にあり、正午の時報を知らせていました。 … 続きを読む 「空襲警報を伝えたサイレン」と「仙台市戦災復興記念館」(仙台の戦跡散策・その10)

コメントなし

商店街に刻まれた仙台空襲の爆心地「仙台空襲爆撃中心点」(仙台の戦跡散策・その9)

仙台市のクリスロード商店街というアーケード街に、人知れず刻まれたモニュメント。 「仙台空襲爆撃中心点」 仙台空襲において、この場所が、B-29爆撃機の目標地点であったのだ。 平和の願い込めて踏み固める「平和の礎」 仙台空 … 続きを読む 商店街に刻まれた仙台空襲の爆心地「仙台空襲爆撃中心点」(仙台の戦跡散策・その9)

コメントなし

御嶽三吉神社に残る東北帝国大学科学計測研究所の防空壕跡(仙台の戦跡散策・その8)

仙台の戦跡散策。北山駅周辺を散策してみました。 北山駅のちかくに鎮座する御嶽三吉神社の境内にある「東北帝国大科学計測研究所の保管壕(地下壕)」東北帝国大科学計測研究所が資料を保管するために作られた地下壕という。 東北帝国 … 続きを読む 御嶽三吉神社に残る東北帝国大学科学計測研究所の防空壕跡(仙台の戦跡散策・その8)

コメントなし

仙台空襲慰霊「戦災死歿精霊供養碑」(仙台の戦跡散策・その7)

仙台市北山霊園にある仙台空襲に関連する慰霊碑に足を運んできました。仙台の戦跡散策。 その6はこちら 仙台空襲 昭和20年(1945)7月10日に仙台市に対して行われた空襲。この仙台空襲によって仙台市の中心部は焼け野原とな … 続きを読む 仙台空襲慰霊「戦災死歿精霊供養碑」(仙台の戦跡散策・その7)

コメントなし

所沢陸軍飛行学校の戦跡散策(所沢航空記念公園)

所沢には何度も足を運んでいるし、所沢航空記念公園にも何度も通っているのに、ちゃんとまとめていなかったので、本記事にて「陸軍飛行学校」などの戦跡をまとめておきます。 下記の記事とも連動します。 位置関係 国土地理院航空写真 … 続きを読む 所沢陸軍飛行学校の戦跡散策(所沢航空記念公園)

コメントなし

「戦艦・比叡の錨」と「九一式改二型航空魚雷」(海自「下総航空基地開設66周年記念行事」その2)

2025年10月11日に「下総航空基地開設66周年記念行事」にて一般開放がありましたので、行ってきました。 その1は、下記にて。 下総航空基地記念行事 以前にも訪れていましたので、下記参照で。 藤ヶ谷陸軍飛行場跡地 戦艦 … 続きを読む 「戦艦・比叡の錨」と「九一式改二型航空魚雷」(海自「下総航空基地開設66周年記念行事」その2)

コメントなし

救難飛行艇「US-2」地上滑走展示(海自「下総航空基地開設66周年記念行事」その1)

2025年10月11日に「下総航空基地開設66周年記念行事」にて一般開放がありましたので、行ってきました。 関東で、滅多に見れない「US-2」を見れる!となれば、悪天候であっても行くしかない航空祭。年に一度の楽しみなので … 続きを読む 救難飛行艇「US-2」地上滑走展示(海自「下総航空基地開設66周年記念行事」その1)

コメントなし

「木更津海軍航空隊と第2海軍航空厰」木更津の海軍戦跡散策3

木更津の戦跡散策。その1とその2は、陸上自衛隊木更津駐屯地を中心に取り上げましたが、「その3」では駐屯地の外を散策してみました。 「その1」は、下記にて。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル: … 続きを読む 「木更津海軍航空隊と第2海軍航空厰」木更津の海軍戦跡散策3

コメントなし

日本の航空事始め6・日本初の国産軍用機「会式一号飛行機」

所沢航空記念館に展示してある「会式一号飛行機」。入り口の天井に吊られているので、見逃しやすい飛行機であった。せっかくなので、独立した記録として掲載しておきます。 所沢航空発祥記念館は、リニューアル工事中につき休館中です。 … 続きを読む 日本の航空事始め6・日本初の国産軍用機「会式一号飛行機」

コメントなし

帝都近郊で初実施「大正元年の陸軍特別大演習」関連の記念碑探訪(狭山・所沢・川越)

川越を歩いていたら「御野立の森公園」という公園があって、「おっ」と思い、なんとなく写真を撮っていました。(実はラーメン二郎・川越店に行く途中に見つけた、とか) そこから少し調べてみたら、川越と狭山と所沢から色々話題が集ま … 続きを読む 帝都近郊で初実施「大正元年の陸軍特別大演習」関連の記念碑探訪(狭山・所沢・川越)

コメントなし

防空壕きくらげ(川崎市麻生区)

川崎市麻生区に、「防空壕」で作られた「きくらげ」があり、それを販売する自販機がある聞いたので、足を運んでみました。 川崎初空襲 昭和17年4月18日、日本本土に対する空襲(ドーリットル空襲)米陸軍所属のB-25爆撃機16 … 続きを読む 防空壕きくらげ(川崎市麻生区)

コメントなし

沖縄戦で失われたケービン鉄道「旧沖縄県営鉄道那覇駅跡の転車台遺構」(沖縄戦跡慰霊巡拝14)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その14」となります。 その13は、下記にて。 2022年10月記録です 泊まっていたホテルの最寄駅が「旭橋駅」であったことから、旧那覇駅にも程近く、せっかくなので足を運んでみました。 旧沖縄県営 … 続きを読む 沖縄戦で失われたケービン鉄道「旧沖縄県営鉄道那覇駅跡の転車台遺構」(沖縄戦跡慰霊巡拝14)

コメントなし

学童疎開船の悲劇「対馬丸記念館と旭ヶ丘公園」(沖縄戦跡慰霊巡拝13)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その13」となります。 その12は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 対馬丸事件 対馬丸は、日本郵船のT型貨物船の一隻。総トン数は6,754トンの貨物船。T型貨物船は、日本郵船 … 続きを読む 学童疎開船の悲劇「対馬丸記念館と旭ヶ丘公園」(沖縄戦跡慰霊巡拝13)

コメントなし

全国最多の御祭神をお祀りする護国神社「沖縄県護国神社」(沖縄戦跡慰霊巡拝12)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その12」となります。 その11は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 沖縄県護国神社 沖縄県那覇市の奥武山公園に鎮座。御祭神は、沖縄関係の戦死者だけではなく、沖縄戦に殉じた本土 … 続きを読む 全国最多の御祭神をお祀りする護国神社「沖縄県護国神社」(沖縄戦跡慰霊巡拝12)

コメントなし

南西諸島海軍航空隊「巌部隊」本部陣地壕「寿山海軍壕」(沖縄戦跡慰霊巡拝11)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その11」となります。 その10は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに カテーラムイ(寿山)旧海軍壕 小緑駅の東側にある田原公園に。海軍小禄飛行場(現在の那覇空港)を防衛するため … 続きを読む 南西諸島海軍航空隊「巌部隊」本部陣地壕「寿山海軍壕」(沖縄戦跡慰霊巡拝11)

コメントなし

「沖縄県民斯ク戦ヘリ」沖縄方面根拠地隊司令官・大田実海軍中将と「海軍司令部壕」(沖縄戦跡慰霊巡拝10)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その10」となります。 その9は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 大田実(大田實) 最終階級は海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。大田實生家前(生誕地)には「海軍中将大田実顕彰 … 続きを読む 「沖縄県民斯ク戦ヘリ」沖縄方面根拠地隊司令官・大田実海軍中将と「海軍司令部壕」(沖縄戦跡慰霊巡拝10)

コメントなし

沖縄県庁最後の地「轟壕」と「沖縄の島守・島田彰沖縄県知事」(沖縄戦跡慰霊巡拝9)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その9」となります。 その8は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 「沖縄の島守」島田叡沖縄県知事 兵庫県神戸市須磨区出身。1901年(明治34年)12月25日〜1945年(昭和 … 続きを読む 沖縄県庁最後の地「轟壕」と「沖縄の島守・島田彰沖縄県知事」(沖縄戦跡慰霊巡拝9)

コメントなし

英空母「プリンス・オブ・ウェールズ」(東京国際クルーズターミナル)

2025年8月、イギリス海軍が誇る空母「プリンス・オブ・ウェールズ」が東京港(東京国際クルーズターミナル)に入港したので、ちょっと観に行ってきました。 プリンス・オブ・ウェールズ (空母) イギリス海軍の航空母艦(空母) … 続きを読む 英空母「プリンス・オブ・ウェールズ」(東京国際クルーズターミナル)

コメントなし

沖縄最古の慰霊塔「魂魄之塔」と「有川中将以下将兵自決の壕」米須霊域(沖縄戦跡慰霊巡拝8)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その8」となります。 その7は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 米須霊域 沖縄本島南部の糸満市に所在する「米須霊域」は、「平和祈念公園」に次ぐ霊域。米須霊域は、「ひめゆりの塔 … 続きを読む 沖縄最古の慰霊塔「魂魄之塔」と「有川中将以下将兵自決の壕」米須霊域(沖縄戦跡慰霊巡拝8)

コメントなし

「バックナー中将戦死之跡」と真栄里「栄里之塔」(沖縄戦跡慰霊巡拝7)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その7」となります。 その6は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに バックナー中将戦死之跡 糸満市真栄里(まえざと)。 沖縄方面連合軍最高指揮官・米第10軍司令官サイモン・B・バ … 続きを読む 「バックナー中将戦死之跡」と真栄里「栄里之塔」(沖縄戦跡慰霊巡拝7)

コメントなし

白梅学徒隊「白梅之塔」と奮闘継戦した山形聯隊「歩兵第32聯隊終焉の地」(沖縄戦跡慰霊巡拝6)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その6」となります。 その5は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 白梅学徒隊「白梅之塔」 沖縄県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」慰霊の塔 白梅之塔 沖縄県立第二高等女学校の四年 … 続きを読む 白梅学徒隊「白梅之塔」と奮闘継戦した山形聯隊「歩兵第32聯隊終焉の地」(沖縄戦跡慰霊巡拝6)

コメントなし

「沖縄陸軍病院糸洲二外科壕跡」と「糸洲の壕跡」(沖縄戦跡慰霊巡拝5)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その5」となります。 その4は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 沖縄陸軍病院糸洲二外科壕 いままで見てきた壕とは違い、ここは詳細な説明がとくにない、目立つことのない静かな壕。 … 続きを読む 「沖縄陸軍病院糸洲二外科壕跡」と「糸洲の壕跡」(沖縄戦跡慰霊巡拝5)

コメントなし

「沖縄陸軍病院山城本部壕跡」と「井原第一外科壕跡」(沖縄戦跡慰霊巡拝4)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その4」となります。 その3は、下記にて。 2022年10月記録です 「ひめゆりの塔」は、伊原第三外科壕の跡地。ちかくには、同じように南部に追い込まれてきた陸軍病院本部壕と、伊原第一外科壕、伊原第 … 続きを読む 「沖縄陸軍病院山城本部壕跡」と「井原第一外科壕跡」(沖縄戦跡慰霊巡拝4)

コメントなし

沖縄昭和高等女学校・梯梧学徒隊「梯梧之塔」(沖縄戦跡慰霊巡拝3)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その3」となります。 その2は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに 梯梧之塔 「ひめゆりの塔」の隣接地に、「梯梧之塔」がある。「梯梧」は、沖縄昭和高等女学校の校歌の一節にでてくる … 続きを読む 沖縄昭和高等女学校・梯梧学徒隊「梯梧之塔」(沖縄戦跡慰霊巡拝3)

コメントなし

荒崎海岸に追い込まれ自決した「ひめゆり学徒・散華の地」(沖縄戦跡慰霊巡拝2)

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その2」となります。 その1は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らかに ひめゆり学徒・散華の地 昭和20年6月18日、南風原の陸軍病院から南部に撤退し、伊原第三外科壕に避難していた「 … 続きを読む 荒崎海岸に追い込まれ自決した「ひめゆり学徒・散華の地」(沖縄戦跡慰霊巡拝2)

コメントなし

沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校・ひめゆり学徒隊「ひめゆりの塔」と「沖縄陸軍病院第三外科壕跡」(沖縄戦跡慰霊巡拝1)

沖縄へ 2022年10月記録です 2022年10月。人生で初の沖縄に赴く機会があった。しかし、それは能動的なものではなく、受動的なきっかけとする、ある意味で偶然の機会。そう、たまたまで、社員旅行が「沖縄」だったのだ。社員 … 続きを読む 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校・ひめゆり学徒隊「ひめゆりの塔」と「沖縄陸軍病院第三外科壕跡」(沖縄戦跡慰霊巡拝1)

コメントなし

展示終了となる「ニューポール81E2(陸軍甲式一型練習機)」(リニューアル前の最期の展示・所沢航空発祥記念館)

所沢航空記念公園にある、所沢航空発祥記念館が2025年8月末でもって、長期休館、リニューアルを経て再開は2027年3月予定という。平成5年の開館から30年以上経過したことから、今回の大規模なリニューアル工事を迎えることと … 続きを読む 展示終了となる「ニューポール81E2(陸軍甲式一型練習機)」(リニューアル前の最期の展示・所沢航空発祥記念館)

コメントなし

「全員玉砕せるものと認む」アッツ観音(保寿院・山梨)と山崎保代の墓(多磨霊園・東京)

毎年恒例の「河口湖(「河口湖自動車博物館・飛行舘」)」の往復で乗車している「富士急行線(富士山麓電気鉄道富士急行線)」。 そんな富士急行線「赤坂駅」すぐ近くに、「アッツ観音」があるというのを知ったのはつい最近。実は車窓か … 続きを読む 「全員玉砕せるものと認む」アッツ観音(保寿院・山梨)と山崎保代の墓(多磨霊園・東京)

コメントなし

80年目の8月15日-靖國神社

靖國神社 終戦から80年目の8月15日、終戦の日の靖國神社。毎年恒例。変わることなく、祈りを捧げる。 靖國神社・午前9時30分 すでに、第二鳥居まで行列ができていました。 良き青空。 放鳩式 靖國神社・午前10時 8月1 … 続きを読む 80年目の8月15日-靖國神社

コメントなし

河口湖自動車博物館・飛行舘(2025年8月版)

このところ、夏の恒例となりつつある「河口湖自動車博物館・飛行舘」詣で。 正式名称は「河口湖自動車博物館・飛行舘」となりますが、「飛行館」の表記揺れがあります。 今年で、4年連続、です。彩雲の進捗を中心に。 前回の記録 2 … 続きを読む 河口湖自動車博物館・飛行舘(2025年8月版)

コメントなし

「遺髪塚」終戦2日前の大月空襲

富士急行線から大月で乗り換えるのに、時間があったので、大月の町を散策してみた。 大月空襲 1945年8月13日午前8時過ぎ、終戦2日前にあった米軍による大月空襲。大月駅の裏にあった興亜航空(興亜航空工業株式会社)などの軍 … 続きを読む 「遺髪塚」終戦2日前の大月空襲

コメントなし

ハワード・キャノン航空博物館・Howard W. Cannon Aviation Museum(ハリー・リード国際空港・ラスベガス)

ラスベガスの国際空港。空港内にちょっとした展示コーナーがあったので、写真をぱちぱちと。何が書いてあるかは、よく理解していません。(英語が出来ない民なので) ハリー・リード国際空港 ネバダ州ラスベガスの国際空港2021年に … 続きを読む ハワード・キャノン航空博物館・Howard W. Cannon Aviation Museum(ハリー・リード国際空港・ラスベガス)

コメントなし

「Atomic Museum(核実験博物館)」(アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス)

仕事でラスベガスに行く機会があった。砂漠を開拓した都市なので歴史的なネタはないかなと思いつつ、それでも、なにかしらの面白い発見があればと地図を眺めていたら「アトミックミュージアム(核実験博物館)」があった。そういえば、ネ … 続きを読む 「Atomic Museum(核実験博物館)」(アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス)

コメントなし

陸軍通信学校集会所(相模女子大学・2025年8月解体)

相模女子大に残る旧陸軍通信学校の集会所が老朽化のために2025年8月に解体されるとのことで、慌てて足を運んできました。なお、最後の一般公開日には間に合わず、その翌日に、外見の見学をしてきた次第となります。 2025年8月 … 続きを読む 陸軍通信学校集会所(相模女子大学・2025年8月解体)

コメントなし

模擬原子爆弾「パンプキン」長崎に原爆投下したB-29「ボックスカー」の最終投下訓練地(西東京)

西東京市に、模擬原子爆弾が投下されていた。つい最近にそのことを知り、投下現場に足を運んできました。ちょうど、戦後80年の節目に当たる2025年の夏に、新しい看板が設置されたとのことで。 模擬原子爆弾の着弾・爆発地点(しじ … 続きを読む 模擬原子爆弾「パンプキン」長崎に原爆投下したB-29「ボックスカー」の最終投下訓練地(西東京)

コメントなし

「残された横浜市電最後のポール」と横浜大空襲(横浜市電保存館)

疎開道路散策をしていたら、横浜市電保存館に辿り着きました。 面白そうなので、立ち寄ってみましょう。 残された横浜市電最後のポール 横浜市電保存館の入口にあるポール。横浜市電を物語る残された最後のポールは、「横浜大空襲を物 … 続きを読む 「残された横浜市電最後のポール」と横浜大空襲(横浜市電保存館)

コメントなし

根岸の疎開道路(横浜市磯子区)

最近、疎開道路を巡っています。もちろん、いま、そこに何かが残っているわけではないのだけれども、なんとなく空間が往時を偲んでいるような、そんな気配を感じつつの散策の記録です。 疎開道路 第二次世界大戦中に空襲による延焼防止 … 続きを読む 根岸の疎開道路(横浜市磯子区)

コメントなし

「英霊殿跡」群馬縣護國神社創建前に招魂社が建立された高崎公園

高崎城址の南に展開されている高崎公園は意外と歴史が古く、明治9年(1876)に造園されたという。ちょっと散策してみましょう。 英霊殿跡(群馬縣護國神社旧地・高崎公園内) 群馬県護国神社が創建される前の招魂社として機能して … 続きを読む 「英霊殿跡」群馬縣護國神社創建前に招魂社が建立された高崎公園

コメントなし

高崎陸軍墓地(竜広寺境内)

高崎公園の南側、竜広寺の墓苑の一隅に、元陸軍墓地がある。高崎陸軍墓地の名残。高崎に赴いていたタイミングを活かして、足を運んでみました。 高崎陸軍墓地 歩兵第十五聯隊陸軍墓地 龍廣寺新墓地由来碑 當浄域は 昭和27年1月2 … 続きを読む 高崎陸軍墓地(竜広寺境内)

コメントなし

「高崎歩兵第十五聯隊」水戸聯隊とともにペリリュー島で奮戦した高崎聯隊

高崎に赴く機会があったので、高崎聯隊の名残を求めて散策をしてみました。 歩兵第15聯隊 群馬県高崎市に創設。日清日露戦争、満洲事変、上海事変、日中戦争、太平洋戦争のほぼすべての戦役に参加。パラオで終戦を迎えた。明治17年 … 続きを読む 「高崎歩兵第十五聯隊」水戸聯隊とともにペリリュー島で奮戦した高崎聯隊

コメントなし

世界最大の駆逐艦「ズムウォルト級ミサイル駆逐艦・マイケル・モンスーア」と「YOKOSUKA軍港めぐり」(横須賀)

横須賀に「世界最大の駆逐艦」が来航したというので、足を運んでみました。 マイケル・モンスーア USS Michael Monsoor DDG-1001 ズムウォルト級ミサイル駆逐艦の2番艦。2019年就役姉妹艦は、3隻 … 続きを読む 世界最大の駆逐艦「ズムウォルト級ミサイル駆逐艦・マイケル・モンスーア」と「YOKOSUKA軍港めぐり」(横須賀)

コメントなし

「甲府空襲(甲府七夕空襲)」甲府の近代史跡と戦跡散策

甲府の近代史跡と、甲府空襲に関係する戦跡を巡ってみました。 山梨県議会議事堂 1930年(昭和5年)3月31日に竣工。山梨県議会議事堂と山梨県庁別館は、ほぼ同一の公法、素材、様式によって建立している。1945年(昭和20 … 続きを読む 「甲府空襲(甲府七夕空襲)」甲府の近代史跡と戦跡散策

コメントなし

山梨平和ミュージアム・石橋湛山記念館(甲府)

甲府に赴いたときに、甲府の戦跡をしらべていて、見つけたのが「山梨平和ミュージアム」。せっかくなので、足を運んでみました。 NPO法人の運営。 山梨平和ミュージアム・石橋湛山記念館 2007年開館。「伝えたい戦争の記録・記 … 続きを読む 山梨平和ミュージアム・石橋湛山記念館(甲府)

コメントなし

近衛師団司令部庁舎(東京建築祭2025)

「東京国立近代美術館工芸館」でもあった「近衛師団司令部庁舎」が一般開放していると聞いたので脚を運んでみました。 近衛師団司令部庁舎 国重文明治43年(1910)造営。陸軍技師田村鎮の設計による赤レンガ造り、二階建て、スレ … 続きを読む 近衛師団司令部庁舎(東京建築祭2025)

コメントなし

練習艦「かしま」体験航海(横須賀港~東京港)

2025年6月。練習艦隊「かしま」「しまかぜ」が、横須賀港(逸見岸壁)から東京港に航行するタイミングにあわせて、運良く乗艦する機会がありました。横須賀水交会(水交会横須賀支部)の部隊研修として、貴重な体験航海の模様を以下 … 続きを読む 練習艦「かしま」体験航海(横須賀港~東京港)

コメントなし

南極観測船「ふじ」(名古屋港)

先日、名古屋に赴いていたので、スキマ時間に「ふじ」を観覧してきました。 名古屋港ポートビルと南極観測船「ふじ」のほうに。 名古屋港開港の出発点「鉄桟橋」跡地 1907年、名古屋港開港の出発点「鉄桟橋」跡地。 「鉄桟橋」か … 続きを読む 南極観測船「ふじ」(名古屋港)

コメントなし

護衛艦「いなづま」(横浜開港祭2025)

横浜開港祭2025で護衛艦「いなづま」の一般公開がありましたので、足を運んでみました。「呉からようこそ!」なのです! 横浜ハンマーヘッド9号岸壁にて。 護衛艦「いなづま」 DD-105 護衛艦「いなづま」むらさめ型護衛艦 … 続きを読む 護衛艦「いなづま」(横浜開港祭2025)

コメントなし

タイ王国バンコクの戦跡散策その5・立川飛行機「九九式高等練習機」と日本小型「滑空機」(タイ王国空軍博物館)

2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)。今回は時間を確保できたので前述の「タイ王国海軍博物館」についで、「タイ王国空軍博物館」に足を運んでみました。 下記の続き 九九式高等練習機(立川飛行 … 続きを読む タイ王国バンコクの戦跡散策その5・立川飛行機「九九式高等練習機」と日本小型「滑空機」(タイ王国空軍博物館)

コメントなし

タイ王国バンコクの戦跡散策その4・泰仏インドシナ紛争と第二次世界大戦機(タイ王国空軍博物館)

2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)。今回は時間を確保できたので前述の「タイ王国海軍博物館」についで、「タイ王国空軍博物館」に足を運んでみました。 下記も。 タイ空軍とインドシナ紛争 タ … 続きを読む タイ王国バンコクの戦跡散策その4・泰仏インドシナ紛争と第二次世界大戦機(タイ王国空軍博物館)

コメントなし

タイ王国バンコクの戦跡散策その3・黎明期のタイ航空機と大東亜戦争タイ空軍の絵画(タイ王国空軍博物館)

2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)。今回は時間を確保できたので前述の「タイ王国海軍博物館」についで、「タイ王国空軍博物館」に足を運んでみました。 下記もあります。 タイ王国空軍博物館 … 続きを読む タイ王国バンコクの戦跡散策その3・黎明期のタイ航空機と大東亜戦争タイ空軍の絵画(タイ王国空軍博物館)

コメントなし

「ともちゃん地蔵」満洲難民収容所の悲話を伝承するお地蔵様(岩槻)

六本木にある「ともちゃん地蔵」に関しては、以前の記事に記載しました。 「ともちゃん地蔵」は、東京「六本木」を皮切りに、全国各地に賛同者を得て造立されてきた。 今回は、岩槻の「ともちゃん地蔵」を掲載。 ともちゃん地蔵 とも … 続きを読む 「ともちゃん地蔵」満洲難民収容所の悲話を伝承するお地蔵様(岩槻)

コメントなし

大阪大空襲による弾痕が残る「旧制北野中学校本館西壁」と「殉難碑」(大阪市淀川区・北野高校)

大阪に出張のおり、夕刻に時間ができたので、北野高校に残る弾痕壁を見学してきました。 空襲による弾痕「旧制北野中学校本館西壁」 昭和20年6月15日の空襲の際、学校防衛中の生徒2名が亡くなるなど、米軍の空襲により9名の生徒 … 続きを読む 大阪大空襲による弾痕が残る「旧制北野中学校本館西壁」と「殉難碑」(大阪市淀川区・北野高校)

コメントなし

「まんしゅう地ぞう(まんしゅう地蔵)」と「中国帰国者之墓」(西多摩霊園・あきる野市)

あきる野市にある「西多摩霊園」。ここに、「中国帰国者之墓」と、ちばてつや氏デザインの「まんしゅう地ぞう(まんしゅう地蔵)」があるというので足を運んでみた。 「まんしゅう母子地蔵」が浅草寺に鎮座しており、どちらも漫画家のち … 続きを読む 「まんしゅう地ぞう(まんしゅう地蔵)」と「中国帰国者之墓」(西多摩霊園・あきる野市)

コメントなし

世界最大級の無線送信施設だった「依佐美送信所」(依佐美送信所記念館・愛知県刈谷市)

完成当初、世界最大級の無線送信施設で、東洋一の長波送信所であった「依佐美送信所」の記念館に足を運んでみました。 依佐美送信所 依佐美送信所は昭和4年(1929)に運用を開始した長波及び短波の無線送信所。開設当初の対になる … 続きを読む 世界最大級の無線送信施設だった「依佐美送信所」(依佐美送信所記念館・愛知県刈谷市)

コメントなし

「修武台・陸軍航空士官学校」修武台記念館(航空自衛隊入間基地)

2025年の冬に。入間基地内の「修武台記念館」を見学させていただきました。 修武台記念館内は、撮影可能であってもSNS等の写真公開は禁止、また基地移動中も撮影禁止のため、今回のレポートは、記念館内の写真は無しとなります。 … 続きを読む 「修武台・陸軍航空士官学校」修武台記念館(航空自衛隊入間基地)

コメントなし

陸軍航空士官学校の校内神社「修武台航空神社」(所沢・北野天神社)

所沢の北野天神社の境内社「小手指神社・航空神社」は、かつての陸軍航空士官学校の校内神社の御社殿を戦後に遷座したものであった。 深く拝する 陸軍航空士官学校(修武台・航士校) 陸軍航空士官学校昭和12年(1937)に陸軍所 … 続きを読む 陸軍航空士官学校の校内神社「修武台航空神社」(所沢・北野天神社)

コメントなし

「振武台」陸軍予科士官学校跡・朝霞駐屯地の観桜一般開放(令和7年)

陸上自衛隊朝霞駐屯地の観桜一般公開。朝霞駐屯地は、公開の機会が少ない駐屯地のため、観桜のときに狙っていかないと、なかなか散策の機会がない駐屯地なのです。。 朝霞駐屯地 陸上総隊司令部や東部方面総監部のある「朝霞駐屯地」。 … 続きを読む 「振武台」陸軍予科士官学校跡・朝霞駐屯地の観桜一般開放(令和7年)

コメントなし

日米親善よこすかスプリングフェスタ 2025(米海軍横須賀基地)

久しぶりに米軍基地に行って、見たいものをサクッと見てきました。 始発で地元駅を出発し、7時過ぎに横須賀中央駅に到着。そこから、「三笠ウォンブルゲート」に到着。1時間程度の待ちで8時にはゲート前に列が圧縮され、そして8時半 … 続きを読む 日米親善よこすかスプリングフェスタ 2025(米海軍横須賀基地)

コメントなし

愛知県庁食堂と名古屋市役所食堂

先日、愛知県庁の近くで仕事があったので、せっかくなので「名古屋めし」を「役所めし」で味わうことにした。 結構久しぶりに、愛知県庁と名古屋市役所に足を運んだ次第。 愛知県庁食堂 愛知県庁。国重文化財。愛知県庁本庁舎は193 … 続きを読む 愛知県庁食堂と名古屋市役所食堂

コメントなし

タイ王国バンコクの戦跡散策その2・戦前の日本が建造した唯一の輸出潜水艦の艦橋が残る「タイ王国海軍博物館」

2025年2月、仕事でタイ王国に赴いていました(人生2回目のタイ王国)今回は時間を確保できたので「タイ王国海軍博物館(タイ海軍博物館)」に足を運んでみました。 BTS(BTS Sky Train)のスクムウィット線(Su … 続きを読む タイ王国バンコクの戦跡散策その2・戦前の日本が建造した唯一の輸出潜水艦の艦橋が残る「タイ王国海軍博物館」

コメントなし

3月10日の慰霊「東京大空襲」あの日から80年(令和7年・東京都慰霊堂)

令和7年(2025)3月10日。あの日から80年目。 昭和20年(1945)3月10日、東京大空襲。 東京都慰霊堂にて、慰霊鎮魂の合掌を。今日は、慰霊の日。 東京大空襲 昭和20年(1945)3月10日午前0時過ぎ、爆撃 … 続きを読む 3月10日の慰霊「東京大空襲」あの日から80年(令和7年・東京都慰霊堂)

コメントなし

空襲の類焼を防いだ幸國寺の大銀杏(新宿区)

新宿区の幸國寺の大イチョウは加藤清正手植えとも伝わる銘木。昭和の大空襲で被災しながら北側からの炎を食い止め、南への類焼を防いだと言い伝えが残る戦災樹木。 幸國寺の大銀杏 幸國寺大銀杏記録の碑から幸國寺大銀杏は東西にあり、 … 続きを読む 空襲の類焼を防いだ幸國寺の大銀杏(新宿区)

コメントなし

旧陸軍航空士官学校の格納庫跡(入間基地)

2024年11月の入間基地航空祭に際して、旧陸軍航空士官学校時代の倉庫が5棟残っているというので、航空機はそこそこに倉庫の見学をしてきました。 もっとも、2024年の航空祭は、C-1ばかり見ていましたけど。 陸軍航空士官 … 続きを読む 旧陸軍航空士官学校の格納庫跡(入間基地)

コメントなし

「C-1 FOREVER」C-1よ永遠なれ(入間基地一般開放2025年3月)

2025年(令和7年)3月にて、C-1/EC-1は全機引退となる。その引退前に入間基地一般開放にて、最後の晴舞台、最後の雄姿を魅せてくれた。 これは、行く以外の選択肢は無いでしょ、です。 キュージョンと402飛行隊 入間 … 続きを読む 「C-1 FOREVER」C-1よ永遠なれ(入間基地一般開放2025年3月)

コメントなし

入間基地航空祭「C1 031号機ラストフライト」(2024年11月)

2024年11月、入間基地航空祭。日本が誇る中型輸送機「C-1」の全機退役を控えて、最後のC-1揃い踏みな航空ショーが開催された。体調はいまいちでしたが、なんとか観覧に。 C-1(試作1号機XC-1/空中試験母機/001 … 続きを読む 入間基地航空祭「C1 031号機ラストフライト」(2024年11月)

コメントなし

荒川区の疎開道路(消防道路・尾久の原防災通り)

先日の博多散策で疎開道路のことを調べていたら、東京にも名残があったので、せっかくなので足を運んでみました。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:B29-C3-641936年6月11日、帝国陸軍 … 続きを読む 荒川区の疎開道路(消防道路・尾久の原防災通り)

コメントなし

「陸軍砲工学校跡地」と「産業遺産情報センター」(新宿区若松)

最近、若松河田駅の近くに行くことが多い。 この記事の追記(標石を追加で見に行ったり)で、再訪していたり。周辺を調べていたら、陸軍砲工学校の標石もあるというので、再度で訪れてみました。 陸軍砲工学校 明治22年(1889) … 続きを読む 「陸軍砲工学校跡地」と「産業遺産情報センター」(新宿区若松)

コメントなし

若松台の陸軍経理学校跡地散策(新宿区)

終戦時には小平にあった陸軍経理学校。かつては、牛込区河田町にあり、陸軍士官学校の「市ヶ谷台」に対して、陸軍経理学校は「若松台」と呼称されていた。 そんな若松台の跡地を散策してみました。 陸軍経理学校 陸軍における経理を担 … 続きを読む 若松台の陸軍経理学校跡地散策(新宿区)

2 comments

第1空挺団「降下訓練始め」(陸自習志野演習場・2025)

令和7年1月12日。 陸自第1空挺団による新春恒例の「降下訓練始め」が実施されましたので、足を運んでみました。 空の神兵 大日本帝国陸軍・海軍の落下傘部隊(空挺部隊・挺進部隊)、落下傘兵(空挺兵・挺進兵)に対する愛称。海 … 続きを読む 第1空挺団「降下訓練始め」(陸自習志野演習場・2025)

コメントなし

「昭和天皇祭(山陵に奉幣の儀)」36年目の昭和天皇武蔵野陵に拝する(令和7年1月7日)

昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分。国民の祈りの中で、昭和の天皇陛下は御崩御あそばされた。 あの日から、36年。 今年も、 昭和天皇 武蔵野陵(しょうわてんのう むさしののみささぎ)へ参拝をいたしました。 昭 … 続きを読む 「昭和天皇祭(山陵に奉幣の儀)」36年目の昭和天皇武蔵野陵に拝する(令和7年1月7日)

コメントなし

愛媛縣護國神社

2024年11月、愛媛県松山市に訪れる機会があった。自由時間がほとんどない中で、一箇所だけ行くのであれば、で、時間捻出して「愛媛縣護國神社」に足を運んでみました。 愛媛縣護國神社 愛媛縣護國神社御由緒愛媛縣護國神社は、明 … 続きを読む 愛媛縣護國神社

コメントなし

福岡大空襲名残の戦跡を巡る(福岡博多の戦跡散策4)

福岡博多の戦跡散策、その4になります。雨が降る中、飛行機の時間も迫っていたので、空港に戻る地下鉄沿線でさくっと散策できそうなところを何箇所かピックアップして巡ってみました。 その3は、こちら 陸軍墓地から空港に向かう帰り … 続きを読む 福岡大空襲名残の戦跡を巡る(福岡博多の戦跡散策4)

コメントなし

福岡陸軍墓地(福岡博多の戦跡散策3)

福岡の戦跡散策その3です。「福岡縣護國神社」には、慰霊碑のたぐいはなかったけど、代わりにこの福岡陸軍墓地に集約されている感じです。 その1はこちら。 その2はこちら。 福岡陸軍墓地の由来 明治19年 陸軍歩兵第24聯隊が … 続きを読む 福岡陸軍墓地(福岡博多の戦跡散策3)

コメントなし

西部軍司令部防空作戦室残壁(福岡博多の戦跡散策2)

福岡城阯の東端に、西部軍司令部があった。そこにコンクリート壁が残っているというので足を運んでみた。 その1はこちら。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-R236-No2-301948 … 続きを読む 西部軍司令部防空作戦室残壁(福岡博多の戦跡散策2)

コメントなし

福岡縣護國神社(福岡博多の戦跡散策1)

2024年10月末に、福岡県に出張がありまして。例のごとく、スキマ時間に福岡市内を散策してみました。実は、いまの仕事7年くらいしているけど、九州出張は初めて。意外と九州とは縁がなかったのだ。 まずは、福岡縣護国神社へ。 … 続きを読む 福岡縣護國神社(福岡博多の戦跡散策1)

コメントなし

全國護國神社巡拝(全國護國神社會の御朱印帳)

全国の護國神社を巡拝するということを、わたしの生涯の目標に掲げております。 以前より気になっていた「全國護國神社の御朱印帳(御朱印帖)」には、各頁に「社号記載あり」と「記載なし」の2種類があり、せっかく戴くなら「社号記載 … 続きを読む 全國護國神社巡拝(全國護國神社會の御朱印帳)

コメントなし

旧朝香宮邸「東京都庭園美術館」散策(港区)

国立科学博物館附属自然教育園が、明治時代の「白金火薬庫の跡地」で、大正時代に宮内省の白金御料地になり、そして、朝香宮邸として、朝香宮鳩彦王が、昭和22年に皇籍離脱をするまで居住していた建物。白金火薬庫からの流れで、足を運 … 続きを読む 旧朝香宮邸「東京都庭園美術館」散策(港区)

コメントなし

白金火薬庫跡地「国立科学博物館付属自然教育園」散策(港区)

国立科学博物館附属自然教育園が、明治時代の「白金火薬庫の跡地」であったと聞き、何もないとは思うけれども足を運んでみました。 ちなみに、白金火薬庫は、大正期には、白金御料地になりまして。 位置関係 「今昔マップ on th … 続きを読む 白金火薬庫跡地「国立科学博物館付属自然教育園」散策(港区)

コメントなし

陸軍清洲飛行場(甚目寺飛行場)跡地散策(愛知)

愛知県に出張の折、時間ができたので、名古屋から足を伸ばして、名鉄大里駅に。ここから、清須飛行場跡地を目指してみる。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:97L24-C1-71945年4月22日 … 続きを読む 陸軍清洲飛行場(甚目寺飛行場)跡地散策(愛知)

コメントなし

「鉄道聯隊材料廠・内部公開」(千葉経済大学)

千葉県内に残る鉄道連隊の戦跡。千葉や習志野、津田沼界隈に多く残っている。当サイト内でもいくつか掲載をしてきていた。 今回は、千葉経済大学の構内に残る、貴重な煉瓦建造物の内部公開があったので、足を運んできた次第。 位置関係 … 続きを読む 「鉄道聯隊材料廠・内部公開」(千葉経済大学)

コメントなし

靖國神社の新春初詣(令和7年)

あけましておめでとうございます。靖國神社、正月朔日の初詣。 境内の様子などを、徒然に。 あまり、ここで私事は書かないことにしていますが。2024年9月から12月までの4ヶ月間、仕事的なことではありますが、かつて経験がした … 続きを読む 靖國神社の新春初詣(令和7年)

コメントなし

「大阪大空襲」の痕跡が残る柴島浄水場と淀川周辺の戦跡散策(大阪)

新大阪に宿泊していたある日。早起きして、早朝に、新大阪駅から淀川に掛けてのエリアに点在している戦跡関連を散策してみました。ざっくり朝4時30分から6時30分の約2時間の散策。出張だったので、朝しか時間がなかったのだ。 柴 … 続きを読む 「大阪大空襲」の痕跡が残る柴島浄水場と淀川周辺の戦跡散策(大阪)

コメントなし

旧陸軍第四師団司令部庁舎と大阪城の戦跡散策

大阪城周辺を訪れる機会があったので、前回記事の不足分などを補填的に掲載をしてみる。仕事終わりの夕方の18時頃に。 大阪城周辺の戦跡 下記も参照に。本記事は、下記に掲載しきれていない内容を中心としております。 位置関係 国 … 続きを読む 旧陸軍第四師団司令部庁舎と大阪城の戦跡散策

コメントなし

海保最大の練習船「PL23 いつくしま」一般公開(横浜港)

最新鋭の新造船である海上保安庁の練習船「いつくしま」が、横浜港に入港し一般公開があったので、見学してきました。 今年7月に配備された海上保安庁の最新鋭の練習船「いつくしま」全長134メートル、5500トンと、これまでの練 … 続きを読む 海保最大の練習船「PL23 いつくしま」一般公開(横浜港)

コメントなし

濃飛護國神社(大垣)

2024年6月に大垣に立ち寄る機会があったので、大垣城の護國神社を参拝してきました。御英霊に感謝を。 時間の都合で、午前5時台という早朝参拝でした。社務所開始前のために、御朱印などはいただけず。また再訪したいものです。 … 続きを読む 濃飛護國神社(大垣)

コメントなし

ふりかけ食の元祖「旅行の友・タナカのふりかけ」(靖國神社遊就館特別展「兵食」)

広島市に本社を置く、田中食品株式会社。「タナカのふりかけ」で有名。 https://www.tanaka-foods.co.jp もっとも東日本に在住している私は、実は「タナカのふりかけ」を全く知りませんでした。どうやら … 続きを読む ふりかけ食の元祖「旅行の友・タナカのふりかけ」(靖國神社遊就館特別展「兵食」)

コメントなし

戦後の食糧難から生まれた「仙台牛タン焼き」

戦後日本。GHQ統治下にあった昭和20年代の日本は慢性的な食糧難にあった。 昭和20年代の仙台 第二次世界大戦後、仙台にもGHQが進駐。大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年( … 続きを読む 戦後の食糧難から生まれた「仙台牛タン焼き」

コメントなし

軍隊保存食にもなった信州ソウルフード「みそぱん」

信州松本駅の売店で、出会いました。 みそぱん(味噌パン) どうも世間には、何種類か、みそぱん(味噌パン)と呼ばれるものがあるらしい。「みそぱん」として、下記に分類される。 惣菜パンとして、群馬県沼田市の「フリアンパン洋菓 … 続きを読む 軍隊保存食にもなった信州ソウルフード「みそぱん」

コメントなし

河口湖自動車博物館・飛行舘(2024年8月版)

このところ、夏の恒例となりつつある「河口湖自動車博物館・飛行舘」詣で。今年で、3年連続、です。 2025年の記事はこちらです 前回の記録 2022年 2023年 艦上偵察機 彩雲 11型1290号機 エンジン部が機首に! … 続きを読む 河口湖自動車博物館・飛行舘(2024年8月版)

コメントなし

世界一美しい帆船「アメリゴ・ヴェスプッチ号」(イタリア海軍帆船・東京港)

東京国際クルーズターミナルに世界一美しい帆船と言われているイタリア海軍の練習帆船「アメリゴ・ヴェスプッチ号」(「Amerigo Vespucci」号)が入港してきました。令和6年8月25日(日)入港、30日(金)出港。歓 … 続きを読む 世界一美しい帆船「アメリゴ・ヴェスプッチ号」(イタリア海軍帆船・東京港)

コメントなし

イタリア海軍航空母艦「カヴール」と「金沢まつり花火大会」の夜(横須賀)

2024年8月24日の夜。イタリア海軍の空母「カブール」(ITS Cavour C 550) と「金沢まつり花火大会」を、写真中心に。 イタリア海軍航空母艦「カヴール」と「花火」 例の高台にて。花火とは知らず、三脚を保有 … 続きを読む イタリア海軍航空母艦「カヴール」と「金沢まつり花火大会」の夜(横須賀)

コメントなし

イタリア海軍航空母艦「カヴール」と「YOKOSUKA軍港めぐり」(横須賀)

2024年8月。イタリアの空母「カヴール」が日本に初めて寄港した。横須賀にその様子を見に行ったので、写真メインで。 イタリア海軍航空母艦(軽空母)「カヴール」(Cavour C 550) カヴール(Cavour, C 5 … 続きを読む イタリア海軍航空母艦「カヴール」と「YOKOSUKA軍港めぐり」(横須賀)

コメントなし

ドイツ海軍フリゲート艦「バーデン・ヴュルテンベルク」と補給艦「フランクフルト・アム・マイン」(東京港)

ドイツ海軍の最新鋭のフリゲート艦と、最大級の補給艦が東京国際クルーズターミナルに来航していたので、ちょっと見学。 2024年8月24日-25日の写真。 ドイツ海軍フリゲート「バーデン・ヴュルテンベルク」(Baden-Wü … 続きを読む ドイツ海軍フリゲート艦「バーデン・ヴュルテンベルク」と補給艦「フランクフルト・アム・マイン」(東京港)

コメントなし

宇都宮市慰霊塔と宇都宮空襲(軍都宇都宮の戦跡散策6)

第14師団がおかれた軍都宇都宮。往時を偲ぶ戦跡を巡ってみる。 本編は「その6」です。「その5」はこちらから。 宇都宮市慰霊塔(北山霊園) 北山霊園行きのバスが、宇都宮駅から1時間に1本程度走っている。急に思い立って行こう … 続きを読む 宇都宮市慰霊塔と宇都宮空襲(軍都宇都宮の戦跡散策6)

コメントなし

宇都宮偕行社と憲兵隊の跡地散策(軍都宇都宮の戦跡散策5)

第14師団がおかれた軍都宇都宮。往時を偲ぶ戦跡を巡ってみる。 本記事は、「その5」にあたります。「その4」はこちら。 位置関係 主要拠点は下記となる。 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-R38 … 続きを読む 宇都宮偕行社と憲兵隊の跡地散策(軍都宇都宮の戦跡散策5)

コメントなし

宇都宮歩兵聯隊の跡地散策(軍都宇都宮の戦跡散策4)

第14師団がおかれた軍都宇都宮。往時を偲ぶ戦跡を巡ってみる。 本記事は、「その4」です。「その3」は、以下にて。 位置関係 主要拠点は下記となる。 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-R389- … 続きを読む 宇都宮歩兵聯隊の跡地散策(軍都宇都宮の戦跡散策4)

コメントなし

宇都宮第14師団司令部と衛戍病院の跡地散策(軍都宇都宮の戦跡散策3)

第14師団がおかれた軍都宇都宮。往時を偲ぶ戦跡を巡ってみる。 本記事は、「その3」にあたります。「その2」はこちら。 また、撮影時期は2024年8月と1月が混在となります。 位置関係 主要拠点は下記となる。 国土地理院航 … 続きを読む 宇都宮第14師団司令部と衛戍病院の跡地散策(軍都宇都宮の戦跡散策3)

コメントなし

八幡山地下司令部跡(軍都宇都宮の戦跡散策2)

2024年1月に宇都宮周辺を散策してみました。 本記事は、「その2」です。「その1」はこちら。 旧陸軍地下司令部跡 八幡山公園。宇都宮駅から徒歩で30分くらいの道のり。 そういえば、むかしむかし、2002年に、八幡山公園 … 続きを読む 八幡山地下司令部跡(軍都宇都宮の戦跡散策2)

コメントなし

中島飛行機大谷地下工場跡(軍都宇都宮の戦跡散策1)

大谷石の地下採掘場も、戦時中は軍需工場であった。JR宇都宮駅からバスで約30分。せっかくなので気になっていた大谷石資料館に足を運んでみました。 大谷資料館 栃木県宇都宮市大谷町にある、大谷石採石場跡に関する博物館。大谷資 … 続きを読む 中島飛行機大谷地下工場跡(軍都宇都宮の戦跡散策1)

コメントなし

陸軍富士飛行場跡地散策(富士市)

以前に、陸軍児玉飛行場のことを調べていたら、富士飛行場の話題が出てきて、そのときから気になっていた場所。ようやく、足を運ぶチャンスが訪れましたので、散策してみました。 陸軍富士飛行場 「富士飛行場」国道一号線の「道の駅富 … 続きを読む 陸軍富士飛行場跡地散策(富士市)

コメントなし

79年目の8月15日-靖國神社

靖國神社 終戦から79年目の8月15日、終戦の日の靖國神社。毎年恒例。変わることなく、祈りを捧げる。 靖國神社・午前9時30分 潔い夏晴れ。 毎年恒例の「靖國神社白鳩の会」更新を。 放鳩式 靖國神社・午前10時 8月15 … 続きを読む 79年目の8月15日-靖國神社

コメントなし

軍艦建造技術を活用した日本初の大規模全溶接構造橋梁「田端ふれあい橋・旧田端大橋」(昭和10年建造)

横浜の「瑞穂橋」を調べていたら、溶接橋として日本初は、昭和9年の瑞穂橋であったが、本格的な大規模全溶接橋は、昭和10年の「田端大橋」であったと知り、そうと知ったら、居ても立ってもいられずで、急に現地に赴いてみた次第。 田 … 続きを読む 軍艦建造技術を活用した日本初の大規模全溶接構造橋梁「田端ふれあい橋・旧田端大橋」(昭和10年建造)

コメントなし

日本初の溶接鉄道橋「瑞穂橋梁」(昭和9年建造)と横浜ノース・ドック

「瑞穂埠頭(瑞穂ふ頭)」大東亜戦争後の昭和21年に米軍に接収され、横浜ノースドックとして、在日アメリカ軍の湾岸施設として使用されている場所。そこには、瑞穂橋(道路橋)と併設している瑞穂橋梁(鉄道橋)が架かっている。そんな … 続きを読む 日本初の溶接鉄道橋「瑞穂橋梁」(昭和9年建造)と横浜ノース・ドック

コメントなし

勝海舟設計のコウモリ台場「神奈川台場」跡地散策

神奈川宿を散策した流れで、神奈川台場跡地も散策してみる。なんとなくの流れですが。 神奈川台場 江戸時代末期に勝海舟により設計され伊予松山藩が築造した台場。 現場総指揮は平野弥十郎(「しょこたん」こと中川翔子の御先祖様。母 … 続きを読む 勝海舟設計のコウモリ台場「神奈川台場」跡地散策

コメントなし

神奈川宿周辺の戦跡散策

横浜駅の隣の神奈川駅。かつては東海道五十三次の3番目の宿場町「神奈川宿」のあった場所。ちょっとした戦跡が残っているので、散策してみた。 神奈川駅・神奈川宿 東海道五十三次の日本橋から数えて3番目に位置する「神奈川宿」この … 続きを読む 神奈川宿周辺の戦跡散策

コメントなし

杉野中尉殉難遺蹟の碑(荒川区東尾久)

都電荒川線の熊野前停留所のちかくにある「はっぴーもーる熊野前商店街」商店街の只中に、異色な空間がある。そそり立つ石碑には「杉野中尉殉難遺蹟」とあった。 杉野中尉殉難遺蹟 熊野前商店街防災スポットにある石碑。かつては、稲荷 … 続きを読む 杉野中尉殉難遺蹟の碑(荒川区東尾久)

コメントなし

「海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2024」(その2・教育史料館ほか)

2024年7月21日。今年も館山に。ヘリコプターフェスティバルに。 その1はこちら。 歴史的なことは、昨年の記事で。 海自館山航空基地「教育史料館」 昨年は、1階のみ見学だった気がします。今年は、2階も見学可能。旧軍関係 … 続きを読む 「海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2024」(その2・教育史料館ほか)

コメントなし

「海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2024」(その1・UH-60J最終展示飛行ほか)

2024年7月21日。今年も館山に。ヘリコプターフェスティバルに。 その2もあります。 歴史的なことは、昨年の記事で。 救難ヘリコプターUH-60J 今回のイベントで除籍となる「UH-60J」最後の勇姿を。 救難ヘリコプ … 続きを読む 「海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2024」(その1・UH-60J最終展示飛行ほか)

コメントなし

令和六年・靖國神社みたままつり

靖國神社のみたま祭りは、毎年7月13-14-15-16日の4日間、祭行されます。今年も、なんとか1日だけでしたが、足を運ぶことが出来ました。 御英霊とともに楽しむ光の祭典。東京で一番早い夏のお祭り。 「みたままつり」とは … 続きを読む 令和六年・靖國神社みたままつり

コメントなし

護衛艦ふゆづき(艦艇広報2024 in Funabashi)

護衛艦ふゆづき艦艇広報2024 in Funabashi 自衛隊千葉地方協力本部 2024年7月20日。船橋港にて。 護衛艦ふゆづき、舞鶴からようこそ!! 護衛艦ふゆづき DD-118 JS Fuyuduki 護衛艦ふゆ … 続きを読む 護衛艦ふゆづき(艦艇広報2024 in Funabashi)

コメントなし

露天神社に残る機銃掃射弾痕(大阪市北区曽根崎)

曾根崎心中で知られる「お初天神」こと「露天神社(つゆのてん神社)」近くに赴く用事があったので、足を運んでみました。 露天神社に残る機銃掃射弾痕 社頭前に2つある柱に刻まれた弾痕。 昭和20年6月福島駅・大開周辺を爆撃した … 続きを読む 露天神社に残る機銃掃射弾痕(大阪市北区曽根崎)

コメントなし

タイ王国バンコクの戦跡散策その1(戦勝記念塔と大日本帝国陸軍泰国駐屯軍司令部庁舎)

2024年6月。いろいろあってバンコクにいました。仕事の兼ね合い。スキマ時間を捻出して、バンコク市内を散策。 ※2025年2月に別件の仕事で、再びバンコクにいたので、戦勝記念塔をリベンジ再訪。写真を追加しました。 タイ・ … 続きを読む タイ王国バンコクの戦跡散策その1(戦勝記念塔と大日本帝国陸軍泰国駐屯軍司令部庁舎)

2 comments

「下志津駐屯地創設69周年記念行事・その2」つつじ祭り(2024年・千葉)

2024年4月、下志津駐屯地の創設69周年記念行事に行ってきました。「つつじ祭り」 陸自高射学校が所在する、いわば「陸自防空のメッカ」。観閲行進や対空戦闘訓練展示を中心に。87式自走高射機関砲(87AW 俗称ガンタンク) … 続きを読む 「下志津駐屯地創設69周年記念行事・その2」つつじ祭り(2024年・千葉)

コメントなし

「下志津駐屯地創設69周年記念行事・その1」下志津陸軍飛行学校跡地散策(2024年・千葉)

2024年4月。下志津駐屯地。基地行事があったので、行ってきました。昨年は観桜のみ参加しましたが、今年は記念行事で。 まずは、旧軍ぽいところを散策。 下志津陸軍飛行学校の細かい話は、下記で。 ちなみに、記念碑を見学する際 … 続きを読む 「下志津駐屯地創設69周年記念行事・その1」下志津陸軍飛行学校跡地散策(2024年・千葉)

コメントなし

霞ヶ浦駐屯地 開設71周年・関東補給処 創立26周年記念行事(2024年)

霞ヶ浦駐屯地の記念行事に行ってきました。2024年4月28日。 戦跡関連は、下記にて 霞ヶ浦駐屯地記念行事 昨年(2023年)は雨天で記念式典観閲行進は中止でしたが、今回は晴天。霞ヶ浦駐屯地はスペースの都合か、しょうしょ … 続きを読む 霞ヶ浦駐屯地 開設71周年・関東補給処 創立26周年記念行事(2024年)

コメントなし

第3師団創立63周年・千僧駐屯地創設73周年記念行事(2024年・伊丹)

大阪出張の前泊で、大阪入りしていたので、なんとなく第3師団司令部が所在している「千僧駐屯地」に足を運んでみました。大雨で、ろくに写真は取らず、でしたので、さらりと。 千僧駐屯地 旧軍がいっさい地縁としては関与していない珍 … 続きを読む 第3師団創立63周年・千僧駐屯地創設73周年記念行事(2024年・伊丹)

コメントなし

自衛隊版ひっぱりだこ飯(淡路屋x自衛隊コラボ)

写真を撮っていたので。 自衛隊兵庫地方協力本部とコラボした淡路屋の名物駅弁「ひっぱりだこ飯」 日頃から見かける事が多い警察官や消防官と違って、自衛隊が日々何を行っているのかわからない方が多いのではないでしょうか?自衛隊は … 続きを読む 自衛隊版ひっぱりだこ飯(淡路屋x自衛隊コラボ)

コメントなし

陸軍松本飛行場の跡地散策(三菱名古屋製作所大江工場の疎開工場跡)

松本で時間があったので、飛行場の跡を見に行ってみた。松本空港(信州まつもと空港)ではなく、松本飛行場跡です。 松本陸軍飛行場跡・三菱重工業名古屋製作所大江工場の疎開工場跡 松本市にあった大日本帝國陸軍の飛行場。現在の「松 … 続きを読む 陸軍松本飛行場の跡地散策(三菱名古屋製作所大江工場の疎開工場跡)

コメントなし

よこすかYYのりものフェスタ2024(海自・横須賀基地)

2024年6月9日。久しぶりに横須賀に護衛艦を見に行きました。海上自衛隊横須賀地方総監部へ。 横須賀のヌシ「いずも」はお出かけで、いつもとはちょっと違うメンバーが停泊。 写真中心で。 横須賀のヌシ「いずも」は、何度か乗っ … 続きを読む よこすかYYのりものフェスタ2024(海自・横須賀基地)

コメントなし

「守山空襲」機銃掃射弾痕が残る六地蔵(滋賀県守山市)

太平洋戦争末期の昭和20年7月30日。米軍の艦載機が守山駅(滋賀県守山市)で列車などを機銃掃射した「守山空襲」。往時の惨劇を伝える六地蔵が残されている。 守山空襲 昭和20(1945)年7月30日、大津の滋賀海軍航空隊を … 続きを読む 「守山空襲」機銃掃射弾痕が残る六地蔵(滋賀県守山市)

コメントなし

岩脇蒸気機関車退避壕・岩脇山列車壕(米原)

鉄道の町「米原」は、滋賀県唯一の新幹線停車駅であり、東海道と北陸道の分岐点でもある。そんな「米原」に戦争に関連する戦跡が残っているというので、足を運んでみた。 岩脇蒸気機関車退避壕 ※岩脇は「いをぎ(いおぎ)」と読む。 … 続きを読む 岩脇蒸気機関車退避壕・岩脇山列車壕(米原)

コメントなし

【展示移設作業中】「日本初の零戦復元機」零式艦上戦闘機52型甲(空自浜松広報館エアパーク)

空自浜松広報館エアパークの展示格納庫にて吊り下げられていた「零戦(ゼロ戦)」が展示場所移設作業のために床下に降ろされ、前部胴体/後部胴体に分割されました。移設完了までの二度と目にすることがないであろう状態の展示。なぜか( … 続きを読む 【展示移設作業中】「日本初の零戦復元機」零式艦上戦闘機52型甲(空自浜松広報館エアパーク)

コメントなし

トルコ海軍コルベット艦「クナルアダ」(日本・トルコ外交関係樹立100周年記念)

2024年は、日本・トルコ外交関係樹立100周年。 2024年6月。日本とトルコの歴史を振り返りつつ、トルコ軍艦を見学してきました。 エルトゥールル号遭難事件 日本とトルコの交流は、1887年の小松宮彰仁親王のオスマン帝 … 続きを読む トルコ海軍コルベット艦「クナルアダ」(日本・トルコ外交関係樹立100周年記念)

コメントなし

「日本の航空事始め・その5」日本の航空機の父・二宮忠八と飛行神社(京都八幡)

「日本の航空事始め」としては、第5弾になります。今回は、実質「その0」の位置づけ。本格的に飛び立つ前のお話です。 二宮忠八関連ゆかりで、2003年に訪問していた飛行神社を再訪し、写真と記事を追記して掲載で。以前の記事は下 … 続きを読む 「日本の航空事始め・その5」日本の航空機の父・二宮忠八と飛行神社(京都八幡)

コメントなし

入間基地ランウェイウォーク2024

令和6年(2024)6月1日(土)。航空自衛隊入間基地で開催された入間基地ランウェイウォーク2024。今年は、「航空自衛隊70周年記念」として制限なしの一般開放が実施されましたので、足を運んでみました。 YS-11やC- … 続きを読む 入間基地ランウェイウォーク2024

コメントなし

護衛艦「ゆうぎり」(横浜開港祭2024)

横浜の大さん橋で、「ゆうぎり」を見てきました。 ゆうぎり DD-153 ゆうぎりあさぎり型護衛艦の3番艦。浦賀造船所にて建造。竣工は1989年。護衛艦隊第11護衛隊に所属し、定係港は横須賀。 無骨なデザインが、素敵ですね … 続きを読む 護衛艦「ゆうぎり」(横浜開港祭2024)

コメントなし

護衛艦「おおよど」と測量船「拓洋」(東京みなと祭2024)・練習艦「かしま」「しまかぜ」

東京みなと祭で、「おおよど」「拓洋」を見学。あわせて、ちかくの晴海ふ頭にいた「かしま」「しまかぜ」も見学。 護衛艦「おおよど」 あぶくま型護衛艦の3番艦。就役は1991年。2027年度までに除籍することになっている。護衛 … 続きを読む 護衛艦「おおよど」と測量船「拓洋」(東京みなと祭2024)・練習艦「かしま」「しまかぜ」

コメントなし

第1師団創立62周年・練馬駐屯地創設73周年記念行事(2024年・練馬駐屯地一般公開)

令和6年(2024年)4月7日。東京都練馬区にある練馬駐屯地。東京23区内で唯一普通科連隊が所在し第1師団司令部もある首都防衛の要となる実戦部隊の駐屯地。戦前は、「東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫」。 詳細なレポートは、昨年2 … 続きを読む 第1師団創立62周年・練馬駐屯地創設73周年記念行事(2024年・練馬駐屯地一般公開)

コメントなし

「苦しいのは息が止まるまでよ…」山の手大空襲の慰霊観音菩薩(早稲田喜久井町・感通寺)

早稲田大学の早稲田の隣町、喜久井町。昭和20年5月25日の「山の手空襲」では、早稲田喜久井町の防空壕が被災し300余名が亡くなったという。合掌。 山の手大空襲 東京は昭和19年以降、100回以上に及ぶ空襲を受けてきた。昭 … 続きを読む 「苦しいのは息が止まるまでよ…」山の手大空襲の慰霊観音菩薩(早稲田喜久井町・感通寺)

コメントなし

「連合国民抑留所(敵性外国人抑留所)」であった聖母病院(新宿区中落合)

昭和6年に建造された病院は、空襲をくぐり抜け、連合国民抑留所として活用され終戦を迎えている。そして、現在、東京都選定歴史的建造物に指定されている。 聖母病院 昭和6年、「国際聖母病院」として開院。昭和18年、戦時下により … 続きを読む 「連合国民抑留所(敵性外国人抑留所)」であった聖母病院(新宿区中落合)

コメントなし

移築整備された野砲兵第一聯隊の馬魂碑(世田谷)

世田谷区池尻・三宿・下馬、駅で言うところの「池尻大橋駅」「三軒茶屋駅」の界隈は「駒澤練兵場」があり、そして3つの陸軍砲兵部隊が駐留していた。すなわち「三軒茶屋は軍都であった」と言っても過言ではない。 軍都「三軒茶屋」 上 … 続きを読む 移築整備された野砲兵第一聯隊の馬魂碑(世田谷)

コメントなし

「幻の東武熊谷線」東武橋脚と中島飛行機太田飛行場と小泉製作所(太田大泉の戦跡散策6)

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。そんな中島知久平ゆかりの太田に点在する戦跡に足を運んでみました。 本編は、その6です。 以下は、行政的には、「太田」ではなくて「大泉」だけど、大枠的には太田として … 続きを読む 「幻の東武熊谷線」東武橋脚と中島飛行機太田飛行場と小泉製作所(太田大泉の戦跡散策6)

コメントなし

イオンモール太田に残る下小林高射砲陣地跡(太田の戦跡散策5)

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。そんな中島知久平ゆかりの太田市内に点在する戦跡に足を運んでみました。 本編は、その5です。 下小林高射砲陣地 中島飛行機の工場(太田製作所、小泉製作所)が集中する … 続きを読む イオンモール太田に残る下小林高射砲陣地跡(太田の戦跡散策5)

コメントなし

熊谷陸軍飛行学校新田分教場・新田飛行場跡(太田の戦跡散策4)

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。そんな中島知久平ゆかりの太田市内に点在する戦跡に足を運んでみました。 本編は、その4です。 新田飛行場跡(生品飛行場跡)熊谷陸軍飛行学校新田分教場跡 新田市野倉。 … 続きを読む 熊谷陸軍飛行学校新田分教場・新田飛行場跡(太田の戦跡散策4)

コメントなし

中島飛行機地下工場跡・地下疎開の藪塚工場跡(太田の戦跡散策3)

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。太田市内には、中島知久平と中島飛行機に関連する史跡が点在しているので足を運んでみました。 本編は、その3です。 現在の八王子霊園と太田双葉カントリークラブのあるエ … 続きを読む 中島飛行機地下工場跡・地下疎開の藪塚工場跡(太田の戦跡散策3)

コメントなし

中島知久平と呑龍(太田の戦跡散策2・金山城址と呑龍工場、太田大空襲)

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。その出生の地・群馬県新田郡尾島町には、中島知久平の立像と旧宅、墓がある。同じ太田市内には、中島飛行機のDNAを受け継ぐSUBARU(富士重工)工場もあり、そして、 … 続きを読む 中島知久平と呑龍(太田の戦跡散策2・金山城址と呑龍工場、太田大空襲)

コメントなし

座間・陸軍士官学校の戦跡散策4「相武台碑と大講堂・雄健神社跡」(在日米陸軍キャンプ座間)

ようやく「キャンプ座間」に立ち入る機会がありました。2023年8月「日米親善盆踊りフェスティバル2023」花火や盆踊りでフレンドシップなイベント。米軍基地が一般開放されますので、散策してきました。 2024年4月の「キャ … 続きを読む 座間・陸軍士官学校の戦跡散策4「相武台碑と大講堂・雄健神社跡」(在日米陸軍キャンプ座間)

コメントなし

ソメイヨシノの原木候補?「上野公園の小松宮彰仁親王像周辺の桜」

ウソかホントかは不詳ではあるが、上野公園の染井吉野(ソメイヨシノ)が、原木との説がある。 ソメイヨシノの原木候補? 桜は一週間くらいで一斉に咲いて一斉に散るイメージがあるが、これは桜の代表格であるソメイヨシノが、親木から … 続きを読む ソメイヨシノの原木候補?「上野公園の小松宮彰仁親王像周辺の桜」

コメントなし

移築再整備された東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の陸軍用地標石(滝野川三丁目公園)

2022年4月に開園した「滝野川三丁目公園」。東京国税局滝野川第二宿舎(公務員第二宿舎)などがあった国有地の土地利用転換等に合わせ北区が用地を取得し、構造物の解体・更地化ののちに公園として再整備。 実は、なにげに、再整備 … 続きを読む 移築再整備された東京第一陸軍造兵廠滝野川工場の陸軍用地標石(滝野川三丁目公園)

コメントなし

再設置された「近衛歩兵第四聯隊跡碑」「近衛歩兵第六聯隊跡碑」(都立明治公園)

1964年(昭和39年)に開園した「都立明治公園」。新しい国立競技場の建設に伴う再整備で閉鎖のうえで再整備されていたが、2023年10月に一部開園し、2024年1月に全面開園を果たした。以前より、公園内にあった「記念碑」 … 続きを読む 再設置された「近衛歩兵第四聯隊跡碑」「近衛歩兵第六聯隊跡碑」(都立明治公園)

コメントなし

「救世観世音菩薩」と「B29墜落搭乗者慰霊碑」(駿府静岡の戦跡散策・その4)

静岡市のシンボル「賎機山(浅間山)」。安倍川に沿って南北に伸びる賤機山(浅間山)の山頂に、戦争に関係する慰霊碑があった。 本編は、「その4」です。 「その1」はこちら。 静岡大空襲 静岡市は昭和19年から終戦までに26回 … 続きを読む 「救世観世音菩薩」と「B29墜落搭乗者慰霊碑」(駿府静岡の戦跡散策・その4)

コメントなし

静岡縣護國神社(駿府静岡の戦跡散策・その3)

静岡県静岡市。東海地区の要所である駿府城を中心とした静岡市内の戦跡散策をしてみました。 本編は、「その3」です。静岡縣護國神社に赴きました。 その1はこちら。 靜岡縣護國神社(静岡縣護國神社・静岡県護国神社) 静岡縣護國 … 続きを読む 静岡縣護國神社(駿府静岡の戦跡散策・その3)

コメントなし

静岡陸軍墓地(駿府静岡の戦跡散策・その2)

静岡県静岡市。東海地区の要所である駿府城を中心とした静岡市内の戦跡散策をしてみました。 本編は、「その2」です。 その1はこちら。 陸軍歩兵第34聯隊墓地(静岡陸軍墓地) 駿府城の北東、演習場からさらに北東に進んだ地に「 … 続きを読む 静岡陸軍墓地(駿府静岡の戦跡散策・その2)

コメントなし

駿府城公園と歩兵第三十四聯隊(駿府静岡の戦跡散策・その1)

静岡県静岡市。東海地区の要所である駿府城を中心とした静岡市内の戦跡散策をしてみました。 本編は、「その1」です。 歩兵第三十四聯隊 帝国陸軍は、日清戦争終結後の明治29年(1896年)に、ロシアとの戦争を念頭に師団の強化 … 続きを読む 駿府城公園と歩兵第三十四聯隊(駿府静岡の戦跡散策・その1)

コメントなし

伊藤整一提督手植えの「父子桜」(杉並区大宮)

一億総特攻の魁となった「戦艦・大和」と、「司令長官・伊藤整一」伊藤整一提督が、杉並の自宅の庭に手植えをしたという桜は、樹齢80年を超え、今も見事な桜を咲かしている。 坊ノ岬海戦 昭和20年4月6日、沖縄へ海上特攻として出 … 続きを読む 伊藤整一提督手植えの「父子桜」(杉並区大宮)

コメントなし

「野重八之碑(野戦重砲兵第八聯隊碑)」と「近衛野砲兵聯隊碑」(三宿駐屯地・陸自衛生学校)

桜の開花タイミングとはずれてしまったけど、世田谷区の三宿駐屯地が一般開放(桜並木の通り抜け)を実施していたので、足を運んでみました。 野重八之碑(野戦重砲兵第八聯隊) 野重八之碑 下野一霍書 野重八とは、野戦重砲兵第8聯 … 続きを読む 「野重八之碑(野戦重砲兵第八聯隊碑)」と「近衛野砲兵聯隊碑」(三宿駐屯地・陸自衛生学校)

コメントなし

「桜咲く宮・靖國神社」~靖國櫻(令和6年)

令和6年(2024年)。終戦から79年を迎える年。今年も靖國神社の桜花を愛でる。毎年恒例。御英霊の皆様と、今年も花見と洒落込もう。「花の都」「桜咲く宮」を楽しもう。 境内に献木された桜たち。一木一木に込められた戦友・ご遺 … 続きを読む 「桜咲く宮・靖國神社」~靖國櫻(令和6年)

コメントなし

陸軍経理学校「若松神社」(現・上鈴木稲荷神社)と「小平駐屯地」

2024年3月24日に、小平駐屯地一般開放(観桜一般開放)がありましたので、足を運んでみました。 陸軍経理学校 陸軍における経理を担当する軍人(経理官)の養成教育、あるいは経理官への上級教育を行っていた陸軍学校。教育に限 … 続きを読む 陸軍経理学校「若松神社」(現・上鈴木稲荷神社)と「小平駐屯地」

コメントなし

用賀駐屯地・陸軍衛生材料廠跡地散策(世田谷)

東京都世田谷区上用賀にあった陸軍の施設。その跡地を散策してみました。なお、2回にわたり散策しているために、撮影日によって晴天だったり曇天だったりしています。 陸軍衛生材料廠(現:陸上自衛隊用賀駐屯地ほか) 近代的な軍隊を … 続きを読む 用賀駐屯地・陸軍衛生材料廠跡地散策(世田谷)

コメントなし

東洋のマタハリ・男装の麗人、満洲国建国に協力した清朝王女「川島芳子」墓と記念室(松本)

信州松本に訪れた際に、川島芳子が松本に縁があったと知り、足を運んでみました。雪が降っていたけれども。。。 川島芳子 川島 芳子(かわしま よしこ)1906年5月24日 – 1948年3月25日清朝の皇族・第1 … 続きを読む 東洋のマタハリ・男装の麗人、満洲国建国に協力した清朝王女「川島芳子」墓と記念室(松本)

コメントなし

「ともちゃん地蔵」満洲難民収容所の悲話を伝承するお地蔵様(六本木)

麻布十番から六本木ヒルズへ抜ける道の途中に、戦争を物語るお地蔵様がいらっしゃいました。 この記事は、六本木の「ともちゃん地蔵」になります。岩槻の「ともちゃん地蔵」は下記にて。 箱根や浜松にもありますが、まだ未訪問です。。 … 続きを読む 「ともちゃん地蔵」満洲難民収容所の悲話を伝承するお地蔵様(六本木)

コメントなし

東京大空襲と下町(墨田区北部・押上・東向島)

東京大空襲と下町。錦糸町駅と亀戸駅周辺の社寺にある慰霊碑を巡ってみる。 慰霊巡拝を。 東京大空襲被災の鉄骨と焦木片(多聞寺) 多聞寺に戦争遺産がいくつかあつめられていた。 東京大空襲で被災した浅草国際劇場の鉄骨 1945 … 続きを読む 東京大空襲と下町(墨田区北部・押上・東向島)

コメントなし

東京大空襲と下町(墨田区江東橋と江東区亀戸周辺)

東京大空襲と下町。錦糸町駅と亀戸駅周辺の社寺にある慰霊碑を巡ってみる。 慰霊巡拝を。 慰霊碑・戦災殉職者慰霊碑(江東寺・江東観世音) 錦糸町駅の南に。当初、木塔碑があったが17回忌の昭和36年に町内会有志により「慰霊碑」 … 続きを読む 東京大空襲と下町(墨田区江東橋と江東区亀戸周辺)

コメントなし

3月10日の慰霊「東京大空襲」あの日から79年(令和6年・東京都慰霊堂と東京大空襲戦災犠牲者追悼碑)

令和6年(2024)3月10日。あの日から79年目。 昭和20年(1945)3月10日、東京大空襲。 東京都慰霊堂にて、慰霊鎮魂の合掌を。今日は、慰霊の日。 東京大空襲 昭和20年(1945)3月10日午前0時過ぎ、爆撃 … 続きを読む 3月10日の慰霊「東京大空襲」あの日から79年(令和6年・東京都慰霊堂と東京大空襲戦災犠牲者追悼碑)

コメントなし

駆逐艦「朝霜」「梅」と重巡洋艦「愛宕」戦没者慰霊碑(三島・妙法華寺)

静岡県三島市の山中に静かに鎮座する玉澤妙法華寺(妙法華寺)。その境内に、軍艦の慰霊碑があるというので、足を運んでみた。 「愛宕」「朝霜」の慰霊碑建立の経緯 昭和19年(1944)10月。捷一号作戦、レイテ沖海戦。第二艦隊 … 続きを読む 駆逐艦「朝霜」「梅」と重巡洋艦「愛宕」戦没者慰霊碑(三島・妙法華寺)

コメントなし

「鐵道院」「浦賀船渠」銘のある「鶴田駅の跨線橋」(明治44年造・JR日光線)

JR日光線の鶴田駅。ここの跨線橋が、「完成当初から同じ場所で現役として使用されている最古の跨線橋」というので足を運んでみた。 (2021年時点)完成当時から同じ場所で使用されていた現役最古の跨線橋だった「半田駅」 かつて … 続きを読む 「鐵道院」「浦賀船渠」銘のある「鶴田駅の跨線橋」(明治44年造・JR日光線)

コメントなし

日本鉄道大宮工場「門柱」と「赤煉瓦倉庫」(さいたま市)

「鉄道のまち・大宮」JR東日本が、公式にサイトを用意しているぐらいに、「鉄道のまち」である。 https://www.jreast.co.jp/omiya/tetsumachi_omiya/ 現在も、「鉄道博物館」や「大 … 続きを読む 日本鉄道大宮工場「門柱」と「赤煉瓦倉庫」(さいたま市)

コメントなし

「日本の航空事始め・その4」徳川好敏が初飛行祈願をした「所澤神明社」(鳥船神社/所沢航空神社)

「日本の航空事始め」としては、第4弾になります。このシリーズは、実は自分でも良くまとめてあるかと思っていますが、今回は「その1」の追記みたいなものです。 2021年6月に本殿の東側から西側に遷座し、新たな装いになっており … 続きを読む 「日本の航空事始め・その4」徳川好敏が初飛行祈願をした「所澤神明社」(鳥船神社/所沢航空神社)

コメントなし

軍艦「三笠」のスクリューの一片と補助舵輪(川口市)

埼玉県川口市に、なぜか「戦艦三笠」に関係するものが残っているというので、足を運んでみた。 そこには、遠目でもわかる状態で、三笠のスクリューが住宅地に忽然と陳列してあった。 三笠 日露戦争の日本海海戦での第日本帝国海軍の連 … 続きを読む 軍艦「三笠」のスクリューの一片と補助舵輪(川口市)

コメントなし

三菱重工「横浜造船所跡」と「三菱みなとみらい技術館」

横浜の「みなとみらい」は、かつては、三菱の横浜造船所であった。往時の物語るものが、「三菱重工横浜ビル・三菱みなとみらい技術館」の片隅にある。 横浜造船所関連 日本丸の第一号船渠と、ドックヤードガーデンの第二号船渠 横浜造 … 続きを読む 三菱重工「横浜造船所跡」と「三菱みなとみらい技術館」

コメントなし

松戸飛行場の掩体壕基礎跡(松飛台)

2023年11月25日(土)。陸上自衛隊 松戸駐屯地で、創立71周年記念行事が行われ、駐屯地一般開放がありましたので、足を運んで見ました。 せっかく松戸駐屯地に来ていたので、そのまま帰るのももったいないということで、さら … 続きを読む 松戸飛行場の掩体壕基礎跡(松飛台)

コメントなし

松戸駐屯地 創立71周年記念行事・その3(訓練展示)

2023年11月25日(土)。陸上自衛隊 松戸駐屯地で、創立71周年記念行事が行われ、駐屯地一般開放がありましたので、足を運んで見ました。本編は、その3として「訓練展示」を。 その1は、下記より 記念式典 記念式典。駐屯 … 続きを読む 松戸駐屯地 創立71周年記念行事・その3(訓練展示)

コメントなし

松戸駐屯地 創立71周年記念行事・その2(記念碑群と広報展示室)

2023年11月25日(土)。陸上自衛隊 松戸駐屯地で、創立71周年記念行事が行われ、駐屯地一般開放がありましたので、足を運んで見ました。 本編は、その2として「記念碑と展示室」の散策を。 その1は、下記にて。 松戸駐屯 … 続きを読む 松戸駐屯地 創立71周年記念行事・その2(記念碑群と広報展示室)

コメントなし

松戸駐屯地 創立71周年記念行事・その1(松戸飛行場の戦跡散策)

2023年11月25日(土)。陸上自衛隊 松戸駐屯地で、創立71周年記念行事が行われ、駐屯地一般開放がありましたので、足を運んで見ました。本編は、その1として「松戸飛行場跡」の散策を。 逓信省航空局・松戸飛行場(松戸高等 … 続きを読む 松戸駐屯地 創立71周年記念行事・その1(松戸飛行場の戦跡散策)

コメントなし

「弾除け観音」として崇敬された「おたすけ観音・報恩寺」(綾瀬市)

神奈川県綾瀬市。海軍厚木飛行場のほど近く。戦時中に「弾除け観音」として崇敬された観音様の寺院があった。 「先祖の記録」の伝承の一助として。戦争に関連のあったエピソードもまた、戦跡として、本サイトでは取り上げていきます。 … 続きを読む 「弾除け観音」として崇敬された「おたすけ観音・報恩寺」(綾瀬市)

コメントなし

「弾除け霊験」で信仰された「サムハラ神社」(大阪市西区)

「先祖の記録」の伝承の一助として。戦争に関連のあったエピソードもまた、戦跡として、本サイトでは取り上げていきます。 2016年9月参拝。いまから8年前。この当時の私は、全国の有名神社を散策していたころでした。逆に言うと、 … 続きを読む 「弾除け霊験」で信仰された「サムハラ神社」(大阪市西区)

コメントなし

岐阜護國神社

岐阜県岐阜市の稲葉山の麓にある岐阜護國神社。立ち寄る機会がありましたので、参拝してきました。 御英霊に感謝を。 岐阜護國神社 岐阜城の築かれた金華山の北麓に鎮座する。戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでの、岐阜・中濃・東 … 続きを読む 岐阜護國神社

コメントなし

靖國神社の雪景色(令和6年)

令和6年(2024年)2月6日撮影。前日に降り続いた雪。都内の雪景色をせっかくなので、靖國神社で愛でてきました。 まずは、参拝。 御英霊に感謝を。 午前7時前。すでに参道は雪が除去されており、不自由なく参拝ができる状態に … 続きを読む 靖國神社の雪景色(令和6年)

2 comments

久里浜駐屯地 創立73周年記念行事・その2(海軍通信学校の戦跡散策)

2023年11月19日。神奈川県 横須賀市にある陸上自衛隊 久里浜駐屯地で「久里浜駐屯地 創立73周年記念行事」が開催されました。今は、陸上自衛隊通信学校。そして、かつては、海軍通信学校のあった久里浜。駐屯地内が開放され … 続きを読む 久里浜駐屯地 創立73周年記念行事・その2(海軍通信学校の戦跡散策)

コメントなし

久里浜駐屯地 創立73周年記念行事・その1(訓練展示他)

2023年11月19日。神奈川県 横須賀市にある陸上自衛隊 久里浜駐屯地で「久里浜駐屯地 創立73周年記念行事」が開催されました。今は、陸上自衛隊通信学校。そして、かつては、海軍通信学校のあった久里浜。駐屯地内が開放され … 続きを読む 久里浜駐屯地 創立73周年記念行事・その1(訓練展示他)

コメントなし

駅弁文化は日本と台湾だけ!「台鉄友好協定締結記念ひっぱりだこ飯・臺鐵便當(海味便當)」

神戸の駅弁「ひっぱりだこ飯」。人気の淡路屋の駅弁。入手する機会がありましたので、せっかくなので掲載。 臺鐵便當(台鉄弁当) 台鉄弁当(繁体字中国語: 臺鐵便當)とは台湾鉄路管理局(台鉄)が駅および列車内で販売している駅弁 … 続きを読む 駅弁文化は日本と台湾だけ!「台鉄友好協定締結記念ひっぱりだこ飯・臺鐵便當(海味便當)」

コメントなし

第1空挺団「降下訓練始め」(陸自習志野演習場・2024)

令和6年1月7日、陸自第1空挺団による新春恒例の「降下訓練始め」が実施されましたので、足を運んでみました。 自衛隊で唯一の落下傘部隊である第1空挺団。不法占拠された離島を、敵国から奪還するとの想定で、約1時間の訓練展示が … 続きを読む 第1空挺団「降下訓練始め」(陸自習志野演習場・2024)

2 comments

百里基地航空祭2023・その2

2023年12月17日、茨城県の百里基地航空祭に行ってきましたので、その模様を。 本編は、「その2」となります。歴史的なことは「その1」で。 高機動でフライトをする戦闘機を撮影したのは、ぶっちゃけて初めてレベル。 機材P … 続きを読む 百里基地航空祭2023・その2

コメントなし

百里基地航空祭2023・その1(百里原海軍航空隊の戦跡散策)

2023年12月17日、茨城県の百里基地航空祭に行ってきましたので、その模様を。 本編は歴史的なところを触れる「その1」となります。航空祭そのものは「その2」で。 関連 百里原海軍航空隊 百里原海軍航空隊(ひゃくりはら) … 続きを読む 百里基地航空祭2023・その1(百里原海軍航空隊の戦跡散策)

2 comments

秩父宮御殿場御別邸の防空壕跡(秩父宮記念公園)

静岡県御殿場市。秩父宮記念公園に、秩父宮家に関係する防空壕が残っているというので足を運んで見ました。 秩父宮雍仁親王 秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)1902年〈明治35年〉6月25日 – 1 … 続きを読む 秩父宮御殿場御別邸の防空壕跡(秩父宮記念公園)

コメントなし

玉音放送を発信した耐弾式送信所「足柄送信所跡」御殿場線の廃トンネル(山北町)

御殿場を散策した帰り道。御殿場線経由で、東京に戻る途中に夕刻に、時間が調整できたので、「谷峨駅」で下車。かねてより気になっていた廃トンネルに赴いてみました。 御殿場線 明治22年(1889年)に東京‐大阪を結ぶ鉄道(のち … 続きを読む 玉音放送を発信した耐弾式送信所「足柄送信所跡」御殿場線の廃トンネル(山北町)

コメントなし

「予科練生の指定食堂」と「海軍住宅跡」(土浦)

土浦駅周辺を散策してみました。流れとしては、下記の補足みたいな感じ。 霞ヶ浦海軍航空隊・土浦海軍航空隊 大正11(1922)年に阿見村に開隊した「霞ヶ浦海軍航空隊」によって、土浦駅周辺には飲食店や海軍将校の住宅や繁華街な … 続きを読む 「予科練生の指定食堂」と「海軍住宅跡」(土浦)

コメントなし

「観武ケ原」盛岡市青山地区の戦跡散策

盛岡市北西部の青山地区。往時は騎兵第三旅団や工兵第八連隊の駐屯地として発展した地域。陸軍時代の面影を辿りつつ散策をしてみました。 観武ケ原(みたけがはら) 観武ヶ原(みたけがはら)は、現在の岩手県盛岡市の青山・みたけ・月 … 続きを読む 「観武ケ原」盛岡市青山地区の戦跡散策

コメントなし

盛岡陸軍墓地にあった忠霊塔(久昌寺・移設)

盛岡にあった陸軍墓地関連の散策。 盛岡陸軍墓地にあった忠霊塔(久昌寺) 久昌寺の記載によると以下の説明がある。 放光塔(忠霊塔)元陸軍墓地にあった忠霊塔を二十二世義雄和尚が、戦争殉難者供養のためにこの地に移設したものと伝 … 続きを読む 盛岡陸軍墓地にあった忠霊塔(久昌寺・移設)

コメントなし

岩手護國神社

岩手県盛岡市。盛岡八幡宮と並んで、岩手護國神社が鎮座している。立ち寄る機会がありましたので、参拝してきました。 御英霊に感謝を。 岩手護國神社 岩手県ゆかりの殉国の御英霊を祀る。約3万5800余柱。岩手縣護國神社ではなく … 続きを読む 岩手護國神社

コメントなし

「昭和の聖将」今村均の墓と輪王寺散策(仙台の戦跡散策・その6)

名将・今村均大将の墓がある輪王寺に足を運びました。本編は、「その6」です。 仙台市の輪王寺。仙台藩伊達家にゆかりの深い寺院。 境内案内図もわかりやすいですね。墓地を彷徨わなくて済むので助かります。境内裏手の墓地には、足を … 続きを読む 「昭和の聖将」今村均の墓と輪王寺散策(仙台の戦跡散策・その6)

コメントなし

仙台陸軍墓地・常盤台霊苑(仙台の戦跡散策・その5)

仙台陸軍墓地のあった場所を巡ってみました。本編は、「その5」です。 仙台陸軍墓地(常盤台霊苑) 歩兵第四聯隊が駐留した仙台。往時の陸軍墓地は、「特話題霊苑」として宮城県によって管理されている。宮城県が、昭和28年に国から … 続きを読む 仙台陸軍墓地・常盤台霊苑(仙台の戦跡散策・その5)

コメントなし

宮城野の戦跡散策(仙台の戦跡散策・その4)

榴岡公園周辺の宮城野地区の戦跡を巡ってみました。本編は、「その4」です。 仙台陸軍地方幼年学校阯 仙台市立宮城野中学校の敷地内にいくつかの記念碑が建立されている。敷地外から見学。 仙台陸軍地方幼年学校阯 第一期生 多田駿 … 続きを読む 宮城野の戦跡散策(仙台の戦跡散策・その4)

コメントなし

榴岡公園の戦跡散策(仙台の戦跡散策その3)

仙台市内の榴岡公園の戦跡を散策してみました。本編は、「その3」です。 榴岡公園 宮城県仙台市宮城野区。江戸時代からの桜の名所。戦前は、歩兵第四聯隊が営所をおいた。仙台市歴史民俗資料館は、旧陸軍歩兵第四聯隊兵舎。 歩兵第四 … 続きを読む 榴岡公園の戦跡散策(仙台の戦跡散策その3)

コメントなし

仙台城址周辺の戦跡散策(仙台の戦跡散策その2)

仙台城周辺の戦跡を巡ってみました。本編は、「その2」です。 野砲兵第二聯隊之跡(第二師団野砲兵第二聯隊) 仙台城の北にある国際センター駅のさらに北側。宮城県美術館の東側道路の植え込みの陰に、ひっそりと跡地の石碑があった。 … 続きを読む 仙台城址周辺の戦跡散策(仙台の戦跡散策その2)

コメントなし

宮城縣護國神社(仙台の戦跡散策その1)

宮城県仙台市。仙台を代表する観光地でもある青葉城址(仙台城址)に宮城縣護國神社が鎮座している。そのため、青葉城址の観光客も自然の流れで参拝するために、非常に賑わっている護國神社。立ち寄る機会がありましたので、参拝してきま … 続きを読む 宮城縣護國神社(仙台の戦跡散策その1)

コメントなし

福島縣護國神社

福島県福島市。信夫山のふもとに福島縣護國神社が鎮座している。立ち寄る機会がありましたので、参拝してきました。 御英霊に感謝を。 福島縣護國神社 福島県下の英霊6万9千余柱を祀る。 福島縣護國神社御祭神 御英霊御神徳 平和 … 続きを読む 福島縣護國神社

コメントなし

中島飛行機信夫山地下工場跡(福島)

福島県の信夫山。標高275メートル。福島市のシンボルとしてそそり立つ信夫山は、古くから山岳信仰の場でもあり、今も福島県護国神社や出羽三山の分社、黒沼神社や岩谷観音を始めとした多くの寺社がある。 戦前、この信夫山に中島飛行 … 続きを読む 中島飛行機信夫山地下工場跡(福島)

コメントなし

陸軍通信隊に接収された「浴風会本館」(杉並区)

東京都杉並区高井戸にある社会福祉法人「浴風会」。歴史的建造物にして、陸軍に接収された歴史を有するというので、足を運んでみた。 浴風会 社会福祉法人。高齢者医療の浴風会病院や老人ホームなどを運営。 大正12年(1923年) … 続きを読む 陸軍通信隊に接収された「浴風会本館」(杉並区)

コメントなし

東郷の私設副官と称せられた海軍中将「小笠原長生の墓」(世田谷・府中・伊豆長岡)

小笠原長生は、東郷平八郎に傾倒し「東郷の私設副官」「東郷さんの番頭」「お太鼓の小笠原」などと呼称されるほどに東郷平八郎の顕彰活動・聖将化に多大な影響があった人物。 そんな小笠原長生の墓巡り。 なお、唐津の近松寺は未訪問 … 続きを読む 東郷の私設副官と称せられた海軍中将「小笠原長生の墓」(世田谷・府中・伊豆長岡)

コメントなし

長岡空襲の慰霊巡拝と長岡史跡散策

新潟県長岡市。長岡は、2度の戦災で焼失をしている。戊辰戦争と太平洋戦争。そして、太平洋戦争では、新潟県下で最大の被害をだしている。長岡空襲の鎮魂巡礼をさせていただきました。(ただし、時間の関係があり、すべての慰霊碑を網羅 … 続きを読む 長岡空襲の慰霊巡拝と長岡史跡散策

コメントなし

「聯合艦隊司令長官・山本五十六」由縁の地を巡る(長岡)

長岡に赴く機会があった。長岡といえば、山本五十六。せっかくなので、山本五十六元帥ゆかりの地を巡ってみる。 山本五十六 新潟県長岡出身。旧姓は高野(たかの)。海兵32期、海大甲種14期。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍 … 続きを読む 「聯合艦隊司令長官・山本五十六」由縁の地を巡る(長岡)

コメントなし

靖國神社の新春初詣(令和6年)

あけましておめでとうございます。靖國神社、正月朔日の初詣。 境内の様子などを、徒然に。 清々しい青空 正月朔日の午後。 神門 玉串料改定のお知らせ あら、こんなところにも値上げの余波が。 新春初詣の正式参拝を。 御本殿に … 続きを読む 靖國神社の新春初詣(令和6年)

コメントなし

「最後の海軍大臣・米内光政」所縁の地を辿る(盛岡・横須賀・東京)

米内光政 1880(明治13)年3月2日~1948(昭和23)年4月20日海兵29期、海大12期、海軍大将、連合艦隊司令長官(23代)、海軍大臣(19代、24代)、内閣総理大臣(37代)を歴任。 支那事変当時の第一次近衛 … 続きを読む 「最後の海軍大臣・米内光政」所縁の地を辿る(盛岡・横須賀・東京)

コメントなし

明治天皇銀婚式記念「可美真手命像」(浜離宮恩賜庭園)

可美真手命(うましまでのみこと) 可美真手命(日本書紀)、宇摩志麻遅命(古事記)邇芸速日命(天津神)が那賀須泥毘古(大和地方の豪族)の妹である登美夜毘売を娶って生んだ子が、可美真手命。神武天皇の東征に際して、那賀須泥毘古 … 続きを読む 明治天皇銀婚式記念「可美真手命像」(浜離宮恩賜庭園)

コメントなし

武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事・その2(74式戦車&203mm自走榴弾砲引退セレモニー) 

2023年11月12日。武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事が開催されましたので、足を運んでみました。 本記事は、その2となります。その1は下記より。 74式戦車引退セレモニー 今年度(令和5年度)で引退する74式戦 … 続きを読む 武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事・その2(74式戦車&203mm自走榴弾砲引退セレモニー) 

コメントなし

武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事・その1(記念式典と装備アトラクション)

2023年11月12日。武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事が開催されましたので、足を運んでみました。 本記事は、その1です。 土浦駐屯地関連 以前の記事を参照で 武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事 この日は、 … 続きを読む 武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事・その1(記念式典と装備アトラクション)

コメントなし

土浦海軍航空隊と霞ヶ浦海軍航空隊の慰霊巡拝(土浦・阿見)

阿見と土浦で、霞ヶ浦海軍航空隊と土浦海軍航空隊関連の慰霊碑を巡拝しました。以下、徒然に。 阿見空襲(阿見大空襲) 昭和20年6月10日。当時予科練生の訓練が行われていた土浦海軍航空隊とその周辺地区が、米軍のB29爆撃機に … 続きを読む 土浦海軍航空隊と霞ヶ浦海軍航空隊の慰霊巡拝(土浦・阿見)

コメントなし

「立川駐屯地創立50周年記念行事(航空祭)」その2(飛行展示)

2023年10月29日、一般公開にあわせて、ひさしぶりに立川駐屯地に足を運びました。 こちらでは飛行展示の模様などを掲載。 歴史っぽいことは、「その1」で。 UH-2 立川駐屯地での「UH-2」は初お披露目。2022年に … 続きを読む 「立川駐屯地創立50周年記念行事(航空祭)」その2(飛行展示)

コメントなし

「立川駐屯地創立50周年記念行事(航空祭)」その1(立川駐屯地史料館と歴史散策)

2023年10月29日、一般公開にあわせて、ひさしぶりに立川駐屯地に足を運びました。以下では、前回の補完もあわせて、記事を再編していきます。 飛行展示は、「その2」で。 以下は以前の記事「立川駐屯地」 「立川飛行場」 「 … 続きを読む 「立川駐屯地創立50周年記念行事(航空祭)」その1(立川駐屯地史料館と歴史散策)

コメントなし

救難飛行艇「US-2」新明和工業オリジナルグッズ

運良く仕事で防衛省に赴くことがありました。(私の仕事は防衛産業の会社ではないので、普通は無縁なのですが、本当に運がよく関わることが出来た感じです) 防衛省(市ヶ谷基地)内にある厚生棟内の売店を何気なく見ていたら、思わず釘 … 続きを読む 救難飛行艇「US-2」新明和工業オリジナルグッズ

コメントなし

航空自衛隊 浜松基地 監修「空上げ缶詰」

浜松駅のおみやげコーナーで見つけました。 2020年に発売されていたんですね。知りませんでした。目に止まった瞬間に、購入しました。。。 空自 空上げ缶詰 焼き鳥缶詰でおなじみのホテイフーズと、航空自衛隊浜松基地のコラボ。 … 続きを読む 航空自衛隊 浜松基地 監修「空上げ缶詰」

コメントなし

浜松三方原の陸軍戦跡散策・その2【浜松6】

本記事は、以前の「三方原の陸軍戦跡散策」で、未訪問の箇所を補填した記録となります。 浜松三方原の陸軍戦跡散策【浜松3】の続きとして。 本記事のメインは、前回の訪問時に、移転先がわからなかった「四勇士碑」石碑の確認でした。 … 続きを読む 浜松三方原の陸軍戦跡散策・その2【浜松6】

コメントなし

木更津駐屯地 創立55周年記念行事「第49回木更津航空祭」その3(飛行展示)

2023年10月1日(日)に開催された木更津駐屯地の記念行事「第49回木更津航空祭」。普段は立ち入りができない駐屯地内を散策してみました。 海軍戦跡散策などは、「その1」にて。 陸上自衛隊V-22オスプレイ 木更津駐屯地 … 続きを読む 木更津駐屯地 創立55周年記念行事「第49回木更津航空祭」その3(飛行展示)

コメントなし

木更津駐屯地 創立55周年記念行事「第49回木更津航空祭」その2(木更津の海軍戦跡散策2)

2023年10月1日(日)に開催された木更津駐屯地の記念行事「第49回木更津航空祭」。普段は立ち入りができない駐屯地内を散策してみました。 木更津駐屯地内の記事は「その1」で。 飛行展示などは、「その3」にて。 ここでは … 続きを読む 木更津駐屯地 創立55周年記念行事「第49回木更津航空祭」その2(木更津の海軍戦跡散策2)

コメントなし

木更津駐屯地 創立55周年記念行事「第49回木更津航空祭」その1(木更津の海軍戦跡散策1)

2023年10月1日(日)に開催された木更津駐屯地の記念行事「第49回木更津航空祭」。普段は立ち入りができない駐屯地内を散策してみました。 飛行展示などは、「その3」にて。 木更津海軍航空隊(木空)・海軍木更津飛行場 昭 … 続きを読む 木更津駐屯地 創立55周年記念行事「第49回木更津航空祭」その1(木更津の海軍戦跡散策1)

コメントなし

海自 下総航空基地開設64周年記念行事・その2

藤ヶ谷陸軍飛行場跡に、現在は海上自衛隊下総航空基地が展開している。2023年10月21日に、記念行事で一般開放があったので、足を運んでみた。 本記事は、「その2」となります。「その1」は下記より。 救難飛行艇「US-2」 … 続きを読む 海自 下総航空基地開設64周年記念行事・その2

コメントなし

海自 下総航空基地開設64周年記念行事・その1

藤ヶ谷陸軍飛行場跡に、現在は海上自衛隊下総航空基地が展開している。2023年10月21日に、記念行事で一般開放があったので、足を運んでみた。 本記事は、その1となります。その2は下記にて。 写真は、T-5展示飛行(やっぱ … 続きを読む 海自 下総航空基地開設64周年記念行事・その1

2 comments

横浜海上保安部・巡視船「PLH03 さがみ」一般公開(2023年11月)

横浜ハンマーヘッド開業4周年として、横浜ハンマーヘッド9号岸壁で、横浜海上保安部 巡視船「さがみ」の一般公開が実施されましたので、2023年11月3日に行ってみました。 青と白が美しい空間。以下、写真中心で。 PLH03 … 続きを読む 横浜海上保安部・巡視船「PLH03 さがみ」一般公開(2023年11月)

コメントなし

日本で現存する最古の跳上橋「名古屋港跳上橋」

名古屋港に跳ね上げ橋が残っている。ちょっと見学に行ってみました。 名古屋港跳上橋(旧1・2号地間運河可動橋) 昭和2年(1927年)に架設された名古屋港跳上橋。堀川と中川とを連絡する運河の堀川口に架けられた鉄道可動橋。設 … 続きを読む 日本で現存する最古の跳上橋「名古屋港跳上橋」

コメントなし

「戦前最初で最後の国際的博覧会」名古屋汎太平洋平和博覧会と平和橋

愛知県名古屋市港区にある陸橋。地図を見ていてなんとなく目にとまったところから調べてみたら、興味深い歴史を有していたので足を運んでみました。 名古屋汎太平洋平和博覧会と平和橋 名古屋市が人口100万人を突破し、名古屋開港3 … 続きを読む 「戦前最初で最後の国際的博覧会」名古屋汎太平洋平和博覧会と平和橋

コメントなし

名古屋陸軍墓地(万国戦没者墓地)

名古屋市の平和公園。戦後、名古屋陸軍墓地は、平和公園墓地に改葬をされた。名古屋においては、戦後の復興区画整理に際して、陸軍墓地のみではなく、市街地の寺院墓地も総じて新設された平和公園墓地に集約改葬を余儀なくされた。 平和 … 続きを読む 名古屋陸軍墓地(万国戦没者墓地)

コメントなし

「熱田大空襲の慰霊巡拝」愛知時計電機・愛知航空機(名古屋)

昭和20年6月9日、名古屋の熱田に集中的に空襲があった。 名古屋大空襲のひとつに数えられる「熱田空襲」。そのターゲットは愛知時計電機と愛知航空機であった。 熱田空襲 昭和20年6月9日、名古屋市熱田区の愛知時計電機船方工 … 続きを読む 「熱田大空襲の慰霊巡拝」愛知時計電機・愛知航空機(名古屋)

コメントなし

日本初のジェットエンジン「ネ20」(特殊攻撃機「橘花」)

2023年10月に開催された横須賀田浦の海上自衛隊第二術科学校オープンスクール。企業展示コーナーが解説されており、なんと株式会社IHIのブースで「ネ20」が展示されておりました。 ネ20 日本で始めて実用段階に到達したタ … 続きを読む 日本初のジェットエンジン「ネ20」(特殊攻撃機「橘花」)

コメントなし

靖國招魂碑(高遠城址公園)と伊那散策

長野県伊那市に行く機会があった。伊那市の戦跡として著名なのは、別記事に掲載した「陸軍伊那飛行場跡」となるが、それ以外の近代史に関連した史跡などを散策してみた。 伊那市街地の看板建築群 上伊那地区の中心となる伊那の駅。19 … 続きを読む 靖國招魂碑(高遠城址公園)と伊那散策

コメントなし

陸軍伊那飛行場の跡地散策(熊谷陸軍飛行学校伊那分教所跡)

長野県伊那市。のどかな信州の山間にも、戦前は陸軍の飛行場が設けられていた。往時を物語るものが残されているので足を運んでみた。 旧陸軍 伊那飛行場について 第二格納庫跡に、伊那市によって詳細な案内板がセットされているので、 … 続きを読む 陸軍伊那飛行場の跡地散策(熊谷陸軍飛行学校伊那分教所跡)

コメントなし

市ヶ谷台メモリアルゾーン(防衛省)

市ヶ谷の防衛省。敷地内に、歴史的なメモリアルゾーンがある。 その様子は、以前にレポートしましたが、細部は見学コースに含まれておらず、で、 また、大本営地下壕が見学コースに含まれて以降は、時間の都合と思われるが、「メモリア … 続きを読む 市ヶ谷台メモリアルゾーン(防衛省)

コメントなし

ドン山の大砲(新潟)

新潟県新潟市中央区。日本海沿いに広がる新潟市内最大規模の海浜公園「西海岸公園」。その公園に「ドン山」と呼ばれる小高い一角がある。「ドン山」の名前の由来は、全国各地で作られた午砲台(正午の時報代わりに、空砲を打っていた場所 … 続きを読む ドン山の大砲(新潟)

コメントなし

明治時代の面影を残す「日光駅」(大正元年/1912年竣工)

日本有数の観光地である日光の玄関口。鉄道黎明期のころから、日光に対する観光需要は高く、明治23年(1890)に、日光駅は早くも開業している。 JR日光駅 1912年(大正元年)8月25日に、現在の2代目駅舎が落成。(起工 … 続きを読む 明治時代の面影を残す「日光駅」(大正元年/1912年竣工)

コメントなし

日光田母沢御用邸の防空壕跡

日光で、何するというわけでもないけど、時間があったので、せっかくなので御用邸に赴いてみた。 日光田母沢御用邸 https://www.park-tochigi.com/tamozawa/ 元は皇太子時代の大正天皇の静養所 … 続きを読む 日光田母沢御用邸の防空壕跡

コメントなし

烏山防空監視哨

那須烏山市。烏山城に連なる南の筑紫山の山頂に、防空監視の戦跡があったので足を運んでみました。 烏山防空監視哨 筑紫山の山頂に、コンクリートの円筒がある。 筑紫山についての看板。 烏山防空監視哨の案内は、山の麓にある。(山 … 続きを読む 烏山防空監視哨

コメントなし

地下工場跡を再利用した「どうくつ酒蔵」(東京動力機械製造地下工場跡・島崎酒造どうくつ酒蔵・烏山)

栃木県那須烏山市。ここに、地下工場(地下壕)を再利用した酒蔵があるというので、足を運んでみた。 東京動力機械製造地下工場 第2次世界大戦末期に戦車を製造するために建造された地下工場跡。昭和19年11月に民間企業であった東 … 続きを読む 地下工場跡を再利用した「どうくつ酒蔵」(東京動力機械製造地下工場跡・島崎酒造どうくつ酒蔵・烏山)

コメントなし

零式艦上戦闘機と九六式陸上攻撃機のプロペラを祀る「零戦堂」(日光今市)

JR今市駅のちかくに、プロペラを祀るお堂があるという。けっこう気になっていたので、行ってみることにした。 零戦堂 なんでも日光名産の「けっこう漬」の創始者は、かつて日本海軍に所属していたらしく、戦後にお店の敷地内にお堂を … 続きを読む 零式艦上戦闘機と九六式陸上攻撃機のプロペラを祀る「零戦堂」(日光今市)

コメントなし

大型探照灯用反射鏡(ニコンミュージアム)

品川のニコンミュージアムに、大型探照灯用の反射鏡があるというので、見学してみました。 なお、ニコンミュージアムは、2024年に予定されているニコン新本社ビル(東京都品川区西大井)への移転に伴い、2024年3月1日(金)か … 続きを読む 大型探照灯用反射鏡(ニコンミュージアム)

コメントなし

名古屋大空襲と大曽根(ナゴヤドーム・大曽根駅・片山八幡宮)

名古屋の大曽根駅周辺を散策してみました。 名古屋大空襲 1938年7月1日に三菱名古屋航空機製作所(大江)からエンジン製造部門を分離独立したのが三菱重工業名古屋発動機製作所(大幸)。 https://www.mhi.co … 続きを読む 名古屋大空襲と大曽根(ナゴヤドーム・大曽根駅・片山八幡宮)

コメントなし

ポツダム宣言受諾を発信した隠蔽送信所「多摩送信所」跡地散策

町田市相原にある法政大学の多摩キャンパス。遺構が残っているというので足を運んでみた。 多摩送信所 第二次世界大戦末期、軍部は本土空襲に備えて海外放送、電信通信・連絡を確保する必要から、2カ所の通信施設の設置場所を選定し、 … 続きを読む ポツダム宣言受諾を発信した隠蔽送信所「多摩送信所」跡地散策

コメントなし

花巻の戦跡散策

岩手県花巻市。宮沢賢治の生誕の地、イーハトーブとして有名な街。どこか牧歌的なイメージを抱く花巻にも戦跡が残っているので、足を運んでみました。 花巻防空監視哨聴音壕跡 花巻には、珍しい円筒形の壕の形で「防空監視哨聴音壕」が … 続きを読む 花巻の戦跡散策

コメントなし

「三島陸軍墓地」三島の戦跡散策・その2

静岡県三島市。町おこしで軍隊の誘致を実施し、陸軍の街となった「軍都・三島」。現在も、往時を物語るものが残っていると聞き、散策してみました。 本編は「その2」となります。「その1」はこちらから。 三島陸軍墓地 かつて川原ケ … 続きを読む 「三島陸軍墓地」三島の戦跡散策・その2

コメントなし

「三島野戦重砲兵聯隊」三島の戦跡散策・その1

静岡県三島市。町おこしで軍隊の誘致を実施し、陸軍の街となった「軍都・三島」。現在も、往時を物語るものが残っていると聞き、散策してみました。 本編は「その1」となります。「その2」はこちらから。 位置関係 国土地理院航空写 … 続きを読む 「三島野戦重砲兵聯隊」三島の戦跡散策・その1

コメントなし

「桜花」発射の行川基地跡(いすみ)

千葉県いすみ市。いすみ鉄道「上総中川駅」の北側の山中に、桜花の発射基地があった。 桜花 「桜花」この美しき言霊は、時に残酷な言霊でもあり。 靖國神社一一型レプリカ 神ノ池・桜花公園一一型レプリカ 神栖中央公園一一型レプリ … 続きを読む 「桜花」発射の行川基地跡(いすみ)

コメントなし

姫路城周辺の戦跡散策

姫路に行く機会があったので、隙間の時間で夕方に駆け足気味に姫路城の周辺を散策してみた。きちんと、散策できてないけど、まずはざっくりでも、何もしないよりかはマシかな、という感じで、巡ってみました。 姫路城 実は、初めて見ま … 続きを読む 姫路城周辺の戦跡散策

コメントなし

兵庫縣姫路護國神社

「兵庫縣姫路護國神社」に立ち寄る機会がありましたので、参拝してきました。 御英霊に感謝を。 ちなみに兵庫県は、護國神社が2社あります。神戸と姫路。内務大臣指定護国神社として。 兵庫縣神戸護國神社:兵庫県東部地区出身の戦没 … 続きを読む 兵庫縣姫路護國神社

コメントなし

滋賀縣護國神社

「滋賀縣護國神社」に立ち寄る機会がありましたので、参拝してきました。 御英霊に感謝を。 滋賀縣護國神社 明治戊辰の役以来、西南の役、日清戦争、日露戦争から大東亜戦争に至る幾多の戦役、国事・国難に殉じられた滋賀県出身の英霊 … 続きを読む 滋賀縣護國神社

コメントなし

78年目の8月15日-靖國神社

靖國神社 終戦から78年目の8月15日、終戦の日の靖國神社。今年は、台風が関西方面に直撃し、東日本も天候がどうなるか読めない中での8月15日でした。結果として、日中は雨に振られることもなく、いつもどおりに暑い夏でした。 … 続きを読む 78年目の8月15日-靖國神社

コメントなし

河口湖自動車博物館・飛行舘(2023年8月版)

昨年に続けて、2023年8月も「河口湖自動車博物館・飛行舘」でに行ってきました。昨年の記事は以下にて。 正式名称は「河口湖自動車博物館・飛行舘」となりますが、「飛行館」の表記揺れがあります。 2024年の模様は下記にて。 … 続きを読む 河口湖自動車博物館・飛行舘(2023年8月版)

コメントなし

「高ノ島と沖ノ島」館山の海軍戦跡散策・その6

館山散策の続き。本記事は「その6」です。「その5」はこちらにて。 鷹之島弁天閣(館山海軍航空隊航空神社跡) 境内には、館山海軍航空隊のマークが取り付けられた手水盤がある。もともとは、館山海軍航空隊の鎮護のために建立された … 続きを読む 「高ノ島と沖ノ島」館山の海軍戦跡散策・その6

コメントなし

「退避壕と香掩体壕」館山の海軍戦跡散策・その5

館山散策の続き。本記事は「その5」です。 「その4」はこちらにて。 蟹田川 洲ノ埼海軍航空隊と館山海軍航空隊が隣接するエリア。蟹田川を境としている。今も、蟹田川を挟んで、北側が「館山航空基地」。管制塔が目印。 用水路 位 … 続きを読む 「退避壕と香掩体壕」館山の海軍戦跡散策・その5

コメントなし

「洲ノ埼海軍航空隊と射撃場跡」館山の海軍戦跡散策・その4

館山散策の続き。本記事は「その4」です。「その3」はこちらにて。 洲ノ埼海軍航空隊(洲ノ空) 館山海軍航空隊の隣には、「洲ノ埼海軍航空隊」(洲ノ空)が昭和18年6月1日に開隊。それまで「横空」で行われていた射爆兵器の整備 … 続きを読む 「洲ノ埼海軍航空隊と射撃場跡」館山の海軍戦跡散策・その4

コメントなし

「赤山地下壕と宮城掩体壕」館山の海軍戦跡散策・その3

先日、「海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2023」で館山を訪れ、改めて館山の戦跡を散策したくなった私は、翌週にも館山を訪れ、いくつか気になっているところを散策してみました。 しかし、館山はいろいろありすぎる。見 … 続きを読む 「赤山地下壕と宮城掩体壕」館山の海軍戦跡散策・その3

コメントなし

「たてやま海まちフェスタ2023」船内見学会(館山)

2023年7月23日、たてやま海まちフェスタ2023が、海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2023と連動して開催されておりましたので、あわせて船内見学などを。 海自と海保と国交省の船。 水中処分母船YDT-03( … 続きを読む 「たてやま海まちフェスタ2023」船内見学会(館山)

コメントなし

「海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2023」館山の海軍戦跡散策・その2

海上自衛隊 館山航空基地。2023年7月23日に、館山航空基地開隊70周年(Since1953)として「ヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA 2023」イベントが開催された。 せっかくなので、館山に行ってみ … 続きを読む 「海自館山航空基地ヘリコプターフェスティバル2023」館山の海軍戦跡散策・その2

コメントなし

日露戦勝記念の「砲弾狛犬」(館山・長須賀の熊野神社)

以前、横浜と川崎の砲弾狛犬を特集した。その続き。 日露戦勝記念の「砲弾狛犬」(横浜・川崎) 先日、館山に赴いた際に、宿題となっていた館山の砲弾狛犬にも会ってきたので、写真を掲載。 長須賀の熊野神社「砲弾狛犬」(館山市) … 続きを読む 日露戦勝記念の「砲弾狛犬」(館山・長須賀の熊野神社)

コメントなし

【解体】下志津陸軍飛行学校の移築格納庫(旧千葉公園体育館)

「千葉公園体育館」は、1946年から始まった千葉市の戦災復興都市計画事業の一環として計画された千葉公園整備計画の中に組み込まれて建設が決定。1956年に県営の体育館として竣工し、72年、千葉市に移管された。2023年に新 … 続きを読む 【解体】下志津陸軍飛行学校の移築格納庫(旧千葉公園体育館)

コメントなし

横浜大空襲の慰霊巡拝

昭和20年(1945年)5月29日。横浜大空襲。今回は、横浜の空襲にまつわる慰霊碑などをいくつか散策してみようと思う。 合掌 横浜大空襲 昭和17年4月18日、ドーリットル空襲において横浜・川崎地区でも初空襲を受けて以来 … 続きを読む 横浜大空襲の慰霊巡拝

コメントなし

「野毛山公園のラジオ塔」野毛山の近代史跡散策(横浜)

きがつけば、なんとなく「ラジオ塔」の散策も4箇所目。野毛山公園のラジオ塔を見に行ってみました。 野毛山公園のラジオ塔 戦前の日本。まだまだ一般家庭にラジオが普及していなかった時代。ラジオ普及を目的として、公共空間に設置さ … 続きを読む 「野毛山公園のラジオ塔」野毛山の近代史跡散策(横浜)

コメントなし

大阪に落とされた模擬原爆(東住吉区田辺)

全国各地に投下された模擬原爆「パンプキン爆弾」。大阪にも投下されており、往時を伝える石碑が建立されているというので、足を運んでみた。 模擬原爆 パンプキン爆弾(かぼちゃ爆弾)は、1945年8月9日に長崎に投下された原子爆 … 続きを読む 大阪に落とされた模擬原爆(東住吉区田辺)

コメントなし

昭南島改称記念の国旗掲揚塔(大阪東住吉区北田辺ノ榎神社)

昭南島。1942年から1945年にかけて、日本統治下にあったシンガポールを「昭南島」と呼称していた。現在に残る、歴史的に貴重な国旗掲揚塔の記念碑。「昭南島」と刻まれた文字列を、この手の記念碑で初めて拝見したので、戦跡とし … 続きを読む 昭南島改称記念の国旗掲揚塔(大阪東住吉区北田辺ノ榎神社)

コメントなし

台湾フェスタ2023(代々木公園)

ちょっと縁がありまして。台湾フェスタに足を運んできました。 代々木公園 むかしの陸軍の演習場だった場所。日本ではじめて飛行機が飛んだ場所。 そんなことは、露知らずとして。今日は、日台友好のイベント会場。 台湾フェスタ20 … 続きを読む 台湾フェスタ2023(代々木公園)

コメントなし

大阪星田で散華した学鷲・中村純一中尉の慰霊巡拝

以前、宝塚聖天を参拝した際に、目についた慰霊碑があった。それが、中村純一中尉の顕彰碑(慰霊碑)であり、そこで交野市の星田駅近くの戦死場所にも慰霊碑があると聞き、それを知ったのはなにかの縁、いつかは行かねばと、心の片隅に気 … 続きを読む 大阪星田で散華した学鷲・中村純一中尉の慰霊巡拝

コメントなし

航空爆弾?のモニュメント(東大阪)

近鉄奈良線瓢箪山駅から生駒山系にむけての登り坂。住所でいうと、大阪府東大阪市上四条町12あたり。 なぜか、道に爆弾??が落ちている。正確には、爆弾の尾部を地表に出した状態で、半分埋まっているような状態。 なんでも、かつて … 続きを読む 航空爆弾?のモニュメント(東大阪)

コメントなし

「ユダヤ人難民と北海道を救った将軍・樋口季一郎陸軍中将」顕彰碑と墓所(神奈川)

「ユダヤ人救出」「キスカ撤退」「占守の戦い」3つの奇跡を成し遂げた樋口季一郎陸軍中将。 ユダヤ人難民救出と言えば、「命のビザ」を発行した外交官・杉原千畝が有名であり、ユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデン … 続きを読む 「ユダヤ人難民と北海道を救った将軍・樋口季一郎陸軍中将」顕彰碑と墓所(神奈川)

コメントなし

令和五年・靖國神社みたままつり

靖國神社のみたま祭りは、毎年7月13-14-15-16日の4日間、祭行されます。このところ、忙しくて、靖國神社に赴く頻度も低下してしまっておりましたが、時間を捻出して、今年もお伺いすることができました。 「みたままつり」 … 続きを読む 令和五年・靖國神社みたままつり

コメントなし

「霞ヶ浦駐屯地一般公開」その3(飛行場地区)・霞ヶ浦海軍航空隊跡地散策

令和5年度の「霞ヶ浦駐屯地開設70周年・関東補給処創立25周年記念行事」が2023年6月3日に開催されました。午前中は雨天ということもあり、いくつかのイベントは中止とはなったが、足を運んでみました。この機会を逃すと、霞ヶ … 続きを読む 「霞ヶ浦駐屯地一般公開」その3(飛行場地区)・霞ヶ浦海軍航空隊跡地散策

コメントなし

「霞ヶ浦駐屯地一般公開」その2(広報センター)・第一海軍航空廠跡地散策

令和5年度の「霞ヶ浦駐屯地開設70周年・関東補給処創立25周年記念行事」が2023年6月3日に開催されました。午前中は雨天ということもあり、いくつかのイベントは中止とはなったが、足を運んでみました。この機会を逃すと、霞ヶ … 続きを読む 「霞ヶ浦駐屯地一般公開」その2(広報センター)・第一海軍航空廠跡地散策

コメントなし

「霞ヶ浦駐屯地一般公開」その1(本部地区)・第一海軍航空廠跡地散策

令和5年度の「霞ヶ浦駐屯地開設70周年・関東補給処創立25周年記念行事」が2023年6月3日に開催されました。午前中は雨天ということもあり、いくつかのイベントは中止とはなったが、足を運んでみました。この機会を逃すと、霞ヶ … 続きを読む 「霞ヶ浦駐屯地一般公開」その1(本部地区)・第一海軍航空廠跡地散策

コメントなし

大宮駐屯地創立66周年記念行事(大宮駐屯地一般公開)

埼玉県の大宮駐屯地。埼玉県さいたま市北区日進町。かつては、陸軍の光学レンズ工場などがあった場所。現在は「陸上自衛隊化学学校」や「第32普通科連隊」などが展開している。 一般公開があったので、足を運んでみました。 東京第一 … 続きを読む 大宮駐屯地創立66周年記念行事(大宮駐屯地一般公開)

コメントなし

「第136震洋隊基地跡・震洋格納庫」清水三保の戦跡散策・その2

静岡県清水区三保。三保半島。「三保の松原(三保松原)が有名な景勝地にも戦跡がある。 本編は「その2」として震洋格納庫跡を中心に掲載。「その1」では、清水海軍航空隊跡地の散策を掲載。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中 … 続きを読む 「第136震洋隊基地跡・震洋格納庫」清水三保の戦跡散策・その2

2 comments

「清水海軍航空隊」清水三保の戦跡散策・その1

静岡県清水区三保。三保半島。「三保の松原(三保松原)が有名な景勝地にも戦跡がある。 本編は「その1」として清水海軍航空隊を中心に掲載します。「その2」では、格納庫跡の散策を掲載します。 位置関係 国土地理院航空写真地図・ … 続きを読む 「清水海軍航空隊」清水三保の戦跡散策・その1

コメントなし

「試験艦 あすか」と「浚渫船 海竜」(東京みなと祭)

2023年5月20日。東京国際クルーズターミナルで、「東京みなと祭」が開催されました。珍しい艦と船の公開がありましたので、ちょっと足を運んでみました。 東京みなと祭 「船の科学館」から「東京国際クルーズターミナル」に生ま … 続きを読む 「試験艦 あすか」と「浚渫船 海竜」(東京みなと祭)

コメントなし

「一宮の風船爆弾打ち上げ基地」跡地散策(上総一ノ宮)

風船爆弾の打ち上げ基地。打ち上げ基地は、3ヵ所あり、以前に、「大津」と「勿来」は取り上げておりました。 ・風船爆弾大津基地 ・風船爆弾勿来基地 ・登戸研究所。風船爆弾は登戸研究所で開発された。 今回は、3番目の打ち上げ基 … 続きを読む 「一宮の風船爆弾打ち上げ基地」跡地散策(上総一ノ宮)

コメントなし

笠寺高射砲陣地の砲台跡(名古屋)

尾張四観音のひとつ「笠寺観音」戦国時代には、織田の人質になっていた竹千代(徳川家康)と今川に捕らえられた信長の兄・織田信広の人質交換の地ともなった名刹。そんな「笠寺」の東側の高台「見晴台」に戦時中に高射砲陣地が設けられた … 続きを読む 笠寺高射砲陣地の砲台跡(名古屋)

コメントなし

「伊保原飛行場」名古屋海軍航空隊跡地の戦跡散策(愛知豊田)

愛知県豊田市浄水町。名鉄でいうところの名鉄豊田線浄水駅。ここにかつて、飛行場があったという。近くに赴く機会がありましたので、足を運んでみました。 伊保原飛行場 1940年(昭和15年)に、愛知時計電機株式会社伊保工場の試 … 続きを読む 「伊保原飛行場」名古屋海軍航空隊跡地の戦跡散策(愛知豊田)

コメントなし

板垣退助銅像と板垣退助墓所

青梅に赴いたときに、地図を見ていたら「板垣退助の銅像」と記載があり。気になったので、赴いてみました。板垣退助の墓所は、品川に何度か足を運んでいたこともありましたので、せっかくなので一緒に掲載。 板垣退助 天保8年4月16 … 続きを読む 板垣退助銅像と板垣退助墓所

コメントなし

「八丁八反の飛行場」児玉陸軍飛行場跡地の戦跡散策(埼玉児玉)

埼玉県は、本庄(児玉)・上里にあった陸軍飛行場。往時を偲ぶものがいくつかあるというので、足を運んでみた。 児玉飛行場のあったあたりは、上里町・本庄市(旧児玉町)・神川町境の八町八反と地元で呼ばれた地域であったために「八町 … 続きを読む 「八丁八反の飛行場」児玉陸軍飛行場跡地の戦跡散策(埼玉児玉)

コメントなし

北宇都宮駐屯地開設50周年記念行事(北宇都宮駐屯地一般公開)

北宇都宮駐屯地の一般公開。雀宮駅から北側に「北宇都宮駐屯地」があって、南側には「宇都宮駐屯地」がある。北宇都宮駐屯地は、飛行場があるので、ちょっと趣が異なるのだ。 北宇都宮駐屯地 陸上自衛隊航空学校宇都宮校などが駐屯。1 … 続きを読む 北宇都宮駐屯地開設50周年記念行事(北宇都宮駐屯地一般公開)

コメントなし

宇都宮駐屯地創立73周年記念行事(宇都宮駐屯地一般公開その2)

宇都宮駐屯地の一般公開。最近は、各地の自衛隊駐屯地などに、機会があれば足を運んでいる。駐屯地内にも、もちろん戦跡や近代史跡が点在しており、そして資料館もあったりで、見どころ満載なのだ。 本編は、その2。いまのどきなものを … 続きを読む 宇都宮駐屯地創立73周年記念行事(宇都宮駐屯地一般公開その2)

コメントなし

宇都宮駐屯地創立73周年記念行事(宇都宮駐屯地一般公開その1)

宇都宮駐屯地の一般公開。最近は、各地の自衛隊駐屯地などに、機会があれば足を運んでいる。駐屯地内にも、もちろん戦跡や近代史跡が点在しており、そして資料館もあったりで、見どころ満載なのだ。 本編は、「その1」。歴史的なものを … 続きを読む 宇都宮駐屯地創立73周年記念行事(宇都宮駐屯地一般公開その1)

2 comments

やっぱりカレーは金曜日だよね(市ヶ谷)

市ヶ谷といえば、防衛省と靖國神社の最寄り駅。そんな市ヶ谷のカレー屋さん。店名がおもしろい。わかる人はわかる「金曜カレー」 やっぱりカレーは金曜日だよね ランチタイムにちょっと足を運んでみました、カレー屋さん。エンタメ要素 … 続きを読む やっぱりカレーは金曜日だよね(市ヶ谷)

コメントなし

横須賀で最初の民間トンネル「梅田隧道」

近くに赴く機会があったので、足を運んでみました。まあ、近くというのは「海軍工廠造兵部」散策のためだったんですけどね。 梅田隧道(梅田トンネル) トンネルの数が日本一ともいわれている横須賀市。そんな横須賀で、軍用以外のもの … 続きを読む 横須賀で最初の民間トンネル「梅田隧道」

コメントなし

「鐵道院」「高田商會」銘のある鋳鉄柱(雀宮駅・大森駅)

かつて、「乗換跨線橋」に使われていた鋳鉄柱が、大森駅と雀宮駅に残っているというので、足を運んでみました。 雀宮駅下りホームに残る「鐵道院銘の跨線橋鉄柱」 跨線橋の柱に使用されていた鉄柱が、外灯として使用され、そしてモニュ … 続きを読む 「鐵道院」「高田商會」銘のある鋳鉄柱(雀宮駅・大森駅)

コメントなし

東郷神社で海軍ゆかりの戦跡散策

元帥海軍大将 東郷平八郎 を祀る東郷神社。海軍ゆかりの史跡戦跡を求めて、境内を散策してみました。 東郷神社関連の記事 以下も参照で。いろいろ記事が重複しますが。 第一駆逐隊奉納の大燈籠 第一駆逐隊に所属した戦没者を慰霊す … 続きを読む 東郷神社で海軍ゆかりの戦跡散策

コメントなし

東郷神社例祭(令和5年5月28日)

2023年(令和5年)5月28日。東郷神社例祭(式年大祭) 御祭神(東郷平八郎命)が、日露戦争で輝かしい功績を残された日で、東郷神社において最も大きな祭典。 118年前の今日、日本海海戦で東郷平八郎の連合艦隊が勝利を確定 … 続きを読む 東郷神社例祭(令和5年5月28日)

コメントなし

多摩陸軍飛行場(横田基地)の戦跡散策

在日米空軍横田基地「日米友好祭フレンドシップ・フェスティバル2023」(日米友好祭2023)第47回目だそうで。年に一度の横田基地、散策してみましょう。 今回は、消化不良でおわった昨年のリベンジとして再訪してきました。 … 続きを読む 多摩陸軍飛行場(横田基地)の戦跡散策

コメントなし

「旧開明尋常小学校奉安庫と機銃掃射の弾痕跡」尼崎の戦跡と近代建築散策・その2(兵庫尼崎)

兵庫県尼崎市。大阪の隣。先日、関西方面に赴いた際に尼崎を散策。いくつか戦跡と近代史跡を巡ってみました。 その1は下記にて 奉安庫 明治23年(1890年)10月30日発布された 明治天皇の勅語「教育ニ関スル勅語(教育勅語 … 続きを読む 「旧開明尋常小学校奉安庫と機銃掃射の弾痕跡」尼崎の戦跡と近代建築散策・その2(兵庫尼崎)

コメントなし

鳴尾飛行場と川西航空機鳴尾製作所の戦跡散策(西宮)

兵庫県西宮市の東部。武庫川や鳴尾地区には、戦前、川西飛行機の工場と海軍の飛行場があった。往時を偲ぶものは少ないが、そんな西宮市の東部を散策してみました。 川西航空機株式会社 現在の新明和工業の前身。九四式水上偵察機、九七 … 続きを読む 鳴尾飛行場と川西航空機鳴尾製作所の戦跡散策(西宮)

コメントなし

尼崎の戦跡と近代建築散策・その1(兵庫)

兵庫県尼崎市。大阪の隣。先日、関西方面に赴いた際に尼崎を散策。いくつか戦跡と近代史跡を巡ってみました。 その2は下記にて 橘公園の高射砲台座跡 尼崎市役所に隣接する橘公園。この公園に、高射砲陣地の台座(砲座)が残っている … 続きを読む 尼崎の戦跡と近代建築散策・その1(兵庫)

コメントなし

軍艦「橋立」のキャプスタン(素戔嗚神社・尼崎)

関西方面に行く機会があったので、気になっていた場所に足を運んでみました。 軍艦「橋立」 大日本帝国海軍の防護巡洋艦「橋立」。艦名は名勝「天橋立」に由来する。排水量4,210トンで、三景艦のうち唯一の国産艦(横須賀造船部で … 続きを読む 軍艦「橋立」のキャプスタン(素戔嗚神社・尼崎)

コメントなし

東京砲兵工廠の煉瓦遺構?(小石川)

文京区の後楽園周辺は、かつて軍需施設であった。その界隈の散策は以前に以下の記事でまとめた。 戦後は、東京都戦没者霊苑も設置された。 軍需施設は、戦後は、「小石川後楽園」や「東京ドーム」「文京区立礫川公園」「中央大学後楽園 … 続きを読む 東京砲兵工廠の煉瓦遺構?(小石川)

コメントなし

善光寺坂のムクノキ(戦災樹木・文京区)

文京区では初の指定天然記念物(文京区指定天然記念物)。戦災をくぐり抜けたムクノキの巨木に会ってきました。 善光寺坂のムクノキ 伝通院の鎮守であった澤蔵司稲荷の御神木。第二次世界大戦中の昭和20年(1945)5月25日の空 … 続きを読む 善光寺坂のムクノキ(戦災樹木・文京区)

コメントなし

明治生命館(GHQ接収・米極東空軍司令部)

明治生命館を見学していましたので、掲載。かつて、アメリカ極東空軍司令部として接収されたこともある建造物。 公式サイト https://www.meijiyasuda.co.jp/profile/meiji-seimeik … 続きを読む 明治生命館(GHQ接収・米極東空軍司令部)

コメントなし

東京都戦没者霊苑

礫川公園の奥に東京都戦没者霊苑がある。以前にも掲載していたが、独立したページとして改めて掲載。 東京都戦没者霊苑 さきの大戦における16万余にのぼる東京都関係戦没者の慰霊と都民の平和への願いをこめて、昭和35年6月に建立 … 続きを読む 東京都戦没者霊苑

コメントなし

東京大空襲と下町(江東区砂町周辺)

東京大空襲と下町。江東区砂町地区なども大きな被害を被っている。 慰霊巡拝を。 戦災殉難者供養之碑(砂村新田六地蔵)南砂町1丁目・南砂町3丁目 江戸時代のことから、砂村新田六地蔵尊が祀られていたという。昭和20年3月9日夜 … 続きを読む 東京大空襲と下町(江東区砂町周辺)

コメントなし

東京大空襲と下町(墨田区菊川・立川、江東区森下周辺)

東京大空襲と下町。菊川・立川地区なども大きな被害を被っている。 慰霊巡拝を。 榎稲荷神社 墨田区立川。稲荷神社の御神木の榎の大木は空襲によって真っ二つに裂かれた被災樹木。 榎稲荷は天和3年(1682)に菊川の土手に建立さ … 続きを読む 東京大空襲と下町(墨田区菊川・立川、江東区森下周辺)

コメントなし

東京大空襲と下町(江東区白河・平野・三好周辺)

東京大空襲と下町。清澄白河地区も大きな被害を被っている。慰霊巡拝を。 白河戦災地蔵尊(延命地蔵尊) 江東区白河。戦前に、朝鮮から来日し白河町で食堂を開いていた李夫妻。東京大空襲後に、無料宿泊所をつくり、洋裁教習所などうを … 続きを読む 東京大空襲と下町(江東区白河・平野・三好周辺)

コメントなし

軍都佐倉の戦跡散策・その2(佐倉陸軍墓地跡と歴博)

千葉県佐倉市。佐倉市を代表する「佐倉城址」は、佐倉城址公園や国立歴史民俗博物館などとなっているが、戦前は「佐倉聯隊」(歩兵第2聯隊・歩兵第57聯隊)の兵営地であった。 佐倉は、行こう行こうと思って2022年5月に戦跡散策 … 続きを読む 軍都佐倉の戦跡散策・その2(佐倉陸軍墓地跡と歴博)

コメントなし

軍都佐倉の戦跡散策・その1(歩兵第二聯隊佐倉兵営跡地散策)

千葉県佐倉市。佐倉市を代表する「佐倉城址」は、佐倉城址公園や国立歴史民俗博物館などとなっているが、戦前は「佐倉聯隊」(歩兵第2聯隊・歩兵第57聯隊)の兵営地であった。 佐倉は、行こう行こうと思って2022年5月に戦跡散策 … 続きを読む 軍都佐倉の戦跡散策・その1(歩兵第二聯隊佐倉兵営跡地散策)

コメントなし

第1師団創立61周年・練馬駐屯地創設72周年記念行事(2023年・練馬駐屯地一般公開その2)

令和5年(2023)4月9日(日曜日)東京都練馬区にある練馬駐屯地。東京23区内で唯一普通科連隊が所在し第1師団司令部もある首都防衛の要となる実戦部隊の駐屯地。戦前は、「東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫」。 陸自第一師団普通科 … 続きを読む 第1師団創立61周年・練馬駐屯地創設72周年記念行事(2023年・練馬駐屯地一般公開その2)

コメントなし

第1師団創立61周年・練馬駐屯地創設72周年記念行事(2023年・練馬駐屯地一般公開その1)

令和5年(2023)4月9日(日曜日)東京都練馬区にある練馬駐屯地。東京23区内で唯一普通科連隊が所在し第1師団司令部もある首都防衛の要となる実戦部隊の駐屯地。戦前は、「東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫」。 倉庫時代の往時を物 … 続きを読む 第1師団創立61周年・練馬駐屯地創設72周年記念行事(2023年・練馬駐屯地一般公開その1)

コメントなし

「空自・熊谷基地さくら祭」熊谷陸軍飛行学校跡地散策

令和5年(2023年)4月2日。熊谷市の航空自衛隊熊谷基地(航空自衛隊第4術科学校)にて、「令和5年度 熊谷基地さくら祭」が開催されましたので、足を運んでみました。かつての熊谷陸軍飛行学校跡地、です。 熊谷陸軍 … 続きを読む 「空自・熊谷基地さくら祭」熊谷陸軍飛行学校跡地散策

コメントなし

「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その4・陸自編

茨城県稲敷郡阿見町。現在の土浦駐屯地には陸上自衛隊武器学校が駐屯しているが、かつては「予科練」で有名な「土浦海軍航空隊」の錬成地であった。海軍と陸自の歴史がぎっしりと詰まった駐屯地の一般開放がありましたので、足を運んでみ … 続きを読む 「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その4・陸自編

コメントなし

「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その3・陸軍編

茨城県稲敷郡阿見町。現在の土浦駐屯地には陸上自衛隊武器学校が駐屯しているが、かつては「予科練」で有名な「土浦海軍航空隊」の錬成地であった。海軍と陸自の歴史がぎっしりと詰まった駐屯地の一般開放がありましたので、足を運んでみ … 続きを読む 「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その3・陸軍編

コメントなし

「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その2・土浦海軍航空隊跡地散策

茨城県稲敷郡阿見町。現在の土浦駐屯地には陸上自衛隊武器学校が駐屯しているが、かつては「予科練」で有名な「土浦海軍航空隊」の錬成地であった。海軍と陸自の歴史がぎっしりと詰まった駐屯地の一般開放がありましたので、足を運んでみ … 続きを読む 「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その2・土浦海軍航空隊跡地散策

コメントなし

「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その1・土浦海軍航空隊跡地散策

茨城県稲敷郡阿見町。現在の土浦駐屯地には陸上自衛隊武器学校が駐屯しているが、かつては「予科練」で有名な「土浦海軍航空隊」の錬成地であった。海軍と陸自の歴史がぎっしりと詰まった駐屯地の一般開放がありましたので、足を運んでみ … 続きを読む 「土浦駐屯地・武器学校 観桜会(一般公開)」その1・土浦海軍航空隊跡地散策

2 comments

「朝霞駐屯地 観桜 一般開放」陸軍予科士官学校跡地散策(令和5年)

陸上総隊司令部や東部方面総監部のある「朝霞駐屯地」。戦前は、ゴルフ場を買収して新設された「陸軍予科士官学校」があり、そして戦後は「米軍朝霞キャンプ」もあった場所。 今回、あいにくの雨ではあったが、観桜での一般公開があると … 続きを読む 「朝霞駐屯地 観桜 一般開放」陸軍予科士官学校跡地散策(令和5年)

コメントなし

「下志津駐屯地・高射学校 観桜開放」下志津陸軍飛行学校跡地散策(2023)

かつて「下志津原」と呼ばれていた平坦な土地には、佐倉藩の射撃場から発展した陸軍の射撃場が広がり、そして「陸軍砲兵射的学校」があった。 そして、共同訓練を行っていた「下志津陸軍飛行学校」もあった。 陸軍砲兵射的学校は、のち … 続きを読む 「下志津駐屯地・高射学校 観桜開放」下志津陸軍飛行学校跡地散策(2023)

コメントなし

「桜咲く宮・靖國神社」~靖國櫻(令和5年)

令和5年(2023年)。終戦から78年。今年も靖國神社の桜花を愛でる。 境内に献木された桜たち。一木一木に込められた戦友・ご遺族の皆様の想いが、花を咲かせる。 御英霊の皆様と、今年も花見と洒落込もう。「花の都」「桜咲く宮 … 続きを読む 「桜咲く宮・靖國神社」~靖國櫻(令和5年)

コメントなし

東京大空襲と下町(深川東陽町・千石・千田周辺)

東京大空襲と下町。深川・東陽地区なども大きな被害を被っている。 慰霊巡拝を。 扇橋戦災地蔵尊 江東区扇橋。戦災地蔵尊と関東大震災地蔵尊。 あの日炎の中履き物は熱で溶け裸足で逃げまどった人々のことを思うにつけ二度と再び戦争 … 続きを読む 東京大空襲と下町(深川東陽町・千石・千田周辺)

コメントなし

東京大空襲と下町(深川富岡と門前仲町周辺)

東京大空襲と下町。深川・門仲地区も大きな被害を被っている。 慰霊巡拝を。 富岡八幡宮・天皇陛下御野立所 「こんなに焼けたか」 東京大空襲の被害状況のご説明を富岡八幡宮境内にて聞き終えた 昭和天皇は、しばし絶句されて、立ち … 続きを読む 東京大空襲と下町(深川富岡と門前仲町周辺)

コメントなし

旧松永橋モニュメントに残る弾痕

大島川西支川の東西、江東区福住と江東区佐賀を結んでいる松永橋。 なにやら不思議なモニュメントがある。 旧松永橋モニュメント 旧松永橋の鋼材が戦跡として保存されている。  平成8年まであった旧松永橋には、戦争の傷跡である弾 … 続きを読む 旧松永橋モニュメントに残る弾痕

コメントなし

3月10日の慰霊「東京大空襲」あの日から78年(令和5年・東京都慰霊堂と言問橋)

令和5年(2023年)3月10日。 あの日から78年。 昭和20年(1945)3月10日午前0時過ぎ、爆撃が開始。 犠牲者10万人を超す規模は、単独の空襲としては世界史上最大の犠牲者となっている。これが、世にいう、「東京 … 続きを読む 3月10日の慰霊「東京大空襲」あの日から78年(令和5年・東京都慰霊堂と言問橋)

コメントなし

東京大空襲の焼夷弾痕?を残す「永代橋」

隅田川にかかる永代橋は、関東大震災で壊滅した下町復興のために架橋されたシンボルブリッジであり、「帝都の門」とも称せられていた。 そんな永代橋に東京大空襲の痕跡が残っていると聞いたので、改めて足を運んでみた。 永代橋 隅田 … 続きを読む 東京大空襲の焼夷弾痕?を残す「永代橋」

コメントなし

入間川神社(八幡神社境内社)・入間川国民学校奉安殿(狭山市入間川)

狭山市駅から西の高台に鎮座している古社。新田義貞ゆかりの八幡神社の境内に鎮座している地元の犠牲者を祀る護国神社は入間川神社として、祭祀されている。この入間川神社も、もとは奉安殿の建物を流用したものであった。 奉安殿(御真 … 続きを読む 入間川神社(八幡神社境内社)・入間川国民学校奉安殿(狭山市入間川)

コメントなし

下新河岸ノ日枝神社・高階国民学校奉安殿(川越市下新河岸)

川越市下新河岸。新河岸川は江戸時代は船運が盛んな河川であり、新河岸の日枝神社の近くには多くの船問屋が集まっていたという。ここも奉安殿が流用とのことで、足を運んでみた。 奉安殿(御真影奉安殿) 奉安殿とは、戦前において天皇 … 続きを読む 下新河岸ノ日枝神社・高階国民学校奉安殿(川越市下新河岸)

コメントなし

稲荷神社・青梅第五小学校奉安殿(青梅市梅郷)

青梅市梅郷。吉野梅郷の「梅の公園」入口交差点の近くに鎮座している稲荷社。かつての奉安殿だというので、足を運んでみた。 奉安殿(御真影奉安殿) 奉安殿とは、戦前において天皇陛下皇后陛下の御真影(お写真)と教育勅語を納めてい … 続きを読む 稲荷神社・青梅第五小学校奉安殿(青梅市梅郷)

コメントなし

五所神社境内社「頌徳社」・湯河原小学校奉安殿(湯河原)

湯河原に鎮座する「五所神社」(旧社格は郷社)の境内に鎮座する「頌徳社」は、かつては「奉安殿」であった。 奉安殿(御真影奉安殿) 奉安殿とは、戦前において天皇陛下皇后陛下の御真影(お写真)と教育勅語を納めていた建物。当初は … 続きを読む 五所神社境内社「頌徳社」・湯河原小学校奉安殿(湯河原)

コメントなし

「平和外交を尽力し続けた隻脚の名外交官」(重光葵記念館・湯河原)

湯河原駅からバスに揺られて終点の奥湯河原バス停から、数分歩いたところに、私設の記念館があった。 重光葵記念館 「重光葵記念館」「昭和の動乱」を第一線の外交官として活躍し、終戦時には日本全権として降伏文書に調印。日本の戦争 … 続きを読む 「平和外交を尽力し続けた隻脚の名外交官」(重光葵記念館・湯河原)

コメントなし

もう一つの「二・二六事件」光風荘襲撃事件(湯河原)

昭和11年(1936)2月26日。後の世に言う「2・26事件」。東京以外では唯一、湯河原・熱海でも事件があった。 湯河原の二・二六事件 東京の反乱軍と連動した河野壽大尉。民間人を主体とした襲撃部隊以下8人は、別働隊(河野 … 続きを読む もう一つの「二・二六事件」光風荘襲撃事件(湯河原)

コメントなし

「領土・主権展示館」我が国固有の領土の歴史と領土・主権を学ぶ

先日、近くを通りすがったので、せっかくなので足を運んでみました。 虎の門三井ビルディング 東京都千代田区の虎の門三井ビルディングの1階に。奇しくも、「領土・主権展示館」と「日本一おかき処・播磨屋本店(東京店)」が同じビル … 続きを読む 「領土・主権展示館」我が国固有の領土の歴史と領土・主権を学ぶ

コメントなし

宮内庁庁舎(旧宮内省省舎・昭和10年/1935年竣工)

年に数回、宮内庁庁舎を見る機会がある。具体的には、新年一般参賀と 天皇誕生日一般参賀の帰路に見る機会がある。誕生日の日は午後から記帳もあり、その時にも見ることができるので、2023年2月23日の 天皇誕生日一般参賀午後の … 続きを読む 宮内庁庁舎(旧宮内省省舎・昭和10年/1935年竣工)

コメントなし

上田中坑道陣地(速射砲防御陣地)跡の散策(東金市田中・法光寺)

東金市の寶珠山法光寺。寺院墓地の裏山に、かつて速射砲陣地があった。 砲室から外を望む。 法光寺 東金市田中鎮座。日蓮宗寶珠山法光寺。江戸時代に完成した灌漑用貯水池である雄蛇ヶ池の近くに鎮座。 法光寺の裏山に、速射砲陣地が … 続きを読む 上田中坑道陣地(速射砲防御陣地)跡の散策(東金市田中・法光寺)

コメントなし

八鶴湖周辺の近代史跡散策(東金市)

千葉県東金市。東金から上総一ノ宮の外房地区、すなわち九十九里浜は、米軍上陸に備え、本土防衛のために展開した近衛第3師団の陣地構築が盛んに行われた場所。戦跡も豊富にある。今回は東金の八鶴湖周辺にある戦跡を散策しようとしたが … 続きを読む 八鶴湖周辺の近代史跡散策(東金市)

コメントなし

日立航空機大網地下工場跡地の散策(大網白里市)

千葉県大網白里市。この地にかつて日立航空機の疎開工場があった。 大網駅から小湊バスで「宮谷」へ。このあたりは文字通り「谷」が多いが、再開発で切り開かれている。このバスの終点は、「みどりが丘車庫」。土地区画整理事業により、 … 続きを読む 日立航空機大網地下工場跡地の散策(大網白里市)

コメントなし

「成東駅空襲(成東駅爆発惨事)」(山武市)

千葉県山武市。交通の要衝である成東駅は総武本線と東金線の乗換駅。終戦2日前の昭和20年8月13日、米軍グラマン機による機銃掃射で、成東駅に停車していた火薬搭載の貨車が炎上。そして成東駅は爆破爆発、42名の殉職者をだす惨事 … 続きを読む 「成東駅空襲(成東駅爆発惨事)」(山武市)

コメントなし

「日本砲兵揺籃の地」陸軍野戦砲兵学校射場跡地の散策(佐倉市下志津原)

千葉県佐倉市と四街道市の間に広がる、平坦な土地は、「下志津原」と呼ばれ、陸軍の射撃場があった。往時の名残は格別にはないが、記念碑が建立されているので、足を運んでみた。 日本砲兵揺籃の地 京成ユーカリが丘駅の南約3キロ、京 … 続きを読む 「日本砲兵揺籃の地」陸軍野戦砲兵学校射場跡地の散策(佐倉市下志津原)

コメントなし

錦着山護国神社(栃木市)

栃木駅から、歩いていける場所に、ちょっと気になる神社があったので、足を運んでみた。 社殿の脇にたつ記念燈台がひときわに存在感を放つ錦着山護国神社。 錦着山護国神社 栃木県の初代県令鍋島幹が、戊辰戦争・西南戦争(明治10年 … 続きを読む 錦着山護国神社(栃木市)

コメントなし

「平和の礎」小金井空襲・小金井駅戦災(栃木県下野市)

栃木県下野市。かつての栃木県下都賀郡国分寺村。小金井駅と付近を走る列車に対して機銃掃射による空襲があった。 小金井空襲 昭和20年7月28日艦載機P51戦闘機14機が宇都宮市内空爆と機銃掃射を実施。国鉄宇都宮駅前にあった … 続きを読む 「平和の礎」小金井空襲・小金井駅戦災(栃木県下野市)

コメントなし

B29墜落搭乗員慰霊碑とB29墜落地点の慰霊巡拝(群馬県‎‎邑楽町‎秋妻)

群馬県と栃木県の県境。群馬県‎邑楽郡‎邑楽町‎秋妻は、のどかな水田が広がる農村地帯。戦時中、この地にB29が墜落し、そして地域住民は搭乗員を慰霊した。 すぐ近くにあった、東洋一の飛行機メーカー「中島飛行機」の工場(中島飛 … 続きを読む B29墜落搭乗員慰霊碑とB29墜落地点の慰霊巡拝(群馬県‎‎邑楽町‎秋妻)

コメントなし

日露戦争の海軍三提督がお手植え「足利学校の月桂樹」

栃木県足利市。下野国足利荘にある「足利学校」は、日本最古の学校として知られている国指定史跡。 足利学校 中世において足利学校は関東最高の学府であったが、明治維新後、足利藩は足利学校を藩校とすることで復興を図ったが、明治4 … 続きを読む 日露戦争の海軍三提督がお手植え「足利学校の月桂樹」

コメントなし

戦時迷彩塗装の残る旧足利織物赤レンガ工場群(トチセン・足利)

栃木県足利市内に残る大規模煉瓦工場。壁面に残る戦時迷彩塗装を見に行ってきました。 最寄りは東武伊勢崎線福居駅。私は東武足利市駅からレンタサイクルで赴いてみた。 なお、敷地内は通常非公開。年一度11月頃に、足利市文化財一般 … 続きを読む 戦時迷彩塗装の残る旧足利織物赤レンガ工場群(トチセン・足利)

コメントなし

足利駅と足利散策

JR足利駅。なんとなく足利を散策したいと思い、足を運んでみたら、これは近代建築ですね。足利散策の小話とともに、掲載しておきます。近代史としての足利散策はそれぞれ別立てにて。 正直って、都内から足利に行くには、JRよりも東 … 続きを読む 足利駅と足利散策

コメントなし

「昭和天皇祭(山陵に奉幣の儀)」34年目の昭和天皇武蔵野陵に拝する(令和5年1月7日)

昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分。国民の祈りの中で、昭和の天皇陛下は御崩御あそばされた。 あの日から、34年。 今年も、 昭和天皇 武蔵野陵(しょうわてんのう むさしののみささぎ)へ参拝をいたしました。そし … 続きを読む 「昭和天皇祭(山陵に奉幣の儀)」34年目の昭和天皇武蔵野陵に拝する(令和5年1月7日)

コメントなし

「敵機侵入を察知した聴音壕」大月防空監視哨跡の散策

2022年8月に大月から富士急で河口湖に赴いていました。河口湖飛行館に行きたかったので。 そのときに大月の防空監視哨跡に赴こうかなと思っていたのですが、夏場で草むらが心配だったということもあり、そのときはやめときました。 … 続きを読む 「敵機侵入を察知した聴音壕」大月防空監視哨跡の散策

コメントなし

河口湖自動車博物館・飛行舘(2022年8月版)

2022年8月、「河口湖自動車博物館・飛行館」に赴きました。毎年8月の1ヶ月間のみ公開される博物館。前々から気にはなっていましたが、ようやくに赴くことができました。 「河口湖飛行館」に関しては、多くの記事がありますので、 … 続きを読む 河口湖自動車博物館・飛行舘(2022年8月版)

コメントなし

靖國神社の新春初詣(令和5年)

令和5年(2023年)正月元日。靖國神社に初詣。 初詣 良き青空の年始め 令和癸卯 新春初詣の正式参拝を。 御本殿には、 明治天皇が明治7(1874)年1月27日に、初めて招魂社をご参拝された際に詠まれた御製が奉書された … 続きを読む 靖國神社の新春初詣(令和5年)

2 comments

武蔵航空吉田工場跡と河口湖散策(富士吉田)

山梨県の富士吉田にも、軍需工場があった。工場の跡地に、空襲の犠牲者の慰霊碑があるというので、足を運んでみた。 武蔵航空吉田工場(武蔵航空株式会社吉田工場) 富士北麓は、もともと軍需工業とは無縁の地域であったが、戦争末期に … 続きを読む 武蔵航空吉田工場跡と河口湖散策(富士吉田)

コメントなし

英国輸入の大阪鉄道6号蒸気機関車(明24・西武鉄道3号・昭和鉄道高校)と池袋散策

池袋はなにげに鉄道にゆかりのある街。黎明期の鉄道を軸に、ちょっと散策してみた。 昭和鉄道高等学校に保存されている明治期の蒸気機関車。 西武鉄道3号機関車 1891年に輸入され、「大阪鉄道6号機」として運用。1900年に大 … 続きを読む 英国輸入の大阪鉄道6号蒸気機関車(明24・西武鉄道3号・昭和鉄道高校)と池袋散策

コメントなし

英国輸入の鉄道院403号蒸気機関車(明19・西武鉄道4号・芝浦工大付属中学高校)

豊洲にある芝浦工業大学付属中学高等学校100周年記念事業として、西武鉄道から寄贈を受けた「旧鉄道院403号蒸気機関車」が、2022年11月に復元保存公開されましたので、足を運んでみました。 鉄道院403号(西武鉄道4号) … 続きを読む 英国輸入の鉄道院403号蒸気機関車(明19・西武鉄道4号・芝浦工大付属中学高校)

コメントなし

北多摩陸軍通信所の戦跡散策(東久留米)

東京都東久留米市前沢のあたりに、陸軍の通信施設があった。前沢南公園には、防火水槽跡が残っている。散策してみましょう。 前沢南公園の中にある円形が、防火水槽の名残。 北多摩陸軍通信所跡 東久留米市指定旧跡 旧跡第5号北多摩 … 続きを読む 北多摩陸軍通信所の戦跡散策(東久留米)

コメントなし

旧九段会館(軍人会館)から生まれ変わった「九段会館テラス」

昭和9年(1934)に竣工した「軍人会館」は、戦後に「九段会館」と名称を変更して存続していたが、東日本大震災の影響などもあり、平成23年(2011)に廃業。 その後、令和4年(2022)10月1日に、旧九段会館を一部保存 … 続きを読む 旧九段会館(軍人会館)から生まれ変わった「九段会館テラス」

2 comments

良長院の海軍慰霊碑(横須賀鎮守府海軍建築部請負と横須賀鎮守府所属看護科員)

横須賀中央駅と、汐入駅の中間、聖ヨゼフ病院の近くにある良長院に、海軍関連の2つの慰霊碑がある。 横須賀海軍建築部請負工事殉職者弔魂碑 横須賀海軍建築部請負工事 殉職者弔魂碑 海軍大将 野村吉三郎書 昭和8年11月建立横須 … 続きを読む 良長院の海軍慰霊碑(横須賀鎮守府海軍建築部請負と横須賀鎮守府所属看護科員)

コメントなし

「米ヶ濱砲台跡地」(横須賀平和中央公園)と「横須賀市自然・人文博物館」

米ヶ濱砲台のあった「中央公園」が2021年に「平和中央公園」へと再整備されたという話を聞いたので、足を運んでみました。 平和中央公園 明治時代には旧陸軍の東京湾要塞として米ヶ濱砲台が設置。関東大震災の被災と演習砲台への転 … 続きを読む 「米ヶ濱砲台跡地」(横須賀平和中央公園)と「横須賀市自然・人文博物館」

コメントなし

「日本の近代の幕開け」ペリー上陸記念碑と浦賀奉行所跡(浦賀・久里浜)

日本の近代は、ペリー率いる黒船来航とともに幕を開けたといっても過言はない。すなわち、いわゆる「幕末」は、嘉永6年(1853)の浦賀への黒船来航とともにはじまる。 「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」日本の近 … 続きを読む 「日本の近代の幕開け」ペリー上陸記念碑と浦賀奉行所跡(浦賀・久里浜)

コメントなし

渋沢栄一ゆかりの「川間ドック」(浦賀)

「浦賀ドック」から南に足を伸ばすと「川間ドック」があった。せっかくなので、川間ドック跡にも足を運んでみよう。 渋沢栄一と川間ドック 浦賀ドックは榎本武揚、そして川間ドックは渋沢栄一が設立に関与していた。 川間ドック ㈱東 … 続きを読む 渋沢栄一ゆかりの「川間ドック」(浦賀)

コメントなし

「駆逐艦のふるさと」浦賀ドック跡地(浦賀船渠第1号ドック)

横須賀の浦賀。ここに幾多の駆逐艦を生み出した造船所があった。「浦賀船渠」「西の藤永田、東の浦賀」と称された、大日本帝国海軍駆逐艦のふるさとである「浦賀船渠」跡地を散策してみた。 西の藤永田造船所のレポートは以下にて。 「 … 続きを読む 「駆逐艦のふるさと」浦賀ドック跡地(浦賀船渠第1号ドック)

コメントなし

浦賀ドックのきっかけとなった「中島三郎助招魂碑」と横須賀最古の公園「浦賀園」(愛宕山公園)

「浦賀ドック」の浦賀船渠が創立したきっかけが、浦賀奉行所の与力であった中島三郎助。その慰霊碑がある愛宕山に行ってみる。 愛宕山公園 横須賀で一番古い公園という。 愛宕山公園 明治24年(1891)に開園したしないで一番古 … 続きを読む 浦賀ドックのきっかけとなった「中島三郎助招魂碑」と横須賀最古の公園「浦賀園」(愛宕山公園)

コメントなし

記念碑の台座となった「旅順口閉塞船弥彦丸の閉塞石」(久里浜・若宮神社)

久里浜の神社に、日露戦争の旅順港閉塞船に積まれていた石が使用されているというので、足を運んでみた。 旅順口閉塞船弥彦丸の閉塞石 昭和10年の「久比里ノ若宮神社」の社殿改築を記念して建立された石碑。 この記念碑の台座は、日 … 続きを読む 記念碑の台座となった「旅順口閉塞船弥彦丸の閉塞石」(久里浜・若宮神社)

コメントなし

海軍機雷学校跡・海軍潜水学校跡(久里浜)

千代ケ崎砲台の南側に、海軍の学校があった。千代ヶ崎砲台を見学した後に、足を伸ばしてみました。 千代ヶ崎砲台はこちらにて。 「千代ヶ崎砲台跡」散策(横須賀) 海軍機雷学校 日露戦争の教訓を踏まえ、水雷学校の教育課程に機雷戦 … 続きを読む 海軍機雷学校跡・海軍潜水学校跡(久里浜)

コメントなし

「陸軍桟橋」と「浦賀港引揚記念の碑」海外引揚者が第一歩を踏みしめた港(浦賀)

昭和20年8月15日の終戦を海外で迎えた邦人(日本人)は、軍人と民間人をあわせて約660万人以上に及んでいた。戦後、日本各地の引揚者指定港では、引揚者の受け入れを行い、中でも東京湾の入口に位置する浦賀港は、約56万人の受 … 続きを読む 「陸軍桟橋」と「浦賀港引揚記念の碑」海外引揚者が第一歩を踏みしめた港(浦賀)

コメントなし

「千代ヶ崎砲台跡」散策(横須賀)

明治時代に、東京防衛のために構築されたのが、「東京湾要塞」。なかでも「千代ケ崎砲台」は、東京湾がもっとも狭まる浦賀水道の入口に位置している防衛上の重要拠点でもあり、近年まで自衛隊管理下にあり立入禁止区域だったということも … 続きを読む 「千代ヶ崎砲台跡」散策(横須賀)

コメントなし

「走水低砲台跡」散策(横須賀)

横須賀の走水。古くは、日本武尊と弟橘媛命の伝説の地「御所ヶ崎」(旗山崎)として知られている当地は、江戸期には「走水番所」が置かれ、そして幕末には「旗山崎台場」が設けられた。明治19年(1886)には、陸軍によって半円形の … 続きを読む 「走水低砲台跡」散策(横須賀)

コメントなし

走水神社の近代史跡散策(横須賀)

横須賀の走水。日本武尊と弟橘媛命の伝説を残す古社。今回は近代史の目線で参拝をしてみる。 弟橘媛命の記念碑 明治43年6月5日建立。弟橘媛命の今際の御歌が刻まれている。記念碑は、東郷平八郎、伊東祐亨、井上良馨、乃木希典、高 … 続きを読む 走水神社の近代史跡散策(横須賀)

コメントなし

トーハクで近代建築散策(東京国立博物館)

トーハクの近代建築散策。写真中心で。 150周年 1872年(明治5年)3月10日。日本で最初の「博覧会」(文部省博物館)として湯島聖堂博覧会が、東京・湯島の湯島聖堂大成殿で開催された。これが日本の「博物館」の始まりであ … 続きを読む トーハクで近代建築散策(東京国立博物館)

コメントなし

「台湾ウイスキー・山豬迷路」日本統治下時代の台湾の酒造伝承

先日、「台湾ウイスキー」を、懇意にしている「とある台湾メーカー」からいただきました。covid-19の影響で、往来に制限があった日台両国でしたが、2022年10月より、制限なく往来ができるようになり、そうして台湾メーカー … 続きを読む 「台湾ウイスキー・山豬迷路」日本統治下時代の台湾の酒造伝承

コメントなし

「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(東京)

2022年11月12日。国際観艦式2022に際して、艦艇の一般公開がありました。東京国際クルーズターミナルで開催された海上自衛隊艦艇の一般公開の模様を、写真多めに掲載します。 ※横浜での一般公開は以下にて。 ※船橋での一 … 続きを読む 「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(東京)

コメントなし

「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(船橋)

2022年11月5日。国際観艦式2022に際して、艦艇の一般公開がありました。千葉の船橋で開催された海上自衛隊艦艇の一般公開の模様を、写真多めに掲載します。 ※横浜での一般公開は以下にて。 船橋東埠頭 船橋東埠頭では、護 … 続きを読む 「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(船橋)

コメントなし

「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(横浜)

2022年11月3日。国際観艦式2022に際して、艦艇の一般公開がありました。横浜の3埠頭で開催された海上自衛隊艦艇の一般公開の模様を、写真多めに掲載します。 船橋の様子は以下で。 山下埠頭 山下埠頭での一般公開は、護衛 … 続きを読む 「国際観艦式2022フリートウィーク」艦艇一般公開(横浜)

コメントなし

米海軍横須賀基地フレンドシップデー2022

2022年10月16日、3年ぶりに開催された、米軍横須賀基地のフレンドシップデー。足を運んでみたので、写真中心に記事を掲載。 旧横須賀海軍病院の境界塀 大日本帝国海軍の海軍病院。明治13年開庁。戦後、米海軍に接収され、横 … 続きを読む 米海軍横須賀基地フレンドシップデー2022

コメントなし

戦後国産機リスタート2「新立川飛行機」と「立飛R-53型軽飛行機」(立川立飛)

戦後日本の航空産業は、時(とき)を止めていた。そして終戦から7年後に、国産機の復活の口火を切ったのが「新立川飛行機」であった。 本記事は、2022年に一般公開された「R-53」を中心とした「新立川飛行機その2」、です。 … 続きを読む 戦後国産機リスタート2「新立川飛行機」と「立飛R-53型軽飛行機」(立川立飛)

コメントなし

立川飛行機「一式双発高等練習機・キ54」(立飛ホールディングス最後の一般公開)

立川市の立飛ホールディングスで、昨年に引き続いて、2022年10月27日(木)から30日(日)まで、「一式双発高等練習機」が一般公開されました。 2022年10月の今回が、「立飛ホールディングスとしての最後の一般公開」( … 続きを読む 立川飛行機「一式双発高等練習機・キ54」(立飛ホールディングス最後の一般公開)

コメントなし

「第一騎兵旅団兵舎」解体前の最後の一般公開(習志野・東邦大学)

騎兵の街・習志野。日本陸軍第一騎兵旅団の下に編成された騎兵第十三聯隊および同第十四聯隊が使用していた建物が東邦大学構内に残っていた。東邦大学にあった第一騎兵旅団兵舎・用材庫は、「現存日本最古の騎兵兵舎」であったが、202 … 続きを読む 「第一騎兵旅団兵舎」解体前の最後の一般公開(習志野・東邦大学)

コメントなし

茂原海軍航空基地跡散策・その2「引込線跡と地下壕跡」

千葉県茂原市。掩体壕が残る街。そんな掩体壕群は「その1」で記載しました。 「その2」では、掩体壕以外の「茂原の戦跡」をまとめます。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-M50-8194 … 続きを読む 茂原海軍航空基地跡散策・その2「引込線跡と地下壕跡」

コメントなし

茂原海軍航空基地跡散策・その1「茂原掩体壕群」

千葉県茂原市。掩体壕が残る街。それも10基もの掩体壕が今も残っている。これだけ残っているのは、全国屈指レベル。まさに掩体壕群と呼称するにふさわしい。そんな掩体壕の街「茂原」を散策してみました。 位置関係 国土地理院航空写 … 続きを読む 茂原海軍航空基地跡散策・その1「茂原掩体壕群」

2 comments

「軍都・平塚」海軍火薬廠の跡地散策・その2

平塚市は、海軍火薬廠や海軍工廠科学実験部、そして関連する軍需工場などが集中する一大軍事拠点、「軍都・平塚」であった。そんな平塚の街をざっと散策をしてみる。 本編は、「その2」となります。「その1」はこちらから。 位置関係 … 続きを読む 「軍都・平塚」海軍火薬廠の跡地散策・その2

コメントなし

「軍都・平塚」海軍火薬廠の跡地散策・その1

平塚市は、海軍火薬廠や海軍工廠科学実験部、そして関連する軍需工場などが集中する一大軍事拠点、「軍都・平塚」であった。そんな平塚の街をざっと散策をしてみる。 本編は「その1」となります。 かつての横須賀水交社平塚集会所(現 … 続きを読む 「軍都・平塚」海軍火薬廠の跡地散策・その1

コメントなし

水戸陸軍墓地跡と水戸歩兵第二聯隊跡地の散策

水戸市内の戦跡散策。水戸市内には、「水戸歩兵第二聯隊」が駐留していた。 以前に、水戸歩兵第二聯隊には触れており、今回はその際に散策しきれなかった箇所などを追記。 参考記事 水戸歩兵第二聯隊や茨城県護國神社など。 位置関係 … 続きを読む 水戸陸軍墓地跡と水戸歩兵第二聯隊跡地の散策

2 comments

軍艦那珂忠魂碑(大洗磯前神社)

大洗磯前神社には何度も参拝をしておりました。それこそ、「ガルパン」とか「艦これ」とかで賑わう前から、神社フリークとしても東国有数の古社「延喜式内明神大社」にして「国幣中社」という格式からも欠かせない神社。初参拝は平成13 … 続きを読む 軍艦那珂忠魂碑(大洗磯前神社)

コメントなし

「水戸陸軍飛行場跡(水戸東飛行場跡)」水戸つばさの塔(ひたちなか市)

茨城県ひたちなか市。 戦前、水戸の周辺には3つの陸軍飛行場があった。水戸飛行場(水戸東飛行場)水戸南飛行場(吉田飛行場)水戸北飛行場(水戸北秘匿飛行場)、未完成の特攻用飛行場。 今回は、その中心にあたる「水戸飛行場(水戸 … 続きを読む 「水戸陸軍飛行場跡(水戸東飛行場跡)」水戸つばさの塔(ひたちなか市)

コメントなし

JR根府川駅に残る機銃掃射弾痕(小田原市)

昭和20年。小田原周辺は度々の空襲に見舞われていた。 小田原地方の空襲 界隈では、二宮駅が8月5日にアメリカ軍戦闘機P‐51の機銃掃射を受けていた。 この日、襲来したP-51戦闘機の編隊は、各地の鉄道駅や列車を襲撃し続け … 続きを読む JR根府川駅に残る機銃掃射弾痕(小田原市)

コメントなし

日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」部分移設で保存となった観客席(取り壊し後)

2021年末、多摩川河川敷に開設された日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」観客席跡が取り壊しとなった。 当初は、全面的な解体が予定されていたが、観客席の保存活動を行っていた任意団体「多摩川スピードウェイの会」の … 続きを読む 日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」部分移設で保存となった観客席(取り壊し後)

コメントなし

小名浜港の礎となった駆逐艦汐風と澤風「軍艦防波堤(沈船防波堤)」(福島県いわき市)

福島県いわき市小名浜。福島県下では最大の港湾。この港町の埠頭に、旧帝国海軍の駆逐艦が眠っているというので、足を運んでみました。 艦影が分かるように敷かれたタイル。これが駆逐艦「汐風」の艦尾を伝える名残。 沈船防波堤の歴史 … 続きを読む 小名浜港の礎となった駆逐艦汐風と澤風「軍艦防波堤(沈船防波堤)」(福島県いわき市)

コメントなし

「勿来の風船爆弾打ち上げ基地」跡地散策(福島県いわき市)

東京と仙台の中間地点にある「勿来」。古来、この地には「勿来の関」が設置され、白河の関と並んで、関東と東北の境目であった。太平洋戦争中、ちょうど「勿来の関」を挟んで南北に、「風船爆弾」の放球基地が設置された。北は勿来で、南 … 続きを読む 「勿来の風船爆弾打ち上げ基地」跡地散策(福島県いわき市)

コメントなし

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・4

桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その4」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 埼玉県桶川市、そして荒川の対岸の川島町にまたがるホンダエアポート。この場所がかつての熊谷陸軍飛行学 … 続きを読む 「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・4

コメントなし

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・3

桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その3」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 ここでは、おもに展示内容に関して掲載していきます。 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 兵舎棟 旧熊谷陸 … 続きを読む 「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・3

コメントなし

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・2

桶川にあった陸軍桶川飛行学校の跡地散策。本記事は、「その2」です。 「その1」から順を追って見ていただければ、幸いです。 桶川飛行学校平和祈念館 桶川飛行学校平和祈念館 さて、敷地内に。 桶川飛行学校平和祈念館 施設案内 … 続きを読む 「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・2

コメントなし

「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・1

桶川にあった陸軍桶川飛行学校は、戦後は市営住宅として活用されていたが、木造建築であったために老朽と廃墟化が進んでいた。その後、私が戦跡に興味を持ったときは、桶川飛行学校跡地は復元整備工事の最中となり、長く立ち入ることがで … 続きを読む 「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(陸軍桶川飛行学校)」跡地散策・1

コメントなし

厚木海軍飛行場の戦跡散策(米海軍厚木航空施設)

2022年8月20日(土曜日)、3年ぶりに米海軍厚木航空施設にて、「盆踊り(BONODORI)」が実施され、一般公開が行われた。せっかくでしたので脚を運んでみました。 厚木海軍飛行場 帝国海軍が帝都防衛の拠点として昭和1 … 続きを読む 厚木海軍飛行場の戦跡散策(米海軍厚木航空施設)

コメントなし

77年目の8月15日-靖國神社

靖國神社 終戦から77年目の8月15日、終戦の日の靖國神社。今年は、快晴の8月15日でした。 靖國神社・午前9時30分 放鳩式 靖國神社・午前10時 昨年、一昨年に続き、本年の放鳩式も神社関係者のみでの開催。一般参列者は … 続きを読む 77年目の8月15日-靖國神社

コメントなし

「陸軍重砲兵学校」跡地散策・その2(横須賀)

馬掘小学校・中学校の東の坂道を進む。馬掘自然教育園へ向かう。往時から残る道。 本記事はその2となります。その1はこちらから。 境界塀 馬掘中学校に残る不自然な境界塀。往時からの塀かもしれないし、関係ない塀かもしれない。参 … 続きを読む 「陸軍重砲兵学校」跡地散策・その2(横須賀)

コメントなし

「陸軍重砲兵学校」跡地散策・その1(横須賀)

横須賀の防衛大学校の手前、馬掘小中学校や馬掘自然教育園のあるエリアは、かつて陸軍の重砲兵学校があった場所。昭和40年代に海岸線を埋め立てる前は、この地が海岸線の南西端でもあった。そんな馬掘の陸軍重砲兵学校関連戦跡を散策し … 続きを読む 「陸軍重砲兵学校」跡地散策・その1(横須賀)

コメントなし

「横須賀重砲聯隊」跡地散策

横須賀には「陸軍重砲兵学校」があった。そして横須賀には「要塞」があった。横須賀に残る重砲聯隊の名残を散策してみる。汐入駅からの衣笠駅を結んでいるバスで、坂本坂上バス停下車。 横須賀重砲聯隊 明治24年(1891年)11月 … 続きを読む 「横須賀重砲聯隊」跡地散策

コメントなし

旧長井駅舎(解体済)と長井の近代建築散策(山形県長井市)

以前の出張で、山形県長井市に脚を運んでいた際に、記録していた写真を掲載します。撮影は2018年。偶然にも旧長井駅の解体前の思い出の記録にもなった。 訪れたのは、2018年8月の早朝。この一瞬、奇しくも虹が出ていました。 … 続きを読む 旧長井駅舎(解体済)と長井の近代建築散策(山形県長井市)

コメントなし

米沢の近代史跡散策・その2

山形県米沢市に赴く機会があったので、米沢城周辺を散策してみました。米沢城周辺の散策は、その1にて。 九里学園高等学校 (九里裁縫女学校) 竣工は、昭和10年 (1935)。国登録有形文化財。 九里学園高等学校大正建築の意 … 続きを読む 米沢の近代史跡散策・その2

コメントなし

米沢の近代史跡散策・その1

山形県米沢市に赴く機会があったので、米沢城周辺を散策してみました。 招魂碑 米沢城址、上杉神社の境内の上杉謙信祠堂(御堂)跡に建立されている招魂碑。 招魂碑 この招魂碑は、慶応4年(1866)に始まった戊辰戦争で、主に新 … 続きを読む 米沢の近代史跡散策・その1

コメントなし

【解体済】鉄道第一聯隊炊事棟跡(千葉市中央区椿森)

千葉県千葉市中央区椿森。鉄道第一聯隊がこの地に展開されていた。 以下は解体前の記録です 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-M504-168昭和22年(1947年)9月24日、米軍撮影 … 続きを読む 【解体済】鉄道第一聯隊炊事棟跡(千葉市中央区椿森)

コメントなし

貴重な明治期の煉瓦建築「鉄道聯隊材料廠」(千葉経済大学)

千葉県内に残る鉄道連隊の戦跡。千葉や習志野、津田沼界隈に多く残っている。当サイト内でもいくつか掲載をしてきていた。 内部公開の記事は下記にて 今回は、千葉経済大学の構内に残る、貴重な煉瓦建造物を見学(外観のみ)。 位置関 … 続きを読む 貴重な明治期の煉瓦建築「鉄道聯隊材料廠」(千葉経済大学)

コメントなし

千葉陸軍病院跡と陸軍歩兵学校跡

千葉市内の戦跡。 点在する戦跡の中から、学校と病院を掲載。以前の散策で見逃していた戦跡をフォローする。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-M504-168昭和22年(1947年)9月 … 続きを読む 千葉陸軍病院跡と陸軍歩兵学校跡

コメントなし

適塾の流れをくむ「大阪仮病院」と「蘭医ボードウイン」の史跡散策

大阪の医学は、「適塾」から始まった。もっとも「適塾」と言ってしまうと、日本の医学にも多大な影響を残しており、大坂だけの話ではなくなってしまうが。 適塾から浪華仮病院へ 緒方洪庵が、大阪船場で開塾した適塾(1838-186 … 続きを読む 適塾の流れをくむ「大阪仮病院」と「蘭医ボードウイン」の史跡散策

コメントなし

戦後国産機リスタート「新立川飛行機」と「立飛R-HM型軽飛行機」(立川立飛)

戦後日本の航空産業は、時(とき)を止めていた。そして終戦から7年後に、国産機の復活の口火を切ったのが「新立川飛行機」であった。 新立川飛行機 戦前、中堅飛行機メーカーとして、「赤とんぼ」や中島飛行機「隼」のライセンス生産 … 続きを読む 戦後国産機リスタート「新立川飛行機」と「立飛R-HM型軽飛行機」(立川立飛)

コメントなし

戦前日本第四位の航空機メーカー「立川飛行機」の跡地散策(立川立飛)

戦前日本の航空機メーカーのトップスリーは、中島・三菱・川崎。この大手三社に続く四番手が「立川飛行機」。戦後、航空機産業の道は閉ざされ、航空機メーカー各社は、それぞれの道を歩むことになる。そんな中で、立川飛行機は、今も色濃 … 続きを読む 戦前日本第四位の航空機メーカー「立川飛行機」の跡地散策(立川立飛)

コメントなし

真田山の騎兵第四聯隊(大阪)

大阪城の南に築かれた出城、真田丸。その真田丸のあったエリアに展開されていたのが、騎兵第四聯隊であった。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-M84-1-971948年08月31日に米軍 … 続きを読む 真田山の騎兵第四聯隊(大阪)

コメントなし

「森之宮団地の大阪砲兵工廠跡」と「鵲森宮の機銃掃射弾痕跡」(大阪)

大阪城の東を走る大坂環状線。そのさらに東側に大阪メトロ森之宮検車場や森之宮小学校、大坂公立大学森ノ宮キャンパスや、UR森之宮団地がある場所、さらには、大阪城公園の近くや、大阪城ホール、大坂ビジネスパークなどの広大なエリア … 続きを読む 「森之宮団地の大阪砲兵工廠跡」と「鵲森宮の機銃掃射弾痕跡」(大阪)

コメントなし

機銃掃射弾痕が残る黒門町架道橋(JR大阪環状線玉造駅)

JR大阪環状線玉造駅のすぐ隣の鉄橋。ここに無数の穴が開いている。この無数の穴は、機銃掃射の弾痕、という。 中央の柱に残る、強烈な痕跡。H鋼の2枚を貫通した弾痕に、すさまじい威力を感じるとともに、恐怖と悲劇も思い起こさせる … 続きを読む 機銃掃射弾痕が残る黒門町架道橋(JR大阪環状線玉造駅)

コメントなし

「為萬世開太平」終戦内閣総理大臣・鈴木貫太郎の関連史跡2(晩年の地・千葉県野田市関宿町)

千葉県野田市関宿町。この地に、鈴木貫太郎記念館がある。関宿町は、鈴木貫太郎が幼年期と最晩年を過ごした土地。前々から気に掛かる場所でした。 実は先日に、関西に出張がありました。せっかくなので、足を伸ばしたのが、「鈴木貫太郎 … 続きを読む 「為萬世開太平」終戦内閣総理大臣・鈴木貫太郎の関連史跡2(晩年の地・千葉県野田市関宿町)

コメントなし

「為萬世開太平」終戦内閣総理大臣・鈴木貫太郎の関連史跡1(誕生の地・大阪府堺市)

鈴木貫太郎。日本の戦争を終わらせた総理大臣。 実は先日に、関西に出張がありました。どこかに寄れないかな、と地図を見ていたら見つけたのが、「鈴木貫太郎生誕の地」。これは、行ってみたい。駅から離れているし、ちょっと不便な場所 … 続きを読む 「為萬世開太平」終戦内閣総理大臣・鈴木貫太郎の関連史跡1(誕生の地・大阪府堺市)

コメントなし

令和四年・靖國神社みたままつり

靖國神社のみたま祭りは、7月13-14-15-16日の4日間、祭行されます。コロナ禍の最中ということもあり、規模を縮小しつつも、今年もみたままつりが行われましたので、足を運んできました。 このところ、忙しすぎて、職場が靖 … 続きを読む 令和四年・靖國神社みたままつり

コメントなし

高射第3師団司令部があった大阪市立美術館

天王寺公園の大阪市立美術館。戦時中は、高射砲第3師団司令部が置かれていた。 大阪市立美術館 大阪市立美術館は、大阪市天王寺区の天王寺公園内にある美術館。東京府、京都市に次いで日本で三番目に設立された公立美術館。 当地には … 続きを読む 高射第3師団司令部があった大阪市立美術館

コメントなし

晩年を横須賀で過ごした坂本龍馬の妻・お龍(おりょうさんの胸像とお墓)

坂本龍馬の妻「おりょう」は、晩年を横須賀で過ごしていた。横須賀に胸像とお墓があるので足を運んでみた。 坂本龍馬の海援隊は日本海軍のルーツの一つ。そんな縁もあってか、晩年のおりょうさんには、海軍の支援があった。 楢崎龍(お … 続きを読む 晩年を横須賀で過ごした坂本龍馬の妻・お龍(おりょうさんの胸像とお墓)

コメントなし

馬門山海軍墓地(横須賀海軍墓地)

以前、墓前祭の様子はレポートしておりましたが、慰霊碑等の詳細に言及しておりませんでしたので、改めて再訪の上で記載をしていきます。 慰霊顕彰し、深く拝す。ありがとうございます。 馬門山横須賀海軍墓地墓前祭 馬門山横須賀海軍 … 続きを読む 馬門山海軍墓地(横須賀海軍墓地)

コメントなし

鶴舞公園に残る戦跡(名古屋)

名古屋市昭和区の鶴舞公園。名古屋初の都市公園として明治42年に誕生した鶴舞公園にも、戦争に関連する歴史が残されている。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-M550-1-72_1947 … 続きを読む 鶴舞公園に残る戦跡(名古屋)

コメントなし

多摩陸軍飛行場(横田基地)の格納庫

在日米空軍横田基地で「日米友好祭フレンドシップフェスティバル2022」が、5月21日22日にかけて、3年ぶりの開催された。 実は横田基地は初めて。事前学習せずに、何気ない気持ちで行ってみたら、大行列と雨に巻き込まれて散々 … 続きを読む 多摩陸軍飛行場(横田基地)の格納庫

2 comments

「旧・横須賀海仁会病院」(202207解体)「禁廷水の碑」と「旧・横須賀海軍共済病院」散策

横須賀海仁会病院の建屋が、いよいよ解体という話があったので、慌てて見学に行ってきました。 横須賀海仁会病院 海軍の下士官及びその家族の診療を行う病院として昭和14年3月に開院。45年の敗戦と同時に、米海軍に接収。当時の米 … 続きを読む 「旧・横須賀海仁会病院」(202207解体)「禁廷水の碑」と「旧・横須賀海軍共済病院」散策

コメントなし

松井石根大将ゆかりの神社(椿神明社・名古屋)

愛知県名古屋市中村区牧野町。名古屋駅の駅裏(駅西)、つまり名古屋駅の西側には、牧野公園や牧野小学校など牧野の名前を残した場所がある。 椿神社は牧野村の北端。この牧野村で、松井石根は明治11年(1878年)7月27日に生ま … 続きを読む 松井石根大将ゆかりの神社(椿神明社・名古屋)

コメントなし

「陸軍野戦砲兵学校」四街道の陸軍戦跡散策

軍郷四街道。軍郷としての四街道の繁栄は、佐倉藩が洋式砲術(高島秋帆流砲術)の演習を行っていた「下志津原」にはじまる。下志津原に築かれた砲兵演習場(射場)を軸に、明治19年には、「陸軍砲兵射的学校」が創立している。 陸軍野 … 続きを読む 「陸軍野戦砲兵学校」四街道の陸軍戦跡散策

コメントなし

日本の高さの基準点「日本水準原点」一般公開

かつて「陸地測量部」があった場所は、現在は「国会前庭」として整備されている。その場所にあるのが「日本水準原点」。日本水準原点と日本水準原点標庫は、測量分野では初の国指定重要文化財となり、監視用の附属水準点標石3点は附指定 … 続きを読む 日本の高さの基準点「日本水準原点」一般公開

2 comments

日本の高さの出発点「霊岸島水位観測所」と一等水準点「交無号」

日本の国土の基点となっている場所がある。今回は「高さ」のスタート地点を散策。 国会議事堂前庭にある「日本水準原点」の標高は、霊岸島で水位を観測し定められた水準点「交無号」からの測量で決定している。 日本水準原点 油壷験潮 … 続きを読む 日本の高さの出発点「霊岸島水位観測所」と一等水準点「交無号」

コメントなし

「動物慰霊之塔と陸軍習志野学校跡地」習志野の森散策

騎兵の町・軍郷習志野。日露戦争当時、この地には4つの「騎兵聯隊」が駐留していた。その後、第一次大戦後の軍縮や軍備近代化の流れなどもあり、騎兵連隊は規模を縮小し騎兵は戦車兵と統合し機甲兵としてなり、兵種としての騎兵は消滅し … 続きを読む 「動物慰霊之塔と陸軍習志野学校跡地」習志野の森散策

コメントなし

毛呂駅(昭和7年の駅本屋)

JR八高線。文字通りに八王子と高崎を結んでいる鉄道。現在は八王子ー高麗川の南側は電化区間として電車が走り、高麗川ー高崎の北側は非電化区間として気動車(ディーゼル車)が走っている。非電化の鉄道としては埼玉県唯一。東京都内の … 続きを読む 毛呂駅(昭和7年の駅本屋)

コメントなし

松脂油採取の跡(井の頭自然文化園)

戦争末期。苦肉の策として航空燃料原料としての利用が試みられたのが「松から採取された油」であった。しかし労力と効率の割が悪く、また粗悪のために実用には至らず。 松の根からは「松根油」、樹皮からは「松脂油」が採取されたという … 続きを読む 松脂油採取の跡(井の頭自然文化園)

コメントなし

「軍艦と愛国」日本の行進曲の父・瀬戸口藤吉の墓(横須賀)

瀬戸口藤吉。日本の行進曲の父。日本が世界に誇る名行進曲「軍艦」(軍艦行進曲・軍艦マーチ)を作曲した軍楽師。 その瀬戸口藤吉の墓が横須賀にあるというので足を運んでみた。(愛国行進曲が大好きだという思い入れもあり。) 瀬戸口 … 続きを読む 「軍艦と愛国」日本の行進曲の父・瀬戸口藤吉の墓(横須賀)

コメントなし

 「八清住宅」陸軍航空工廠従業員の集団住宅地(昭島)

東中神駅の南側に「八清」と呼ばれる住宅街がある。地図を見てみると、円形のロータリーが住宅地の中に今も残っている。 八清の由来 八清の由来 日中戦争から太平洋戦争へと軍国主義の道を歩む頃、我が国の軍需産業は飛躍的発展を遂げ … 続きを読む  「八清住宅」陸軍航空工廠従業員の集団住宅地(昭島)

2 comments

中神坂の防空壕跡(昭島)

昭島市の南側を走る「奥多摩街道」。ざっと中神駅から南に1キロ。そこに防空壕跡があるというので足を運んでみた。 中神坂の石垣 中神坂交差点周辺は見事な石垣が造成されている。多摩川の玉石を使った石垣は、東京府が昭和6年に奥多 … 続きを読む 中神坂の防空壕跡(昭島)

コメントなし

昭和飛行機工業東京製作所の跡地散策(昭島)

昭島市。昭和3年(1928年)に発足した昭和村を前身とする。立川陸軍飛行場の隣ということもあり、航空機関連の軍需工場が昭和村にも進出。そんな昭和村に進出した「昭和飛行機」の名残を昭島に辿ってみる。 昭和飛行機工業株式会社 … 続きを読む 昭和飛行機工業東京製作所の跡地散策(昭島)

コメントなし

新境内地に御遷座した「千葉縣護國神社」

千葉縣護國神社(千葉県護國神社)が令和4年(2022年)に遷座しました。 ご遷座した千葉縣護國神社 千葉県出身5万7828柱の御英霊を祀る千葉縣護國神社。千葉県千葉市中央区弁天から千葉県千葉市若葉区桜木へ、令和4年(20 … 続きを読む 新境内地に御遷座した「千葉縣護國神社」

コメントなし

千葉県忠霊塔(千葉陸軍墓地跡・千葉公園)

千葉公園は戦前は鉄道連隊の演習場や陸軍墓地があった。しばらく前までは千葉縣護國神社もあったが、令和4年に遷座している。 遷座前 遷座後 また、千葉公園は下記の記事にも記載している。千葉公園の鉄道連隊は以下から。 千葉県忠 … 続きを読む 千葉県忠霊塔(千葉陸軍墓地跡・千葉公園)

コメントなし

乃木大将像と護国忠魂碑(茅ヶ崎)

茅ヶ崎市に乃木希典の石像があると耳にしたので、足を運んでみた。 境内の東側に、慰霊の地がある。 護国忠魂碑 護國忠魂碑 希典書 明治38年10月16日 茅ヶ崎村兵事會 建立 日清日露戦争における戦没者13柱を祀る。当初は … 続きを読む 乃木大将像と護国忠魂碑(茅ヶ崎)

コメントなし

「初雁公園のラジオ塔と国旗掲揚台」(川越)

小江戸川越として著名な観光地。小江戸といえば近世的な見どころが多数ではあるが、近代目線でも見どころが豊富。実は、川越には、大きな空襲が無かったことも幸いして、近代建築物も多数残されている。(ゆくゆくは川越の近代建築物の散 … 続きを読む 「初雁公園のラジオ塔と国旗掲揚台」(川越)

コメントなし

「日本の航空事始め・その2」グラーデ単葉機と日野熊蔵(所沢航空発祥記念館と代々木公園)

以前に、「日本の航空事始め」として、アンリ・ファルマン機と徳川好敏に触れてました。今回は、「日本の航空事始め・その2」として、グラーデ単葉機と日野熊蔵に関して、記載してみたいと思う。 日本の航空事始め・その1アンリ・ファ … 続きを読む 「日本の航空事始め・その2」グラーデ単葉機と日野熊蔵(所沢航空発祥記念館と代々木公園)

コメントなし

さいたま市に残る「奉安殿」流用建造物

大宮浦和のさいたま市に残っている、かつての奉安殿を流用した建造物を求めて散策してみる。 奉安殿(御真影奉安殿) 奉安殿とは、戦前において天皇陛下皇后陛下の御真影(お写真)と教育勅語を納めていた建物。当初は職員室や校長室に … 続きを読む さいたま市に残る「奉安殿」流用建造物

コメントなし

靖國信仰~人を神に祀るということ~

はじめに 人を神に祀るということ 御霊信仰と顕彰信仰 祖霊信仰と靖國神社 みたままつり 靖國のみたまへの想い  はじめに   「靖國神社という神社」は、数多くの神社のなかでも、異彩を放っている。&nb … 続きを読む 靖國信仰~人を神に祀るということ~

コメントなし

「桜咲く宮・靖國神社」~靖國櫻(令和4年)

令和四年。終戦から77年。今年も靖國神社の桜花を愛でる。 境内に献木された桜たち。一木一木に込められた戦友・ご遺族の皆様の想いが、花を咲かせる。 御英霊の皆様と、今年も花見と洒落込もう。「花の都」「桜咲く宮」を楽しもう。 … 続きを読む 「桜咲く宮・靖國神社」~靖國櫻(令和4年)

コメントなし

所沢駅周辺の戦跡散策

所沢といえば、日本の航空の発祥の地。日本初の航空機専用飛行場は所沢陸軍飛行場が明治44年(1911)に完成したことにはじまる。以来、昭和20年(1945)の終戦に至るまで、日本の航空発展の歴史は、所沢とともにあった。 「 … 続きを読む 所沢駅周辺の戦跡散策

コメントなし

有志が建立した「神奈川縣護國神社」

全国47都道府県で唯一「護國神社」が無い県が神奈川県。(内務大臣指定護國神社として。東京は靖國神社で包括している。) もちろん、神奈川県にも公式に護国神社建立の予定はあった。 神奈川縣護國神社(内務大臣指定護國神社) 神 … 続きを読む 有志が建立した「神奈川縣護國神社」

1件のコメント

「護国観音」(大船観音寺)

大船駅に到着すると、ひときわに存在感を放つ白亜の観音様がみえてくる。通称「大船観音」。実は、この観音様は戦前に「護国観音」として建立が予定されていた観音様であった。 昭和4年(1929)に「護国大船観音」の建立に着手。昭 … 続きを読む 「護国観音」(大船観音寺)

コメントなし

都内現存唯一のラジオ塔「聖蹟公園とラジオ塔」(品川)

戦前の日本。まだまだ一般家庭にラジオが普及していなかった時代。ラジオ普及を目的として、公共空間に設置された公衆ラジオ。ラジオ受信機を塔の内部に収納する。「公衆用聴取施設」として各地にラジオ等が建設された。 聖蹟公園のラジ … 続きを読む 都内現存唯一のラジオ塔「聖蹟公園とラジオ塔」(品川)

コメントなし

3月10日・東京大空襲(あの日から77年)

令和4年(2022年)3月10日。 あの日から77年。 昭和20年(1945)3月10日午前0時過ぎ、爆撃が開始。 犠牲者10万人を超す規模であり、単独の空襲としては世界史上最大の犠牲者となっている。世にいう、東京大空襲 … 続きを読む 3月10日・東京大空襲(あの日から77年)

コメントなし

二ヶ領用水久地円筒分水・昭和16年完成の円筒型自然分水装置(川崎・溝口)

武蔵溝ノ口駅・東急溝の口駅から北西に15分ほどの道のり。駅前に紹介の看板があったので予備知識無しで興味本位で足を運んでみた。結果として、なかなか見ごたえのある曲線美のある建造物に出会うことができた。 二ヶ領用水久地円筒分 … 続きを読む 二ヶ領用水久地円筒分水・昭和16年完成の円筒型自然分水装置(川崎・溝口)

コメントなし

溝口神社境内稲荷社・高津尋常高等小学校奉安殿(川崎・溝口)

溝口の鎮守、溝口神社の境内稲荷社は、かつての奉安殿であった。 奉安殿(御真影奉安殿) 奉安殿とは、戦前において天皇陛下皇后陛下の御真影(お写真)と教育勅語を納めていた建物。当初は職員室や校長室に奉安所が設けられていたが、 … 続きを読む 溝口神社境内稲荷社・高津尋常高等小学校奉安殿(川崎・溝口)

コメントなし

「お化け灯籠と陸軍東部62部隊」の戦跡散策(川崎・宮崎台)

東急田園都市線「宮崎台駅」。今でこそよくある住宅街のこの地に、かつて陸軍部隊が展開されていた。六本木で編成された東部62部隊(陸軍101聯隊)は、招集兵の訓練と東京近郊に駐留する部隊の演習場として、川崎市宮前区を中心に、 … 続きを読む 「お化け灯籠と陸軍東部62部隊」の戦跡散策(川崎・宮崎台)

コメントなし

「防空壕と溝口演習場」溝口の戦跡散策(川崎・溝口)

東急溝の口駅・JR武蔵溝ノ口駅前の防空壕 表記ゆれしているでややこしいが、東急溝の口駅・JR武蔵溝ノ口駅の南口ロータリー。その向かい側の台地の下には、ぽっかりと穴が空いていた。 どうみても防空壕ですね。 穴は、左に折れた … 続きを読む 「防空壕と溝口演習場」溝口の戦跡散策(川崎・溝口)

コメントなし

殉職救護員之碑・日本赤十字社埼玉県支部(浦和)

浦和の調神社の隣の調公園の隣に、日本赤十字社埼玉県支部がある。その駐車場の片隅に、従軍看護婦を顕彰する慰霊碑がある。 殉職救護員之碑 日本赤十字従軍看護婦(第一種服装)の銅像。見事な造形。 殉職救護員之碑博愛人道の赤十字 … 続きを読む 殉職救護員之碑・日本赤十字社埼玉県支部(浦和)

コメントなし

「調公園のラジオ塔」浦和の戦跡・近代史跡散策

埼玉県さいたま市。浦和地区にある調公園。武蔵国の古社「調神社」の隣にある公園に、戦前の建造物や慰霊碑などがある。あわせて浦和地区(旧浦和市)の近代建築物など、散策してみる。 調公園のラジオ塔(ラヂオ塔) ラジオ普及を目的 … 続きを読む 「調公園のラジオ塔」浦和の戦跡・近代史跡散策

コメントなし

「日本の近代化を支えた砂利鉄道」西武安比奈線廃線跡の散策・その2(川越)

埼玉県川越市。西武川越線「南大塚駅」から「安比奈駅」を結んでいた貨物線。日本の近代化を支えた砂利鉄道の跡を散策してみる。 本記事は、「その2」です。「その1」は以下から。 「砂利鉄道」と「西武安比奈線」 入間川で採取した … 続きを読む 「日本の近代化を支えた砂利鉄道」西武安比奈線廃線跡の散策・その2(川越)

コメントなし

「日本の近代化を支えた砂利鉄道」西武安比奈線廃線跡の散策・その1(川越)

埼玉県川越市。西武川越線「南大塚駅」から「安比奈駅」を結んでいた貨物線。日本の近代化を支えた砂利鉄道の跡を散策してみる。 「砂利鉄道」と「西武安比奈線」 入間川で採取した砂利運搬を目的とした「砂利線」として、1925年( … 続きを読む 「日本の近代化を支えた砂利鉄道」西武安比奈線廃線跡の散策・その1(川越)

コメントなし

「海軍無線電信所船橋送信所」と「無線電信所道」(船橋)

以前に記載した記事の内容が浅かったために、「海軍無線電信所船橋送信所」を中心に記事を再編集。再編集するに当たり、未掲載写真や新規取材分の写真を追加しました。 元記事:船橋西部の戦跡散策(2017年6月撮影) 船橋無線塔記 … 続きを読む 「海軍無線電信所船橋送信所」と「無線電信所道」(船橋)

コメントなし

「日本初の短波標準電波送信所」東京無線電信局検見川送信所跡(千葉)

検見川送信所。解体話も飛び交っていたが保存の声が高まり「保存する」というところまでは、話を聞いていた建物。その後の話題を聞くこともなく、そういえば、で思い出しての訪問。訪問は、日本戦跡協会さんと合同で実施しました。 本記 … 続きを読む 「日本初の短波標準電波送信所」東京無線電信局検見川送信所跡(千葉)

コメントなし

海軍東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊の耐強受信壕跡地散策(川崎)

川崎市高津区蟹ケ谷。「蟹ヶ谷」には鉄道駅はなく、武蔵小杉駅や溝の口駅、武蔵新城駅や綱島駅などからバスに乗り「蟹ヶ谷バス停」が最寄りとなる。「蟹ヶ谷」という文字通りに、谷戸の多いこのエリアに、かつて海軍の受信所があった。 … 続きを読む 海軍東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊の耐強受信壕跡地散策(川崎)

2 comments

日露戦勝記念の「砲弾狛犬」(横浜・川崎)

神奈川県と千葉県に、砲弾を抱えた狛犬がいる。 なんでも、神奈川県横浜市内の2社、川崎市内の2社、千葉県館山市内の1社の合計5社にて、境内に「砲弾を抱えた狛犬」こと通称「砲弾狛犬」が現存しているという。 いずれも明治34年 … 続きを読む 日露戦勝記念の「砲弾狛犬」(横浜・川崎)

コメントなし

印旛陸軍飛行場と無蓋掩体壕(印西)

千葉県印西市。北総鉄道北総線「印西牧の原駅」。 正直言って乗る機会がなく、行く機会のない場所。なんせ北総線は運賃が高いので、用事がない限りは乗ることもなかった。そのため、印西市に「無蓋掩体壕」があるとは聞いていたが、それ … 続きを読む 印旛陸軍飛行場と無蓋掩体壕(印西)

コメントなし

藤ヶ谷陸軍飛行場専用線の廃線跡(鎌ヶ谷)

先日、藤ヶ谷陸軍飛行場の地下格納庫を探索してました。その際にご一緒しました「日本戦跡協会様」の車で、 地下格納庫 から海自下総航空基地を南側から迂回して松戸方面に走っていた途中、「ちなみに・ ・ ・」 で、私が口にしたの … 続きを読む 藤ヶ谷陸軍飛行場専用線の廃線跡(鎌ヶ谷)

コメントなし

藤ヶ谷陸軍飛行場の地下格納庫跡(鎌ヶ谷)

本記事は、日本戦跡協会様との共同探索となります。  日本戦跡協会サイト  https://www.sensouiseki.com 日本戦跡協会Twitter  https://twitter.com/sensouisek … 続きを読む 藤ヶ谷陸軍飛行場の地下格納庫跡(鎌ヶ谷)

コメントなし

鉄道連隊演習線松戸線の散策4(津田沼~前原)

新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電鉄を昭和21年10月に設立。昭和22年12月27日に、新津田沼駅-薬園台駅間が開業 … 続きを読む 鉄道連隊演習線松戸線の散策4(津田沼~前原)

コメントなし

帝国陸軍船舶部隊の根拠地・宇品(広島)

広島に出張した際のスキマ時間に。あまり時間が無かったけれども、宇品まで足を運んでみました。この宇品港は、陸軍船舶部隊の中心地、であった。 宇品へ 広島電鉄宇品線で南に向かう。 広島電鉄宇品線は、「宇品口(現在の元宇品口) … 続きを読む 帝国陸軍船舶部隊の根拠地・宇品(広島)

コメントなし

広島陸軍被服支廠倉庫跡

広島に出張があった際に、スキマ時間で散策をしてみました。時間が捻出できなかったのでピンポイントの散策になりましたが。 広島陸軍被服支廠倉庫(出汐町倉庫) 現存する4棟のうち、第 1~3 号棟は広島県所有。第 4 号棟は国 … 続きを読む 広島陸軍被服支廠倉庫跡

コメントなし

東京消防庁 高輪消防署 二本榎出張所(昭和8年・東京都選定歴史的建造物)

昭和8年(1933年)に建てられた二本榎出張所(旧高輪消防署)は、平成22年に「東京都選定歴史的建造物」に選定されている。建築様式としては、第一次世界大戦後に流行した「ドイツ表現派」の建築設計。レトロな外観が特徴的な消防 … 続きを読む 東京消防庁 高輪消防署 二本榎出張所(昭和8年・東京都選定歴史的建造物)

3 comments

名古屋城周辺の戦跡と近代建築

本記事は2017年1月と2018年6月に名古屋方面を散策した際の記録をまとめたものになります。2022年現在とは様相が異なる可能性濃厚ですが、往時の記録としてご参照いただければ幸いです。 なお、このころの散策はムラが多い … 続きを読む 名古屋城周辺の戦跡と近代建築

コメントなし

「日独友好の碑」ドイツ人名古屋俘虜収容所跡

愛知県立旭丘高等学校の塀沿いにある記念碑。この愛知県立旭丘高等学校のある場所は、かつてドイツ人名古屋俘虜収容所の地であった。 ドイツ人俘虜 1914年(大正3年)8月23日に、日本はドイツに宣戦布告。第一次世界大戦の日独 … 続きを読む 「日独友好の碑」ドイツ人名古屋俘虜収容所跡

コメントなし

名古屋陸軍造兵廠千種製造所跡(千種公園)

愛知県名古屋市千種区の「千種公園」は、かつては陸軍の工場であった。 名古屋陸軍造兵廠 千種製作所 名古屋陸軍造兵廠千種製作所は、 1919年(大正8年)発足。第一次世界大戦で新兵器として登場した飛行機の国内生産に取り組む … 続きを読む 名古屋陸軍造兵廠千種製造所跡(千種公園)

コメントなし

座間・陸軍士官学校の戦跡散策3「陸軍士官学校の水道施設」

陸軍士官学校周辺の戦跡散策。その1は、富士山公園の「陸軍士官学校遙拝所方位盤」、その2は「座間公園」でした。 その3では、水道施設を見て歩きます。 陸軍士官学校では、陸軍軍人だけではなく、士官養成のために多くの軍馬も飼育 … 続きを読む 座間・陸軍士官学校の戦跡散策3「陸軍士官学校の水道施設」

コメントなし

座間・陸軍士官学校の戦跡散策2「陸軍士官学校境界石と軍馬功労碑」

陸軍士官学校周辺の戦跡散策。その1は、富士山公園の「陸軍士官学校遙拝所方位盤」でした。 ここでは、「座間公園」界隈の散策を実施。 座間公園 キャンプ座間の西側に南北に細長く広がる公園が座間公園。公園の途中には座間神社も鎮 … 続きを読む 座間・陸軍士官学校の戦跡散策2「陸軍士官学校境界石と軍馬功労碑」

コメントなし

座間・陸軍士官学校の戦跡散策1「陸軍士官学校遙拝所方位盤」

座間には、陸軍士官学校があった。陸軍士官学校の土地は、現在の「キャンプ座間」となっている。キャンプ座間にはそうそう立ち入りはできないが、周辺にも「陸軍士官学校」を物語る史跡があるので、ちょっと散策してみた。 陸軍士官学校 … 続きを読む 座間・陸軍士官学校の戦跡散策1「陸軍士官学校遙拝所方位盤」

コメントなし

武蔵野陵に拝す(昭和天皇祭の儀・令和4年1月7日)

昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分。 国民の祈りの中で、昭和の天皇陛下は御崩御あそばされた。 即日、皇太子明仁親王殿下が践祚され、第百二十五代天皇の御位にお就きになられた。そして、年号は「平成」と改元せられた … 続きを読む 武蔵野陵に拝す(昭和天皇祭の儀・令和4年1月7日)

コメントなし

嗚呼 海軍七勇士殉難之碑(船橋)

船橋市の内陸。かつて、一式陸攻が墜落し若人7名が殉職した地に建立された慰霊碑がある。行きにくい場所ではあるが、気になるので足を運んでみた。 新京成電鉄「高根公団駅」から「さつき台」行きのバスにのり「梨園」バス停で下車。そ … 続きを読む 嗚呼 海軍七勇士殉難之碑(船橋)

コメントなし

鉄道連隊演習線松戸線の散策3(鉄道連隊橋脚・鎌ヶ谷)

鉄道連隊の跡地散策。この日は、新京成線沿線から離れ、東武野田線(東武アーバンパークライン)の馬込沢駅から20分ほど歩いた場所にある、演習線の橋脚を見学。 新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍 … 続きを読む 鉄道連隊演習線松戸線の散策3(鉄道連隊橋脚・鎌ヶ谷)

コメントなし

鉄道連隊演習線松戸線の散策2(新京成電鉄・常磐平駅~五香駅)

新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電鉄を昭和21年10月に設立。昭和22年12月27日に、新津田沼駅-薬園台駅間が開業 … 続きを読む 鉄道連隊演習線松戸線の散策2(新京成電鉄・常磐平駅~五香駅)

コメントなし

鉄道連隊演習線松戸線の散策1(新京成電鉄・八柱駅)

新京成電鉄は、陸軍の鉄道聯隊の演習線路をベースとしていた。日本陸軍解散後に、鉄道聯隊演習線は払い下げられ、京成電鉄は子会社としての新京成電鉄を昭和21年10月に設立。昭和22年12月27日に、新津田沼駅-薬園台駅間が開業 … 続きを読む 鉄道連隊演習線松戸線の散策1(新京成電鉄・八柱駅)

コメントなし

旧日立航空機立川工場変電所(補修完了後の再訪)

2017年に訪れた際は、1階のみの公開で、2階部分は非公開エリア、でした。2020年に改修工事が行われ、問題となっていた耐震補強や老朽化による雨漏りの補修を実施。2021年10月に、2階部分も一般公開される運びとなった。 … 続きを読む 旧日立航空機立川工場変電所(補修完了後の再訪)

コメントなし

靖國神社の新春初詣(令和4年)

令和4年(2022年)正月元日。靖國神社に初詣。 新春初詣の正式参拝を。 御本殿には、 明治天皇が明治7(1874)年1月27日に初めて招魂社をご参拝された際に詠まれた御製が奉書された御宸筆の扁額が掲げられている。年のは … 続きを読む 靖國神社の新春初詣(令和4年)

コメントなし

六郷水門(昭和6年・大田区)

多摩川の下流域を散策していた際に出会った史跡。 六郷水門 昭和6年(1931年)竣工の六郷水門。2021年(令和3年)に、土木学会推奨土木遺産となる。 六郷水門名称 六郷水門所在地 東京都大田区竣工年 1931(昭和6) … 続きを読む 六郷水門(昭和6年・大田区)

コメントなし

羽田の赤レンガの堤防(レンガ胸壁)

羽田の平和大鳥居から多摩川を上流に向けて歩いていくと、昔の堤防跡が残っている。それも赤レンガで造られた堤防。弁天橋から大師橋の約1.6kmほどの距離に、とぎれとぎれながもレンガの堤防が残っている。 赤レンガの堤防(赤煉瓦 … 続きを読む 羽田の赤レンガの堤防(レンガ胸壁)

2 comments

羽田の平和大鳥居(旧穴守稲荷神社大鳥居)

羽田空港の伝説として、よく語れるのが「羽田の大鳥居」。羽田の平和大鳥居から、赤レンガ堤防を経由して、六郷水門まで多摩川沿いを散策してみました。 平和大鳥居(旧穴守稲荷神社大鳥居) 昭和4年(1929年)10月建立。昭和6 … 続きを読む 羽田の平和大鳥居(旧穴守稲荷神社大鳥居)

コメントなし

出陣学徒壮行の地(学徒出陣・国立競技場)

国立競技場。もとは、大正13年(1924年)に明治神宮外苑競技場として完成した競技場。昭和18年(1943年)10月21日には明治神宮外苑競技場で文部省学校報国団本部の主催による「出陣学徒壮行会」が行われ、強い雨の中で出 … 続きを読む 出陣学徒壮行の地(学徒出陣・国立競技場)

コメントなし

高座海軍工廠の地下壕と台湾少年工顕彰碑(芹沢公園・座間)

以前、高座海軍工廠跡地散策を行ったときに、芹沢公園にも脚を運んだのが2017年12月だった。その後に、様相が若干かわったとの噂を聞いたので、4年後の2021年12月に再訪してみました。 前回の記録は以下で。 芹沢公園の地 … 続きを読む 高座海軍工廠の地下壕と台湾少年工顕彰碑(芹沢公園・座間)

コメントなし

武蔵村山の戦跡散策(高射砲第七聯隊跡地)

武蔵村山市の南東部は、陸軍関連の戦跡が点在している。以前に、「東航」(東京陸軍少年飛行兵学校)の戦跡散策を行った。今回は、ちょっと北側のエリアを散策。 高射砲第七聯隊東部第七十八部隊所沢陸軍航空整備学校立川教育隊 多摩地 … 続きを読む 武蔵村山の戦跡散策(高射砲第七聯隊跡地)

コメントなし

椿山荘(山縣有朋邸跡)

山縣有朋は、数カ所に邸宅を持っていた。 本サイトでは、以前に、「山縣有朋邸庭園跡(三番町共用会議所)」を掲載していた。 他にも、山縣有朋は多くの邸宅を有していた。  椿山荘 東京都文京区  明治11年 山縣有朋私邸 東京 … 続きを読む 椿山荘(山縣有朋邸跡)

コメントなし

ケルンの眺めと「萬年橋」

萬年橋(江東区) 昭和5年(1930)開通。鉄筋アーチ橋。 萬年橋は小名木川にかかる橋。萬年橋のすぐ西側で、小名木川は隅田川と合流する。合流先には清洲橋がある。そして萬年橋の東側には新小名木川水門が設置されている。また北 … 続きを読む ケルンの眺めと「萬年橋」

コメントなし

令和3年12月8日の靖國神社(太平洋戦争開戦80年)

令和3年12月8日、太平洋戦争開戦の日から80年の節目に。 御英霊に感謝と哀悼を。靖國神社に参拝をいたしました。 「はじまりの日」昭和16年12月8日(太平洋戦争開戦80年) 靖國神社(靖国神社・靖國神社) 雨降る社頭。 … 続きを読む 令和3年12月8日の靖國神社(太平洋戦争開戦80年)

コメントなし

「はじまりの日」昭和16年12月8日(太平洋戦争開戦の日)

80年前の節目を偲び、先人たちの生き様に想いを馳せる。 また、この日がやってくる。 はじまりの日。 大東亜戦争に散りし英霊たちに… 感謝を。 哀悼を。 憂国の想いを胸に抱き英霊に感謝する。 素晴らしき祖国・日本の為に、未 … 続きを読む 「はじまりの日」昭和16年12月8日(太平洋戦争開戦の日)

コメントなし

巣鴨刑務所の排水口跡(移設保存)と池袋散策

池袋サンシャイン60の界隈には、「巣鴨監獄」(「巣鴨刑務所」「巣鴨拘置所」「巣鴨プリズン」)があった。 かつて、巣鴨刑務所があった台地の下、石垣には排水口があり、水窪川に排水がされていた。 巣鴨プリズンはなくなり、水窪川 … 続きを読む 巣鴨刑務所の排水口跡(移設保存)と池袋散策

コメントなし

立川飛行機「一式双発高等練習機・キ54」(立飛ホールディングス一般公開)

立飛ホールディングスの前身、立川飛行機が制作した飛行機が、里帰りし、一般公開された。その様子を写真中心に以下に掲載。 写真多めですが、それだけ充実の展示。ありがたいものを拝見させていただきました。 本記事は2021年公開 … 続きを読む 立川飛行機「一式双発高等練習機・キ54」(立飛ホールディングス一般公開)

コメントなし

さらにもう一つの「日本の鉄道発祥の地」品川駅

日本の鉄道は、教科書的に記載すると、1872年10月14日(明治5年9月12日) 新橋駅-横浜駅の開業に始まる。この10月14日は、今では、「鉄道の日」として記念日にもなっている。 しかし、この新橋駅-横浜駅が正式に開業 … 続きを読む さらにもう一つの「日本の鉄道発祥の地」品川駅

コメントなし

もう一つの「日本の鉄道発祥の地」初代横浜駅跡・JR桜木町駅

日本の鉄道は、明治5年(1872)に新橋駅ー横浜駅に開業したことに始まる。その初代横浜駅は、現在の桜木町駅界隈であった。 鉄道発祥の地として、「新橋駅」とともに、もう一つの拠点であった「桜木町駅」を散策してみる。 JR桜 … 続きを読む もう一つの「日本の鉄道発祥の地」初代横浜駅跡・JR桜木町駅

コメントなし

マッカーサー草案・日本国憲法草案審議の地

日本の、戦後再起動の歴史を感じる場所。 この界隈に、かつて外務大臣官邸があり、日本国政府とGHQ連合国軍総司令部の間で日本国憲法の草案審議が行われた。それが審議であったか恫喝であったかは別として。 昭和21年(1946) … 続きを読む マッカーサー草案・日本国憲法草案審議の地

コメントなし

博物館動物園駅跡(上野・京成電鉄)

上野公園周辺には、意外と近代建築物が残っている。 国立博物館内には、旧東京帝室博物館本館と表慶館、上野公園内には、国立科学博物館と旧東京音楽学校奏楽堂、そして、帝国図書館、黒田記念館、東京藝術大学などにも戦前の建造物が残 … 続きを読む 博物館動物園駅跡(上野・京成電鉄)

コメントなし

東京大空襲の傷跡を残す「日本橋」

日本橋 国指定重要文化財。明治44年(1911)に石造2連アーチ橋として架設。全長は49メートル、幅は27.3メートル。 現在の日本橋は、20代目。19代目までは木橋であったが、明治44年(1911年)に改築された際に、 … 続きを読む 東京大空襲の傷跡を残す「日本橋」

コメントなし

東京の北の玄関口「上野駅」

北の玄関口、上野駅。現在の駅舎は3代目。昭和7年(1932年)に建造された駅舎が、戦争をくぐり抜けて、今もその姿を伝えている。 写真メインで近代建築としての上野駅の記録を。 上野駅 上野駅は、明治16年(1883年)7月 … 続きを読む 東京の北の玄関口「上野駅」

コメントなし

旧三ノ輪王電ビルディング(王電ビルヂング)

都電荒川線に乗る機会があったので、終点の三ノ輪橋駅(三ノ輪橋電停・三ノ輪橋停留場)まで脚を伸ばしてみた。 三ノ輪橋駅からまっすぐに歩くと、ビルの下、アーチのような通路を抜け「日光街道」に。今回は、この建物が主役。 ちょっ … 続きを読む 旧三ノ輪王電ビルディング(王電ビルヂング)

コメントなし

陸軍技術研究所の跡地散策(小金井)

小金井と小平のあいだ辺りに、かつて陸軍の研究機関があった。現在の東京学芸大学のある辺り。往時を物語るものは多くは残っていないが、ちょっと脚を運んでみました。 陸軍兵器行政本部 陸軍技術研究所 陸軍関係兵器の調査研究を行っ … 続きを読む 陸軍技術研究所の跡地散策(小金井)

コメントなし

川端龍子と「爆弾散華の池」(大田区)

大田区立龍子記念館に脚を運んでみました。 川端龍子 川端龍子(かわばた りゅうし)1885年〈明治18年〉6月6日 – 1966年〈昭和41年〉4月10日)日本画家、俳人。1959年(昭和34年)、文化勲章受 … 続きを読む 川端龍子と「爆弾散華の池」(大田区)

コメントなし

陸軍経理学校の跡地散策(小平)

かつて陸軍経理学校が小平市内にあった。わずかに残る痕跡を散策してみる。 陸軍経理学校 陸軍における経理を担当する軍人(経理官)の養成教育、あるいは経理官への上級教育を行っていた陸軍学校。教育に限らず陸軍経理に関する調査と … 続きを読む 陸軍経理学校の跡地散策(小平)

コメントなし

「日本の鉄道発祥の地」新橋停車場と高輪築堤跡

近代の発展は、鉄道の発展でもあった。 日本の鉄道前史 1825年(文政8年)、イギリスのストックトン – ダーリントン間で蒸気機関車を用いた貨物鉄道(ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道)の運行が開始された … 続きを読む 「日本の鉄道発祥の地」新橋停車場と高輪築堤跡

コメントなし

「鉄道紀行文学の御三家」内田百閒・阿川弘之・宮脇俊三の墓

近代化とともに発展してきた鉄道。そんな鉄道を舞台とした旅物語を作家たちが綴り、そして鉄道紀行文学が確立された。 日本の近代を鉄道を介して旅してきた日本を代表する御三家の墓詣でを。 合掌。 内田百閒(うちだ ひゃっけん) … 続きを読む 「鉄道紀行文学の御三家」内田百閒・阿川弘之・宮脇俊三の墓

コメントなし

日本海軍と対支政戦略

支那事変(日華事変)初期の日本海軍の対応などを論じた、某大学史学科での私の卒業論文。拙いですが、往時のデータがサルベージ出来たので、せっかくなので掲載。なお、卒論提出時は「日本海軍と対華政戦略」と題していた。(教官から支 … 続きを読む 日本海軍と対支政戦略

2 comments

空母「飛龍」と共に散った名将・山口多聞

ミッドウェー海戦で、孤軍奮闘し散った名将、山口多聞海軍中将の墓は、青山霊園にある。 山口多聞(やまぐち たもん) 1892年(明治25年)8月17日 – 1942年(昭和17年)6月5日)海兵40期次席・海大 … 続きを読む 空母「飛龍」と共に散った名将・山口多聞

2 comments

「45cm四四式二号魚雷」東雲寺に残る国産第1号魚雷(深谷)

埼玉県深谷市北部。利根川を渡る新上武大橋の近くにある寺院「東雲寺」に魚雷があるというので足を運んでみた。 実は、以前に訪問をしていた、神奈川県小田原市の神社「神山神社」で魚雷を拝見し、その際に色々と調べていたら深谷市にも … 続きを読む 「45cm四四式二号魚雷」東雲寺に残る国産第1号魚雷(深谷)

コメントなし

帝国軍艦扶桑征清之役忠死紀念碑(新善光寺)

久保山墓地を散策していた際に、近くの寺院で砲弾を見つけました。日清戦争での扶桑乗員の慰霊碑。 扶桑(扶桑艦) 初代扶桑。姉妹艦はない。日本海軍の装甲フリゲート艦(甲鉄艦)、一等軍艦。のちに二等戦艦から二等海防艦に類別され … 続きを読む 帝国軍艦扶桑征清之役忠死紀念碑(新善光寺)

コメントなし

官修墓地(横浜久保山墓地)

横浜久保山墓地。 幕末・明治維新・戊辰戦争に際して、戦争で傷つき横浜軍陣病院に入院し、そこで他界された官軍の兵士を祀る。 広大な久保山墓地内で見つけるのは、しょうしょう骨が折れる。 長州藩官修墓地 長州藩の官修墓地に、8 … 続きを読む 官修墓地(横浜久保山墓地)

コメントなし

「一死以て大罪を謝し奉る」陸軍大臣・阿南惟幾

終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾。多磨霊園に墓所があり、三鷹に邸宅跡がある。関連する史跡などを徒然に記載していきたいと思う。 阿南 惟幾(あなみ これちか) 1887年(明治20年)2月21日 – 1945年(昭和 … 続きを読む 「一死以て大罪を謝し奉る」陸軍大臣・阿南惟幾

コメントなし

太宰治ゆかりの三鷹陸橋(三鷹こ線人道橋)

2021年9月、JR東日本と三鷹市との協議で解体撤去されることが決定した。。。解体時期はまだ決まっていないというが、解体される前に足を運んでみた。 三鷹陸橋(三鷹跨線橋・三鷹跨線人道橋) 昭和4年(1929)、人びとの往 … 続きを読む 太宰治ゆかりの三鷹陸橋(三鷹こ線人道橋)

コメントなし

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平(太田の戦跡散策1・銅像、邸宅、墓所)

日本一にして東洋一の航空機メーカーが戦前の日本にはあった。「中島飛行機」その創業者が、日本の飛行機王と称せられた「中島知久平」であった。 中島知久平と中島飛行機 中島 知久平(なかじま ちくへい)明治17年(1884年) … 続きを読む 「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平(太田の戦跡散策1・銅像、邸宅、墓所)

コメントなし

「帝国海軍きっての知性」最後の海軍大将・井上成美

井上成美海軍大将。日本帝国海軍史上、最後に海軍大将に昇進した軍人は二人いた。ひとりは、塚原二四三、そしてもうひとりが井上成美、であった。 井上成美(いのうえ・しげよし) 1889年〈明治22年〉12月9日 – … 続きを読む 「帝国海軍きっての知性」最後の海軍大将・井上成美

1件のコメント

「戦争に負けて外交に勝つ」吉田茂

吉田茂像と吉田茂墓を巡ってみましたので、以下に掲載を。大磯の吉田茂邸は未訪問。 吉田茂 言わずと知れた吉田茂。1878年〈明治11年〉9月22日 – 1967年〈昭和42年〉10月20日)日本の外交官、政治家 … 続きを読む 「戦争に負けて外交に勝つ」吉田茂

コメントなし

大應寺のコンクリート代用梵鐘(富士見市)

金属類回収令 昭和18年8月12日勅令第667号戦局の激化による金属資源不足を補うために、官民所有の金属類回収を行なった勅令。各地の寺院にあった鐘楼の梵鐘も金属供出の対象となった。 寺院の鐘楼は、梵鐘の重みで建屋のバラン … 続きを読む 大應寺のコンクリート代用梵鐘(富士見市)

コメントなし

竹製落下タンク(小金井市文化財センター)

東京都小金井市。小金井市文化財センター。ここに、落下増槽(落下タンク)が展示してあるというので、足を運んでみた。 館内の展示物撮影は許可制。申請を行う。 学芸員さん「何を撮影されますか」 私「戦時下の展示物を、具体的には … 続きを読む 竹製落下タンク(小金井市文化財センター)

コメントなし

一式戦闘機「隼」のタイヤ(檜原村の手打ちそば「深山」)

これは2016年(平成28年)10月22日の撮影記録。 友人からお誘いがありまして、突然に唐突に東京多摩地区唯一の村「檜原村」へと赴くことに。友人曰く「蕎麦屋に行こう」と。 友人が懇意にしている蕎麦屋さんへと連れられまし … 続きを読む 一式戦闘機「隼」のタイヤ(檜原村の手打ちそば「深山」)

コメントなし

「インド独立運動の父」マハトマ・ガンジー像(杉並区)

杉並区立読書の森公園(杉並区立中央図書館の隣) 杉並区、杉並区日印交流協会、杉並区交流協会が交流を結んできたインドの慈善団体である「ガンジー修養所再建トラスト」(本部:デリー)により寄贈されたもの、という。 インド独立の … 続きを読む 「インド独立運動の父」マハトマ・ガンジー像(杉並区)

コメントなし

元祖国民的キャラクター「のらくろ」田河水泡・のらくろ館(江東区森下文化センター)

のらくろ 戦前の少年たちに絶大な人気を誇った漫画があった。日本漫画界における国民的キャラクターの元祖、でもあった。 田河水泡 「のらくろ」 日本漫画界の開拓者である、あの手塚治虫も模範としたのが、田河水泡の「のらくろ」で … 続きを読む 元祖国民的キャラクター「のらくろ」田河水泡・のらくろ館(江東区森下文化センター)

コメントなし

東京大空襲と下町(墨田区千歳、立川・江東区森下)

東京都墨田区と江東区。隅田川の東側。北に両国、南に深川がある、このエリアも、東京大空襲に際しては、大きな被害を被った地区であった。 江島杉山神社 江島杉山神社 は、1693年(元禄6年)に創建。盲目の鍼灸師、杉山和一(杉 … 続きを読む 東京大空襲と下町(墨田区千歳、立川・江東区森下)

コメントなし

東京第一陸軍造兵廠第三製造所江戸川工場・精工舎南桜井工場の跡地散策(春日部)

埼玉県春日部市。東武野田線「南桜井駅」の北側は、かつて軍需工場であった。しかし、2021年の夏に、軍需工場時代を物語る門柱が撤去され、往時を偲ぶものは皆無となった。。。 上記の場所に、かつて門柱があった。取り壊し済み。以 … 続きを読む 東京第一陸軍造兵廠第三製造所江戸川工場・精工舎南桜井工場の跡地散策(春日部)

コメントなし

神奈川県戦没者慰霊堂

京浜急行「上大岡駅」から徒歩10分ほどの高台に、「神奈川県戦没者慰霊堂」がある。 全国47都道府県で唯一「護國神社」が無い県が神奈川県。(内務大臣指定護國神社として。東京は靖國神社で包括)もちろん、神奈川県でも護國神社を … 続きを読む 神奈川県戦没者慰霊堂

コメントなし

明治観音堂(明治座・日本橋浜町)

浜町公園、都営新宿線浜町駅のすぐ近く。もっというと、明治座の目の前。そこに東京大空襲に関係する慰霊堂があった。 明治観音堂 昭和20年3月10日、東京大空襲。指定避難所であった「明治座」には多くの人びとが避難していたが、 … 続きを読む 明治観音堂(明治座・日本橋浜町)

コメントなし

台湾から日本へ伝えたい「ありがとう」

2021年7月31日。東京駅の地下にて。 台湾からのメッセージが掲げられていました。 「ありがとう」 台湾から日本へ伝えたい「ありがとう」今までも、これからも台湾と一緒に 「6月4日・7月8日、ワクチン不足が深刻化してい … 続きを読む 台湾から日本へ伝えたい「ありがとう」

コメントなし

ブルーインパルスと東京パラリンピック2020

2021年8月22日。東京パラリンピック2020の開会式予行のためにブルーインパルスが再び東京の空をフライトした。 前回、東京オリンピック2020開会式のブルーインパルスのフライトは、明治神宮で観覧。今日は、パラリンピッ … 続きを読む ブルーインパルスと東京パラリンピック2020

コメントなし

76年目の8月15日-靖國神社

靖國神社 雨の靖國神社。 放鳩式 靖國神社・午前10時 昨年に続き、本年の放鳩式も神社関係者のみでの開催。一般参列者は観覧のみ。 8月15日 午前10時「日本の声 英霊に感謝する集い」放鳩式能楽堂前 靖國神社・山口建史宮 … 続きを読む 76年目の8月15日-靖國神社

コメントなし

中道寺のコンクリート代替梵鐘(杉並区)

金属類回収令 昭和18年8月12日勅令第667号戦局の激化による金属資源不足を補うために、官民所有の金属類回収を行なった勅令。各地の寺院にあった鐘楼の梵鐘も金属供出の対象となった。 寺院の鐘楼は、梵鐘の重みで建屋のバラン … 続きを読む 中道寺のコンクリート代替梵鐘(杉並区)

コメントなし

焼夷弾の花立(杉並区)

荻窪駅と井萩駅の中間あたり。住所でいうと、杉並区清水2丁目15番7号。住宅地の静まる小祠で、意外な花立があった。 このカタチ、この六角形、既視感あります。M69焼夷弾、ですね。 なんでも、この界隈を空襲された際に、落ちた … 続きを読む 焼夷弾の花立(杉並区)

コメントなし

陸軍柏飛行場関連の戦跡散策(軍都柏・その7)

軍都柏の戦跡散策、その7。柏飛行場の名残を探しに。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。 本記事は、流山市内の戦跡も含みますが、便宜上「柏飛行場・軍都柏」として一緒に掲載し … 続きを読む 陸軍柏飛行場関連の戦跡散策(軍都柏・その7)

コメントなし

無蓋掩体壕と柏飛行場の跡地散策(軍都柏・その6)

軍都柏の戦跡散策、その6。柏飛行場の名残を探しに。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-R516- … 続きを読む 無蓋掩体壕と柏飛行場の跡地散策(軍都柏・その6)

コメントなし

ロケット戦闘機「秋水」地下燃料貯蔵庫の跡地散策(軍都柏・その5)

軍都柏の戦跡散策、その5。柏飛行場の東側に展開していた「地下燃料貯蔵庫」の名残を探しに。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。 柏の戦跡を代表するのが、秋水燃料貯蔵庫、だろ … 続きを読む ロケット戦闘機「秋水」地下燃料貯蔵庫の跡地散策(軍都柏・その5)

コメントなし

東部第102部隊の跡地散策(軍都柏・その4)

軍都柏の戦跡散策、その4。柏飛行場の南側に展開していた部隊の名残を探しに。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファ … 続きを読む 東部第102部隊の跡地散策(軍都柏・その4)

コメントなし

柏陸軍病院の跡地散策(軍都柏・その3)

柏市で陸軍の戦跡をめぐる記事も3つ目。この日は、柏の葉キャンパス駅で自転車を借りて、飛行場を中心に自転車散策を敢行しました。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル: USA-R393-81昭和2 … 続きを読む 柏陸軍病院の跡地散策(軍都柏・その3)

コメントなし

高射砲第二聯隊の跡地散策(軍都柏・その2)

北柏駅から徒歩15分ほど北に歩いた場所に、往時の建物などが残っていた。 2009年(平成21年)に、「柏市消防局西部消防署根戸分署」が建物として役目を終え、解体も検討されていたが、詳細な調査が行われた結果、 陸軍時代の … 続きを読む 高射砲第二聯隊の跡地散策(軍都柏・その2)

コメントなし

柏陸軍墓地跡散策(軍都柏・その1)

柏駅から柏公園へと足を運んでみる。徒歩では約20分といったところ。かつて、陸軍墓地として造営が進むも、実際には陸軍墓地として使用されることなく終戦となり、戦後は「柏公園」となった。その柏公園内に、現在は慰霊碑「忠霊之碑」 … 続きを読む 柏陸軍墓地跡散策(軍都柏・その1)

コメントなし

陸軍工兵学校跡地散策(松戸)

千葉県松戸市。松戸駅のすぐ東側の高台に、かつて陸軍の学校があった。そんな駅チカ戦跡散策を実施してみる。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-M860-194昭和23年(1948年)3月 … 続きを読む 陸軍工兵学校跡地散策(松戸)

コメントなし

ブルーインパルスと東京オリンピック2020

2021年7月23日。東京オリンピック2020(TOKYO2020) 昭和39年(1964)昭和の東京五輪(東京オリンピック)開会式にて、航空自衛隊のアクロバット飛行「ブルーインパルス」が東京の空に五輪の輪を描いた。この … 続きを読む ブルーインパルスと東京オリンピック2020

3 comments

猿江界隈の戦跡散策(江東区)

猿江恩賜公園。ここもまた戦争の爪痕を残す公園であった。そんな猿江恩賜公園と猿江界隈を散策してみる。 猿江恩賜公園(東京大空襲犠牲者仮埋葬地) 昭和7年(1932)、現在の南側が「猿江恩賜公園」として開園。もともとは江戸幕 … 続きを読む 猿江界隈の戦跡散策(江東区)

コメントなし

東京大空襲を耐えた「元江戸川区役所文書庫」

東京東部、江戸川と荒川に挟まれた河口部に「江戸川区」がある。そんな江戸川区の中でも、いちばんの西部寄り=江東区・墨田区寄り・旧中川の近くの平井・小松川地区もまた、東京大空襲の被害甚大であった。そんな江戸川区の小松川に、東 … 続きを読む 東京大空襲を耐えた「元江戸川区役所文書庫」

1件のコメント

「造船の父と造船の神様」赤松則良墓と平賀譲墓

日本海軍の軍艦造船において、「造船の父」と呼ばれた男と、「造船の神」と呼ばれた男がいた。そんな二人の墓参りをしてみた。 「日本造船の父」(日本造船学の父)赤松則良(赤松大三郎) 赤松則良(あかまつ のりよし)天保12年1 … 続きを読む 「造船の父と造船の神様」赤松則良墓と平賀譲墓

コメントなし

「東京陸軍刑務所跡」渋谷界隈の戦跡散策

若者で賑わう街「渋谷」。この街には、かつて「陸軍の刑務所」があった。そして、この地で「二・二六事件」に関与した若者たち、青年将校たちが処刑された。 東京陸軍刑務所の陸軍標石1 渋谷のハチ公口から渋谷マークシティ方面にあゆ … 続きを読む 「東京陸軍刑務所跡」渋谷界隈の戦跡散策

コメントなし

神田駅西口高架橋に残る機銃掃射弾痕?

神田駅西口から「煉瓦造りの高架橋」を散策してみました。 JR神田駅 大正8年(1919)、中央本線の万世橋駅ー東京駅間の途中駅として開業。今も活用されている「高架橋」は開業と同じく大正期に建造。高架橋は当時の最新技術であ … 続きを読む 神田駅西口高架橋に残る機銃掃射弾痕?

コメントなし

日本初の田園都市・田園調布の玄関口「旧田園調布駅舎」

「田園調布」日本を代表する高級住宅街は、渋沢栄一の理想とした田園都市でもあった。 田園調布 田園調布は、1918年(大正7年)に渋沢栄一らによって立ち上げられた『理想的な住宅地「田園都市」の開発』を目的とする田園都市株式 … 続きを読む 日本初の田園都市・田園調布の玄関口「旧田園調布駅舎」

コメントなし

もう一つの東京大空襲「山の手大空襲」表参道の戦跡散策

若者たちが集う街、表参道。表参道の交差点には1対の石灯籠があり、そこから明治神宮にかけてケヤキ並木となっている。明治神宮とともに整備された参道。 昭和20年5月25日「山の手空襲」表参道の石灯籠は、山の手空襲の爪痕を今も … 続きを読む もう一つの東京大空襲「山の手大空襲」表参道の戦跡散策

コメントなし

平河天満宮に残る機銃掃射弾痕

平河天満宮。文明10年(1478)、太田道灌の創建による天満宮。江戸三大天神の一つとも称される平河天満宮にも戦争の爪痕が残っているというので足を運んでみた。 平河天満宮 菅原道真公を祀る。江戸平河城城主太田道灌公が、ある … 続きを読む 平河天満宮に残る機銃掃射弾痕

コメントなし

陸軍糧秣廠本所倉庫跡と千種稲荷神社(錦糸公園)

錦糸町駅前の「錦糸公園」は、かつて陸軍の倉庫であり、空襲犠牲者の仮埋葬地であった。 錦糸公園 墨田区立錦糸公園は、大正12年(1923年)に発生した関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京復興事業の一環として、隅田公園・浜町 … 続きを読む 陸軍糧秣廠本所倉庫跡と千種稲荷神社(錦糸公園)

コメントなし

「日本初の常設サーキット」多摩川スピードウェイ跡地(取り壊し前)

かつて多摩川の河川敷に「サーキット場」があった。場所は、東急東横線多摩川橋梁の隣、多摩川駅と下丸子駅の間の川崎側。堤防に観客席跡などが今も残っている。 多摩川スピードウェイは、アジア初・日本初の常設サーキット(パーマネン … 続きを読む 「日本初の常設サーキット」多摩川スピードウェイ跡地(取り壊し前)

コメントなし

「救援のために水を運ぶ婦人の像」(日本赤十字看護大学広尾キャンパス)

東京都渋谷区。日本赤十字看護大学広尾キャンパス前庭。 赤十字社と戦争は切っても切れない関係がある。日本において、赤十字社は、1877年(明治10年)の西南戦争の最中に設立された「博愛社」という救護団体が前身であり、日本政 … 続きを読む 「救援のために水を運ぶ婦人の像」(日本赤十字看護大学広尾キャンパス)

コメントなし

陸軍流山糧秣廠跡地と千草稲荷神社

「流山糧秣廠」、正式名称は「陸軍糧秣本廠流山出張所」。流鉄平和台駅近くに、かつて日本陸軍の糧秣保管の施設があった。 位置関係 国土地理院航空写真地図・空中写真閲覧サービスファイル:USA-R393-541947年10月2 … 続きを読む 陸軍流山糧秣廠跡地と千草稲荷神社

コメントなし

新河岸川橋梁に残る弾痕修復の名残?(北区)

鉄道と軍隊は、切っても切れない重要な関係にあった。そのため日本の動脈である鉄道は、戦時中は幾多の危険を伴っていた。 新河岸川に架かる「新河岸橋梁」も、戦争をくぐり抜けた鉄道鉄橋の一つであった。 軍都・赤羽 東京と埼玉をの … 続きを読む 新河岸川橋梁に残る弾痕修復の名残?(北区)

2 comments

鶴見線大川支線第五橋梁に残る機銃掃射弾痕

JR鶴見線の大川支線。白河運河にかかる第五橋梁には、米戦闘機による機銃掃射の弾痕が今も残されている。 鶴見線国道駅にも機銃掃射の弾痕が残っているが、鶴見線大川支線の弾痕が同じ頃かどうかは不詳。 昭和17年4月18日、ドー … 続きを読む 鶴見線大川支線第五橋梁に残る機銃掃射弾痕

コメントなし

「帝都の門・永代橋」と「震災復興の華・清洲橋」

隅田川の下流にかかる2つの橋。「永代橋」と「清洲橋」。関東大震災で壊滅した下町復興のために架橋された、2つのシンボルブリッジであった。 永代橋は筋骨隆々とした男性的なイメージで、優雅な下垂曲線を描く清洲橋は女性的なイメー … 続きを読む 「帝都の門・永代橋」と「震災復興の華・清洲橋」

コメントなし

海軍技術研究所と陸軍目黒火薬製造所跡(目黒区)

JR恵比寿駅と東急中目黒駅、目黒川のほど近くには、かつて陸軍火薬製造所、そして海軍技術研究所があった。 陸軍目黒火薬製造所 幕末に江戸幕府は千駄ヶ谷にあった焔硝蔵(火薬庫)を目黒に移転させ、「目黒砲薬製造所」が設置された … 続きを読む 海軍技術研究所と陸軍目黒火薬製造所跡(目黒区)

コメントなし

奥沢海軍村跡(世田谷区)

東急線の自由が丘駅と奥沢駅の周辺。高級住宅地エリアであるこの界隈は、かつて「海軍村」であった。 奥沢海軍村 大正12年(1923)に発生した関東大震災後、将校居住地が都心部に集中するのは危険であり、郊外に住んだほうが安全 … 続きを読む 奥沢海軍村跡(世田谷区)

コメントなし

浜松駅周辺の戦跡散策【浜松5】

浜松駅周辺の戦跡散策。浜松空襲の名残をたどってみる。 揚子橋に残る弾痕 馬込川にかかる揚子橋(ようずばし)。橋の南北に激しく機銃掃射による弾痕が残っている。弾痕は約50箇所にも及ぶという。 浜松は、その都市の規模に比べ、 … 続きを読む 浜松駅周辺の戦跡散策【浜松5】

コメントなし

静大浜松キャンパス周辺の陸軍戦跡散策【浜松4】

静岡大学浜松キャンパスは、かつて、陸軍の兵営地であった。わずかに残る当時の痕跡を巡ってみたいと思う。 静岡大学浜松キャンパスに展開していた陸軍部隊。 歩兵第67聯隊(第15師団) 明治40年(1907)10月26日、豊橋 … 続きを読む 静大浜松キャンパス周辺の陸軍戦跡散策【浜松4】

コメントなし

浜松三方原の陸軍戦跡散策・その1【浜松3】

「三方原の戦跡」と書いてしまうと、元亀3年(1572)、三方原古戦場での徳川家康と武田信玄の「三方原合戦(三方原の戦い)」の跡地を巡る散策になってしまいそうなので「三方原の陸軍戦跡」ということで。それもそれで興味があるが … 続きを読む 浜松三方原の陸軍戦跡散策・その1【浜松3】

コメントなし

「日本初の零戦復元機」零式艦上戦闘機52型甲(空自浜松広報館エアパーク)【浜松2】

航空自衛隊の広報施設である浜松広報館「エアパーク」。ここには空自の退役機に混じって、零戦が展示されている。 展示場所が移設されます(2024年6月24日~) 零式艦上戦闘機五二型甲 A6M543-188号機 日本への里帰 … 続きを読む 「日本初の零戦復元機」零式艦上戦闘機52型甲(空自浜松広報館エアパーク)【浜松2】

コメントなし

「怨親平等の観音様」松井石根大将と興亜観音・殉国七士之碑(熱海)

静岡県熱海市伊豆山。太平洋を望む風光明媚な伊豆山鳴沢山の中腹。 陸軍大将 松井岩根が願主となって支那事変戦歿者を「怨親平等」わけへだてなしに慰霊供養するために建立された「興亜観音」が鎮まり、そして「殉国七士」をはじめとし … 続きを読む 「怨親平等の観音様」松井石根大将と興亜観音・殉国七士之碑(熱海)

4 comments

「河野壽大尉自決の地」二・二六事件と熱海陸軍病院跡

昭和11年(1936)2月26日。後の世に言う「2・26事件」。東京以外では唯一、湯河原・熱海でも事件があった。 2・26事件と河野壽大尉 河野壽(こうの ひさし)は、陸軍航空兵大尉。陸軍士官学校(陸士40期)卒業。所沢 … 続きを読む 「河野壽大尉自決の地」二・二六事件と熱海陸軍病院跡

コメントなし

傷ついた兵士の療養所「傷痍軍人箱根療養所」(箱根病院・小田原)

箱根登山鉄道「風祭駅」。かまぼこの鈴廣の本店や土産物店、鈴廣かまぼこ博物館などで賑わう駅前とは反対側の山の方に、「箱熱病院」がある。この病院は、かつて戦場で傷ついた軍人たちの療養所であった。 傷痍軍人箱根療養所箱根病院 … 続きを読む 傷ついた兵士の療養所「傷痍軍人箱根療養所」(箱根病院・小田原)

コメントなし

瓜生外吉海軍大将之像と瓜生外吉墓(小田原と南青山)

小田原に、海軍大将 瓜生外吉 が晩年に隠棲した邸宅があった。 瓜生外吉(うりゅう そときち) 安政4年1月2日(1857年1月27日) – 昭和12年(1937年)11月11日)大日本帝国の海軍軍人。海軍大将 … 続きを読む 瓜生外吉海軍大将之像と瓜生外吉墓(小田原と南青山)

コメントなし

「ガラスのうさぎ像」二宮駅に残る機銃掃射弾痕(二宮町)

JR二宮駅南口のロータリーに「少女の像」が立っている。ガラスのうさぎを手にした、少女の像は、戦争にまつわるエピソードがあった。 ガラスのうさぎ像 この像は太平洋戦争中、二宮町に縁故疎開していた童話作家高木敏子氏の体験記で … 続きを読む 「ガラスのうさぎ像」二宮駅に残る機銃掃射弾痕(二宮町)

コメントなし

「計画に無かった最後の空襲」小田原空襲の戦跡散策

小田原地区は大規模な絨毯爆撃こそ受けることはなかったが、小規模な空襲は数度あった。そして関東地方を空襲した米軍機の帰路にあたるために、たびたび予定計画外の空襲(余剰爆弾の投下)を受けることがあった。 8月15日、終戦の日 … 続きを読む 「計画に無かった最後の空襲」小田原空襲の戦跡散策

コメントなし

潮音寺の平和観音・特設自動車隊第23中隊(小田原)

小田急足柄駅の近くに鎮座している「潮音寺」。ここに平和観音があるというので足を運んでみた。 平和観音 平和観音比島派遣軍特設自動車隊第二十三中隊戦没者英霊 50柱各戦役戦没者英霊 52柱潮音寺戦没英霊各位 27柱 平和観 … 続きを読む 潮音寺の平和観音・特設自動車隊第23中隊(小田原)

コメントなし

「陸軍中佐上原重雄戦死の地碑」と「疾風のプロペラ」(小田原)

小田原市沼代。その山中の道路の傍らに、この地で戦死された搭乗員の慰霊碑があった。 上原重雄 鹿児島出身。陸士第52期卒業。上原重雄は、スマトラ島の「パレンバン航空隊」にて、遠くニューギニア戦線までも遠征し縦横無尽に活躍。 … 続きを読む 「陸軍中佐上原重雄戦死の地碑」と「疾風のプロペラ」(小田原)

コメントなし

駆逐艦五月雨戦没者慰霊之碑(小田原)

JR早川駅から見える大きな白い観音様。「魚藍観音」小田原市早川の東善院に、駆逐艦五月雨の慰霊碑があるというので足を運んでみた。 駆逐艦五月雨戦没者慰霊之碑 小田原市早川鎮座の東善院、魚藍観音の後方の墓地の最上段に、「駆逐 … 続きを読む 駆逐艦五月雨戦没者慰霊之碑(小田原)

コメントなし

「45cm四四式二号魚雷」神山神社に残る国産初の魚雷(小田原)

小田原駅から北西に約2キロの地に鎮座している神社に「魚雷」があると聞き、足を運んでみた。なんでも地元では「久野の爆弾神社」といわれているらしい。 45cm四四式二号魚雷 昭和2年に神山神社に下付された魚雷。第24代横須賀 … 続きを読む 「45cm四四式二号魚雷」神山神社に残る国産初の魚雷(小田原)

2 comments

英連邦兵士たちが眠る日本唯一の墓苑「英連邦戦死者墓地」(横浜)

神奈川県横浜市保土ケ谷区。この地に、イギリス連邦諸国の戦死者専用墓地がある。日本の中のイギリス。足を運んでみました。 アクセスはバスで。保土ヶ谷駅から市営バス「児童遊園地前」バス停を利用するのが便利。 手入れの行き渡り整 … 続きを読む 英連邦兵士たちが眠る日本唯一の墓苑「英連邦戦死者墓地」(横浜)

コメントなし

臨時東京第三陸軍病院跡(相模原)

小田急相模原駅から一直線に伸びる道路を1.5キロほど突き当たりまで歩いていくと、「国立相模原病院」にたどり着く。「国立相模原病院」はかつて、「陸軍病院」であった。 軍都相模原昭和12年(1937)に「陸軍士官学校本科」が … 続きを読む 臨時東京第三陸軍病院跡(相模原)

コメントなし

「八面九体地蔵」空襲犠牲者供養の地蔵(板橋区)

東京都板橋区大山金井町16-8。東武東上線大山駅徒歩8分。 大山の住宅地の交差点に、お地蔵様が建立されていた。「八面九体地蔵」文字通りに、八面あり、それぞれにお地蔵様が掘られている。一面のみは、親子の地蔵様。 昭和20年 … 続きを読む 「八面九体地蔵」空襲犠牲者供養の地蔵(板橋区)

コメントなし

平和の碑・探照灯基地跡(川崎市麻生区)

神奈川県川崎市麻生区古沢。小田急線新百合ヶ丘駅から歩いて10分ほどの里山に、かつて「探照灯基地」があったという。 戦争末期、内地防空の為に、「高射第1師団」が編成。麾下の「高射砲第112聯隊」は世田谷を本部とし東京西部地 … 続きを読む 平和の碑・探照灯基地跡(川崎市麻生区)

コメントなし

「現存最古の地下鉄駅直結の民間建造物」明治屋京橋ビル

明治屋京橋ビル 東京都中央区京橋の「明治屋京橋ビル」昭和8年(1933)建設。ルネサンス様式の優美な姿が特徴的。設計者は曾禰中條建築事務所(曾禰達蔵と中條精一郎の共同事務所) 地下鉄の駅と一体化となって建設された民間建造 … 続きを読む 「現存最古の地下鉄駅直結の民間建造物」明治屋京橋ビル

コメントなし

東京裁判と久保山火葬場(横浜)

東京裁判と殉国七士 巣鴨プリズン昭和23年(1948年)12月23日、 当時、皇太子であった 上皇陛下の15歳の誕生日であった。 12月23日の尊い「国民の祝い日」であった夜中の午前0時。巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)で極東 … 続きを読む 東京裁判と久保山火葬場(横浜)

コメントなし

難波宮跡公園周辺の戦跡散策(大阪)

大阪城の南側、難波宮跡周辺を散策してみた。「難波宮跡公園」界隈。 大阪医学校跡 明治天皇聖躅碑大阪師範学校跡 明治天皇聖躅碑(国立病院大阪医療センター) 大阪城の南側、中央区の法円坂。明治の初め頃、この地に大阪医学校と大 … 続きを読む 難波宮跡公園周辺の戦跡散策(大阪)

コメントなし

兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑と埋腿骨之地(大阪)

大阪市中央区法円坂の国立病院機構大阪医療センター近くの上町交差点。ひときわに大きな石碑がある。当時、この地にあった鈴木町の大阪府医学校病院(大阪府仮病院)に大村益次郎が運び込まれ、そしてこの地で亡くなった。 大村益次郎 … 続きを読む 兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑と埋腿骨之地(大阪)

コメントなし

大阪大空襲 京橋駅爆撃被災者慰霊碑(大阪京橋)

1945年8月14日、約150機のB29による大阪空襲にて、国鉄京橋駅では甚大な被害が発生した。そのため「京橋空襲」とも呼称されている。 往時の犠牲者の慰霊碑がJR京橋駅南口に建立されているので、参拝を。 合掌 大阪大空 … 続きを読む 大阪大空襲 京橋駅爆撃被災者慰霊碑(大阪京橋)

1件のコメント

海軍艦政本部・大阪倉庫跡

海軍艦政本部は、海軍大臣に隷属し、造艦・造兵・造機に係わる事務を司った海軍省外局のひとつ。艦本式ボイラーや艦本式タービンなどの開発などで、略称「艦本」は一部では著名。 大阪大正区の南恩加島・木津川の河口付近に、海軍艦政本 … 続きを読む 海軍艦政本部・大阪倉庫跡

コメントなし

「駆逐艦のふるさと」藤永田造船所跡地(大阪)

大阪市内にあった民間の造船所。日本最古の造船所とも言われ、また多くの駆逐艦を製造し、「西の藤永田、東の浦賀」とも称されていた。 そんな、大日本帝国海軍駆逐艦のふるさとである藤永田造船所跡地を散策してみた。 藤永田造船所 … 続きを読む 「駆逐艦のふるさと」藤永田造船所跡地(大阪)

1件のコメント

板橋の田園調布「ときわ台駅」周辺散策

東京都板橋区常盤台。東武東上線「ときわ台駅」。東急の「田園調布」、小田急の「成城学園」などの鉄道会社主体の住宅地造成ブームの中で、東武鉄道が手掛けた最初の本格的な住宅地開発が「ときわ台駅」であった。 そんな、開発当初の昭 … 続きを読む 板橋の田園調布「ときわ台駅」周辺散策

コメントなし

「明治神宮外苑」と「青山練兵所跡」

明治神宮外苑。 もともと当地は、「青山練兵場」であった。大正元年(1912)9月13日、  明治天皇崩御による「大喪の礼」が青山練兵場で執り行われた。大正15年(1926)に、青山練兵場の葬場殿跡地に、「聖徳記念絵画館」 … 続きを読む 「明治神宮外苑」と「青山練兵所跡」

コメントなし

「御所トンネル」と「青山練兵場停車場跡」

東京都下を東西に結ぶ中央線。その中央線の中でも最古のトンネルが「御所トンネル(旧御所トンネル)」。このトンネルの建設には陸軍も関与しておりました。 鉄道遺産、そして戦跡として、ちょっと観察してみます。 甲武鉄道と陸軍 「 … 続きを読む 「御所トンネル」と「青山練兵場停車場跡」

2 comments

東京都港湾局専用線の廃線跡(晴海・豊洲)

戦後に敷設され、昭和を支えるも、昭和の幕引きとともに全廃となった貨物線。時代区分としては、近代から現代の間ではあるが、産業遺産として、以下に記録しておく。 東京都港湾局専用線「深川線」「晴海線」 豊洲地区・東雲地区は大正 … 続きを読む 東京都港湾局専用線の廃線跡(晴海・豊洲)

コメントなし

旧上武大橋橋桁に残る機銃掃射弾痕

上州・群馬県伊勢崎市と武州・埼玉県深谷市とを結ぶ「上武大橋」。旧上武大橋は昭和6年起工し、昭和9年10月に竣工した。 昭和20年7月、群馬方面の空襲の帰路に、米軍戦闘機の飛行経路上にあった上武大橋は、機銃掃射の標的となり … 続きを読む 旧上武大橋橋桁に残る機銃掃射弾痕

コメントなし

東京第二陸軍造兵廠深谷製造所深谷工場跡地散策

埼玉県深谷市。かつてここには兵器工場「陸軍造兵廠」があった。東京第二陸軍造兵廠深谷製造所として深谷市内に「原郷工場(深谷工場)」「明戸工場」「櫛挽工場」の3工場が展開。今回はそのうちの南西側にあった「原郷工場(深谷工場) … 続きを読む 東京第二陸軍造兵廠深谷製造所深谷工場跡地散策

コメントなし

海軍大和田通信隊跡地散策(新座市・清瀬市・東久留米市)

埼玉県新座市西堀、東京都清瀬市清戸、東久留米市上の原にかけて、かつて大日本帝国海軍の通信施設があった。内陸県・海なし県「埼玉」にある、貴重な海軍戦跡。 海軍大和田通信隊 日本海軍の無線電信は、霞が関の海軍省内に設けられて … 続きを読む 海軍大和田通信隊跡地散策(新座市・清瀬市・東久留米市)

コメントなし

花の都の靖國櫻(戦後76年)

静静と花見を。 靖國神社の御英霊と共に愛でる。桜花で祭り、そして祀る。 散る桜 残る桜も 散る桜 良寛和尚 奉頌歌「靖國神社の歌」 日の本の 光に映えて尽忠の 雄魂祀る宮柱 太く燦たり  あゝ大君の 御拝し給ふ  栄光の … 続きを読む 花の都の靖國櫻(戦後76年)

コメントなし

海軍道路と桜並木(横浜市瀬谷区)

横浜市瀬谷区の通称「海軍道路」 相模鉄道「瀬谷駅」より北の八王子街道に向けて一直線に伸びる約3キロの直線道路。見事な桜並木の名所としても有名。 ちょっと散策してみました。 以前の記事も参照で 海軍道路 海軍道路 … 続きを読む 海軍道路と桜並木(横浜市瀬谷区)

コメントなし

海軍兵学校の門標(横浜)

横浜駅から歩いて約10分ほどの場所に、海軍兵学校ゆかりの門標があった。 海軍兵学校の門標 海軍兵学校の門標 明治初年、勝海舟の書。 昭和20年、海軍兵学校閉校に際して撤去されたが、後年、鋳造家 柏木宏之氏(同校第74期) … 続きを読む 海軍兵学校の門標(横浜)

コメントなし

大本営地下壕と市ヶ谷記念館(防衛省・市ヶ谷台ツアー)

市ヶ谷台ツアーに参加してきました。「大本営地下壕跡」を中心に掲載していきます。 以前に「市ヶ谷ツアー」に参加したときとは、コースも大きく変更されてますね。特に大きな変更点は「メモリアルゾーン」への見学が無くなったこと。 … 続きを読む 大本営地下壕と市ヶ谷記念館(防衛省・市ヶ谷台ツアー)

コメントなし

横沢入の戦車橋と地下壕跡(あきる野市)

東京都あきる野市に武蔵野の里山が残っている。「横沢入里山保全地域」静かな里山に、ひっそりと戦跡も混じっていた。 夏場は草が茂っていて観察には適さないであろうと考え、冬場に散策を。 武蔵増戸駅から約15分ほどあるけば、「横 … 続きを読む 横沢入の戦車橋と地下壕跡(あきる野市)

コメントなし

B29搭乗員慰霊碑(川口市安行吉蔵)

埼玉県川口市にB29の慰霊碑があるというので足を運んでみた。川口市の安行吉蔵(あんぎょうきちぞう)。安行地区には、安行〇〇という地名がいくつもある。 現在、「安行吉蔵八幡神社」は、安行原の「九重神社」に合祀されており、安 … 続きを読む B29搭乗員慰霊碑(川口市安行吉蔵)

コメントなし

都内最古の道路鉄橋「南高橋」(中央区)

昭和7年(1932)に架橋された「南高橋」。もともとは明治37年(1904)に架橋された「両国橋」中央部を移築改良したもの。(「旧両国橋」) 現存する道路橋としては「都内最古の鉄橋」。都内に残る鋼鉄トラス橋としては「2番 … 続きを読む 都内最古の道路鉄橋「南高橋」(中央区)

コメントなし

B29搭乗員慰霊碑とB29エンジン(青梅)

青梅市の山中にB29が墜落したのは、昭和20(1945)年4月2日未明のことであった。その墜落現場の山中に、B29搭乗員の慰霊碑が建立されているというので、足を運んでみた。 青梅線・軍畑駅 青梅線・軍畑駅から多摩川を渡る … 続きを読む B29搭乗員慰霊碑とB29エンジン(青梅)

コメントなし

「哀しみの東京大空襲」と「時忘れじの塔」

上野には、2つの東京大空襲関連の慰霊碑がある。その2つともに、海老名 香葉子 氏(落語家初代林家三平の妻・作家)が携わっていた。 2005年、海老名 香葉子 氏 は私財と寄付でもって上野に、東京大空襲の慰霊碑「哀しみの東 … 続きを読む 「哀しみの東京大空襲」と「時忘れじの塔」

コメントなし

3月10日(東京大空襲から76年)

令和3年(2021)3月10日で76年目。 昭和20年(1945)3月10日午前0時過ぎ、爆撃が開始。犠牲者10万人を超す規模であり、単独の空襲としては世界史上最大の犠牲者となっている。世にいう、東京大空襲(下町大空襲) … 続きを読む 3月10日(東京大空襲から76年)

コメントなし

鎌倉橋の機銃掃射弾痕(千代田区)

鎌倉橋 日本橋川に架かるコンクリート橋。関東大震災の復興橋の一つで、昭和4年(1929)4月25日の架橋、長さ30.1m、幅22.0mのコンクリ-ト橋。名前の由来は、江戸城を築くときに鎌倉から石材をここの河岸(内神田寄り … 続きを読む 鎌倉橋の機銃掃射弾痕(千代田区)

コメントなし

東京大空襲・戦災資料センター

以前から気になっていた場所。東京大空襲を知る上で、欠かせない場所です。  太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月10日未明、約300機のB29による下町地区を中心とする無差別爆撃は、人口過密地帯を火炎地獄にしました … 続きを読む 東京大空襲・戦災資料センター

コメントなし

渋沢栄一墓【渋沢栄一10】

渋沢栄一の暮所(渋沢家墓地)は、谷中霊園にある。地番は「乙11号1側」。 1858年(安政5年) 渋沢栄一(18歳)、尾高惇忠の妹・尾高千代(17歳)と結婚。1882年(明治15年) 渋沢栄一(42歳)の妻・渋沢千代(4 … 続きを読む 渋沢栄一墓【渋沢栄一10】

コメントなし

深川と渋沢栄一宅跡【渋沢栄一9】

渋沢栄一は深川とも縁が深かった。 渋沢栄一は、明治9年に深川福住町に屋敷を購入、明治21年に中央区兜町(渋沢が創建した第一国立銀行の近く)に本邸が移されたのちは、深川邸は別邸として利用。(最終的な渋沢栄一の本邸は飛鳥山で … 続きを読む 深川と渋沢栄一宅跡【渋沢栄一9】

コメントなし

誠之堂と清風亭(深谷市)【渋沢栄一8】

渋沢栄一に関係する建物が、2棟、深谷市内の大寄公民館敷地に移築されている。平成11年に東京世田谷区にあった銀行保養施設「清和園」から深谷市に移築。「誠之堂」は平成15年、国の重要文化財に、「清風亭」は平成16年、埼玉県指 … 続きを読む 誠之堂と清風亭(深谷市)【渋沢栄一8】

コメントなし

渋沢栄一と血洗島(深谷市)【渋沢栄一7】

深谷市の北部「血洗島」。「日本近代経済の父、日本資本主義の父」渋沢栄一の出身地を散策してみます。(散策ポイントが広域に点在しているのでレンタサイクルが便利です) 旧渋沢邸「中の家」 慶応3年(1967年)の若き日の渋沢栄 … 続きを読む 渋沢栄一と血洗島(深谷市)【渋沢栄一7】

コメントなし

日本初の機械式煉瓦工場「日本煉瓦製造上敷免工場」と専用鉄道線跡【渋沢栄一6】

明治政府は急速な近代化整備を行うにあたり良質な煉瓦を必要としており、大量生産可能な煉瓦工場を必要としていた。煉瓦需要を受けた渋沢栄一らによって煉瓦工場が埼玉県榛沢郡上敷免村(深谷市)に創業した。「上敷免」は渋沢栄一の出身 … 続きを読む 日本初の機械式煉瓦工場「日本煉瓦製造上敷免工場」と専用鉄道線跡【渋沢栄一6】

コメントなし

渋沢栄一像と深谷駅【渋沢栄一5】

渋沢栄一の出身地「深谷市」。その深谷駅前に渋沢栄一像がある。 渋沢栄一像 青淵澁澤榮一像 青淵広場 碑文正二位勲一等子爵澁澤栄一先生は、天保11年(1840)2月13日私達のまち深谷市大字血洗島に生まれました。幼い時から … 続きを読む 渋沢栄一像と深谷駅【渋沢栄一5】

コメントなし

「日本最初の銀行」渋沢栄一と兜町【渋沢栄一4】

兜町には、渋沢栄一が設立した「日本最初の銀行」、そして渋沢栄一が発起人を努めた「日本最初の証券」、そして隣の茅場町には同じく渋沢栄一が関係した「日本最初の電力発電」があった。 銀行としては四代目の建物。 銀行発祥の地 銀 … 続きを読む 「日本最初の銀行」渋沢栄一と兜町【渋沢栄一4】

コメントなし

渋沢栄一像と日本銀行【渋沢栄一3】

日本橋界隈の渋沢栄一関連を散策してみる。 常盤橋公園(常磐橋) 常盤橋公園は、江戸城の城門の一つ常盤橋門があったところ。 昭和8年(1933)に財団法人渋沢青淵翁記念会(現在の渋沢栄一記念財団)によって復旧整備が行われた … 続きを読む 渋沢栄一像と日本銀行【渋沢栄一3】

コメントなし

「日本の福祉・医療の原点」養育院と渋沢栄一【渋沢栄一2】

渋沢栄一銅像 板橋区登録有形文化財渋沢栄一銅像 初代養育院院長として渋沢栄一は50年以上養育院に関与し、他の職を辞することはあっても、養育院の運営には最後まで関与し続けた。 明治5年(1872)に、本郷の旧加賀藩邸の長屋 … 続きを読む 「日本の福祉・医療の原点」養育院と渋沢栄一【渋沢栄一2】

コメントなし

晩香廬と青淵文庫(渋沢栄一旧邸・曖依村荘跡)【渋沢栄一1】

2024年度発行予定の1万円新紙幣の顔、そして2021年の大河ドラマの主人公でもある渋沢栄一の邸宅は飛鳥山にあった。 渋沢栄一 日本近代経済の父、日本資本主義の父、と称される。1840年3月16日〈天保11年2月13日〉 … 続きを読む 晩香廬と青淵文庫(渋沢栄一旧邸・曖依村荘跡)【渋沢栄一1】

コメントなし

荒川遊園煉瓦塀(荒川区)

都内唯一の区営遊園地「あらかわ遊園」。「あらかわ遊園」のあった地は、明治から大正にかけて「煉瓦工場」があった場所でもあり。煉瓦工場から遊園地へと姿を変えた界隈を散策してみました。 荒川遊園煉瓦塀 明治期の隅田川河畔の、こ … 続きを読む 荒川遊園煉瓦塀(荒川区)

コメントなし

元加賀公園と川南公園(震災復興公園・江東区)

大正12年(1923)の関東大震災ののち、帝都復興院総裁となった後藤新平が中心となって、地震発生時の防火帯設置を目的とした公園の確保が重要視されることとなった。 震災復興三大公園として「隅田公園」「浜町公園」「錦糸公園」 … 続きを読む 元加賀公園と川南公園(震災復興公園・江東区)

コメントなし

紀元二千六百年式典の式殿「光華殿」

東京都小金井市。都立小金井公園内。江戸東京たてもの園ビジターセンター。この建物は、国家的な祝事で使用された建物「光華殿」であった。 紀元二千六百年記念式典 昭和15年(1940)に神武天皇即位紀元2600年(皇紀2600 … 続きを読む 紀元二千六百年式典の式殿「光華殿」

コメントなし

陸軍航空士官学校狭山飛行場跡(陸軍狭山飛行場跡)

埼玉県入間市。入間市で有名なのが「狭山茶」、隣の狭山市にあるのが「入間基地」。入間と狭山は地名が交差していてややこしい。 この地にあった飛行場は「狭山飛行場」と呼称され、入間市にあった。 狭山飛行場へのアクセス方法。西武 … 続きを読む 陸軍航空士官学校狭山飛行場跡(陸軍狭山飛行場跡)

4 comments

「国産第1号の鉄橋・都内最古の鉄橋」旧弾正橋(八幡橋)

富岡八幡宮の東側、かつて八幡堀川という川に架かっていた「八幡橋」。もともとは中央区宝町付近の楓川に架かっていた「弾正橋」という橋であった。 旧弾正橋(八幡橋) 「東京最古の鉄橋」「国産鉄の鉄橋として日本最古の鉄橋」 「国 … 続きを読む 「国産第1号の鉄橋・都内最古の鉄橋」旧弾正橋(八幡橋)

コメントなし

旧東京市深川食堂(深川東京モダン館)

深川。門前仲町の交差点の近くに東京大空襲をくぐり抜けた建物が残っていた。 現在でも通用するモダンなデザインの建物が昭和7年竣工というのだから、驚きを感じてしまう。 旧東京市深川食堂 昭和6年(1931)に着工、翌7年3月 … 続きを読む 旧東京市深川食堂(深川東京モダン館)

コメントなし

飯能市大河原の監的壕

埼玉県飯能市の山に「射撃場の跡」があるというので脚を運んでみた。 監的壕(かんてきごう)飯能町在郷軍人分会常設射撃場 射撃の着弾点や命中率を確認するために造られた施設。飯能市に残る監的壕は、飯能の在郷軍人会によって、昭和 … 続きを読む 飯能市大河原の監的壕

コメントなし

JR両国駅と両国橋散策

両国駅 明治37年(1904)4月5日に、千葉方面に鉄道を展開していた私鉄・総武鉄道によって「両国橋駅」として開業。総武鉄道は千葉県内初の鉄道。本所駅(錦糸町駅)と両国橋駅(両国駅)の1.5キロは、日本の鉄道として最初の … 続きを読む JR両国駅と両国橋散策

コメントなし

浅草の近代建築散策

浅草界隈の近代建築散策などを。 東武鉄道浅草駅ビル 東武鉄道の浅草駅ビルは昭和6年(1931)竣工。地上7階・地下1階の建物は、鉄道省の初代建築課長であった建築家久野節が設立した久野建築事務所が設計、清水組により施工。関 … 続きを読む 浅草の近代建築散策

コメントなし

和泉町ポンプ所(千代田区・2023年解体)

2023年5月16日から解体工事となり消失しました 東京都下水道局「和泉町ポンプ所」 大正11年竣工の鉄筋コンクリート2階建ての建造物。大正11年(1922)8月に稼働開始。現存する日本初のポンプ場のひとつ(だった)。大 … 続きを読む 和泉町ポンプ所(千代田区・2023年解体)

5 comments

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所跡地散策(その2)

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所の跡地を散策。 加賀公園・野口研究所跡地・理化学研究所板橋分所跡地・愛誠病院エリアなどは「その1」にて。 「その2」では、西側のエリアを散策。位置関係等なども、その1を参照で。 圧磨機圧輪記念 … 続きを読む 東京第二陸軍造兵廠板橋製造所跡地散策(その2)

2 comments

東京第二陸軍造兵廠板橋製造所跡地散策(その1)

十条の造兵廠は掲載しておりましたが、板橋の造兵廠は未掲載でした。板橋の二造は公園整備が行われることも決まり、そのために記録が鈍化していたというのもありました。 ひとまずは、整備前の写真を中心としたレポとなります。整備が終 … 続きを読む 東京第二陸軍造兵廠板橋製造所跡地散策(その1)

コメントなし

東京第二陸軍造兵廠深谷製造所櫛挽工場跡地散策

埼玉県深谷市。かつてここには兵器工場「陸軍造兵廠」があった。東京第二陸軍造兵廠深谷製造所として深谷市内に「原郷工場(深谷工場)」「明戸工場」「櫛挽工場」の3工場が展開。今回はそのうちの南西側にあった「櫛挽工場」の戦跡を散 … 続きを読む 東京第二陸軍造兵廠深谷製造所櫛挽工場跡地散策

コメントなし

「弾薬庫から女子大へ」大塚弾薬庫跡散策

東京都文京区大塚。JR大塚駅は本来の「大塚」からは遠い。丸ノ内線の新大塚駅から茗荷谷駅にかけて、そして有楽町線の護国寺駅から東にかけてのエリア。具体的には「お茶の水女子大学」「跡見学園女子大学」のある周辺を散策してみた。 … 続きを読む 「弾薬庫から女子大へ」大塚弾薬庫跡散策

コメントなし

「京浜工業地帯の父」浅野財閥・浅野総一郎像と墓

たまたま清洲橋の近くで浅野総一郎銅像を見つけたということもあり、浅野総一郎のことを調べていたら、鶴見の大本山総持寺に墓もあるとのことなので、これを機会に関連する近場に脚を運んでみた。 浅野総一郎(淺野總一郎) 1848年 … 続きを読む 「京浜工業地帯の父」浅野財閥・浅野総一郎像と墓

2 comments

「日本建築史のパイオニア」伊東忠太作品と伊東忠太墓 

日本の近代建築を巡っていると、知らず知らずに出会っているのが「伊東忠太」が手掛けた建造物。日本近代建築において、欠かすことができない人物。そんな伊東忠太の墓が、鶴見・総持寺にあると聞いたので脚を運んでみた。 伊東忠太 1 … 続きを読む 「日本建築史のパイオニア」伊東忠太作品と伊東忠太墓 

コメントなし

JR国道駅に残る機銃掃射弾痕(鶴見線)

初出は2020年12月の写真。2024年5月再訪の上で写真及び記事を追加。 昭和17年4月18日、ドーリットル空襲において、横浜・川崎地区は初空襲を受けて以来、大小30回にも及ぶ空襲を受けてきたという。 昭和19年12月 … 続きを読む JR国道駅に残る機銃掃射弾痕(鶴見線)

2 comments

世界無名戦士之墓

埼玉県越生町に「第二次世界大戦で戦死した犠牲者の慰霊施設」があるという。その名も「世界無名戦士之墓」という慰霊廟。 越生駅 越生といえば「越生梅林」が有名。それ以外は越生に関して格別な知識がなかった。越生に「大規模な戦争 … 続きを読む 世界無名戦士之墓

コメントなし

「最後の空襲」熊谷の戦跡散策

昭和20年8月14日から8月15日にかけて。結果論的にいうと8月15日正午に「終戦の詔」が発せられる、その12時間前に、埼玉県熊谷市に空襲があった。これが太平洋戦争最後の空襲であり、埼玉県内最大規模の空襲であった。この最 … 続きを読む 「最後の空襲」熊谷の戦跡散策

コメントなし

法務省旧本館(旧司法省庁舎)

「中央合同庁舎第6号館赤れんが棟」、とも呼称。明治期に造られた官庁集中計画建造物で唯一現存する建物。国重要文化財指定(外観のみ指定、内装は除く) 1895年(明治28年)、旧司法省庁舎として竣工。ドイツ・ネオバロック様式 … 続きを読む 法務省旧本館(旧司法省庁舎)

コメントなし

「12月23日の記念日」陽気と陰気と

令和2年(2020)になっても、12月23日は特別な記念日という想いが強い。 平成の時代は 天皇誕生日、であった。そして令和の時代は 上皇誕生日。御年87歳となられた祝ひ日。 https://www.kunaicho.g … 続きを読む 「12月23日の記念日」陽気と陰気と

コメントなし

越谷陸軍飛行場跡地の戦跡散策

埼玉県のシンボルであり、県民の鳥としても親しまれているシラコバト。埼玉県のマスコットキャラクター・コバトンとしても近年では馴染みが深い。そんなシラコバトの名前を冠した施設「しらこばと水上公園」。当時、この地域は陸軍の飛行 … 続きを読む 越谷陸軍飛行場跡地の戦跡散策

12 comments

伊奈利神社・忍高等女学校奉安殿(羽生市)

伊奈利神社・忍高等女学校奉安殿 埼玉県羽生市中岩瀬鎮座。御祭神は稲荷神、宇迦之御魂神。本務社は羽生市小松鎮座の小松神社。神社としての由緒は不詳。 社殿は昭和6年頃築の旧忍高等女学校御真影奉安殿の移築という。移築された経緯 … 続きを読む 伊奈利神社・忍高等女学校奉安殿(羽生市)

コメントなし

「七転八起のダルマ蔵相」高橋是清像と関連史跡

総理大臣を1度、そして大蔵大臣を6度も勤め、近代日本きっての財政家として、「ダルマさん」として、親しまれた高橋是清にまつわる史跡などを散策してみました。 高橋是清 1854年9月19日-1936年(昭和11年)2月26日 … 続きを読む 「七転八起のダルマ蔵相」高橋是清像と関連史跡

コメントなし

秩父御嶽神社の東郷元帥立像と乃木大将立像

埼玉県飯能市。最寄りは西武秩父線吾野駅。秩父路の途中に、東郷平八郎と乃木希典を祀る神社があった。「秩父御嶽神社」ちょうど紅葉の季節に機会がありましたので足を運んでみました。 本記事で触れる「秩父御嶽神社」以外に関しては以 … 続きを読む 秩父御嶽神社の東郷元帥立像と乃木大将立像

コメントなし

明治天皇海軍漕艇天覧玉座阯碑

隅田公園に残る石碑。隅田川左岸の向島にある「隅田公園」はもともと水戸徳川家下屋敷跡であったが、震災復興公園として昭和6年に整備された公園。その隅田川左岸に 明治天皇と帝国海軍に関連する石碑があった。 「明治天皇海軍漕艇天 … 続きを読む 明治天皇海軍漕艇天覧玉座阯碑

コメントなし

「北千島開拓の先駆者」郡司成忠大尉の墓と言問団子桟橋

隅田公園の北側、言問団子の近く。海軍大尉で冒険家であった郡司成忠のゆかりの地。郡司成忠の冒険は隅田川から始まったのだ。 郡司成忠(ぐんじ しげただ) 万延元年11月17日(1860年12月28日) – 大正1 … 続きを読む 「北千島開拓の先駆者」郡司成忠大尉の墓と言問団子桟橋

コメントなし

「敵兵救助の武士道」雷艦長・工藤俊作中佐の墓

埼玉県川口市。川口市朝日にある真言宗智山派寺院薬林寺に海軍中佐・工藤俊作の墓がある。 工藤俊作 工藤俊作。最終階級は海軍中佐。1901年(明治34年)1月7日-1979年(昭和54年)1月12日。 1920年(大正9年) … 続きを読む 「敵兵救助の武士道」雷艦長・工藤俊作中佐の墓

7 comments

東京大空襲と下町(墨田区本所)

墨田区の本所と呼ばれる地域は、かつては東京市本所区であった。江戸・東京の下町であり、江戸の東端、でもあった。大正12年(1923年)の関東大震災では本所区の9割を焼失し、約4万8000人と言われる死者を出し、昭和20年( … 続きを読む 東京大空襲と下町(墨田区本所)

コメントなし

「最後の将軍と幕末の三舟」徳川慶喜墓と三舟墓

先日、勝海舟にまつわる史跡を巡り、勝海舟墓に参拝したら、ふと幕末三舟の残りの二人、山岡鉄舟と高橋泥舟の墓はどこにあるか気になって探してみたところ、徳川慶喜の墓所とあわせて上野界隈に集中していることがわかったので、あわせて … 続きを読む 「最後の将軍と幕末の三舟」徳川慶喜墓と三舟墓

コメントなし

「日本海軍の生みの親」勝海舟像と勝海舟墓

都内で、勝海舟にまつわる史跡などを散策してみました。 勝海舟(勝麟太郎/勝安芳) 旧幕臣。政治家。正二位勲一等伯爵。明治政府の初代海軍卿。(初代海軍大臣は西郷従道) 幼名及び通称は「勝麟太郎」。諱は「勝義邦」。幕末に「安 … 続きを読む 「日本海軍の生みの親」勝海舟像と勝海舟墓

コメントなし

「最後の幕臣から明治最良の官僚へ」榎本武揚像と榎本武揚墓

都内で、榎本武揚にまつわる史跡などを散策してみました。 榎本武揚 1836年10月5日〈天保7年8月25日〉 – 1908年〈明治41年〉10月26日) 旧幕臣、外交官、政治家。海軍中将。正二位勲一等子爵。 … 続きを読む 「最後の幕臣から明治最良の官僚へ」榎本武揚像と榎本武揚墓

コメントなし

まんしゅう母子地蔵と浅草寺の戦跡散策

浅草寺境内を戦跡を中心に散策してみました。 まんしゅう母子地蔵(母子地蔵) 母子地蔵建立の由来第二次世界大戦末期、ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(満州)で逃避行の末、命を落とした日本人は二十万人を超えると云われてい … 続きを読む まんしゅう母子地蔵と浅草寺の戦跡散策

コメントなし

中島航空金属と武蔵野鉄道引込線跡の戦跡散策(東久留米・西東京)

西武線の東久留米駅から西東京方面に向けて、かつて貨物線路が引かれていた。中島飛行機関連の工場に向けての貨物線であった。 中島飛行機田無試運転工場中島航空金属田無製造所(田無鋳鍛工場) 昭和13年に中島飛行機株式会社荻窪製 … 続きを読む 中島航空金属と武蔵野鉄道引込線跡の戦跡散策(東久留米・西東京)

2 comments

池上本門寺の戦争慰霊碑(大田区)

池上本門寺にて、戦争に関連する慰霊碑などを巡ってみる。 国難に殉じられた皆様に感謝と哀悼を。合掌。 日本看護婦会慰霊塔 由緒等はなく建立経緯は不詳。「日本看護婦会」という団体も不詳。戦前にあった「日本帝国看護婦協会」は、 … 続きを読む 池上本門寺の戦争慰霊碑(大田区)

4 comments

北千住界隈の戦跡散策(足立区)

北千住界隈の戦跡としては、千住神社の防空壕が有名だけれども、それ以外にもいくつか見どころがあるので、以下に紹介をしてみる。 B29無名戦士慰霊碑(慈眼寺) 慈眼寺境内には、空襲で撃墜されたB-29搭乗員戦死者の霊を供養す … 続きを読む 北千住界隈の戦跡散策(足立区)

コメントなし

「日本毛織物工業の父」井上省三と千住製絨所(荒川区)

東京都荒川区。南千住にかつて被服製造の官営工場があった。近代化を推し進める明治新政府にとって、軍服や制服といった洋装は輸入に頼っており、その国産化が急がれていた。 明治8年(1875)に千葉県に羊牧場が設けられ羊毛の生産 … 続きを読む 「日本毛織物工業の父」井上省三と千住製絨所(荒川区)

コメントなし

八紘一宇碑と千住大橋

千住大橋の南側にひときわ大きな石碑が残されている。「八紘一宇」の碑。同様の石碑の多くは戦後に撤去されてしまったが、交通の往来激しい千住大橋脇の石碑は、経緯は不詳であるが撤去されずに今日まで残されていた。歴史的経緯として貴 … 続きを読む 八紘一宇碑と千住大橋

コメントなし

彰義隊の墓(円通寺・荒川区)

彰義隊の墓は上野公園にもある。その上野公園の彰義隊の墓は、上野山内に放置されていた遺体を「円通寺」の住職仏磨らによって茶毘に付され、そうして円通寺に埋葬したことに由縁する。 上野公園の彰義隊の墓は下記より。 彰義隊 慶応 … 続きを読む 彰義隊の墓(円通寺・荒川区)

コメントなし

磯部浅一墓(二・二六事件)

南千住回向院(小塚原回向院)慶安4年(1651)に小塚原刑場での刑死者を供養するために建立された南千住の回向院。安政の大獄で刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎の墓や、蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが刑死者の解剖 … 続きを読む 磯部浅一墓(二・二六事件)

コメントなし

根岸競馬場跡(横浜競馬場跡)

神奈川県横浜市中区根岸台にあった競馬場。現在は主に根岸森林公園として再整備。日本初の洋式競馬場跡地。 根岸競馬場(横浜競馬場) 幕末の1866年に横浜の外国人居留地における娯楽施設として根岸台に敷地が用意され「根岸競馬場 … 続きを読む 根岸競馬場跡(横浜競馬場跡)

コメントなし

国歌「君が代」発祥の地(横浜)

国歌「君ヶ代」発祥の地は横浜だった。(幻となった初代メロディーとして) 初代「君が代」発祥の地 イギリス公使館護衛隊であった英国陸軍第十聯隊付軍楽長ジョン・ウイリアム・フェントンが、日本に国歌がなく儀礼音楽もないことを遺 … 続きを読む 国歌「君が代」発祥の地(横浜)

2 comments

陸軍航空本廠寄居出張所の跡地散策

かつて東武東上線男衾駅から、軍用線が西に伸びていた。東武線から分岐した軍用線の先にあったのが「陸軍航空本廠寄居出張所」であった。 陸軍航空本廠寄居出張所(鉢形航空廠・鉢形兵器廠) 埼玉県大里郡寄居町大字三ケ山にある「三ケ … 続きを読む 陸軍航空本廠寄居出張所の跡地散策

コメントなし

東京第一陸軍造兵廠川越製造所跡地散策(上福岡)

埼玉県ふじみ野市。最寄り駅は東武東上線上福岡駅。上福岡駅から東の方向に、当時は陸軍の工場(軍需工場)があった。「陸軍造兵廠福岡工場」、のちの「東京第一陸軍造兵廠川越製造所」の名残を探してみる。 上福岡駅前で、レンタサイク … 続きを読む 東京第一陸軍造兵廠川越製造所跡地散策(上福岡)

コメントなし

東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その3(十条編)

東京第一陸軍造兵廠跡地をめぐる散策。ここでは北部の十条地区を巡ってみたいと思います。工廠神社として祀られていた「四本木稲荷神社」や南部の「滝野川・王子地区」は別記事でまとめました。 北区 …東京第一陸軍造兵廠 板橋区…東 … 続きを読む 東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その3(十条編)

2 comments

東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その2(滝野川・王子編)

※撮影は2016年~2020年 東京第一陸軍造兵廠跡地をめぐる散策。ここでは南側の「滝野川・王子地区」を巡ってみたいと思います。工廠神社として祀られていた「四本木稲荷神社」や北部の「十条地区」は別記事でまとめました。 北 … 続きを読む 東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その2(滝野川・王子編)

コメントなし

東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その1(四本木稲荷神社)

東京都北区は軍都であった。 赤羽には「工兵隊」(近衛工兵大隊・第1師団第一工兵大隊)、西が丘には「兵器補給廠」と「射撃場」、そして南の十条及び滝野川には「造兵廠」(東京第一陸軍造兵廠・東一造)、があった。 今回は東京第一 … 続きを読む 東京第一陸軍造兵廠跡地散策・その1(四本木稲荷神社)

コメントなし

駆逐艦 不知火の錨(初代)

日露戦争で活躍した初代不知火の錨が、墨田区立両国小学校に保存してあった。 不知火(東雲型駆逐艦4番艦) 1899年(明治32年)、イギリス・ソーニクロフト社で竣工。イギリスのD級駆逐艦の準同型艦。1904年(明治37年) … 続きを読む 駆逐艦 不知火の錨(初代)

コメントなし

氷川八幡神社・白子国民学校奉安殿(和光)

埼玉県和光市下新倉鎮座 氷川八幡神社境内・琴平神社稲荷神社(白子国民学校奉安殿) 氷川八幡神社の旧本殿と社務所は昭和20年5月の戦災にて焼失。戦後に、白子国民学校(白子小学校)の奉安殿を移築して氷川八幡神社の本殿として奉 … 続きを読む 氷川八幡神社・白子国民学校奉安殿(和光)

コメントなし

平沼駅跡(京浜急行電鉄・横浜)

京急の横浜駅と戸部駅のあいだにかつて、平沼駅という駅があった。駅としての実働は実に12年半であった。 そして、横浜大空襲で残存施設は壊滅・・・。 平沼駅跡 昭和6年(1931)12月26日に、京浜電気鉄道(現在の京浜電気 … 続きを読む 平沼駅跡(京浜急行電鉄・横浜)

コメントなし

田無平和観音・戦災者慰霊塔(西東京)

平和観音は総持寺に鎮座、記念碑は田無駅前に建立。 田無(西東京市)は、「中島航空金属田無製造所」があり、そして「中島飛行機武蔵工場」にも近く、多摩地区でも特に空襲被害が大きい地区であった。 戦災者慰霊塔 昭和二十年四月十 … 続きを読む 田無平和観音・戦災者慰霊塔(西東京)

コメントなし

浄牧院の爆弾型石塔(東久留米)

東久留米市大門町鎮座。曹洞宗寺院 神護山 浄牧院 東久留米の南には「中島航空金属田無製造所」や「中島飛行機武蔵製作所」などの軍需工場があり、北多摩地区は度重なる空襲被害を受けていた。 東久留米市に鎮座する浄牧院の境内にも … 続きを読む 浄牧院の爆弾型石塔(東久留米)

コメントなし

少年航空兵像と所沢陸軍整備学校(所沢航空記念公園)

明治44年(1911年)、日本初の飛行場として、所沢飛行場が開設。以来、昭和20年(1945年)の終戦に至るまで、日本の航空発展の歴史は、所沢とともにあった。 所沢陸軍飛行学校・所沢陸軍整備学校 大正8年、陸軍航空学校が … 続きを読む 少年航空兵像と所沢陸軍整備学校(所沢航空記念公園)

コメントなし

日本の航空事始め7・日本初の航空犠牲者「木村・徳田両中尉像」(所沢)

日本初の飛行場、航空発祥の地「所沢」航空事故も所沢が日本初であった・・・。 東京青山練兵場から所沢飛行場に向けてのフライトで、所沢飛行場を目の前にして墜落してしまったのが、木村中尉と徳田中尉が搭乗したブレリオ機であった。 … 続きを読む 日本の航空事始め7・日本初の航空犠牲者「木村・徳田両中尉像」(所沢)

コメントなし

「日本の航空事始め・その1」アンリ・ファルマン機と徳川好敏(所沢航空発祥記念館と代々木公園)

所沢航空発祥記念館に展示されている「アンリ・ファルマン機」。日本で初めての動力飛行を行った飛行機。徳川好敏とともに初フライトを行ったアンリ・ファルマン機と日本の航空史を簡単にまとめてみました。 所沢航空発祥記念館での「ア … 続きを読む 「日本の航空事始め・その1」アンリ・ファルマン機と徳川好敏(所沢航空発祥記念館と代々木公園)

コメントなし

九一式戦闘機二型(所沢航空発祥記念館)

所沢航空公園にある「所沢航空発祥記念館」。ここに日本の航空史上で貴重な機体が展示されているので脚を運んでみた。 九一式戦闘機(二型) 胴体部分の展示。再塗装や修復などは行わず、当時の材質などがわかるように自然体での展示が … 続きを読む 九一式戦闘機二型(所沢航空発祥記念館)

コメントなし

移動演劇さくら隊 原爆殉難碑(目黒区)

目黒不動に隣接する五百羅漢寺。境内には、疎開巡業中に広島で原爆の被害にあった劇団さくら隊(桜隊)の慰霊碑が建立されている。 移動演劇さくら隊 原爆殉難碑 移動演劇隊さくら隊 原爆殉難碑徳川夢声 原爆殉難碑 昭和20年8月 … 続きを読む 移動演劇さくら隊 原爆殉難碑(目黒区)

コメントなし

長慶寺稲荷社・池雪国民学校奉安殿(大田区)

大田区東雪ヶ谷鎮座。 長慶寺境内・朝日稲荷社(池雪国民学校奉安殿) 昭和15年築の旧池雪尋常小学校奉安殿(旧池雪国民学校奉安殿)という。池雪国民学校は現在の池雪小学校。 稲荷社としての由緒由来は不詳。池雪国民学校奉安殿が … 続きを読む 長慶寺稲荷社・池雪国民学校奉安殿(大田区)

コメントなし

75年目の8月15日-靖國神社

靖國神社 靖國神社・午前10時 本年の放鳩式は神社関係者のみでの開催。一般参列者は観覧のみ。 靖國神社・山口宮司「英霊ありがとう」の気持ちとともに放鳩 靖國神社・正午 国歌 君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて … 続きを読む 75年目の8月15日-靖國神社

コメントなし

清水稲荷神社・鷹番国民学校奉安殿(目黒区)

目黒区に鎮座するお稲荷様は、なんとなく変わった御社殿。 戦前に「御真影( 天皇陛下と 皇后陛下のお写真)」と「教育勅語(勅語謄本)」を納めていた鉄筋コンクリートの建物=鷹番国民学校奉安殿が、戦後にこの清水稲荷神社の御社殿 … 続きを読む 清水稲荷神社・鷹番国民学校奉安殿(目黒区)

コメントなし

B29と平和観音(東村山・秋津)

JR武蔵野線・新秋津駅と西武池袋線・秋津駅が交わる地。この場所にかつて、米軍B-29爆撃機が墜落し、土地の地主が私財を投じて慰霊の観音様を建立した。 B29(B29機体番号#44-69752、所属:第73爆撃団第21爆撃 … 続きを読む B29と平和観音(東村山・秋津)

コメントなし

傷痍軍人東京療養所・外気舎(清瀬)

東京都清瀬市現:独立行政法人国立病院機構東京病院・外気舎記念館 結核治療のメッカとなった清瀬。いまでも多くの病院が集まる病院街。そんな清瀬の森に戦前からの結核治療を物語る歴史が残されていた。 現在の「独立行政法人 国立病 … 続きを読む 傷痍軍人東京療養所・外気舎(清瀬)

コメントなし

ランドセル地蔵(八王子)

相即寺・延命閣地蔵堂(東京都八王子市泉町) 西八王子駅よりバスに揺られて約15分ほどで「花川バス停」に到着。すぐ隣の寺院が目的地の「相即寺」 相即寺には、戦争ゆかりのお地蔵様、通称「ランドセル地蔵」というお地蔵様が鎮座し … 続きを読む ランドセル地蔵(八王子)

コメントなし

東幼観音と東京陸軍幼年学校(八王子)

八王子市長房町地区。多摩御陵の東側にかつて陸軍の学校があった。 「東京陸軍幼年学校」学校の近くにある「東照寺」には、当時を偲ぶものがあるというので、脚を運んでみた。 東京陸軍幼年学校 陸軍のエリート養成学校。前身は明治2 … 続きを読む 東幼観音と東京陸軍幼年学校(八王子)

コメントなし

ドーリットル空襲と東京初空襲の地(荒川区)

都電荒川線「熊野前停留場」、日暮里舎人ライナー「熊野前駅」より北側、隅田川の方に向かって5分ほど歩く。熊野前保育園の壁に沿って案内板が立っていた。 ドーリットル空襲 昭和17年(1942)4月18日。米陸軍所属のB-25 … 続きを読む ドーリットル空襲と東京初空襲の地(荒川区)

2 comments

閘門橋(弐郷半領猿又閘門)

閘門橋というレンガ造りのアーチ橋があるときいて、ちょっと脚を伸ばしてみました。訪れてみたら、予想以上に素晴らしい橋で、これはちょっと興奮物。 閘門橋 葛飾区登録文化財 1909(明治42)年に完成した閘門橋は、上流と下流 … 続きを読む 閘門橋(弐郷半領猿又閘門)

コメントなし

ドーリットル空襲と石出巳之助之墓

ドーリットル空襲 昭和17年(1942)4月18日。米陸軍所属のB-25爆撃機16機が米海軍所属の空母ホーネットより発進し、日本本土への空襲を実施。この空襲がアメリカ軍による日本本土初空襲(東京初空襲)であり、ミッドウェ … 続きを読む ドーリットル空襲と石出巳之助之墓

コメントなし

旧岩淵水門(赤水門)

大正13年(1924)竣工の水門。現在は近代化産業遺産として保存されている。 位置関係 国土地理院航空写真を一部加工ファイル:USA-M380-301947年07月24日-米軍撮影 国土地理院航空写真を一部加工ファイル: … 続きを読む 旧岩淵水門(赤水門)

コメントなし

「陸軍兵器補給廠跡・稲付射場跡」北区西が丘の戦跡散策

赤羽と十条の界隈。当時の北区は軍事施設の集中地帯であった。 今回は十条の北西側に位置する「北区西が丘エリア」の戦跡散策。「陸軍兵器補給廠跡」と「稲付射場跡」がこのエリアにはあった。 位置関係 国土地理院航空写真:USA- … 続きを読む 「陸軍兵器補給廠跡・稲付射場跡」北区西が丘の戦跡散策

4 comments

赤羽台の戦跡散策

東京都北区赤羽台 軍都赤羽 赤羽台。現在の赤羽八幡神社の裏手や星美学園、東京北医療センター界隈には2つの工兵大隊が駐留をしていた。「第一師団工兵第一大隊」と「近衛工兵大隊」、2つの部隊を合わせて「赤羽工兵隊」と呼んだとい … 続きを読む 赤羽台の戦跡散策

3 comments

旧大井町変電所

品川区 JR品川駅とJR大井町駅の間に。京浜東北線に乗っていると車窓から見えるレンガ造りの建物が目に付き、気になったので脚を運んでみました。 旧大井町変電所(JR東日本) 竣工は大正3年(1914)という。大正3年(19 … 続きを読む 旧大井町変電所

コメントなし

海軍水雷学校と海自第2術科学校

令和元年11月・横須賀 JR田浦駅近く。 現在の「海上自衛隊第2術科学校」は、海軍水雷学校の敷地を受け継いでいる。 海軍水雷学校 大日本帝国海軍の水雷術(魚雷・機雷・爆雷)指揮官・技官を養成する教育機関であった。明治26 … 続きを読む 海軍水雷学校と海自第2術科学校

2 comments

館山の海軍戦跡散策・その1

平成28年4月 ・館山海軍航空隊跡   赤山地下壕  掩体壕  水上班滑走台跡(米軍上陸の地)・第二海軍航空廠館山補給工場跡・安房神社  館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生戦没者慰霊碑  海軍落下傘部隊慰霊碑・館山海軍砲 … 続きを読む 館山の海軍戦跡散策・その1

コメントなし

平和観音と平和島(大森捕虜収容所跡)

平和島は、昭和14年(1939年)1月31日に京浜第2区埋立地として免許取得。東京都が事業主体として埋め立てを開始。 しかし、埋め立ては第二次世界大戦により一時中止。 戦時中は、埋め立てが進んでいた一部(現在の平和島一丁 … 続きを読む 平和観音と平和島(大森捕虜収容所跡)

コメントなし

「明治の工業の父」近代硝子工業発祥之地と西村勝三墓

品川の東海寺大山墓地の入口にある史跡。「史蹟 官営品川硝子製作所跡」「近代硝子工業発祥之地」 日本の近代ガラス工業は、この品川からはじまったのだ。 史蹟 官営品川硝子製作所跡 近代硝子工業発祥之地 明治維新後の文明開化に … 続きを読む 「明治の工業の父」近代硝子工業発祥之地と西村勝三墓

コメントなし

「日本の鉄道の父」井上勝像と井上勝墓

東京駅丸の内駅前広場北西端に井上勝像がある。 井上勝 天保14年8月1日(1843年8月25日) – 明治43年(1910年)8月2日長州藩士。政治家。正二位勲一等子爵。鉄道庁長官などを歴任し日本の鉄道発展に … 続きを読む 「日本の鉄道の父」井上勝像と井上勝墓

2 comments

元町公園-震災復興公園(文京区本郷)

大正12年(1923)の関東大震災ののち、帝都復興院総裁となった後藤新平が中心となって、地震発生時の防火帯設置を目的とした公園の確保が重要視されることとなった。 震災復興三大公園として「隅田公園」「浜町公園」「錦糸公園」 … 続きを読む 元町公園-震災復興公園(文京区本郷)

コメントなし

汎太平洋の鐘と南洋群島平和慰霊像(源覚寺)

東京都文京区小石川源覚寺 「こんにゃくえんま」(こんにゃく閻魔・蒟蒻閻魔・身代わり閻魔)で知られる小石川の「源覚寺」に、サイパンゆかりの釣鐘があると聞き、足を運んでみました。後楽園駅・春日駅のすぐ近く。 汎太平洋の鐘TH … 続きを読む 汎太平洋の鐘と南洋群島平和慰霊像(源覚寺)

コメントなし

旧・醸造試験所第一工場

国指定重要文化財(建造物) 王子駅から飛鳥山・音無橋の方へ歩いていくと、赤レンガの建物がみえてくる。 旧醸造試験所第一工場(通称・赤煉瓦酒造工場) 国重要文化財(建造物)明治35年(1902年竣工)明治37年5月に創設さ … 続きを読む 旧・醸造試験所第一工場

2 comments

陸軍航空士官学校高萩飛行場跡(陸軍高萩飛行場跡)

埼玉県坂戸市及び日高市 東武越生線・一本松駅及び西大家駅 JR川越線・武蔵高萩駅 陸軍高萩飛行場(陸軍航空士官学校高萩分教場) 高萩飛行場は、昭和13年12月、陸軍航空士官学校高萩分教場として使用開始された。 陸軍航空士 … 続きを読む 陸軍航空士官学校高萩飛行場跡(陸軍高萩飛行場跡)

コメントなし

JR御茶ノ水駅-聖橋口(解体済)

2020年3月28日で、JR御茶ノ水駅の聖橋口が閉鎖となりました。御茶ノ水駅工事のために、聖橋口駅舎や聖橋口連絡通路は解体へ。。。 御茶ノ水駅 昭和7年(1932年)にモダニズム建築様式を取り入れた駅舎は、伊藤滋の設計。 … 続きを読む JR御茶ノ水駅-聖橋口(解体済)

コメントなし

市ヶ谷水管橋

市ヶ谷水管橋(水道管の橋)は、JR市ヶ谷駅前の市ヶ谷橋と並行して、線路と外堀を跨いでいる水管橋。市ヶ谷水管橋の南半分は線路と市ヶ谷駅ホーム、そして北半分は外濠を活かした釣り堀となっている。 市ヶ谷見附跨線水道橋市ヶ谷水管 … 続きを読む 市ヶ谷水管橋

コメントなし

彩帆観音(サイパン観音)

東京都北区。王子駅より荒川の方角に15分ほど歩く。「西福寺」という寺院に、サイパンゆかりの観音様が建立されているというので足を運んでみた次第。 彩帆観音(サイパン観音) 彩帆観世音菩薩(サイパン観世音菩薩) 昭和48年建 … 続きを読む 彩帆観音(サイパン観音)

2 comments

旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿(久伊豆神社境内社)

埼玉県越谷市 久伊豆神社境内社 旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿 旧官幣大社南洋神社鎮座跡地 遥拝殿(きゅうかんぺいたいしゃなんようじんじゃちんざあとちようはいでん) 南洋神社は、南洋群島の中心地パラオ(現パラオ共和国の … 続きを読む 旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿(久伊豆神社境内社)

コメントなし

自由学園明日館

令和元年撮影 訪れた際、何かの団体の貸し切りだったため、外観撮影のみです。 国指定重要文化財な建造物。大正末期から昭和期に建設されたオシャレな洋館。 重要文化財自由学園 明日館 自由学園明日館 国指定重要文化財 自由学園 … 続きを読む 自由学園明日館

コメントなし

東京府庁舎跡

令和元年9月撮影 東京国際フォーラムの片隅に、古めかしい石碑が残っている。 東京都の前身、東京府時代の庁舎跡を示す石碑。 東京府廳舎 大正六年七月 東京都指定旧跡「東京府庁舎跡」所在地 東京都丸の内三の五の一指定 昭和3 … 続きを読む 東京府庁舎跡

コメントなし

日本海軍大東亜戦争戦没者殉国者慰霊碑(龍口寺)

令和元年(2019年)11月撮影 神奈川県藤沢市片瀬鎮座の龍口寺。日蓮が処刑されそうになった地。 ちょうど江ノ島の入口に位置しており、門前には江ノ島電鉄(江ノ電)が走る。 そんな龍口寺の境内に、人知れず大東亜戦争の海軍慰 … 続きを読む 日本海軍大東亜戦争戦没者殉国者慰霊碑(龍口寺)

コメントなし

浦和飛行場跡(埼玉第一飛行場跡)

令和2年2月。 1938年、首都圏近郊の「浦和飛行場」「調布飛行場」「砂町飛行場(東京市飛行場)」の3つの飛行場建設が承認された。 そのうち、調布飛行場は昭和14年(1939)に建設着手。昭和16年(1941)竣工。砂町 … 続きを読む 浦和飛行場跡(埼玉第一飛行場跡)

コメントなし

和田堀給水所(世田谷・代田橋)

令和のとある冬に。 京王線代田橋駅のすぐ近くに古風で壮大な建物が残っていた。聞くところによると、近々で建て替えになるとのことで、いま残っている歴史的建造物を慌てて記録してきました。 位置関係 上から見ると、特徴的な建造物 … 続きを読む 和田堀給水所(世田谷・代田橋)

2 comments

伏見宮家別邸(祥雲寺)

令和の、とある冬の日の参拝。 東京都豊島区。要町駅のほど近くに鎮座する寺院「祥雲寺」。境内に珍しい建造物があるというので足を運んでみました。 祥雲寺と伏見宮家別邸 祥雲寺は小田原北条氏の天文元年(1532)に江戸城内に開 … 続きを読む 伏見宮家別邸(祥雲寺)

コメントなし

陸軍航空士官学校坂戸飛行場跡(陸軍坂戸飛行場跡)

東武東上線「若葉駅」のすぐ北側のエリアにかつて飛行場があった。 もっとも飛行場があった戦前には、まだ若葉駅は開業前(若葉駅は昭和54年開業)で、最寄り駅は「坂戸駅」。坂戸駅(当時は坂戸町駅)は大正5年(1916)開業。 … 続きを読む 陸軍航空士官学校坂戸飛行場跡(陸軍坂戸飛行場跡)

コメントなし

陸軍関東松山飛行場跡(唐子飛行場跡)

松山飛行場 今も昔も「松山」という地名は混乱をきたす。戦国の頃は、この地にも「松山城」があり、武蔵の松山もそれなりの知名度を持っていたが、愛媛松山に対して「東の松山」という位置づけ。 東上鉄道(東武東上線)が大正12年( … 続きを読む 陸軍関東松山飛行場跡(唐子飛行場跡)

コメントなし

軍隊と羊羹

酒保(軍隊での売店)での人気の甘味のひとつであった「羊羹(ようかん)」。そんな羊羹を以下、つれづれと。 間宮羊羹 海軍将兵に最も愛された艦として有名な特務艦「間宮」 艦隊勤務の海軍将兵に給糧として甘味をもたらしてくれる特 … 続きを読む 軍隊と羊羹

コメントなし

大船軒のサンドウヰッチ 

2019年撮影 大船軒サンドウヰッチ 大船軒サンドウヰッチ(サンドウィッチ/サンドイッチ)SINCE 1898鎌倉ハムボンレスハム使用 ボンレスハムの層にマスタードを使用しています。 日本初の駅弁「サンドウィッチ」誕生秘 … 続きを読む 大船軒のサンドウヰッチ 

コメントなし

振武臺記念館(陸軍士官学校皇族舎)

陸上自衛隊朝霞駐屯地陸上自衛隊広報センター(りっくんランド) 2020年1月に行ってきました。 なお、もともとは座間にあったものを移転したものです。 振武臺記念館 振武臺記念館 戦前、ここ朝霞の地に旧陸軍の予科士官学校が … 続きを読む 振武臺記念館(陸軍士官学校皇族舎)

2 comments

鈴木貫太郎邸跡

現在の文京区千石3丁目。不忍通りの猫又坂に名残の石垣だけが残っている。当時は丸山町と呼称された地域。この地に、終戦時の総理大臣・鈴木貫太郎の私邸があった。 昭和20年8月15日、鈴木貫太郎は終戦反対派に襲撃されるも、から … 続きを読む 鈴木貫太郎邸跡

コメントなし

国旗掲揚所跡(秋葉原・岩本町)

秋葉原・岩本町界隈。「和泉橋」の隣の駐輪場に、ひっそりと「昭和の遺産」が残っていた。 国旗掲揚所跡(国旗掲揚台跡・国旗掲揚塔跡 ) (表面)帝國在郷軍人會國旗掲揚所 第拾班神田區分會 (側面)陸軍中將赤井春海書昭和八年八 … 続きを読む 国旗掲揚所跡(秋葉原・岩本町)

コメントなし

鎮守様の戦跡~海老名・神武社

海老名市河原口(海老名市河原口3丁目3付近)に小さなお社が鎮座している。その名も「神武社」。海老名市総鎮守・有鹿神社の境外摂社。 社号の通り「神武天皇」を祀っている当社は「石碑」がご神体という、珍しい神社。 神武社 江戸 … 続きを読む 鎮守様の戦跡~海老名・神武社

コメントなし

東郷氏祖先発祥地

海老名駅から綾瀬市役所方面に向かうバスに揺られて、城山公園バス停で下車。 この地にあった「城山城」が、「東郷平八郎の祖先発祥の地」であったという。早川城址の物見塚の上に記念碑が建立されている。 東郷氏祖先発跡地 東郷氏祖 … 続きを読む 東郷氏祖先発祥地

コメントなし

中島飛行機吉松地下工場と吉見百穴

令和2年2月訪問 むかし、一度か二度か、足を運んだことがあった吉見百穴。だいぶ昔のことだったので、中島飛行機のことは意識していませんでした。 最近、近代史跡・戦跡などを巡るようになって、そういえば地下工場があったなぁ、と … 続きを読む 中島飛行機吉松地下工場と吉見百穴

コメントなし

浅野カーリット埼玉工場跡と四式陶製手榴弾

令和2年2月撮影 川越の戦争遺跡はちょっと風変わり。「びん沼川」の川岸に異様な不思議な空間が広がっていた。 河川敷に広がる「陶器の欠片」戦時中に、この土地で製造された「陶器の手榴弾」の名残という。 位置関係 1947年1 … 続きを読む 浅野カーリット埼玉工場跡と四式陶製手榴弾

コメントなし

陸軍成増飛行場の戦跡散策

令和2年(2020年)2月撮影 かつて東京都練馬区にあった陸軍飛行場。 陸軍成増飛行場 昭和17年(1942)4月18日のドーリットル空襲を期に、帝都防空の飛行場として急遽建設が計画され突貫工事が行われ、昭和18年(19 … 続きを読む 陸軍成増飛行場の戦跡散策

4 comments

立教大学の近代建築

池袋駅のほど近く、立教大学池袋キャンパス。近代建築を散策してきました。 立教大学 池袋キャンパス立教学院平和祈念の碑 チャペル近くにひっそりと慰霊の碑があった。 立教学院平和祈念の碑 剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して … 続きを読む 立教大学の近代建築

コメントなし

早稲田大学の近代建築

2020年1月 早稲田大学に残る近代建築と戦跡などを散策してみました。 早稲田大学喜久井町キャンパス (理工学術総合研究所) 戦時中、喜久井キャンパスの研究所地下には防空壕があった。空襲に際して周辺住民と学生などが避難し … 続きを読む 早稲田大学の近代建築

コメントなし

東京大空襲・慰霊

撮影:平成29年3月及び平成30年3月 昭和20年(1945)3月10日 「東京大空襲」 罹災者は100万人を超え、死者は7万から10万人以上といわれている… 3月10日。毎年この日には、墨田区横網町公園「東京都慰霊堂」 … 続きを読む 東京大空襲・慰霊

コメントなし

愛の像(アガペの像)

令和元年11月撮影 東京駅の駅前広場再整備が完了したのが2017年。2007年から10年間、人知れずに東京駅から姿を消していた「とある像」が、やはり人知れずにひっそりと戻ってきてました。 東京駅駅前広場の南側の隅に佇む何 … 続きを読む 愛の像(アガペの像)

コメントなし

和気清麻呂公銅像(紀元二千六百年記念)

令和元年11月撮影 竹橋駅のすぐ近く、大手濠緑地内に鎮座。現在地は令和2年4月まで竹橋駅エレベーター設置工事で 近寄れなかったため、遠巻きに見学。 和気清麻呂公銅像 昭和15年(1940年)に、紀元2600年記念事業とし … 続きを読む 和気清麻呂公銅像(紀元二千六百年記念)

コメントなし

鳴尾八幡神社慰霊塔(戦艦安芸の砲身?)

令和元年12月参拝 西宮市に所用があった。隙間の時間を利用して阪神電車「甲子園」駅に。そこから歩いて10分ほどのところに「鳴尾八幡神社」という神社が鎮座。まずは御社殿にて参拝をし、参道脇に建立されていた「慰霊塔」に拝する … 続きを読む 鳴尾八幡神社慰霊塔(戦艦安芸の砲身?)

コメントなし

旧横浜船渠ドックと帆船日本丸

2019年11月撮影 横浜みなとみらいに用事があった早朝に。周辺を散策してみました。 帆船日本丸 国重要文化財初代日本丸は川崎造船所(神戸)にて進水し昭和5年(1930)竣工、昭和59年(1984)引退後に現在地にて保存 … 続きを読む 旧横浜船渠ドックと帆船日本丸

コメントなし

伊藤博文公墓所

平成29年11月参拝・ 東京都品川区西大井6-10-18 毎年11月3日「文化の日」前後に数日間のみ一般公開されている。通常非公開。 その限られた一般公開の日。 JR西大井駅の近く。ちょうど時間もあり良い機会でしたので、 … 続きを読む 伊藤博文公墓所

コメントなし

JR原宿駅(解体済)

都内最古の木造駅舎 大正13年(1924)建造。令和2年(2020)の東京オリンピック・パラリンピックと連動して解体。 リニュアル前の平成28年(2016)の撮影写真を以下に展開。 早朝の原宿駅ホーム こんなときでもない … 続きを読む JR原宿駅(解体済)

コメントなし

ロ号艦本式罐(ボイラ)

令和元年11月・横須賀・海上自衛隊第2術科学校 ロ号艦本式ボイラー 昭和15年に舞鶴工廠が製造したボイラー。現在は水管がむき出しの状態で残されている。急設網艦「初鷹」型に使用されたボイラーとほぼ同型という。 ロ号艦本式罐 … 続きを読む ロ号艦本式罐(ボイラ)

コメントなし

「大嘗宮」一般参観

令和元年11月 「大嘗宮」は近代史でも戦跡でもございませんが、めったに無い機会ですので、写真だけでも。 とはいっても、一応は近代建築物を。 宮内庁庁舎 昭和10年(1935)建設。庁舎3階は昭和27年(1952)改装。昭 … 続きを読む 「大嘗宮」一般参観

コメントなし

雑司が谷隧道(ウイ・ロード)

令和元年12月撮影 池袋駅北端、東西連絡の歩行者用トンネル。 愛称は、「WE ROAD ウイ・ロード」 東武東上線とJR各線の線路の下を通る。池袋の東西を結ぶ貴重な通路。 開通は大正14年(1925)。山手線の環状運転開 … 続きを読む 雑司が谷隧道(ウイ・ロード)

コメントなし

阿川弘之を偲ぶ(阿川弘之墓)

令和元年11月参拝鎌倉・浄智寺 阿川弘之墓(阿川家之墓) 海自第2術科学校にて「井上成美 海軍大将」に関する講話と初公開の肉声テープを拝聴した帰路に。 「井上成美」といえば、で、海軍提督三部作(山本五十六・米内光政・井上 … 続きを読む 阿川弘之を偲ぶ(阿川弘之墓)

コメントなし

【封鎖中】児玉神社(江ノ島)

令和元年11月参拝 ちょっと最近、気になっていた児玉神社さんに参拝してきました。 ここでは深くは言及しませんが、再建の資金繰りも悪化しているところに台風被害などもあり、なかなか厳しい状況のようですので、この記事を目にして … 続きを読む 【封鎖中】児玉神社(江ノ島)

2 comments

「日本の航空事始め・その3」民間初飛行の奈良原三次(民間航空発祥之地散策・千葉)

令和元年11月 先日、幕張・稲毛方面に赴く機会がありましたので散策をしてみました。 民間航空のパイオニア奈良原三次 奈良原三次明治10年(1877年)2月11日~昭和19年(1944年)7月14日鹿児島出身 東京帝国大学 … 続きを読む 「日本の航空事始め・その3」民間初飛行の奈良原三次(民間航空発祥之地散策・千葉)

2 comments

山縣有朋邸庭園跡(三番町共用会議所)

平成30年11月撮影 山縣有朋邸庭園跡の一般公開にいってきました。(平成30年11月23日) 三番町共用会議所は明治18年に山縣有朋が建築した邸宅跡。当時の建物は関東大震災で大破し、再建後は昭和20年5月空襲で焼失し現存 … 続きを読む 山縣有朋邸庭園跡(三番町共用会議所)

コメントなし

戦争の犠牲になった動物たち「上野動物園と動物慰霊碑」

令和元年(2019)11月 「上野動物園」日本で最初の動物園、明治15年(1882)開園。東京市時代の戦前は「東京市公園局・上野恩賜公園動物園」と称していた。現在の正式名称は「東京都恩賜上野動物園」 そんな歴史由緒ある上 … 続きを読む 戦争の犠牲になった動物たち「上野動物園と動物慰霊碑」

1件のコメント

立川駐屯地の戦跡散策(立川防災航空祭)

令和元年11月9日 立川駐屯地の一般公開に合わせて見学をしてきました。旧軍や戦跡に関することを中心に記載を。 以下、内容更新版も参照に 立川の戦跡としては、以下も参照に。 史料館の中庭にいくつかの記念碑が集められている。 … 続きを読む 立川駐屯地の戦跡散策(立川防災航空祭)

2 comments

第三台場(都立台場公園)

平成29年(2017年)5月撮影 第三台場 ペリー来航に備え東京湾上に作られた品川台場のひとつであった第三台場を利用して昭和3年(1928年)に整備されたのが台場公園。現在は「お台場海浜公園」と地続きとなっている。 都立 … 続きを読む 第三台場(都立台場公園)

コメントなし

ナッチャンWorld(防衛省傭船・特設双胴高速輸送船)

平成30年5月、横須賀久里浜港にて撮影。 ナッチャンWorld ウォータージェット推進機搭載高速フェリー船型 波浪貫通型双胴高速船(アルミ軽合金製)総トン数 10,549トン全長 112.6m全幅 30.5m航海速力 約 … 続きを読む ナッチャンWorld(防衛省傭船・特設双胴高速輸送船)

コメントなし

「陸軍登戸研究所」跡地散策(明治大学生田キャンパス)

令和元年9月散策 神奈川県川崎市多摩区生田の丘の上に。現在の明治大学生田キャンパスはかつて大日本帝国陸軍の研究所であった。 登戸研究所(第九陸軍技術研究所) 昭和14年(1939)、陸軍中野学校を創設し「謀略の岩畔」と異 … 続きを読む 「陸軍登戸研究所」跡地散策(明治大学生田キャンパス)

1件のコメント

靖國神社御創立百五十年記念大祭(令和元年)

令和元年10月20日参列 靖國神社は明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社にはじまる。 そして令和元年(2019)年、靖國神社は御創立150年を迎える。 例年は、「秋季例大祭」が斎行 … 続きを読む 靖國神社御創立百五十年記念大祭(令和元年)

コメントなし

鳥濱トメさんの玉子丼・靖國八千代食堂

令和元年10月。 靖國神社御創立150年の節目の年の再整備。令和元年10月10日に「靖國神社外苑休憩所」に新たにオープンした食堂が「靖國八千代食堂」 名物は「鳥濱トメさんの玉子丼」・・・いただいてきました。 ほんのりと甘 … 続きを読む 鳥濱トメさんの玉子丼・靖國八千代食堂

1件のコメント

「若宮八幡宮と川崎大師」周辺の戦跡散策

令和元年10月 川崎でちょっとだけ時間が出来たので、京急大師線で川崎大師駅まで足を伸ばしてみました。 若宮八幡宮御本殿(旧川中島国民学校奉安殿) 昭和12年4月川崎市立大師尋常小学校より分立独立して「川崎市立川中島尋常小 … 続きを読む 「若宮八幡宮と川崎大師」周辺の戦跡散策

コメントなし

靖國神社・霊璽奉安祭(令和元年)

令和元年10月17日 靖國神社御創立150周年の節目の祭礼。 霊璽奉安祭 令和元年10月17日19時斎行 年の一度、この霊璽奉安祭にて、お名前が新たに明らかになった御英霊が靖國神社に祀られる。 お名前を書き記した名簿=霊 … 続きを読む 靖國神社・霊璽奉安祭(令和元年)

コメントなし

上野公園の戦跡・近代史跡散策

令和元年10月 上野恩賜公園、通称は「上野公園」「戦争に纏わる史跡」「近代史跡」としての公園散策をしてみた。 時忘れじの塔 東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊碑初代林家三平夫人の海老名香葉子さんらにより平成17年3月9日建立 … 続きを読む 上野公園の戦跡・近代史跡散策

コメントなし

楠木正成像(皇居外苑)

令和元年9月撮影 楠木正成像 「東京三大銅像」のひとつ。(残りは上野公園の西郷隆盛像、靖國神社の大村益次郎像)本体の高さは約4メートル、花崗岩の台座を含めると8メートルに及ぶ。 別子銅山開坑200周年事業として住友財閥か … 続きを読む 楠木正成像(皇居外苑)

コメントなし

愛宕山の戦跡散策(青松寺と愛宕神社)

令和元年9月参拝 芝鎮座の「青松寺」の境内には、戦争にまつわる史跡がいくつか残されている。境内裏手の墓地の一角に。 肉弾三勇士(爆弾三勇士) 「肉弾三勇士」は大阪朝日新聞・東京朝日新聞の呼称。「爆弾三勇士」は大阪毎日新聞 … 続きを読む 愛宕山の戦跡散策(青松寺と愛宕神社)

コメントなし

「ペルリ提督の像」と「遣米使節記念碑」(芝公園)

令和元年9月撮影 増上寺の向かいの芝公園に。 ペルリ提督の像 マシュー・ペリーの頭像。Matthew Calbraith Perry(1794年4月10日 – 1858年3月4日)「蒸気船海軍の父」1853年に浦賀に入港 … 続きを読む 「ペルリ提督の像」と「遣米使節記念碑」(芝公園)

コメントなし

護衛艦「いずも」体験航海(令和元年)

令和元年10月4日 先日、護衛艦いずも体験航海(横須賀港~横浜港大さん橋) に参加する機会がありました。 「いずも」での体験航海は実は4年ぶり2回目。前回も今回も、水交会での乗艦でした。 以下、写真メインで。 「いずも」 … 続きを読む 護衛艦「いずも」体験航海(令和元年)

コメントなし

阿波丸事件殉難者之碑(増上寺)

令和元年9月参拝 阿波丸事件殉難者之碑 芝の増上寺境内に建立。 日本郵船が所有していた貨客船「阿波丸」は、三池丸級貨客船3番船として建造され、もともとは豪州航路向けであったが、開戦後の1943年3月5日竣工となり、海外航 … 続きを読む 阿波丸事件殉難者之碑(増上寺)

コメントなし

殉職救護員慰霊碑と看護婦立像(日本赤十字社)

令和元年9月撮影 港区芝大門の日本赤十字社本社前庭に。 慰霊碑には明治27年の日清戦争から第二次世界大戦において戦時救護に服し、殉職した1317人と、関東大震災や集中豪雨災害などの際の救護による殉職救護員9人の合計132 … 続きを読む 殉職救護員慰霊碑と看護婦立像(日本赤十字社)

コメントなし

日本水準原点標庫(参謀本部陸地測量部跡)

令和元年9月撮影 かつて陸軍参謀本部があった地。この場所に残されている「大日本帝国」を物語る遺構。 日本水準原点標庫 「日本水準原点標庫」は、日本水準原点を保護するための建物。 明治24年5月に、大日本帝国陸軍参謀本部陸 … 続きを読む 日本水準原点標庫(参謀本部陸地測量部跡)

コメントなし

寺内正毅像台座跡と三宅坂

令和元年9月 現在の三宅坂小公園 (東京都千代田区隼町4)最高裁判所付近にある三宅坂交差点の三角エリアの公園 立派な台座の上には 「3人の裸婦像」銅像が建っている。アンバランスな台座と銅像。それもそのはず。もともとこの台 … 続きを読む 寺内正毅像台座跡と三宅坂

コメントなし

一橋大学の近代建築・戦跡散策

令和元年9月撮影 国立の一橋大学。戦前は「東京商科大学」日本最初の官立単科大学、日本最初の商科商業大学。 関東大震災により「一ツ橋」の校舎が壊滅的な打撃をうけ、国立地区(国分寺と立川の間)に移転。 昭和19年9月、戦時体 … 続きを読む 一橋大学の近代建築・戦跡散策

コメントなし

戦没学友の碑(一橋大学)

令和元年9月参拝・国立市 一橋大学「佐野書院」。ここに2000年に建立された慰霊碑がある。 佐野書院は東京商科大学初代学長佐野善作氏が私邸を大学に寄付したことにはじまる建物。現在の建物は平成6年改築。 訪れたときは施錠さ … 続きを読む 戦没学友の碑(一橋大学)

コメントなし

海軍大佐 野島新之丞 邸(国立市)

令和元年9月撮影 海軍大佐 野島新之丞 野島新之丞は三重県出身・海兵30正五位勲三等功五級昭和28年9月2日に死去、墓所は多磨霊園 海軍兵学校第30期(海兵30期)明治35年12月14日卒業(187名)30期の同期(クラ … 続きを読む 海軍大佐 野島新之丞 邸(国立市)

コメントなし

国立駅前の国旗掲揚塔

令和元年9月撮影・国立市 JR国立駅南口。訪れたときは、赤い三角屋根で有名だった 「旧国立駅舎」( 大正15年(1926年)建造 )再建工事中でした。(工事完了は2020年4月予定、再訪しないと。) で、本題。今回の目的 … 続きを読む 国立駅前の国旗掲揚塔

コメントなし

興亜神社(亜細亜大学)

令和元年九月参拝・武蔵野市 友人より「亜細亜大学に興亜神社という神社があって・・・」と貴重な情報を耳にしたので、足を運んでみました。 興亜専門学校から亜細亜大学へ 昭和16年(1941)に設立された旧制専門学校。亜細亜大 … 続きを読む 興亜神社(亜細亜大学)

コメントなし

鐵道聯隊E形蒸気機関車

令和元年9月撮影 日本陸軍の鐵道聯隊(鉄道連隊)で活躍した蒸気機関車(SL)が「新江古田駅」の近くに保存してある、と聞きまして、足を運んでみました。 E形蒸気機関車元日本陸軍 鐵道聯隊 E18 1921年に日本陸軍の鐵道 … 続きを読む 鐵道聯隊E形蒸気機関車

コメントなし

明治天皇荻窪御小休所と西郊ロッヂング(荻窪)

平成30年9月撮影 荻窪駅から東に歩く。駅から3分ほどの地に唐突に和風建築が見えてきた。 明治天皇荻窪御小休所 明治天皇荻窪御小休所昭和11年11月建設史蹟名勝天然記念物保存法ニ依リ史蹟トシテ昭和九年十一月文部大臣指定 … 続きを読む 明治天皇荻窪御小休所と西郊ロッヂング(荻窪)

コメントなし

高島秋帆と高島平(火技中興洋兵開祖)

高島秋帆 (たかしま しゅうはん) 江戸時代末期の砲術家 高島流砲術の創始者(流祖)火技之中興洋兵之開祖 寛政10年(1798)の生れ。先祖は近江国高島郡の武士。高島四郎太夫、諱は茂敦、字は舜臣、通称は糾之丞、秋帆と号す … 続きを読む 高島秋帆と高島平(火技中興洋兵開祖)

コメントなし

佐世保海軍墓地

平成28年(2016)7月撮影 佐世保市の「東公園」(「東山公園」)「佐世保東山海軍墓地」「佐世保旧海軍墓地」「東山旧海軍墓地」 平成28年7月。実は嫁さんが旧佐世保海軍墓地を詣でておりました。(私は未訪問です。) 以下 … 続きを読む 佐世保海軍墓地

コメントなし

宝塚聖天英霊礼拝堂「大光明殿」

令和元年9月参拝 宝塚市に鎮座している寺院。「宝塚聖天了徳密院」 「ゼロ戦墓地」「零戦墓地」としても著名。(不本意ながら心霊スポットとしても著名らしい)噂は聞いており気になっていたところ、ちょうど関西方面に赴く用事があり … 続きを読む 宝塚聖天英霊礼拝堂「大光明殿」

コメントなし

真田山陸軍墓地(大阪)

令和元年五月参拝 大阪城東南の丘「真田山」(宰相山)。大阪冬の陣では真田幸村(真田信繁)が出城を築いた古戦場跡。「三光神社」に隣接。 明治4年(1871)に創設された日本で最初の陸軍墓地。 感謝と哀悼の念を抱きつつ、真摯 … 続きを読む 真田山陸軍墓地(大阪)

コメントなし

拓魂公苑(満洲開拓殉難者之碑)

令和元年8月撮影 聖蹟桜ヶ丘駅からバスで「記念館」まで。聖蹟記念館のある「桜ヶ丘公園」の手前に「満洲開拓殉難者」を祀る聖域がある。 満洲開拓殉難者之碑「拓魂」碑 (表面)拓魂 (裏面)満洲開拓受難者之碑 昭和38年4月  … 続きを読む 拓魂公苑(満洲開拓殉難者之碑)

2 comments

昭和塾堂と城山八幡宮

令和元年9月撮影 愛知県名古屋市千種区城山町城山八幡宮境内、昭和塾堂の場所はかつての末森城二の丸に位置する。 日没の直前でしたが、時間があったので脚を運んでみました。 位置関係 昭和塾堂 愛知県が青年向けの社会教育のため … 続きを読む 昭和塾堂と城山八幡宮

コメントなし

戦時下の蓄光タイル?(名古屋駅)

令和元年9月撮影 真偽不明ではあるがネット界隈で情報が散見していたので見に行ってみました。 JR名古屋駅中央本線の階段。階段の隅に正方形の「ガラス板」装飾がある。戦時中、空襲警報発令の灯火管制時に、旅客を安全に誘導するた … 続きを読む 戦時下の蓄光タイル?(名古屋駅)

コメントなし

油壺周辺の戦跡散策・その3

令和元年8月31日~9月1日 油壺に泊まる機会がありましたので、チャンスとばかりに周辺を散策。 「その3」では油壺湾の南側に位置する諸磯湾方面に向かってみます。 その1 東大三崎臨海実験所と特攻戦隊司令部、新井城址 その … 続きを読む 油壺周辺の戦跡散策・その3

コメントなし

油壺周辺の戦跡散策・その2

令和元年8月31日~9月1日 油壺に泊まる機会がありましたので、チャンスとばかりに周辺を散策。 「その1」では、海軍が本部として接収した東大実験所を掲載しました。それ以外にも海軍にまつわる戦跡が点在しておりますので、ちょ … 続きを読む 油壺周辺の戦跡散策・その2

1件のコメント

油壺周辺の戦跡散策・その1

令和元年8月31日~9月1日 油壺に泊まる機会がありましたので、チャンスとばかりに周辺を散策。 今回は以下の3部構成。 その1 東大三崎臨海実験所と特攻戦隊司令部、新井城址 その2 油壺験潮場、震洋桟橋と油壺地下格納壕、 … 続きを読む 油壺周辺の戦跡散策・その1

コメントなし

十河信二・新幹線建設記念碑(新幹線の父)

令和元年9月撮影 東海道新幹線18番・19番ホームの先端。1973年に建立された「東京駅新幹線建設記念碑」がある。 碑の表には「十河信二のレリーフ」 十河信二 座右の銘「一花開天下春」 碑の裏面「新幹線開業」記念と「鉄道 … 続きを読む 十河信二・新幹線建設記念碑(新幹線の父)

1件のコメント

靖國神社・旧外苑休憩所(解体済)

思えば、もっと写真をたくさん撮っておけばよかったです。 もとの建物は昭和11年に奉納されたのものでした。靖國神社・外苑休憩所、在りし日の姿。(令和元年10月10日に新休憩所がオープンしました。 ) 平成30年6月17日撮 … 続きを読む 靖國神社・旧外苑休憩所(解体済)

コメントなし

艦船の神棚(艦内神社・船内神社)

古来より船霊を祀った神棚が艦船に奉じられてきた。それは現在の艦船においても変わらぬ姿。さまざまな艦船の神棚(艦内神社・船内神社)を、以下に記録しておきます。 大日本帝国海軍戦艦「三笠」(記念艦「三笠」) 2016年6月1 … 続きを読む 艦船の神棚(艦内神社・船内神社)

コメントなし

早川徳次像(地下鉄の父)

令和元年8月撮影(令和5年写真更新) 日比谷線銀座駅の地下通路に。 早川徳次(はやかわ のりつぐ) 明治14年(1881)10月15日~昭和17年(1942)11月29日 東京地下鉄道(のちの帝都高速度交通営団→東京地下 … 続きを読む 早川徳次像(地下鉄の父)

2 comments

旧多摩聖蹟記念館(多摩市)

令和元年8月 京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」。京王線ユーザーであれば馴染み深い駅名。 気にはなっていましたが、実はまだ「聖蹟」に脚を運んだことがなく。近いと言えば近いので、ちょっと赴いてみました。 京王電鉄「聖蹟桜ヶ丘駅」格別に … 続きを読む 旧多摩聖蹟記念館(多摩市)

コメントなし

大正殿と富士森公園(八王子)

令和元年8月 中央線と京王線の中間あたり。位置で言うと、京王線山田駅と中央線八王子駅の間にある「富士森公園」。 ちょっと脚を運んでみました。 大正殿(浅間神社拝殿に流用) 昭和2年(1927)、 大正天皇多摩陵での「大喪 … 続きを読む 大正殿と富士森公園(八王子)

コメントなし

日本再建ノ三大恩人銅像(八王子・雲龍寺)

令和元年8月参拝 日本救民の恩人 諾楽守 摩訶薩 元帥 (アメリカ合衆国・ダグラスマッカーサー元帥) 日本再興の恩人 蔣中正 大総統 (中華民国・蒋介石) 日本独立の恩人 謝得和畄天寧 大統領 (スリ … 続きを読む 日本再建ノ三大恩人銅像(八王子・雲龍寺)

コメントなし

小野光賢と小野光景父子にまつわる史跡散策(信州小野と横浜)

平成28年4月ほか 友人と諏訪地方を訪れる機会があった。 というよりも、もともと友人が「この記念館」に訪れるために事前予約をしており、私が便乗した、という機会があった。 小野光賢光景記念館 〒399-0601長野県上伊那 … 続きを読む 小野光賢と小野光景父子にまつわる史跡散策(信州小野と横浜)

4 comments

諏訪護國神社

平成28年4月参拝 友人と諏訪地方を訪れる機会があった。 諏訪湖の高島城。その高島城のある高島公園の南端に鎮座。 諏訪護國神社 諏訪招魂社として明治33年(1900)に創建したことにはじまる。諏訪市、岡谷市、茅野市、諏訪 … 続きを読む 諏訪護國神社

コメントなし

明治天皇巡幸記念碑(塩尻峠)

平成28年4月参拝 友人と諏訪地方を訪れる機会があった。なぜか午前7時の朝靄の中・・・であったが、これは予定の隙間の寄り道でした。 塩嶺御野立公園(えんれいおのだち公園) 塩嶺御野立公園 展望台 岡谷市中心部より北方5K … 続きを読む 明治天皇巡幸記念碑(塩尻峠)

コメントなし

浜松陸軍墓地跡と戦跡散策【浜松1】

令和元年7月 浜松に赴く用事があったので、脚を運んでみました。 浜松陸軍墓地跡(住吉墓苑平和記念広場) 浜松には歩兵第67聯隊が明治41年(1908)に進出したことにより軍都としての一歩が始まる。。大正15年(1926) … 続きを読む 浜松陸軍墓地跡と戦跡散策【浜松1】

コメントなし

高尾山の戦争慰霊碑

平成31年1月 2019年の1月は高尾山に。硫黄島の慰霊碑に。 高尾山有喜苑 高尾山薬王院へ赴く途中、 男坂と女坂に挟まれた高台に仏舎利塔がある。その敷地内に幾つかの慰霊碑もある。 高尾山有喜苑  護國英霊碑  南無護国 … 続きを読む 高尾山の戦争慰霊碑

コメントなし

靖國神社の御神菓

令和元年(2019)ほか 正式参拝(昇殿参拝)の撤下神饌 昇殿参拝の撤下神饌では、羊羹がお頒かちされます。靖國神社すぐ近く、靖国通りに店舗を構える「 宝来屋本店 」さん。明治元年(1868)創業。 撤下神饌この撤下神饌は … 続きを読む 靖國神社の御神菓

コメントなし

海軍中将 真木長義 邸(調布市)

令和元年8月撮影 真木邸(真木家住宅) 国登録有形文化財(建造物) 明治43年(1910)、海軍中将 真木長義(男爵)の隠居所として、長男・真木平一郎によって、現在の港区白金二丁目に建設。その後、昭和11年秋から昭和12 … 続きを読む 海軍中将 真木長義 邸(調布市)

コメントなし

旅順港閉塞作戦・小池幸三郎を偲ぶ(日露戦争の戦跡散策・埼玉川口)

令和元年8月散策 2019年の8月某日、この日は埼玉県川口市に足を運ぶ機会があった。せっかくなので、川口市内に残る戦跡を散策してみる。 川口市総鎮守「川口神社」境内に「川口護國神社」が鎮まっており、その傍らに水兵姿の凛々 … 続きを読む 旅順港閉塞作戦・小池幸三郎を偲ぶ(日露戦争の戦跡散策・埼玉川口)

コメントなし

茨城縣護國神社と水戸歩兵第二聯隊の戦跡散策

平成29年8月 レンタサイクルで水戸市内の戦跡散策を。 茨城県護国神社 茨城縣護國神社は昭和16年11月に創建。 御祭神は幕末から明治維新以後、日清日露の戦役、大東亜戦争に至る支那事変等において国事にたおられ護国の礎とな … 続きを読む 茨城縣護國神社と水戸歩兵第二聯隊の戦跡散策

コメントなし

栃木縣護國神社

平成29年参拝 平成29年8月26日。この日は、栃木県宇都宮市に鎮座している「栃木縣護國神社」を参拝。 宇都宮駅西口からバスで作新学園前下車。すぐ隣が護国の社叢。 栃木縣護國神社 祖国と郷土の為に身命を捧げられた栃木県関 … 続きを読む 栃木縣護國神社

コメントなし

愛国婦人会発祥之地碑

九段 令和元年8月撮影 愛国婦人会発祥之地碑 愛國婦人會 發祥之地碑小笠原長生書 碑裏會祖 奥村五百子刀自銅像跡記念の為 之を建つ昭和三十年秋奥村刀自法要會 明治33年(1900)に勃発の北清事変(義和団事件)に際し、婦 … 続きを読む 愛国婦人会発祥之地碑

2 comments

巣鴨プリズン跡地と護國寺界隈の戦跡散策

平成29年10月・12月23日ほか撮影 巣鴨プリズン跡 池袋サンシャイン60。 かつて巣鴨プリズンと呼ばれていた巣鴨拘置所跡地。そのサンシャイン足元の東池袋公園。 そこには、ひっそりと往時を偲ぶよすががある。 「永久平和 … 続きを読む 巣鴨プリズン跡地と護國寺界隈の戦跡散策

1件のコメント

東条英機邸跡

東京都世田谷区用賀 平成29年(2017)12月撮影 現在は立正佼成会の敷地となっている。その片隅に「東条英機邸跡」碑が建立されている。 昭和20年9月11日。 東条英機は、この用賀の私邸で自殺を図りGHQを慌てさせた… … 続きを読む 東条英機邸跡

コメントなし

殉国七士を偲びし慰霊の鐘「仁慈の鐘」

東海道品川宿・品川寺(ほんせんじ)にある「仁慈の鐘」 戦争裁判・殉国七士慰霊の鐘最寄り駅は京急「青物横丁駅」 品川寺 東海道の品川寺(ほんせんじ)真言宗醍醐派の別格本山。 海外に渡った大梵鐘のエピソードが有名な当寺ですが … 続きを読む 殉国七士を偲びし慰霊の鐘「仁慈の鐘」

コメントなし

豊川海軍工廠跡地散策

平成30年6月 平成30年6月のある日。この日の午前中は「豊橋」を巡っておりました。 位置関係 国土地理院の航空写真から。1946年09月21日に米軍が撮影した写真を一部抜粋。写真データ:M263-A-3-13 豊川へ … 続きを読む 豊川海軍工廠跡地散策

2 comments

護れ傷兵 忘るな武勲「傷兵院」(巣鴨公園)

平和元年7月 先日、巣鴨に用事があった際に、ちょっと脚を伸ばして訪れてみました。 大塚駅と巣鴨駅の中間に位置する公園「巣鴨公園」。ここに、かつて傷兵軍人のための療養所があった。 傷兵院跡地(廃兵院跡地)巣鴨公園 傷兵院舊 … 続きを読む 護れ傷兵 忘るな武勲「傷兵院」(巣鴨公園)

コメントなし

調布にあった醤油醸造所(解体済)

平成31年(2019)4月撮影 / 令和元年7月解体 調布駅すぐ北側の旧甲州街道。往来するたびに立派な塀に囲われた旧家が目についてました。 「ここが醤油醸造所だった」と知って、なんとなく記録写真を撮っていたところ、なんと … 続きを読む 調布にあった醤油醸造所(解体済)

コメントなし

私の片隅散策「呉編」その5

平成29年3月 広島・呉散策・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・呉編) 「この世界の片隅に」 私の片隅散策 すずさんの嫁いだ街「呉」 海軍と共にあった街「呉」 平成29年3月5日。私は呉にいた。 すずさん時代と海軍 … 続きを読む 私の片隅散策「呉編」その5

1件のコメント

私の片隅散策「呉編」その4

平成29年3月 広島・呉散策・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・呉編) 「この世界の片隅に」 私の片隅散策 すずさんの嫁いだ街「呉」 海軍と共にあった街「呉」 平成29年3月5日。私は呉にいた。 すずさん時代と海軍 … 続きを読む 私の片隅散策「呉編」その4

コメントなし

私の片隅散策「呉編」その3

平成29年3月 広島・呉散策・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・呉編) 「この世界の片隅に」 私の片隅散策 すずさんの嫁いだ街「呉」 海軍と共にあった街「呉」 平成29年3月5日。私は呉にいた。 すずさん時代と海軍 … 続きを読む 私の片隅散策「呉編」その3

コメントなし

私の片隅散策「呉編」その2

平成29年3月 広島・呉散策・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・呉編) 「この世界の片隅に」 私の片隅散策 すずさんの嫁いだ街「呉」 海軍と共にあった街「呉」 平成29年3月5日。私は呉にいた。 すずさん時代と海軍 … 続きを読む 私の片隅散策「呉編」その2

コメントなし

私の片隅散策「呉編」その1

平成29年3月 広島・呉散策・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・呉編) 「この世界の片隅に」 私の片隅散策 すずさんの嫁いだ街「呉」 海軍と共にあった街「呉」 平成29年3月5日。私は呉にいた。 すずさん時代と海軍 … 続きを読む 私の片隅散策「呉編」その1

コメントなし

私の片隅散策「広島・江波編」

平成29年3月 広島・江波散策・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・江波編) この世界の片隅に 私の片隅散策 平成29年3月4日、広島市江波。 すずさんが生まれ育った街。 目立った観光地ではなく、この映画に出会わなけ … 続きを読む 私の片隅散策「広島・江波編」

コメントなし

私の片隅散策「広島・中島本町と原爆ドーム編」

平成29年3月 広島・中島本町と原爆ドーム散策・平和記念公園 ・原爆ドーム ・レストハウス ・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・中島本町編) この世界の片隅に 私の片隅散策 平成29年3月3日夕暮れ。 その象徴的な … 続きを読む 私の片隅散策「広島・中島本町と原爆ドーム編」

2 comments

習志野の戦跡散策(騎兵から空挺へ・習志野駐屯地)

平成29年8月 この日は陸自・習志野駐屯地一般開放日「習志野駐屯地夏祭り」 基地公開日に見学できる施設が「空挺館」 未訪でしたので、是非これは行っておきたい。 ついでに折角だから寄り道しながら駐屯地を目指してみました。 … 続きを読む 習志野の戦跡散策(騎兵から空挺へ・習志野駐屯地)

2 comments

習志野の戦跡散策(騎兵聯隊編)

平成29年8月 かつて存在せしものは、時代の価値観をこえて保存し、記念すべきものである。それが、文明というものである。 司馬遼太郎 この日は陸自・習志野駐屯地一般開放日「習志野駐屯地夏祭り」基地公開日に見学できる施設が「 … 続きを読む 習志野の戦跡散策(騎兵聯隊編)

2 comments

習志野の戦跡散策(鉄道聯隊と演習場跡)

平成29年8月 陸自・習志野駐屯地一般開放日「習志野駐屯地夏祭り」に赴く途中に、折角だから寄り道しながら周辺を散策してみました。 津田沼駅 午前9時。 目標地は習志野駐屯地だけど最初に降り立った駅は「津田沼」でした。 陸 … 続きを読む 習志野の戦跡散策(鉄道聯隊と演習場跡)

2 comments

駒澤練兵場跡地の戦跡散策

平成30年2月‐4月 世田谷区池尻・三宿・下馬、目黒区駒場・大橋界隈の散策 駒沢練兵場や陸軍騎兵学校、騎兵第一聯隊、陸軍獣医学校、糧秣廠、野砲兵第一聯隊など。 世田谷区の池尻・三宿・下馬や目黒区の駒場・大橋といったエリア … 続きを読む 駒澤練兵場跡地の戦跡散策

6 comments

動物慰霊之碑(陸軍獣医学校・両国回向院)

平成30年参拝 かつて陸軍獣医学校内にあった「動物慰霊之碑」(昭和3年3月建立)が、紆余曲折あって、戦後に両国回向院に移転している。 陸軍獣医学校 はかつては世田谷区の、現在の 駒場学園高等学校 のあたりにあった。(後日 … 続きを読む 動物慰霊之碑(陸軍獣医学校・両国回向院)

コメントなし

「陸軍中野学校 ・豊多摩監獄・野方配水塔」中野の戦跡・近代史跡散策

平成29年 ・陸軍中野学校・豊多摩監獄・野方配水塔 平成29年10月28日。 当初の予定が雨で崩れたために予定変更の散策。 さすがに中野は再開発で見るべきところはすくないけど、ちょっとだけ往時を偲ぶ痕跡を探してみました。 … 続きを読む 「陸軍中野学校 ・豊多摩監獄・野方配水塔」中野の戦跡・近代史跡散策

コメントなし

近藤家ゆかりの日露戦争記念碑(調布)

地元調布の忠魂碑と記念碑を掲載。 調布の布多天神社境内。近藤勇の孫にゆかりがあるのです。 日露戦争記念碑 近藤勇と新選組のゆかりの地日露戦争記念碑(中央の碑)の裏には、日露戦争に従軍し、戦病死した近藤勇の孫(近藤勇の娘瓊 … 続きを読む 近藤家ゆかりの日露戦争記念碑(調布)

コメントなし

大西瀧治郎を偲ぶ

総持寺境内 鶴見駅から鶴見総持寺に足を運んでみた。大西瀧治郎の墓に。 大西瀧治郎 従三位勲二等功三級 海軍中将 大西瀧治郎之墓 合掌 海軍中将。第1航空艦隊司令長官、軍令部次長を歴任。 「敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ … 続きを読む 大西瀧治郎を偲ぶ

コメントなし

満蒙護國神社

平成30年6月参拝 埼玉県・出雲大社朝霞教会 境内社 満蒙護國神社 平成元年四月十五日建立 照清大権現縁起 霊夢に依り昭和十四年五月ソ満国境ノモンハン事変に参戦護国の英霊となられた戦友七千六百拾六名の御霊を靖国神社より分 … 続きを読む 満蒙護國神社

コメントなし

軍艦「榛名」の後部マスト(後檣)

令和元年6月 兵庫県尼崎市 難波八幡神社の境内に、榛名のマストが残されていると聞き、足を運んでみました。駅から歩くにはちょっと遠く、私はJR神戸線立花駅からバスで赴きましたが、JR尼崎駅もしくは阪神尼崎駅、阪神塚口駅など … 続きを読む 軍艦「榛名」の後部マスト(後檣)

コメントなし

大阪城周辺の戦跡散策

平成29年4月 平成29年4月18日。大阪に用事のあった私は午前中の空き時間を利用して大阪城界隈へ。 実に10年ぶりの大阪城公園。普通に廻っても面白くないので、近代史跡・戦争史跡(戦跡)を中心に散策してみました。 それで … 続きを読む 大阪城周辺の戦跡散策

2 comments

西淡路高射砲陣地跡(解体済)

(西淡路高射砲台・国次高射砲陣地) 平成30年(2018)8月及び令和元年(2019)6月撮影 ※解体済み 大阪に出張に行く機会がありまして。 フォロワーさん(盡忠報國さん)情報で、道路新設の為に近々取り壊し予定という高 … 続きを読む 西淡路高射砲陣地跡(解体済)

コメントなし

名古屋熱田の戦跡散策

平成29年1月 ・名古屋陸軍造兵廠跡 ・熱田神宮被爆鳥居 ・堀川被爆護岸堤防 平成29年1月29日昼過ぎ。熱田到着。 過去、熱田神宮には何度か参拝に来たことはあった。しかしかつては熱田神宮と境外社などしか訪れておらず、で … 続きを読む 名古屋熱田の戦跡散策

コメントなし

南湖院第一病舎(茅ヶ崎)

令和元年5月撮影 南湖院は神奈川県茅ヶ崎市にあったサナトリウム(結核療養所)医師・高田畊安 (1861-1945) によって1899年9月に開院。 地名の「南湖」(なんご)によるが、濁音を嫌った高田畊安によって当施設は「 … 続きを読む 南湖院第一病舎(茅ヶ崎)

コメントなし

広島護國神社と戦跡散策

平成29年(2017年) 廣島護國神社 3月3日夕刻。この日は広島中心部に宿を取っていた。 宿に向かう途中、広島護國神社に立ち寄り。実は3回目の参拝。とはいっても10年ぶり。その10年前は、一部で有名な例の「万灯みたまま … 続きを読む 広島護國神社と戦跡散策

コメントなし

山梨縣護國神社と戦跡散策

平成29年9月 甲府 ・山梨縣護國神社 ・陸軍歩兵第四十九聯隊(甲府聯隊) ・陸軍歩兵第四十九聯隊糧秣庫跡(赤レンガ) 平成29年9月3日。護國神社巡りは長野と山梨に。 この日は無謀にも松本市と甲府市をハシゴし「長野縣護 … 続きを読む 山梨縣護國神社と戦跡散策

コメントなし

長野縣護國神社と戦跡散策

平成29年9月 松本 ・長野縣護國神社 ・陸軍歩兵第五十聯隊(松本聯隊) ・陸軍歩兵第五十聯隊糧秣庫跡(赤レンガ) 平成29年9月3日。護國神社巡りは長野と山梨に。 この日は無謀にも松本市と甲府市をハシゴし「長野縣護國神 … 続きを読む 長野縣護國神社と戦跡散策

コメントなし

外務省外交史料館別館(吉田茂記念資料特別展示場)

平成27年 この年(平成27年・2015年)は戦後70年目の節目でした。 昭和20年9月2日。第二次世界大戦での日本の降伏調印。日本帝国政府代表として重光葵外相、大本営代表として梅津美治郎陸軍参謀総長が東京湾の戦艦ミズー … 続きを読む 外務省外交史料館別館(吉田茂記念資料特別展示場)

コメントなし

航空神社(新橋・羽田)

平成29年撮影 新橋の航空会館(東京都港区新橋1-18-1) 屋上には「財団法人日本航空協会」(旧「帝国飛行協会」)が管理する航空神社が鎮座。航空功労者や航空殉職者を祀る。 昭和6年8月1日創建。 現社殿は昭和58年8月 … 続きを読む 航空神社(新橋・羽田)

コメントなし

飛行神社(京都府八幡市)

平成15年(2003年)撮影 2024年に再訪し、下記で記事を刷新しました 飛行神社 京都府八幡市、石清水八幡宮のお膝元に鎮座している航空関連の神社。 「日本の航空機の父」と称された二宮忠八が大正4年(1915)に航空受 … 続きを読む 飛行神社(京都府八幡市)

コメントなし

船橋西部の戦跡散策

平成29年撮影 船橋妙典駅から新船橋駅までの散策。 スタート地点は「船橋妙典駅」 。中山競馬の最寄り駅。 競馬場と無線塔跡と工場跡と。 格別にめぼしいものは残っていないけど歩いてみました。 中山競馬場 船橋妙典駅から中山 … 続きを読む 船橋西部の戦跡散策

4 comments

平和の塔(東京都調布市)

東京都調布市昭和48年建立/調布市役所前中庭 平和の塔この「平和の塔」は、かつて数次にわたる戦争、戦災、引き揚げ、原爆被爆などの惨禍の中で亡くなった方々の霊をまつり、平和への誓いをこめて、多くの市民及び市民団体の協力のも … 続きを読む 平和の塔(東京都調布市)

コメントなし

相模原界隈の戦跡散策

平成30年9月及び10月 平成30年9月。相模原界隈を散策してみました。 横浜線矢部駅から淵野辺駅までの散策と京王相模原線多摩境駅からの散策を。 軍都・相模原のほんの一部ですが、散策した様子を以下に。 位置関係 国土地理 … 続きを読む 相模原界隈の戦跡散策

コメントなし

金沢の近代建築散策

平成30年12月 石川県金沢市 金沢市内の散策。まずは金沢城の南側にある近代建築物。 旧・石川県庁舎(現・石川県政記念しいのき迎賓館) 大正13年(1924)に国会議事堂(東京都千代田区永田町)の設計に携わった矢橋賢吉の … 続きを読む 金沢の近代建築散策

コメントなし

金沢城周辺の戦跡散策

平成31年12月散策 石川県金沢市 金沢城公園 金沢城公園。 金沢城址の周辺にも、興味深いものがあるので散策してみましょう。 金沢城に残る戦跡 レンガ造りのトンネル 明治から昭和にかけて金沢城は旧陸軍の所管となり軍用施設 … 続きを読む 金沢城周辺の戦跡散策

コメントなし

兼六園の戦跡散策

平成30年12月 石川県金沢市 言わずと知れた兼六園。 行く機会がありましたのでさらりと。戦跡と言うほどには話題は多くないですが。 兼六園内に残る戦跡 松の傷 この松の傷は太平洋戦争が終わった年、昭和20年(1945)の … 続きを読む 兼六園の戦跡散策

コメントなし

米軍 大和空軍基地跡

令和元年6月撮影 玉川上水駅のロータリーに往時を物語る石碑があった。 大和空軍基地 昭和三十一年二月二十四日 正式開設    我々は世界の平和が総ての自由愛好国家の間に於ける親睦友好関係に対する努力を … 続きを読む 米軍 大和空軍基地跡

コメントなし

圓山貯水池と圓山水神社(台湾台北)

令和元年5月散策 スキマ時間に駆け足で。 最寄りはMRT(台北捷運淡水信義線)路線記号「R」RedLine。剣潭駅(Jiantan ジェンタン) 「剣潭駅」 東側の山(剣潭山)の中腹に、日本統治時代を物語る史跡「円山貯水 … 続きを読む 圓山貯水池と圓山水神社(台湾台北)

コメントなし

ちょこっと台湾台北散策

令和元年5月 隙間の時間に。ほんの少しだけ。時間がほとんどなかったので。 行政院(旧 台北市役所) 日本統治時代の昭和15年(1940)竣工。 監察院(旧 台北州庁舎) 大正4年(1915年)竣工。修復工事中でした。 立 … 続きを読む ちょこっと台湾台北散策

コメントなし

回天を偲ぶ

平成29年 大分県日出町の「回天大神基地跡」と「回天神社」に関して。 ※現地(大分県日出町)の写真は、嫁写真を拝借です。※私自身は回天神社及び回天大神基地跡は未訪。 文責は私にあります。 回天 昭和19年11月8日。 「 … 続きを読む 回天を偲ぶ

コメントなし

呉・海軍墓地(長迫公園)

平成29年3月 広島県呉市。長迫公園の呉海軍墓地。 護国の為に戦いし艦と人に。 感謝と哀悼を。 明治23年開設の大日本帝国海軍墓地。 呉鎮守府が管理し毎年この地で慰霊祭が行われていたが昭和20年に祭祀は廃止。 昭和46年 … 続きを読む 呉・海軍墓地(長迫公園)

4 comments

海軍工機学校(海軍機関学校)跡地散策

平成29年10月及び平成31年3月撮影 横須賀は三笠公園の近く。神奈川歯科大学と横須賀学院の界隈は、かつては「海軍工機学校」(海軍機関学校)であった。 米軍側から見た「海軍工機学校」と「横須賀海軍病院」の記事はこちらから … 続きを読む 海軍工機学校(海軍機関学校)跡地散策

コメントなし

横須賀の諏訪公園周辺散策

平成29年10月撮影 京急線・汐入駅周辺の散策。場所としては諏訪公園を軸に。 横須賀のどぶ板通りを歩いていて前から気になっていた碑。 実はまだ行ったことが無かったので、入り口の碑につられてみます。 明治天皇横須賀行在所入 … 続きを読む 横須賀の諏訪公園周辺散策

コメントなし

龍本寺の海軍慰霊碑(横須賀海軍航空隊殉職将士追悼碑と軍艦千島海軍機関師五士の墓碑)

平成29年10月撮影 京急線の横須賀中央駅から高台の方に向かう。 「猿海山龍本寺」(日蓮宗)この寺院に、横空ゆかりの慰霊碑がある。 横須賀海軍航空隊 殉職将士追悼碑 海軍大将 永野修身 書昭和九年七月五日建立 昭和9年7 … 続きを読む 龍本寺の海軍慰霊碑(横須賀海軍航空隊殉職将士追悼碑と軍艦千島海軍機関師五士の墓碑)

コメントなし

横須賀海軍航空隊と予科練誕生の地散策

平成28年6月撮影 位置関係 野島(掩体壕)夏島(掩体壕・地下壕)貝山(海軍航空発祥之地記念碑・甲種予科練鎮魂之碑・予科練誕生之碑)位置関係。 日産工場が滑走路界隈。 野島 シーサイドライン野島公園駅。野島後方には夏島が … 続きを読む 横須賀海軍航空隊と予科練誕生の地散策

コメントなし

海軍の碑記念行事(海軍記念日)

平成29年及び平成30年撮影 「海軍の碑」記念行事(横須賀水交会) 5月27日。戦前の「海軍記念日」に。横須賀はヴェルニー公園の片隅にある「海軍の碑」にて。 毎年、5月27日の午前11時30分頃に、午後から行われる「日本 … 続きを読む 海軍の碑記念行事(海軍記念日)

コメントなし

日本海海戦記念式典(5月27日)

毎年、5月27日に日本海海戦記念式典が行われております。公益財団法人 三笠保存会 主催記念艦「三笠」にて 令和元年(2019)は「日本海海戦114周年記念式典」ですね。残念ながら都合により参列できませんが。 過去の様子 … 続きを読む 日本海海戦記念式典(5月27日)

コメントなし

5月27日「海軍記念日」

日露戦争・日本海海戦を偲びし日。 歴史を刻んだ帝国海軍を偲びし日。 1905年(明治38年)5月27日日本海海戦 東郷平八郎の旗艦三笠をはじめとする連合艦隊が対馬沖にてバルチック艦隊と海戦 翌5月28日ロシア艦隊降伏によ … 続きを読む 5月27日「海軍記念日」

コメントなし

横浜海軍航空隊(浜空)と飛行艇の名残散策

平成28年6月 横浜海軍航空隊(浜空)の遺跡として国内最大級のものが残っている。 「飛行艇格納庫」 浜空は日本最初の飛行艇部隊であったのだ。日本が誇る九七大型飛行艇や二式大艇を収納した大型格納庫。 ワクワクしますね… 現 … 続きを読む 横浜海軍航空隊(浜空)と飛行艇の名残散策

2 comments

「こんなに焼けたか」昭和天皇と富岡八幡宮

令和元年5月撮影・門前仲町 富岡八幡宮 「こんなに焼けたか」 東京大空襲の被害状況のご説明を富岡八幡宮境内にて聞き終えた 昭和天皇は、しばし絶句されて、立ちすくまれた、という。 天皇陛下御野立所 (おのだちしょ) 天皇陛 … 続きを読む 「こんなに焼けたか」昭和天皇と富岡八幡宮

コメントなし

群馬縣護國神社

平成29年9月参拝 群馬縣護國神社 支那事変に至るまでの3573柱を合祀し昭和16年に現在地に鎮座。 そののち大東亜戦争の御祭神を合せ、群馬県関係者47000余柱を祀る。 戦後一時期は「誠霊廟」「上野神社」とも称していた … 続きを読む 群馬縣護國神社

コメントなし

大阪護國神社

平成29年(2017)参拝 大阪府に戦没者の御霊を恒久的に奉斎する神社がなかったために、昭和15年に内務大臣指定護國神社として創建。 御祭神明治維新前後の天誅組8柱をはじめ、西南の役、日清日露戦争、大東亜戦争に至る大阪に … 続きを読む 大阪護國神社

コメントなし

新宿戸山の戦跡散策

平成30年8月 新宿区戸山・戸山公園を中心としたエリアの散策。 陸軍戸山学校など。 新宿戸山散策 平成30年8月19日、新宿区戸山界隈を散歩してみました。 主たるポイントは「陸軍戸山学校」、現在の戸山公園を中心としたエリ … 続きを読む 新宿戸山の戦跡散策

コメントなし

学習院大学の近代建築

平成29年4月撮影 乃木館(旧・総寮部) 学習院第10代院長乃木希典ゆかりの建造物。 明治41年(1908)竣工。学習院が全寮制だった頃に宿舎として使われており、10代目院長の乃木希典も4年間をここで過ごしていた。昭和1 … 続きを読む 学習院大学の近代建築

コメントなし

「明治丸」と「東京高等商船学校」(東京海洋大学)

平成29年7月 海の日(7月第3月曜日) 海の日は1995年(平成7年)に制定され1996年(平成8年)から施行された日本の国民の祝日の一つ。 「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。 … 続きを読む 「明治丸」と「東京高等商船学校」(東京海洋大学)

コメントなし

「砕氷艦AGB-5003しらせ」と「5002SHIRASE」

平成29年8月撮影 平成29年8月20日 チャレンジングSHIRASE マリンフェスタinFUNABASHI 船橋港にて6年ぶりに5002と5003の「しらせ」が再会。 実は先代も現役もどちらにも乗艦したことが無かったの … 続きを読む 「砕氷艦AGB-5003しらせ」と「5002SHIRASE」

コメントなし

夕呉クルーズ

平成29年(2017)3月 呉艦船めぐりの夕暮れクルージング 、おすすめ。 平成29年3月4日夕方。私は広島県呉市にいた。 夕暮れに軍港巡りが出来るというのを知り、実は昼前に電話予約していました。 この日は1745出港の … 続きを読む 夕呉クルーズ

コメントなし

空母赤城と赤城神社

平成28年(2016)9月撮影 空母赤城に関係する神社を。 大洞赤城神社・旧鎮座地。 社頭向かって左側にある「碑」 大日本帝国軍艦赤城奉納碑 境内地は立入禁止ゆえ望遠トリミングで。 奉納は昭和10年10月とのことです。 … 続きを読む 空母赤城と赤城神社

コメントなし

東農大周辺の戦跡散策

平成29年(2017年)5月撮影 東京都世田谷区桜丘。 現在の東京農業大学世田谷キャンパスがある一帯。この地は戦前は陸軍用地であった。 「陸軍自動車学校」(陸軍機甲整備学校) その名残を辿ってみようと思う。 陸軍自動車学 … 続きを読む 東農大周辺の戦跡散策

コメントなし

観音崎の戦跡散策(横須賀)

令和元年(2019)5月11日撮影・横須賀市 午前中に「馬門山横須賀海軍墓地墓前祭」に参列し、午後はフリータイム。一緒に行動していた友人から一言「観音崎行ったことある?」 実はわたしはまだ観音崎に行ったことがなく。事前調 … 続きを読む 観音崎の戦跡散策(横須賀)

コメントなし

ソレイユの丘(横須賀第二飛行場跡)

平成30年8月訪問 横須賀第二飛行場(横須賀長井飛行場)跡 横須賀の「ソレイユの丘」と「航空自衛隊レーダー基地」のあたりに。 かつて飛行場があった。が、本格稼働する前に終戦。 今は特になにもなく。なんとなくそんな感じが残 … 続きを読む ソレイユの丘(横須賀第二飛行場跡)

コメントなし

大竹の海軍戦跡散策

平成29年(2017年)3月撮影 岩国方面でスキマ時間が出来た際に寄り道を。 天気は芳しくない中でも、隙間時間の過ごし方を悩む。 岩国観光をするか否か…。 悩んで結局はあるあるな岩国観光を止めて、敢えて大竹に足を運んでみ … 続きを読む 大竹の海軍戦跡散策

5 comments

馬門山横須賀海軍墓地墓前祭

令和元年(2019)5月11日 第64回馬門山横須賀海軍墓地墓前祭が、令和元年5月11日、午前9時30分から約1時間にわたり、まるで夏のような日差しが降り注ぐ新緑の墓苑にて開催されました。今回はじめて参列してまいりました … 続きを読む 馬門山横須賀海軍墓地墓前祭

1件のコメント

「第六潜水艇」の戦跡散策

平成29年3月 山口県岩国市及び広島県呉市 和木駅から岩国駅方面に南下。 歩くこと20分程ほどで目的地「第六潜水艇記念碑」に到着。 第六潜水艇受難者記念碑(第六潜水艇記念碑) 第六潜水艇受難者記念碑 元海軍大将 高橋三吉 … 続きを読む 「第六潜水艇」の戦跡散策

2 comments

もう一つの真珠湾「九軍人」岩佐直治を偲ぶ

もう一つの真珠湾。 九軍神と讃えられた勇士の一人、岩佐直治を偲ぶ 昭和16年12月8日 ハワイ真珠湾 大東亜戦争の口火が切られた日。 文字通りに水面下の戦いがあった。 特殊潜航艇(甲標的) のちに九軍神と讃えられた勇士た … 続きを読む もう一つの真珠湾「九軍人」岩佐直治を偲ぶ

コメントなし

帝国海軍最後の生き残り「宗谷」

平成30年6月10日が宗谷竣工80周年でした 昭和13年(1938)6月10日竣工 平成30年(2018)6月10日に「生誕80周年」を迎えた宗谷 南極観測船として有名な「宗谷」実は、戦前は横須賀鎮守府所属の特務艦として … 続きを読む 帝国海軍最後の生き残り「宗谷」

コメントなし

千葉公園の戦跡散策(鉄道第一聯隊ほか)

平成29年(2017)8月撮影 千葉縣護國神社から千葉公園に足を伸ばしてみました。 千葉公園忠霊塔エリアからようやく本来の千葉公園エリアに脚を進める。 C型タンク飽和型蒸気機関車 なにやら「蒸気機関車」が保存されています … 続きを読む 千葉公園の戦跡散策(鉄道第一聯隊ほか)

コメントなし

千葉縣護國神社(旧鎮座地)

平成29年8月20日参拝 ちょっとした時間が出来たので、脚を伸ばして千葉駅から護國神社へ参拝を。 令和4年に千葉縣護國神社は御遷座しました。 新境内地の記録は以下より 千葉県護國神社 凛とした空間のなかで、千葉縣護國神社 … 続きを読む 千葉縣護國神社(旧鎮座地)

コメントなし

埼玉縣護國神社

平成29年3月26日参拝 平成29年3月26日。雨降る夕方に。 武蔵一宮氷川神社から足を伸ばして参拝してきました。護國神社巡礼。 旧内務省内務大臣指定護國神社。 鳥羽・伏見の戦い以後の国事に殉じた埼玉県関係の英霊51,0 … 続きを読む 埼玉縣護國神社

コメントなし

神奈川縣護國神社跡(横浜市慰霊塔)

平成26年(2014)参拝/令和元年(2019)11月再訪  全国47都道府県で唯一「護國神社」が無い県が神奈川県。(内務大臣指定護國神社として。東京は靖國神社で包括している) もちろん、神奈川県にも護国神社建立の予定は … 続きを読む 神奈川縣護國神社跡(横浜市慰霊塔)

コメントなし

愛知縣護國神社

平成29年1月参拝 この日は名古屋市内を散策しておりました。 歴史の重みを感じながら… 御祭神の御心に感謝と哀悼を… 愛知県名古屋市中区三の丸鎮座 内務大臣指定護国神社 別表神社 戊辰戦争から第二次世界大戦までの愛知県関 … 続きを読む 愛知縣護國神社

2 comments

兵庫縣神戸護國神社

平成30年11月参拝 兵庫県神戸市灘区鎮座 「兵庫縣神戸護國神社」は兵庫県東部ゆかりの戦没者53,257柱を祀る。 ちなみに兵庫県内は、護國神社が2社あり、西部は「兵庫縣姫路護國神社」として西部地区出身の戦没者56,98 … 続きを読む 兵庫縣神戸護國神社

コメントなし

新潟縣護國神社

平成30年12月参拝 明治元年10月29日、新潟市常盤岡(現在の新潟大学医学部)に「招魂社」を建立。明治8年に新潟招魂社と改称し昭和14年に「新潟縣護國神社」と改称。 戊辰戦争から第二次世界大戦までの新潟県出身の戦死者7 … 続きを読む 新潟縣護國神社

コメントなし

石川護國神社

平成30年12月参拝 兼六園の南に鎮座。 戊辰ノ役で戦死した加賀藩出身戦没者のみたまを明治3年(1870)に祀った招魂社に始まる。 以来、西南ノ役、日清日露戦役、支那事変、大東亜戦争までの英霊4万4800余柱を祀る。うち … 続きを読む 石川護國神社

コメントなし

麻布・青山・赤坂の戦跡散策

平成30年9月撮影 位置関係 昭和19年10月16日に陸軍が撮影した空中写真をベースに。 近衛歩兵第三聯隊、歩兵第一聯隊、歩兵第三聯隊などを。 散策のスタートは赤坂見附駅と日枝神社から。ここから赤坂を目指します。 日枝神 … 続きを読む 麻布・青山・赤坂の戦跡散策

コメントなし

北の丸・千鳥ヶ淵周辺の戦跡散策

平成28年5月撮影 灯台下暗し。近いと何時でも良いやと思って訪れない場所がある。 ある日の午後。ふと思いたって北の丸の戦跡史跡散策を決行。考えてみれば良く歩くわりにはこの界隈は気にしてなかったなあ、と。 (北の丸といえば … 続きを読む 北の丸・千鳥ヶ淵周辺の戦跡散策

コメントなし

浅川地下壕の戦跡散策

平成29年11月 八王子市・高尾駅 ある秋の日。 事前に申し込みをしていた見学会に参加しておりました。 「浅川地下壕の保存をすすめる会」様主催の地下壕見学。 http://asakawatikagou.web.fc2.c … 続きを読む 浅川地下壕の戦跡散策

コメントなし

日比谷通りと日比谷公園散策

平成30年12月 日比谷通りと日比谷公園を散策したときの写真などを。 第一生命館 東部軍管区司令部(陸軍) 連合国最高司令官総司令部(GHQ) 昭和13年(1938)竣工。平成元年から平成5年にかけて解体及び改築され現在 … 続きを読む 日比谷通りと日比谷公園散策

コメントなし

信濃町の陸軍境界石

平成28年5月撮影 陸軍第一師団輜重兵第一大隊の境界石という。 大正9年に慶應病院に用地が売却され輜重兵営部隊は郊外に転地している。 「陸軍省所轄地」境界石、二行での記載は珍しい・・・かな。

コメントなし

渋川護國英霊殿

平成30年12月撮影 渋川護國英霊殿 説明板 この社はお国のために亡くなられたご英霊が祀られております ご英霊に感謝いたしましょう 群馬県渋川市・並木児童公園に隣接して鎮座。 当時の群馬県北部11か町村、幾多郡三か村の、 … 続きを読む 渋川護國英霊殿

コメントなし

国立科学博物館と上野散策

平成30年10月撮影 高射第一師団司令部(国立科学博物館) 昭和19年12月、東部高射砲集団を改編して「高射第一師団」創設。 京浜地方を主とする本州東部の防空(高射砲)を担った。 昭和20年5月に、司令部を代官山から上野 … 続きを読む 国立科学博物館と上野散策

コメントなし

旧・陸奥宗光邸

平成30年10月撮影 鶯谷駅から歓楽街を抜けた先、住宅地の突き当りに古風な洋館が今も残っている。 この古風な洋館。 明治16年(1883)から明治20年までの期間が陸奥宗光邸であった。 この洋館は都内に現存する住宅建築洋 … 続きを読む 旧・陸奥宗光邸

コメントなし

日本経緯度原点(海軍水路寮観象台跡)

平成30年11月撮影 東京都港区麻布台2-18-1 日本経緯度原点 この地が日本の測地座標系の原点。 明治7年、海軍水路寮が当地に観象台を設置。明治21年に帝国大学付属東京天文台が置かれ明治25年に陸軍参謀本部陸地測量部 … 続きを読む 日本経緯度原点(海軍水路寮観象台跡)

コメントなし

【解体済】旧逓信省貯金局庁(旧逓信省本庁舎)

平成30年11月撮影 昭和5年竣工の旧逓信省貯金局庁舎、昭和18年からは旧逓信省本庁舎。 昭和24年に発足した郵政省が昭和44年まで本庁舎として利用。本省が霞が関に移転後も飯倉分館として機能。現在は日本郵政グループ飯倉ビ … 続きを読む 【解体済】旧逓信省貯金局庁(旧逓信省本庁舎)

2 comments

中島飛行機武蔵製作所関連の戦跡散策

平成29年11月撮影 武蔵野市・西東京市 昭和19年11月24日。B-29爆撃機による東京初空襲。 その最初の空襲目標は…世界に誇る東洋一の航空機メーカー「中島飛行機武蔵製作所」であった。 位置関係 出典は「地図・空中写 … 続きを読む 中島飛行機武蔵製作所関連の戦跡散策

コメントなし

代々木公園周辺の戦跡散策

平成29年5月 代々木公園はかつての「帝国陸軍代々木練兵場」であった。 その練兵場の隣に鎮座しているのが「代々木八幡宮」 往時を物語るものが境内に残っているというので見聞に訪れてみました。 位置関係 代々木八幡宮 御祭神 … 続きを読む 代々木公園周辺の戦跡散策

コメントなし

陸軍気象部と気象神社

平成29年10月及び令和元年5月撮影 雨の日の撮影が平成29年、それ以外は令和元年5月撮影。 位置関係 高円寺氷川神社 創建年代は天文年間(1531~1544)とも、奥州征伐の文治5年(1189)の際に当地に立ち寄り安達 … 続きを読む 陸軍気象部と気象神社

コメントなし

中島飛行機三鷹研究所跡散策

平成29年10月撮影 位置関係 中島飛行機は東京工場(中島飛行機東京製作所)を大正14年に開設後も急成長を遂げる。 昭和13年(1938)には三鷹北部の武蔵野に大規模工場として「武蔵製作所」を開設。 そして昭和16年(1 … 続きを読む 中島飛行機三鷹研究所跡散策

6 comments

中島飛行機発動機発祥之地

平成29年10月撮影 中島飛行機発動機発祥之地碑(中島飛行機東京製作所跡地) 昭和62年12月10日建立 中島飛行機東京製作所(中島飛行機東京工場とも荻窪工場とも呼称) 東洋最大にして世界有数の航空機メーカー「中島飛行機 … 続きを読む 中島飛行機発動機発祥之地

コメントなし

いのはなトンネルの悲劇「湯の花トンネル列車銃撃事件」(高尾)

平成31年1月撮影 JR高尾駅には「銃撃痕」が残っていたが、高尾駅からちょっと奥まったトンネルでも「銃撃」による悲劇があった。 湯の花トンネル(いのはなトンネル)へ (蛇滝口バス停) 高尾駅から「湯の花トンネル」(いのは … 続きを読む いのはなトンネルの悲劇「湯の花トンネル列車銃撃事件」(高尾)

3 comments

JR高尾駅に残る機銃掃射弾痕

平成29年11月・ほか撮影。 当時は「浅川駅」と称されていた「高尾駅」ホームに銃弾痕が残っている。 昭和20年7月8日 駅舎が米軍艦載機による機銃掃射をうけた爪痕。 そんな戦争の歴史を残す高尾駅を観察してみる。 同じ昭和 … 続きを読む JR高尾駅に残る機銃掃射弾痕

2 comments

新潟村松の戦跡散策

平成31年3月撮影 「村松」私にとっては懐かしい土地。かつて「蒲原鉄道」が五泉駅から村松駅まで結んでいた時(全盛期はもっと長く加茂駅まで結んでいたが)、母方の祖父母が新津や水原に居住していたということもあり、足繁く「蒲原 … 続きを読む 新潟村松の戦跡散策

コメントなし

筑波海軍航空隊跡散策

平成28年3月6日撮影 筑波海軍航空隊記念館が中心。 筑波海軍航空隊記念館(司令部庁舎) かえり雲(流政之さん) 号令台 慰霊碑 滑走路跡 筑波神社跡(筑波海軍航空隊神社跡) 地下戦闘指揮所跡 地下病院跡(地下応急治療室 … 続きを読む 筑波海軍航空隊跡散策

コメントなし

北浦海軍航空隊跡と鹿島海軍航空隊跡散策

平成28年9月(北浦) 北浦 今回の舞台は北浦湖畔。目印は潮来マリーナ。 航空写真で見てもだいたい分かる感じに「水上機用スロープ」が残ってます。 アクセス方法潮来駅-延方駅-鹿島大野駅を結ぶ広域連携路線バス。 バス停「大 … 続きを読む 北浦海軍航空隊跡と鹿島海軍航空隊跡散策

コメントなし

百里原海軍航空隊跡散策

平成29年7月 平成29年7月30日。 茨城空港(百里基地)の近くに残されている「百里原海軍航空基地」の跡を偲びに脚を運んでみました。 なお、私が訪れた後に、百里原海軍航空隊ゆかりである「百里神社」を取り巻く環境がかわり … 続きを読む 百里原海軍航空隊跡散策

コメントなし

霞ヶ浦海軍航空隊跡散策

平成28年4月 予科練平和記念館 復元された零戦21型 雄翔館(予科練記念館) 阿見町内に点在する海軍の史跡 戦前の霞ヶ浦神社、戦後の慰霊塔へと連なる歴史 阿彌神社 茨城大学農学部に点在する海軍の史跡 予科練の町「阿見町 … 続きを読む 霞ヶ浦海軍航空隊跡散策

1件のコメント

陸軍立川飛行場跡散策

平成29年4-5月ほか 立川陸軍飛行場 大正11年(1922)に帝都防衛構想の陸軍航空部隊の中核拠点として開設。日中戦争さなかの昭和13年(1938)に立川に駐留していた飛行第五連隊隷下の戦闘中隊は「飛行第五戦隊」に改編 … 続きを読む 陸軍立川飛行場跡散策

4 comments

銚子の戦跡散策

千葉県銚子市に点在する戦争関連の史跡を散策してみる。 銚子市の末広町広場に昭和57年建立の碑がある。 戦災復興記念碑 銚子はその立地条件も影響し、三度の空襲を受けている。 昭和20年3月9日、7月19日、8月3日。被災建 … 続きを読む 銚子の戦跡散策

4 comments

陸軍特別大演習「迎光碑」

平成28年撮影上信電鉄「山名駅」のすぐ隣に「迎光碑」というものがある。 陸軍特別大演習「迎光碑」 揮毫 侍従長海軍大将 鈴木貫太郎 書 これは昭和9年(1934)の陸軍特別大演習の地に山名駅周辺が選定されたことから 昭和 … 続きを読む 陸軍特別大演習「迎光碑」

コメントなし

小石川後楽園周辺の戦跡散策

平成30年8月 小石川後楽園散策 (飯田橋駅~水道橋駅~後楽園駅周辺) 東京ドームと小石川後楽園。 戦前、この場所には陸軍兵器工場(東京砲兵工廠)があった。 今でも残るその名残を見に行ってみました。 (平成30年8月25 … 続きを読む 小石川後楽園周辺の戦跡散策

1件のコメント

京都伏見の戦跡散策

平成30年8月 京都府伏見区深草の陸軍第16師団関連の戦跡(戦争史跡)散策 関西方面に行く用事がありまして。 隙間の時間で京都府伏見区深草エリアに残る陸軍第16師団名残の遺構を探しつつ散策してみましたので以下に展開してみ … 続きを読む 京都伏見の戦跡散策

2 comments

靖國神社の御神酒

平成31年/令和元年(2019)ほか 「靖國神社の御神酒」は「澤ノ井」で有名な東京青梅の小澤酒造さんとなります。東京の地酒。 新バージョン 2019年からリニューアルされた御神酒。靖國のお社を包み込む靖國桜と、浮き出た鳩 … 続きを読む 靖國神社の御神酒

1件のコメント

三ツ木地区防空壕跡散策(多摩陸軍飛行場)

平成29年撮影 都立野山北・六道山公園 武蔵村山市総合運動場の北東の方向にある「谷戸」この界隈ある「三本入谷戸」「赤坂谷戸」に防空壕跡が残っている。 三ツ木地区防空壕跡 「赤坂谷戸」の林道脇にポッカリと空いた穴 「三ツ木 … 続きを読む 三ツ木地区防空壕跡散策(多摩陸軍飛行場)

コメントなし

東京陸軍少年飛行兵学校跡地散策

平成29年撮影 武蔵砂川駅と玉川上水駅の間。武蔵村山市大南地区。当時このあたりに「東航」があった。 東航通り 砂川三番交差点から北上し西武拝島線を縦断する。 この道は「東航通り」として名前が残っている。 「東航」とは「東 … 続きを読む 東京陸軍少年飛行兵学校跡地散策

コメントなし

旧日立航空機立川工場変電所

平成29年撮影 「東大和南公園」内 「旧日立航空機立川工場変電所」 本記事は、古い記事となります。 2021年の補修工事完了後の再訪記録は以下になります。2階部分も公開となっております。以下が最新記事です。 位置関係 旧 … 続きを読む 旧日立航空機立川工場変電所

コメントなし

陸軍少年通信兵学校名残の石橋

平成29年撮影 西武線小川駅の西側。現在の「明治学院 中学校・東村山高校」のあるあたり。 現在は通学路となっているこの石橋から先が往時は「陸軍少年通信兵学校」であったという。 陸軍少年通信兵学校名残の石橋 野火止用水に架 … 続きを読む 陸軍少年通信兵学校名残の石橋

コメントなし

山中坂の戦災供養地蔵尊(立川)

平成31年4月撮影 立川には陸軍飛行場を中心に陸軍航空工廠や軍需工場が集中していた土地であった。米軍からは重要拠点とみなされ、昭和20年2月16日以降13回に及ぶ空襲を受けた。 昭和20年4月4日 立川市富士見町5丁目に … 続きを読む 山中坂の戦災供養地蔵尊(立川)

コメントなし

市ヶ谷周辺の陸軍史跡散策

平成28年~29年撮影 市谷亀ヶ岡八幡宮 八紘一宇 裏参道(左内坂)の方向に向かいましょう。 裏参道。 右手は駿台予備校。左手は市ヶ谷駐屯地。 市谷亀ヶ岡八幡宮の陸軍用地境界標石 今でも境界の仕事をしている標石がアジサイ … 続きを読む 市ヶ谷周辺の陸軍史跡散策

コメントなし

防衛省・市ヶ谷台ツアー

平成30年6月撮影 6月某日。縁あって防衛省・市ヶ谷地区の見学を。通称「市ヶ谷台ツアー」に参加してきましたので、そのときのレポを以下に。 ※令和3年(2021年)、現在とはツアーの内容が異なります。 令和3年は、大本営地 … 続きを読む 防衛省・市ヶ谷台ツアー

コメントなし

宇垣纏を偲ぶ

宇垣纏 海軍中将・第五航空艦隊長官 宇垣家之墓 宇垣家之墓 従三位勲一等旭日大綬章昭和四十四年十二月二十四日 海軍中将正四位勲一等功三級 宇垣纏命 昭和二十年八月十五日戦死 享年五十六 部下ヲ率ヒ九機ヲ以テ沖縄海面ニ特攻 … 続きを読む 宇垣纏を偲ぶ

コメントなし

神戸三宮の戦跡と近代史跡散策

平成29年3月 平成29年3月15日、神戸方面に赴く用事があった。 せっかくなので神戸に点在する戦跡・近代史跡スポットを午前中のスキマ時間で軽く散策。 三ノ宮駅高架橋の機銃掃射痕 JR三ノ宮駅。この何気ない東西を結ぶ高架 … 続きを読む 神戸三宮の戦跡と近代史跡散策

コメントなし

陸軍相模飛行場跡地散策

平成30年2月神奈川県愛甲郡愛川町中津地区に残る相模陸軍飛行場(中津飛行場)の跡地散策。 神奈川県愛川町に残る陸軍飛行場ゆかりの地。 ここには「相模陸軍飛行場」「熊谷陸軍飛行学校中津分教所」とも呼称された飛行場があった。 … 続きを読む 陸軍相模飛行場跡地散策

コメントなし

豊橋の戦跡散策

平成30年6月撮影 平成30年6月下旬。愛知県豊橋市に足を運ぶ機会がありまして。軍都豊橋と呼ばれた街。 「豊橋公園」は歩兵第18聯隊「愛知大学豊橋キャンパス」は第15師団今回はこの2つを軸にして散策を展開していきます。 … 続きを読む 豊橋の戦跡散策

コメントなし

東郷平八郎ゆかりの神社仏閣など

(平成29年12月及び平成30年4月ほか撮影) 東京近郊にある東郷平八郎ゆかりの寺社巡り ・東郷寺(府中・東郷別邸跡) ・二七山不動院(麹町・東郷崇敬の寺院)   東郷元帥記念公園(麹町・東郷本邸跡) ・東郷神社(東郷を … 続きを読む 東郷平八郎ゆかりの神社仏閣など

コメントなし

東京駅にのこる近代史跡

先日、東京駅に用事があったので立ち寄ってみました。 伊号潜水艦の潜望鏡? もともとは東京ステーションホテルを支えていた柱。 当時は「日本海軍(帝国海軍)の伊号潜水艦の潜水鏡」流用とされていたが、近年の研究ではその可能性は … 続きを読む 東京駅にのこる近代史跡

コメントなし

中島飛行機半田製作所飛行場跡と半田散策

平成29年1月撮影 中島飛行機半田製作所 知多半田地区には、戦前に中島飛行機の工場があった。 中島飛行機といえば陸軍の戦闘機「隼」「鍾馗」「疾風」などが有名であるが、この半田製作所では海軍機を製造。 1943年1月末に主 … 続きを読む 中島飛行機半田製作所飛行場跡と半田散策

2 comments

「荻外荘と目白近衛町」近衛家と近衛文麿旧宅

平成30年撮影 現在、杉並区によって「荻外荘公園」として再整備中。豊島区に移築されている建物( 荻外荘の一部 )も、杉並区に戻して再整備をする計画だというので、経過を見守りつつ。 「荻外荘公園」国史跡 荻外荘(近衛文麿旧 … 続きを読む 「荻外荘と目白近衛町」近衛家と近衛文麿旧宅

2 comments

JR銚子駅舎建替前の記録(海軍香取航空基地の格納庫転用の駅舎?)

すでに解体済みです。平成30年に新駅舎となりました。 1945年(昭和20年)7月19日空襲で銚子駅舎は焼失しており、終戦直後に海軍香取航空基地の格納庫を転用し駅本屋に改築したものとされている。 訪れてみればわかるが空間 … 続きを読む JR銚子駅舎建替前の記録(海軍香取航空基地の格納庫転用の駅舎?)

コメントなし

海軍香取航空基地跡散策

平成28年1月撮影・千葉県匝瑳市及び旭市 海軍香取航空基地跡散策レポ。(平成28年1月10日) 千葉県旭市鎌数工業団地がその跡地。 航空写真で見れば滑走路跡も歴然。 総武本線干潟駅スタートで散策行程は約10キロ3時間。 … 続きを読む 海軍香取航空基地跡散策

コメントなし

横浜開港祭「たかなみ」電灯艦飾

平成29年6月3日撮影 平成29年6月3日 の横浜開港祭。 護衛艦「たかなみ」が「横浜港大さん橋」に寄港。夜間には電灯艦飾も行われるということで行ってみました。 結果的には運良く花火とのコラボも楽しめました〜! 「横浜港 … 続きを読む 横浜開港祭「たかなみ」電灯艦飾

コメントなし

都内の射的場跡散策・弥生と大森

平成29年11月撮影 戦前の都内にはいくつか「射的場」があり、今でも地図上でその痕跡を見つけることが出来る。有名なところでは現在は戸山公園となっている「陸軍戸山射撃場」などがあるが、今回は「弥生」と「大森」にあった射的場 … 続きを読む 都内の射的場跡散策・弥生と大森

コメントなし

「特攻観音堂」と「特攻勇士の像」

(特攻観音堂は平成30年5月撮影 ) 世田谷観音 (世田谷山観音寺) 江戸三十三観音第32番札所 昭和26年に睦賢和尚が独力で建立。 同年5月、金竜山浅草寺に請い開眼の法を修したとされる寺院。 境内には特攻で犠牲となられ … 続きを読む 「特攻観音堂」と「特攻勇士の像」

コメントなし

愛知航空機工場スリップ跡散策

平成29年1月撮影 愛知航空機永徳機体工場スリップ跡。 (稲永スリップ跡) 平成29年1月28日午後。名古屋駅から「あおなみ線」に乗り南下を。 観光地的ではない場所。目的地は「野跡駅」より徒歩10分ほどだった。 通称、「 … 続きを読む 愛知航空機工場スリップ跡散策

6 comments

軍艦「陸奥」を偲ぶ

軍艦「陸奥」 長門型戦艦の二番艦「陸奥」帝國海軍のシンボルとして長門ともども日本国民から親しまれたものの、昭和18年(1943)6月8日、主砲火薬庫から爆発を起こして沈没。 陸奥主砲(船の科学館) 長門型戦艦の二番艦「陸 … 続きを読む 軍艦「陸奥」を偲ぶ

3 comments

軍艦「長門」を偲ぶ

軍艦「長門」 「軍艦長門の碑」 ありし日の 連合艦隊旗艦長門の 姿をここに留めて 昭和激動の時代を 偲ぶよすがとする 撰文 阿川弘之 / 書 新見政一 (海軍中将) 昭和21年(1946)7月28日深夜から29日未明にか … 続きを読む 軍艦「長門」を偲ぶ

コメントなし

ある日の「DDH-183いずも」

平成29年10月 海上自衛隊・横須賀地方総監部13時。この日は参加している「公益財団法人 水交会 横須賀支部(横須賀水交会)」の部隊研修がございまして、それが午後の予定でした。 横須賀基地内に錨とスクリューが保存されてい … 続きを読む ある日の「DDH-183いずも」

コメントなし

護衛艦「いずも」体験航海

平成27年10月8日 護衛艦いずも体験航海(横須賀港~横浜港大さん橋) 御題 出雲大社に詣でて 国譲り祀られましし  大神の奇しき御業を   偲びて止まず 皇后陛下御歌 DDH-183「いずも」 に乗ってきましたレポを以 … 続きを読む 護衛艦「いずも」体験航海

コメントなし

谷田部海軍航空隊跡地散策

平成29年5月 谷田部へ 平成29年5月5日。良い天気に誘われて前々から気になっていた場所にふらりと訪れてみることにしました。 茨城県内に点在した海軍航空基地跡でまだ未訪問だった場所。 「谷田部」 現在の行政的には茨城県 … 続きを読む 谷田部海軍航空隊跡地散策

コメントなし

陸軍調布飛行場跡散策

平成28年~ 陸軍調布飛行場跡散策 (調布市/三鷹市/府中市) 調布飛行場周辺 高射砲台座跡 飛行場排水路/排水門 ・門柱 掩体壕(三鷹市大沢2基/白糸台) 飛行場工事で遷座した神社仏閣 調布郷土博物館保存「陸軍境界石」 … 続きを読む 陸軍調布飛行場跡散策

コメントなし

走水水源地と覚栄寺裏山貯水池

平成31年3月 桜の季節に開放される「横須賀走水水源地」タイミングが合わせられましたので行ってきました。 横須賀水道 横須賀における水道施設は海軍とともにあった。横須賀海軍工廠が発展するにつれて水不足となったために造船所 … 続きを読む 走水水源地と覚栄寺裏山貯水池

コメントなし

東京23区内に残る寺社の防空壕

平成30年12月撮影 千住神社(東京都足立区千住宮元町) 成願寺(東京都中野区本町) 千住神社と防空壕跡 千住神社創建は延長4年(926)という古社。旧社格は郷社。千寿七福神の一神(恵比寿)。 この神社にはなんと…防空壕 … 続きを読む 東京23区内に残る寺社の防空壕

2 comments

世田谷に眠る海軍軍人(永野修身・小澤治三郎・堀悌吉)

平成30年5月撮影 世田谷の寺院に眠る海軍軍人の墓詣でをしていることに気がついたので、以下に記録しておきたいと思います。 浄真寺 永野修身 元帥海軍大将 豪徳寺 堀悌吉 海軍中将 大吉寺 小澤治三郎 海軍中将 永野修身 … 続きを読む 世田谷に眠る海軍軍人(永野修身・小澤治三郎・堀悌吉)

コメントなし

四月十八日に山本五十六を偲ぶ

平成31年4月18日 山本五十六の墓を。 四月十八日は山本五十六の命日 。。。 【海軍甲事件】 1943年(昭和18年)4月18日。 前線視察中の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がブーゲンビル島上空にて米軍戦闘 … 続きを読む 四月十八日に山本五十六を偲ぶ

コメントなし

旧海軍の内火艇?

月島橋近くに桟橋状態で係留されている船がある。 どうもこの船が「旧帝国海軍の内火艇」と、まことしやかに伝承されている。真偽の程は不明であれど、ちょっと撮影してみました。 ネットに転がる噂話によると、月島橋の係留船は「比叡 … 続きを読む 旧海軍の内火艇?

コメントなし

二・二六事件と海軍

平成29年2月投稿 突然ではございますが、なんとなく表題の件「二・二六事件と海軍」と題して、かなりざっくりとまとめてみたいと思います。 知っての通り、二・二六事件といえば陸軍の青年将校が起こした事件であり陸軍の話はいくら … 続きを読む 二・二六事件と海軍

コメントなし

「二・二六事件」雑感

元記事は平成29年2月投稿、平成31年4月ほか追記あり 深くは掘り下げずに、思いついたことをちらりほらりと書いてみようかと思います。陸軍さんの動きは、さほどに詳しくないので。 その歴史的な評価や青年将校の起こした行動の是 … 続きを読む 「二・二六事件」雑感

コメントなし

九段会館(軍人会館)解体前の記録

九段会館、戦前の軍人会館。 東日本大震災の影響で2011年(平成23年)4月に廃業し、平成31年現在は解体中。2022年に帝冠様式の外壁を残した状態で高層ビルに生まれ変わる予定。 「軍人会館」(九段会館) 着工は昭和7年 … 続きを読む 九段会館(軍人会館)解体前の記録

コメントなし

「千島」と「畝傍」(青山霊園)

平成30年8月撮影 青山霊園・畝傍の森 水雷砲艦「千島」慰霊碑 この地に水雷砲艦「千島」の砲身と砲弾が慰霊碑として祀られている。 「千島艦事件」 明治25年4月にフランスにて竣工し11月に長崎に到着。瀬戸内海を航行中の1 … 続きを読む 「千島」と「畝傍」(青山霊園)

コメントなし

戦災電柱

平成29年11月撮影 台東区三筋町 台東区三筋の住宅地のなかに残る戦跡。 昭和20年3月10日、東京大空襲のさなかで辛うじて焼け残った電柱。 場所→台東区三筋1ー13ー12 https://goo.gl/maps/h4N … 続きを読む 戦災電柱

コメントなし

B-29のタイヤとプロペラ

平成30年6月・他 B-29のタイヤ(機体番号44-69728・第314航空団29爆撃群所属) 舎人公園の近くの畑の片隅に。 大きなゴムタイヤがありました。 なんでも「B29のタイヤ」だそうで。 B-29のタイヤ このゴ … 続きを読む B-29のタイヤとプロペラ

コメントなし

青砥高射砲陣地跡

平成30年6月 東京都葛飾区白鳥 京成線お花茶屋駅より15分ほど歩く。 かつて、このあたりには「青砥高射砲陣地」が展開されており、その痕跡が今も僅かに残っているという。ちょっと見物してみましょう。 青砥高射砲陣地跡 国土 … 続きを読む 青砥高射砲陣地跡

2 comments

松脂油採取の跡(高幡不動)

平成29年11月撮影 高幡不動 戦争末期。苦肉の策として航空燃料原料としての利用が試みられたのが「松から採取された油」であった。しかし労力と効率の割が悪く、また粗悪のために実用には至らず。 松の根からは「松根油」、樹皮か … 続きを読む 松脂油採取の跡(高幡不動)

コメントなし

「インド独立運動の英雄」チャンドラ・ボース胸像(杉並区)

平成30年1月撮影 インド独立運動の英雄チャンドラ・ボース ボース事故死より30年後の昭和50年8月18日に遺骨を預かる頂光山蓮光寺(杉並区)境内に建立。先日、友人よりチャンドラ・ボース像の話を聞きまして脚を運んでみまし … 続きを読む 「インド独立運動の英雄」チャンドラ・ボース胸像(杉並区)

1件のコメント

嶋田繁太郎を偲ぶ

平成30年2月参拝(嶋田家之墓・盛雲寺) 嶋田繁太郎墓 豊島区西巣鴨 鎮座地場所→https://goo.gl/maps/SdPVgypzZC22 … 嶋田繁太郎 1883年9月24日-1976年6月7日(92歳没) 海 … 続きを読む 嶋田繁太郎を偲ぶ

コメントなし

海軍下瀬火薬製造所跡地散策(北区西ヶ原)

平成30年2月撮影 東京都北区西ヶ原及びその周辺の散策記録。 明治時代。日露戦争にて大日本帝国海軍が採用し大勝利の一因ともなった「下瀬火薬(下瀬爆薬)」の製造がこの地で行われていた。東京都北区に僅かに残る「海軍」痕跡探し … 続きを読む 海軍下瀬火薬製造所跡地散策(北区西ヶ原)

コメントなし

鎮魂・戦艦「大和」(4月7日)

昭和20年(1945)4月7日を偲ぶ。 戦艦大和が沈没した節目の日に。 昭和20年4月7日14時23分。 大日本帝国海軍の栄光を担った戦艦「大和」。 象徴でもあった戦艦「大和」 一億総特攻の魁として、坊ノ岬沖に散華した。 … 続きを読む 鎮魂・戦艦「大和」(4月7日)

コメントなし

「風船爆弾打ち上げの大津基地」と「震洋の平潟訓練基地」(北茨城)

平成29年8月撮影 茨城県北茨城市に点在する「震洋基地跡」と「風船爆弾放球台跡」。あわせて平潟港と大津港の鎮守様も。 平成29年8月13日。 常磐線にて大津港駅へ。 茨城県最北端の地・北茨城市で、ちょっとした戦争関連の史 … 続きを読む 「風船爆弾打ち上げの大津基地」と「震洋の平潟訓練基地」(北茨城)

コメントなし

海軍工作学校と海軍通信学校(久里浜)

平成31年3月(通信学校・久里浜駐屯地)及び平成30年5月(工作学校関連)撮影 「海軍工作神社」 久里浜八幡神社 境内社「海軍工作神社」 昭和16年4月に久里浜にて開校した、海軍の工作術教育を行う海軍術科学校「海軍工作学 … 続きを読む 海軍工作学校と海軍通信学校(久里浜)

コメントなし

「忠魂祠堂」と「軍艦比叡鎮魂碑」

平成30年8月撮影・横須賀・光心寺 「忠魂祠堂」 明治33年10月28日に創建。昭和12年2月6日に再建。 建立は横須賀鎮守府。 明治二十七八年戦役(日清戦争)、明治三十七八年戦役(日露戦争)、満洲・支那事変、大東亜戦争 … 続きを読む 「忠魂祠堂」と「軍艦比叡鎮魂碑」

コメントなし

駆逐艦「峯雲慰霊碑」

平成30年8月撮影 横須賀・満昌寺 「駆逐艦峯雲慰霊碑」 駆逐艦 峯雲 大東亜戦争に於て 祖国のためと信じ 純粋な心で戦い 多くの若い命を捧げて 平和の願いをこめた思を 慰霊碑に永く残す。 平成七年三月五日 駆逐艦峯雲戦 … 続きを読む 駆逐艦「峯雲慰霊碑」

コメントなし

駆逐艦「村雨の碑」

平成28年4月撮影 浦賀は鴨居港に面した地に、駆逐艦「村雨」の慰霊碑が建立されている。 駆逐艦 村雨 大東亜戦争に於いて 純粋に日本のために 青春を捧げて 戦歿した戦友を偲び 祖国愛と 平和への願いをこめて この慰霊碑を … 続きを読む 駆逐艦「村雨の碑」

コメントなし

旧・横須賀鎮守府司令長官官舎

平成28年4月撮影 現在の海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎。 桜の季節に一般公開。 友人に連れられてサクッといって参りました。 基本情報(公式サイト内案内ページ) http://www.mod.go.jp/msdf … 続きを読む 旧・横須賀鎮守府司令長官官舎

コメントなし

白金台に残る海軍墓地の名残「白金海軍葬儀場跡」

平成30年5月撮影 港区白金台にある明治学院大学・白金キャンパス。 この地はかつては海軍墓地であった。 旧海軍軍人白金墓地記念堂 現在は「旧海軍軍人白金墓地記念堂」という納骨堂形式の建物が明治学院大の隣に残る。(非公開) … 続きを読む 白金台に残る海軍墓地の名残「白金海軍葬儀場跡」

コメントなし

「水交会」あれこれ

戦前の水交社。戦後の水交会。 水交社・水交会 明治9年に海軍省外郭団体として創設した「水交社」は戦後に海軍省と共に消滅したが、昭和27年(1952)に、財団法人「水交会」として復興。「水交会」は、帝国海軍戦没者及び海上自 … 続きを読む 「水交会」あれこれ

コメントなし

戦艦武蔵の碑

平成28年3月撮影 武蔵一宮・氷川神社(大宮氷川神社) 旧帝国海軍最後の戦艦が大和型戦艦二番艦「武蔵」 武蔵に勧請された艦内神社は武蔵一宮氷川神社。沈没より71年後の平成27年(2015)10月24日。昨年、遺族悲願の顕 … 続きを読む 戦艦武蔵の碑

コメントなし

軍艦多摩慰霊碑

平成26年10月25日撮影 2014年10月 大國魂神社境内に建立された軍艦多摩慰霊碑。 碑が建立された慰霊祭の翌日に見に行ってきました。 境内参道脇におおきな石碑がある。 忠魂永存。 昭和33年4月12日。 徳富蘇峰撰 … 続きを読む 軍艦多摩慰霊碑

コメントなし

新潟新発田の戦跡散策(歩兵第16聯隊)

平成31年3月撮影、新潟県新発田市 歩兵第16聯隊 明治4年(1871)、新潟に東京鎮台第一分営が置かれ、明治7年に、新発田城内に「白壁兵舎」が落成したのを機に新発田歩兵第16聯隊が編成。 明治21年(1888)、第2師 … 続きを読む 新潟新発田の戦跡散策(歩兵第16聯隊)

コメントなし

近代海軍発祥之地跡散策(築地)

平成29年5月撮影 ※現在は築地再開発により現地状況変わっております。 近代海軍発祥の地「築地」散策。 そのほか魚河岸水神社・波除神社・本願寺・聖路加病院などの散策。 築地 江戸時代に「地を埋め立てて築いた」ことから築地 … 続きを読む 近代海軍発祥之地跡散策(築地)

コメントなし

海軍省跡・軍令部跡の碑

平成29年5月撮影 平成29年5月。 現在の「農林水産省」があるあたりに、戦前は「海軍省・軍令部」があった。 その同じ区画「中央合同庁舎第5号館」の北東脇に往時の海軍時代を偲ぶ碑が建立されている。 しょうしょう訪れるのが … 続きを読む 海軍省跡・軍令部跡の碑

コメントなし

神雷桜と桜花~靖國神社の桜

靖國神社に献木された神雷桜から、往時を偲ぶきっかけを… 靖國神社の神雷桜 桜花公園の神雷桜 桜花 靖國櫻(靖国桜) 靖國神社 桜の季節になるとどうしても「桜花」のことに触れたくなります桜賑わう靖國神社で、桜にまつわる先人 … 続きを読む 神雷桜と桜花~靖國神社の桜

4 comments

駆逐艦 初霜の錨

平成28年5月撮影 旧帝国海軍駆逐艦「初霜」の錨墨田区:山田記念病院 初霜の錨 一等駆逐艦初春型の4番艦 「初霜」 その錨が記念として保存されていた。 今となっては数少ないあり日の帝国海軍のよすがを偲びに。 墨田区の山田 … 続きを読む 駆逐艦 初霜の錨

3 comments

「新潟空襲で孤軍奮闘した船」軍用船宇品丸慰霊塔

平成30年12月撮影・新潟市 軍用船宇品丸慰霊塔(新潟市中央区) 初の日本陸軍保有軍用輸送船「宇品丸」 陸軍運輸部・船舶部隊の拠点が置かれた宇品の名を冠した船。 この船は、新潟空襲に際して、米軍機をひきつけ弾薬を浪費させ … 続きを読む 「新潟空襲で孤軍奮闘した船」軍用船宇品丸慰霊塔

コメントなし

陸軍護衛空母「山汐丸の錨」(横浜)

2018年11月及び2023年12月撮影・横浜市 山汐丸の錨 「山汐丸(陸軍護衛空母)」横浜みなとみらい地区の片隅に赤さびた大きな錨が展示してある。 昭和19年に三菱重工業横浜船渠で2TL型タンカー5番船として起工された … 続きを読む 陸軍護衛空母「山汐丸の錨」(横浜)

コメントなし

海自第2術科学校一般公開(横須賀田浦)

横須賀田浦海自第2術科学校(2術校) 一般公開・オープンスクール(平成28年9月) 海自第2術科学校一般公開 9月10日。 この日は海上自衛隊第2術科学校でオープンスクール(一般公開)がございました。 JR田浦駅に到着し … 続きを読む 海自第2術科学校一般公開(横須賀田浦)

コメントなし

半原水源地と海老名と・海軍横須賀水道(愛川・海老名)

(平成29年7月) 半原水源地 横須賀水道みち 上郷水道橋(上郷水管橋) 海軍標石(海軍境界石) 【横須賀水道と半原系統】 海老名の有鹿神社の境内裏手「相模川」に気になる橋があります。 「上郷水管橋」 愛甲郡愛川町の半原 … 続きを読む 半原水源地と海老名と・海軍横須賀水道(愛川・海老名)

コメントなし

神奈川県中央部の海軍史跡散策(寒川・大和・綾瀬)

 (平成29年6月・10月撮影) ※2017/6訪問・寒川→相模海軍工廠跡と引込線(寒川支線)・大和→厚木空ゆかりの神社 ※2017/10訪問・綾瀬→二相空ゆかりの神社 神奈川県中央部の海軍史跡散策 平成29年6月。 海 … 続きを読む 神奈川県中央部の海軍史跡散策(寒川・大和・綾瀬)

コメントなし

相模大塚駅周辺の海軍戦跡

平成29年11月撮影 台湾亭 ・戦没台湾少年慰霊碑 、相模野海軍航空隊線(相模鉄道航空隊線) など 相模大塚駅周辺の海軍戦跡 相模鉄道「相模大塚駅」。 この駅の南側には厚木海軍航空基地、そして北東には高座海軍工廠(最寄駅 … 続きを読む 相模大塚駅周辺の海軍戦跡

コメントなし

高座海軍工廠跡地散策(座間)

平成29年12月撮影 座間市に残る海軍戦跡散策。 高座海軍工廠ゆかりの地。 座間市の芹沢公園に残る防空壕(地下工場跡)など。 神奈川県座間市。相模鉄道さがみ野駅から北へ。 海軍厚木航空隊に隣接するこの地に海軍航空機製造の … 続きを読む 高座海軍工廠跡地散策(座間)

4 comments

瀬谷海軍道路散策(横浜)

平成30年4月撮影 横浜市瀬谷区の愛称「海軍道路」の散策記事まとめ 瀬谷・海軍道路 横浜市瀬谷区の上瀬谷地区。 相模鉄道「瀬谷駅」より北の八王子街道に向けて一直線に伸びる直線道路がある。 この約3キロの直線道路(市道環状 … 続きを読む 瀬谷海軍道路散策(横浜)

コメントなし

~近代史跡・戦争遺跡・慰霊巡拝~

モバイルバージョンを終了